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英雄の亡霊

 シルバーウルフの出現により、衛兵たちも大騒ぎらしい。

 特に森に近い西側の門は急遽閉じることになったのだが、その準備に取り掛かっている衛兵の隙をつくように門を潜り抜け、森の方に走っていくテネアをトムが目撃したらしい。大声を出して止めたのだが、彼女はそのまま走り去ってしまい、トムは急ぎ冒険者ギルドに報告に来たそうだ。

 レミリィは報告に来たアイシャを部屋から退出させる。

 そして――


「ガウディル様、とても凛々しいお姿で」


 彼女が振り返ると恍惚の表情を浮かべる。

 レミリィの視線の先にいたのは先ほどまでのラークとは似ても似つかぬ姿の少年がいた。

 年の頃は十五歳くらい。

 光を知らぬような漆黒の髪に鮮やかな赤い瞳をしている。

 彼は先ほどレミリィが開けた窓をさらに大きく開けて、


「レミリィ、後は任せた」


 彼は低い声でそう言うと、その姿を霧へと変えて夜の街へと溶かしていった。

 霧となったガウディルは空を舞い森へと向かう。

 闇夜の空から見下ろせば、地上の様子は何もわからないのだが、ガウディルには木々の葉一枚の動きまで認識できる。

 彼はその力を使い、シルバーウルフとバウンドウルフを探したが、先に見つけたのはそのどちらでもなく、森の中を走っているテネアとダモンだった。


   ※ ※ ※


 テネアは自分の剣術に自信があった。

 トレシアの街に来る途中、一人で旅をしていた彼女は何度も危険な目に遭遇した。

 街の中で自分より遥かに大きいゴロツキ数人に絡まれたこともあったし、谷でイノシシの魔物と戦ったこともある。

 それでも彼女は剣一本でそれらを乗り越えてきた。

 今回も自分の実力なら乗り越えられると信じて森に入った。

 バウンドウルフは魔物としてはかつて彼女が倒したイノシシの魔物より劣る。数が多いといっても倒せるだろうと。

 彼女は一人森に入り、そしてバウンドウルフに今にも襲われそうなダモンを見つけた。

 バウンドウルフはテネアを見ると、逃げるように森の中に消えていった。

 テネアはその時、自分は正しいことをした。

 一人の命を救ったのだと確信した。

 だが、それは間違いだった。

 狼が仲間を引きつれて戻ってきた。

 狼一匹なら何とでもなると思ったが、その数の多さにテネアはダモンと一緒に逃げるすることになる。

 狼の方が遥かに速い。

 だが、それでもテネアたちはなんとか逃げ続けることができている。


「奴らが本気を出せば俺なんて一瞬で食われる。これは訓練なんだ」


 ダモンは震える声で言う。


「訓練ってどういうことですか」

「狩りの訓練だ。シルバーウルフは腹がいっぱいになると、残りの獲物を訓練に使う習性がある。手下の狼に襲わせて狩りの腕を磨かせる。決して逃がさず、動けなくなるまで走らせる。思えば、広い森の中であんたに会えたのも、狼達(やつら)に誘導されていたんだろうな」


 ダモンは自嘲するように言った。

 その顔には諦めの感情が滲んでいる。


「シルバーウルフ!? そんな魔物がいるんですか!?」

「聞いていないのか? たぶん俺たちはそのシルバーウルフの待っている場所に誘導されているんだ」


 バウンドウルフ相手ならなんとかなると思っていたが、シルバーウルフを相手に無事でいられるとテネアは思っていなかった。

 それなら、複数いるバウンドウルフを相手にした方が遥かにいい。

 そう思って視線を背後にやる。

 しかし、森の中は暗く、どこにバウンドウルフがいるかわからない。

 とその時、彼女の頭上から一頭のバウンドウルフが襲い掛かって来る

 木の上からの攻撃だった。

 彼女はそれに全く対応できず、肩に深い傷を負う。

 と同時に気付いた。

 今のバウンドウルフはやろうと思えば自分の首を搔き切ることもできたと。

 それをせずに敢えて肩にだけ攻撃をしてきたのは、まるでテネアが動きを止めたことへの制裁のようだった。

 止まらず走れ。

 そう言っているかのように。

 

 バウンドウルフがどこにいるかわからない。

 どこから来るかもわからない攻撃に対応できない。

 一対一なら勝てる、そう思っていたが、それは相手がどの場所にいるかわかって初めて成立する条件だった。

 彼女はその土台に立てていない。

 彼女は圧倒的に夜の森で戦う経験が足りないのだ。


『経験が足りていないって言っているんだ』


 ラークの言葉を思い出す。

 自分は圧倒的に経験が足りなかった。

 悔しくて歯を食いしばる。

 涙が出てきた。

 それでも彼女は生き延びようと必死に走り、そして開けた場所に出た。

 そこにいたのは二匹の狼だった。

 バウンドウルフより十倍以上大きい。

 月の光に照らされ、なおも美しい銀色の毛を持つ狼。


 シルバーウルフ。



 その姿を前に、テネアは絶対的な死を感じる。

 走り抜いた末の終着点が、まるで人生の終わりかのような感覚に、彼女はとうとうその場に頽れる。

 後ろから足音が聞こえた。

 彼女たちを追いかけてきたバウンドウルフのものだろう。

 シルバーウルフたちは興味を失ったかのようにテネアたちに背を向けた。

 さらにバウンドウルフがテネアに近付いてくる。


(食べられる……狼たちに)


 二人に迫って来るのは狼の足音であり、そして死の足音でもあった。

 テネアは立ち上がる事もできないが、それでも腰の剣を抜いた。

 それが無駄なあがきだと知りながら、剣の切っ先をバウンドウルフたちに向ける。

 

 バウンドウルフたちはテネアの最後の足掻きをあざ笑うかのように襲い掛かってきた。


 直後、闇が狼に降り注いだ。


 バウントウルフの肉体から飛び散る血が月光により赤く照り返す。

 その鮮血の中に一人の青年が立っていた。

 一体どこから現れたのかわからない。

 まるで初めからそこにいたかのようなその登場にテネアは自分の目を疑った。

 死に瀕して幻想を見ているのではないかと。

 だが、彼は現実にそこにいた。

 原型をとどめないバウンドウルフの中心に。


「……英雄の亡霊」


 ダモンが呟く。

 その言葉の意味を聞き返す余裕はいまのテネアにはなかった。

 突如現れた彼はテネアに近付くと、何も言わずにその横を通り過ぎる。

 そして、彼はシルバーウルフと向き合った。

 二頭のシルバーウルフは怒りのあまり歯茎を見せて唸り声を上げる。

 そして、一頭が大きく吠えた。

 その雄たけびにテネアは剣を落として地面に手をつく。

 そのくらいの力があった。

 このまま雄たけびが続けばすぐにでも意識を失ってしまうくらいに。

 だが、その雄たけびは直ぐに止まることになった。

 彼がいつの間にか地を蹴り、シルバーウルフの顎を殴りつけ、その数百キロはあろうかという巨体を弾き飛ばしていた。

 そして、彼は弾き飛ばしたシルバーウルフに対して言う。


「犬が囀るな」


 直後、もう一方のシルバーウルフが動いた。

 男に背を向けて逃げたのだ。

 シルバーウルフは彼のたった一撃に、その実力差を知った。

 そして、一瞬の間に大きく距離を開ける。


「聡い。だが遅い」


 彼の手の中に黒い剣が現れた。

 その剣を振るうと、まるで彼の意思に呼応するかのように剣が伸び、距離を取ったシルバーウルフの身体を縦に切り裂いた。

 そして、彼は剣を元の大きさに戻すと、ゆっくりと先ほど殴り飛ばしたシルバーウルフに近付き、喉にそれを突き刺した。


(強い……次元が違う)


 本来ならば高ランクの冒険者が複数人集まってようやく戦えるシルバーウルフを、まるで目の前に飛んでいる羽虫を振り払うかのように倒した。


(この人は一体、何者なの?)


 彼女は命が助かったことへの喜びよりも、目の前の未知への好奇心に心が震えるのだった。

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