35. 美貌の王女と強運の騎士
幸いにも俺の身体は順調に回復し、騎士の仕事に復帰できることとなった。
ドロテアから、専属騎士なのだからまずはイサベリータ殿下に挨拶するよう言われ、二人して殿下の部屋に向かう。
「私は扉の外を守る。中は頼んだ」
部屋にたどり着くとそう指示して、ドロテアは扉の外で直立不動の姿勢をとった。
「え……」
「早くしろ」
「は、はい」
言われるがまま、俺は扉をノックする。中から殿下の「どうぞ」という声がした。
もうずいぶん懐かしいような気がする、澄んだ声だ。その声が耳に入った途端、ほっと温かな気持ちでいっぱいになる。
「入ります」
そうして入室して扉を閉めると、イサベリータ殿下はいつかのように、ソファに腰掛けてこちらを見ないまま、書類に目を落としていた。
その傍に歩み寄ると、声を掛ける。
「失礼いたします。エドアルド・スマイス、ただいま復帰いたしました」
「そう、ご苦労だったわね」
殿下はそれだけを返してきて、やっぱり書類を見つめたまま、次の言葉を発さない。
これはどうしたらいいんだろう、もしかして、なにか怒らせているんだろうか、と頭の中でぐるぐると考え始めたとき、ほう、とため息をつくのが聞こえた。
「わたくし、今回の件で、考えたのだけれど」
「は、はい」
あの事件について、物申したいことがあるのかもしれない。そういえば刺された直後、どうして命令を聞かなかったのかとも言われたし。
俺は足を揃えて立つと、そのまま耳を傾ける。
殿下はチラリとこちらに視線を向けたあと、すぐに目を逸らし、前を見たまま口を開いた。
「やはり、わたくしの移動中の護衛なんかは、騎士たちの負担ではないかと思うの」
「負担などと。それは我々の仕事です」
「そうかもしれないけれど、距離は短いほうがよくないかしら?」
「それはそうでしょうが、距離は行き先によって変わるものでは」
いったい何の話が始まっているんだろう、と心の中で首を捻った。
イサベリータ殿下は、まともに目を合わせないままで、話を続けている。
「わたくし、教会の騎士団と王族の騎士団の橋渡し役を、アルトゥーロお兄さまに任じられたの」
「そうなんですね」
やはり今回のことで、ふたつの騎士団の意思疎通がまるでできていないことが問題視されたのだろうか。
ミゲルさまとの婚約は解消されたとはいえ、殿下はここまであちらの騎士団とも親交を深めている。大変な仕事だろうが、イサベリータ殿下が適任だと判断されたのかもしれない。
それが、移動中の護衛になにか関係があるのだろうか。
「それでね」
そこで、殿下は顔を上げた。なぜか緊張の面持ちだった。
「王家の持ち物に、良い物件があって」
そうしてイサベリータ殿下は、地図と図面らしきものを俺の前に差し出した。これをさっきから眺めていたのか。
俺は差し出されたそれらを受け取ると、視線を落とす。
「……え」
「今は空き家で、使っていないわ」
「いや……あの、これ……」
パクパクと口を動かす俺に構わず、殿下はどんどん話を進めていく。
「どうやらこれをいつか買い戻したいということで申請はされていたのだけれど、許可さえもらえれば、わたくしの本拠地にしたいわ」
「いや……その……」
「距離がちょうどいいの。王城にも近いから、こちらの騎士団の本部に足を運ぶのもさして距離はないし、教会の騎士団の本部にも近いわ。どちらにも連絡が取りやすい」
「あの……」
「どうかしら」
畳み掛けるように問われる言葉に、俺は観念して応えた。
「殿下がお望みなら、どうぞお使いください」
そこはどう見ても、俺が子どもの頃に両親と住んでいた家だった。ぶっちゃけ、軽く存在を忘れていた。だからこそ驚いた。ここでまさか、俺の生家が出てくるとは。
「お役に立てるのなら光栄です」
「そう、それなら良かったわ」
そう返してきて、にっこりと笑う。
「広さもあるし、気に入っているのよ」
「そう……ですか」
「今のこの部屋が王城の中心から外れているように、元々、わたくしは少し外れたところが居場所なのだと思うの」
居場所。
ああ、そうか。殿下は居場所を与えられるのではなく、自分で見つけようとしているのか。
あの生家が殿下の役に立てるのなら、これに勝る喜びはないだろう。
それにしても殿下だって、本拠地にする物件を探していたら、それがたまたま俺の実家だったなんて、見つけたときは驚いたんじゃないだろうか。すごい偶然だ。
偶然……だが、……いや、……これ偶然にしては、凄すぎないか? ……あれ? え、まさか。
俺の表情を窺っていた殿下は、もじもじと指先を弄びながら、話を続ける。
「問題は保安なのだけれど、王城から、ある程度警備しやすいように改装していただくわ。それくらいはいいでしょう?」
そこで思考を中断され、大きく頷く。俺の実家だから慮ってくれたのか。もう王家の持ち物なのだから、遠慮する必要などないのに。
「はい、それはもちろん」
「わたくしは騎士団の橋渡し役なのだから、毎日それぞれの騎士団から護衛に来ていただいて、わたくしの監視の下で接するのはどうかしら」
「なるほど」
今回の事件のことを考えると、警備は最重要課題だろう。城下では、イサベリータ殿下が王城で暮らすよりも、危険も多くなるかもしれない。
けれど騎士団がしょっちゅう出入りする場所となるのだから、ある程度は安心できると思う。なんなら広すぎる王城よりも警備しやすい分、いいかもしれない。
そんなことを思案していると、殿下は突然に、バッと立ち上がった。驚いて顔を向けると、殿下は顔を真っ赤にしてこちらを睨みつけるようにして、声を上げる。
「けっ、けれど、それだけでは警備は足りないと思うのよ!」
「はっ、はいっ」
なぜか大声で訴えられて、俺も思わず大声で返した。
「そう思うわよねっ?」
「お、思いますっ」
こちらに顔を寄せて拳を握って力説する殿下に、コクコクと何度も頷いた。
「だから、一人」
殿下はそこで言葉を切ると、人差し指を立てて、こちらにズイッと差し出してきた。
「一日中、わたくしを守る騎士が必要だ、とお兄さまには伝えたわ」
「はいっ」
「だからエド、あなた、着任なさい」
「はいっ?」
今、なにを言われた?
一日中、イサベリータ殿下を守る?
「それで、お父さまの了承もいただいたの」
殿下はまた、もじもじと指先を弄び始める。
いやもう、なにがなんだか。
頭の中が混乱して、まともに言葉が出てこない。
落ち着こう。落ち着かなければ。今までの話をよく噛み砕いて、理解しなければ。
アタフタとする俺を見て、少しして殿下は眉尻を下げて俯いた。
「けれど……もし……その……。この任務から外れたいというのなら……希望を聞いても、よくてよ」
消え入りそうな声だった。
「実家だって……返す、のはわたくしの一存では無理だけれど、エドが買い戻せるまで、とっておくことはできると思うし」
殿下は俯いたまま、そう言葉を連ねる。
「だから、無理にとは言わないわ。これは、命令ではないの」
そして殿下は口を閉じてしまう。
なんてことだろう。俺が、俯かせてしまった。
そのとき、思う。
もしかしたら、怪我で寝込んでいたときに聞いた声は、夢なんかではなかったのではないだろうか。
できることならずっとエドと一緒にいたいと願っていたの、と言う声は、本当に殿下のものだったのではないだろうか。
そしてその願いは、真実、俺の心からの願いでもあった。
そのために、殿下はここまでがんばってくれたのだ。きっと俺の生家も、わざわざ探して取り戻そうとしたのだ。
あまりに出来すぎた話で尻込みしそうになるが、これを受け入れないだなんて、そんな手はないのではないか。
そして、いつでも殿下が俯かないように、笑っていられるように、お側で守り続けてこそ、騎士なのではないか。
「いえ、ぜひ」
俺はこの美しい王女殿下の前に跪く。
「謹んで拝命いたします」
あまりの強運に、後ろめたい気持ちがなくなるわけではない。
けれどその幸福をこの方が運んでくるのなら、享受したいと思う。
この運がどこかで尽きて、跳ね返ってこようとも、この方だけは守り続けよう。
「俺はずっと、殿下の盾であり続けることを望んでいました」
「……ずっと?」
「はい、それはもう、長い間。ご存じありませんでしたか」
「そう、それならいいわ」
つんとしてそう返事したあと、殿下ははにかんだように、表情を綻ばせた。それからおずおずと、こちらに左手を差し出してくる。
俺は差し出されたそのたおやかな手を取ると、そっと誓いの口づけを落としたのだった。
了
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