7. 騎士見習いの立場
「あの……本当にいいんですか」
イサベリータ殿下の近くで突っ立っているという任務を他の騎士と交代し、宿舎に向かってドロテアと歩いているときに、そうおそるおそる訊いてみる。
「一緒に勉強するとかいう話か?」
「はい」
だってそんなこと、許されるのだろうか。
そりゃあ、もし俺が殿下の友人だとか、もしくは地位が近い者とかなら、そんなこともあるだろうと思う。
けれど俺は、騎士の……というか見習いなのだが、その中でも珍しい平民出身だ。
受けてきた教育もまるで違うだろうし、足を引っ張る未来しか見えない。
「普通ならありえない話だろうがな」
ドロテアは苦笑とともにそう答える。
「ですよね」
「けれど、イサベリータ殿下が望んでおられるのだから、それに応えたほうがいいだろう」
「でっ、でも、殿下が良くても」
それこそ、周りの人間はどう思うのだろう。
他の王族方からだって、いい顔はされないだろう。
俺は良くても、殿下の立場が悪くなることなら、やはり遠慮するべきではないだろうか。
ドロテアは前を向いたまま足を動かしながら、口元に笑みを浮かべる。
「ま、そこは心配するな」
「え?」
「そもそも、エドアルドがイサベリータ殿下専属の見習い騎士になれたのは、年が近い者がお側にいるのもいいだろうという話になったからだよ」
まさか、そんな理由だったとは。
見習いとはいえ王族専属という大抜擢は、別に俺が評価されたわけではなかったらしい。
「ご友人もおられないご様子だし、周りは大人ばかりだから、少々出来の悪い人間をお側に置いたほうが安心できるかとも言われてたな」
出来の悪い。
むしろひどい評価だった。
がっくりと肩を落とすと、ドロテアは笑いながら俺の背中をバンバンと叩いた。痛い。
「まあまあ。エドアルドには期待しているんだからな。友人になるのは無理でも、親しい人間がいるのは悪いことじゃない」
「はあ……」
それは本当に期待されているのだろうか。
ともかくおかげで、即刻脱退、という話にならなかったことは幸運だったと思っておこう。
◇
騎士団の宿舎の食堂で、ヘルマン団長にこのことを報告すると、大口を開けて笑われた。
「そりゃいい。じゃあ、いい機会だし、よーっく勉強しろよ」
「はい……」
なんのお叱りもなく、話は進んでいく。飲んでいるんじゃないだろうか、と思ってこっそりクンクンと匂いを嗅いでみたが、アルコール臭はしなかった。
話を聞いていた、その場にいた他の騎士たちは、不審げな目をしてこちらを眺めている。そのほうが正常な反応の気がした。
それらの反応に気付いているのかいないのか、団長は「さて」と言いながら立ち上がると、俺の肩をポンと叩いた。
「鍛錬と勉強と、どちらも疎かにするなよ」
「はい」
俺が頷くと、団長はヒラヒラと手を振りながら、食堂を出て行った。
その途端。
「なんだ、アイツ」
「王族付きになったと思ったら」
ヒソヒソと囁く声がし始める。
「平民出身だから、逆に珍しくて面白がられてるんだろう」
「そんなところか」
「そもそも、殿下も平民の血が入っているしな」
「ああ、なるほどね」
他の騎士たちの口さがない会話は、ドロテアがそちらに視線を向けた瞬間に止まった。
俺はともかく、殿下に対する発言はさすがにまずいと思ったのか、俯く者もいる。
「気にするなよ」
ドロテアがぼそりと声を掛けてくる。俺は小さく頷いた。
やっかまれても仕方ないほど、俺は今まで幸運に恵まれてきた。
だからといって言われっぱなしはごめんだ、という性格なのは、反省すべきことだった。
気にしないようにしないといけない。
◇
騎士団に入団した頃、俺は毎日青痣を身体のどこかに作っていた。
鍛錬でできた痣もあったが、それだけではない。
騎士団には、貴族の子息が多く採用される。教会に仕える騎士団はそうでもないようなのだが、王族に仕える騎士団はほぼ貴族で固められていると言ってもいいくらいだった。
あのガサツなヘルマン団長だって、実は貴族の生まれなんだそうだ。ドロテアだってそうだ。
王城に勤めるわけだから、信頼できる者で構成したい、ということなのだろう。
そんなことも知らず、勢い余って王族の騎士団に入団できてしまった平民上がりの俺は、毎日毎日、誰かに宿舎裏に呼び出され、『指導』されていた。
最初の頃は入団したばかりだったから、大人しく殴られたりしていた。新参者が気に入らないだけで、そのうち収まるだろうと思っていたのだ。
けれど世の中はそんなに甘くない。『指導』は日々厳しくなっていった。
そしてついに、ある日、俺はキレた。
「こんな陰湿で、なにが騎士だ!」
俺に『指導』しようと腕を振り上げた目の前の騎士の胸倉を掴むと力の限りで振り回し、バランスを崩したところで思いっ切り殴りつけた。
尻もちをついたその騎士に馬乗りになると、何度も何度も顔を殴った。自分の拳もかなり痛かったが、構わず続けた。
「おい、もうやめろ!」
「引き離せ!」
他の騎士たちが寄ってたかって引きはがそうとしたが、俺は殴る手を止めなかった。
こういうときは一点集中だ。他の騎士に構わず、一人だけ倒せればいい。
「お前ら、なにやってんだ!」
騒ぎになってしまったからか、ヘルマン団長が姿を現した。
さすがに力が強い。俺はいとも簡単に襟首を掴まれると浮き上がってしまった。
見下ろせば、俺を殴ろうとした騎士はうずくまって呻いている。
手荒に俺から手を離すと、団長は俺の頭にゲンコツを振り下ろした。
「いってえ!」
「このバカ!」
大声で怒鳴り付けられる。
なんで俺が、とどうにも納得できなくて、反論する。
「俺、悪くない! 先に手を出したのはそっちだ!」
しかし団長は大きく息を吐くと、肩を落とした。
「悪いよ。歯が折れてるんじゃないか。やりすぎだ」
「だって」
「やるなって言ってるんじゃない。やりすぎだって言ってるんだ」
「え……」
「わざわざ騎士団の戦力を減らすのは、バカのやることだ」
団長は、清廉潔白とは程遠い発言をして、その場にいた者を唖然とさせた。
「あとな、お前、戦場に行ったら真っ先に殺されるぞ。味方に」
言いながら、くい、と背後の騎士たちを親指で差す。
それで俺はなにも続けられなくなる。
「お前らもだ。こいつに背中から刺されるぞ」
そうして俺のほうにも指を差した。
「仲良しこよしでやれとは言わん。節度は守れってことだ」
「あ、はい……」
「ったく、気分良く飲んでたのに、問題を起こすんじゃねえ」
それだけ吐き棄てるように口にして、ヒラヒラと手を振りながら立ち去って行った。
取り残された俺たちは、呆然と立ちすくみ。
なんとなく気まずくなって、顔を見合わせると、
「なんか……やりすぎました。すみません」
「あ、ああ……いや、こちらこそ」
と妙な謝罪合戦を繰り広げてしまった。
「ええと、大丈夫……ですか」
そこに尻もちをついたままの騎士に手を差し出す。
彼は素直にその手を握り返して、立ち上がると口元の傷を押さえて顔をしかめた。
「ああ、まあ……確かに先に手を出したし……悪かったな」
「いえ……」
だからといってその後、仲が良くなったというわけでもない。けれどまあ、戦場で味方でつぶし合うことはなくなったんだろう。
騎士っていったいなんだろうなあ、と考えさせられた事件だった。