逆流する吸血鬼
「いきなり斬りかかって来るとは、北の姫は随分と乱暴なのだな」
彼の持っていた黒い短剣は闇に消えるように溶けていく。
ミネリスは柄の部分だけが残った剣を鞘の上に置く。
当然、刀身のない剣が鞘に収まるはずもなく、滑り落ち、音を立てて床に落ちた。
「俺のことを随分と調べていたから用があるのかと思ったが勘違いだったか?」
「勘違いじゃないわ。英雄の亡霊――あなたに用事があったの」
「吸血鬼絡みか」
「ええ。その前に、あなたはラーザルド公国がどうやってできたか知ってる?」
「生憎と俺は歴史学者でじゃないからな。人並みにしか知らない」
彼はミネリスに言った。
ラーザルド公国の歴史は浅い。
元々その国があった土地にはラーズ王国という別の国が存在した。
百五十年程前、ラーズ王国と海峡を挟んだダンルガルド王国との間で戦争が起こり、ラーズ王国は敗北。戦後処理もうまくいかず、結果、ラーズ王国は滅びた。
ただ、ダンルガルド王国は元々侵略国家ではない。
その戦争もラーズ王国から仕掛けたものだった。
彼らは自国の領土を海の向こうに持つつもりはなかった。
結果、ダンルガルド国王は、弟をその地に派遣しラーザルド公国が建国させ、その土地を属国とすることにした。
「ええ、概ねその通りよ。そしてその関係は今も続いている。属国といってもそれほどひどいものではないわ。自治権も最大限に認められているし、持っていかれる税もたかが知れている。そもそも、ダンルガルド王国はラーザルド公国の税収を当てにしなくても問題がないくらい豊かな国だもの。ただ、それを良しとしない人がいる」
第一公子――レナルド・ラーザルド。
彼は自国が属国であることに強い劣等感を覚えていた。
だから彼は力を求めた。
ダンルガルド王国に勝る力を。
「吸血鬼公爵。レナルドはその力を得ようとしている」
「方法は? 吸血鬼に至るのは生半可な方法ではいかないぞ」
「……わからないわ。ただ、既に父――ラーザルド国王陛下はレナルドの傀儡になっている。何かに操られているみたいに」
「《魅了》か」
吸血鬼が持つ技の一つ。
他人を操り人形にする技だ。
もっとも、操られている人間は目が虚ろとなり、文字通り人形のような状態になる。
そこに感情を見出すことはできない。
にも拘らず、その状態の陛下が傀儡として王座にいることができる理由は、ラーザルド公国の上層部が既にレナルドの統治下にあるからだろう。
「それで、貴様は俺に何を望む?」
「レナルドを殺し、陛下を解放してほしい」
「それはいけません」
その言葉は第三者により告げられた。
ターニャだった。
「ターニャ! あなた、なんで!?」
「いけませんよ、お嬢様。そんなわけのわからない輩を忍び込ませるために飲み物に眠り薬を混ぜるなんて」
「あなた、気付いていたの?」
護衛は廊下の外にいて勝手に部屋の中に入って来ることはない。
だが、世話係のターニャは用事があればミネリスの部屋に入って来る
ミネリスは英雄の亡霊が現れるなら今夜だと思っていた。
だから彼女の飲み物に薬を入れて、眠らせたはずだった。
「待って、ターニャ。あなたに黙っていたのは――」
「下がれ、ミネリス。その女――吸血鬼だ」
「え!?」
ミネリスが振り返った直後、ターニャが爪を伸ばし、笑みを浮かべた。
その目は赤く煌めき、彼女の犬歯がまるで獣のように尖っている。
吸血鬼の特徴だった。
次の瞬間、彼女は爪を伸ばし、ミネリスに襲い掛かる。
その動きは尋常ではない。
ミネリスは応戦しようとする。
だが、彼女が手を伸ばした先にある剣は既に砕けて存在しなかった。
「しまっ――」
間に合わないと思ったその時、ターニャの姿が消えた。
気付けば彼女は男に首を押し付けられ
ターニャがもがき苦しみ出す。
「待って、彼女を――」
殺さないでと思ったが、違うと気付く。
彼女は首を絞められている。
だが、苦しんでいる直接の原因はそれではない。
彼女の身体が崩れてきているのだ。
「拒絶反応か。適性の無い人間を無理やり吸血鬼とした反動だ」
「そんな」
ミネリスは後悔した。
彼女を巻き込んでしまったと。
だが、その絶望を彼はあっさりと翻す。
男の中から闇が溢れ、ターニャを包み込んだ。
暴れるターニャの力が段々と弱くなってきた。
すると、崩れ初めていたターニャの肉体が元通りになっていき、瞳が黒くなっていき、犬歯が丸みを帯びてくる。
ミネリスは理解した。
ターニャは吸血鬼から人間に戻ったのだ。
「吸血鬼が人間に戻るなんて――」
そんなの聞いたことがないとミネリスが思った。
そして、彼は何事もなかったかのように表の入り口から外に向かう。
「故国に戻れ。そこでもう一度話を聞こう」
彼はそう言って部屋の入り口から外に出て行った。
残されたミネリスは、はっと気づき、部屋から飛び出した。
そして、左右を見る。
部屋の前で護衛が立っているだけで、英雄の亡霊の姿はどこにもなかった。
「姫様、どうなさいました?」
部屋の前を見張っていた護衛が尋ねた。
「あなた、いま誰かここを通らなかった?」
「――? ターニャが中に入っていきましたが」
「そん――いえ、なんでもないわ」
そんなわけがない。
扉を通って護衛たちに目撃されないわけがない。
そう思ったのだが、ミネリスは思う。
彼は亡霊なのだと。
そして、その亡霊が力を貸してくれる。
それだけで今回この街に来た甲斐があった。
「……優しい亡霊もいるのね」
ミネリスはターニャをベッドに運び、その頭を優しく撫でたのだった。




