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25. 第一王女の騎士

「ここ、いいかな?」


 騎士団の宿舎の食堂で夕食を食べていると、前の席の机上に、誰かの手が置かれた。

 顔を上げて見てみれば、フロレンシア殿下の専属騎士の一人だった。


「どうぞ」

「ありがとう」


 いちいち訊かなくとも、勝手に座ればいい。こんな風に断る必要もない。特に席など決まっていないのだから。

 見渡してみれば、あちこち席は空いている。しかも彼は食事を手に持っていない。代わりにマグカップを机上に置いた。


 つまり、どうやら俺に話があるということだろう。

 思った通り、彼は俺の正面の椅子に腰掛けると、こちらに話し掛けてきた。


「背中は大丈夫だったか?」

「あ、はい、火傷になったりはしていません」

「そうか、それならよかった」


 あまり喋ったことはなかったが、柔らかな話し方をする人なんだな、と思う。

 彼は少し身を乗り出し、小声で続けた。


「すまないね、嫌な気持ちになっただろう」

「いえ……」


 彼はフロレンシア殿下の専属だ。ということは、これは第一王女の発言についての謝罪なのだろう。


「謝られるようなことに、覚えがありません」

「まあ、僕が謝るのもおかしな話だけれどね」


 そう返してきて、苦笑を浮かべる。それから、視線を下に落とすと、ボソリと話し始めた。


「あの方も、少々複雑な思いを抱いておられるんだ。許してやってほしい」

「あの、だから。別に許してないことなんてないです」


 そもそも、許すも許さないもないのだ。まだ紅茶をぶっかけたビルヒニア殿下の騎士からなら、そう言われてもおかしくはない。まあ、ないだろうけれど。


 しかしフロレンシア殿下は、俺になにかしたわけではない。


「それに……なんで、俺に?」

「だって、あの場で一番怒っていただろう」


 片方の口の端を上げて、そう答えてきた。

 俺は思わず、自分の手で自分の頬を撫でる。


「……顔に、出てましたか」

「うん、出てたね」


 あの場で勝手に動いたばかりか、無表情でもなかったらしい。

 これは、褒められたものではない。


「すみません……」


 謝るのは俺のほうだ。


「いや、謝らなければならないほどは出ていなかったよ」


 彼は、そう笑いながら応える。


「僕たちは、殿下に危害を加えようとする者をいち早く察知しないといけないから、つい穿った見方をしてしまうんだ」

「まさか、危害なんて」

「いや、わかっている。それはわかっているよ。ただ、過剰反応してしまうだけなんだ。こちらの問題だ」


 俺の言葉に被せ気味に弁明し、宥めるように、こちら向きに両手を立てて制してくる。


「気分を害してしまったなら、すまない」

「いえ、そんな」


 確かに、常に目を光らせていないといけないから、騎士にはそういう側面もあると思う。


「ただせめて、フロレンシア殿下への悪い印象を、少しでも自分が払拭できたらと思っただけなんだ。僕の勝手な言い分だけれど」


 そう話すと、ふいに俺をまっすぐに見つめてきた。


「僕は、フロレンシア殿下の騎士だからね。君がイサベリータ殿下の騎士であるように」


 その言葉に、ピクリと肩が揺れる。

 今、彼が語ったことは、そのままの意味ではないのではないか。


「仕える人は違うけれど、お互い上手くやっていこう」

「はい……」


 彼は席から立ち上がり、軽く片手を上げると、背中を向けた。


   ◇


 今日もイサベリータ殿下は、ミゲルさまと城外に出掛ける。

 今日は俺も、殿下に付いていく番だった。ミゲルさまと殿下が一緒に乗っている馬車の後ろを、騎乗して付いていく。


 常歩(なみあし)で馬を並進させている隣の騎士が、こちらに少し馬を寄せ、ボソボソと話し掛けてきた。


「これはもしかして、秒読みなんじゃないか」

「秒読み? なにがですか」

「だって、ミゲルさまが殿下を誘うのは気があるからとして、ここまでまったく王家からの横やりが入っていない。これは歓迎しているってことなんじゃないか?」

「なるほど」

「近々、婚約が発表されるかもなあ」


 どこか他人事のように、その騎士は楽しげにそう締めた。


 しばらくすると、目的地の教会にたどり着く。

 下馬して彼らが馬車から降りるのを見守っていると、先に降りたミゲルさまがイサベリータ殿下に手を差し出した。殿下はその手にそっと自分の手を乗せる。


 お似合いだ。

 誰がどう見ても、素敵な夫婦になることだろう。


 イサベリータ殿下はもちろんのこと、ミゲルさまもとても見目がいい。目の保養になるだなんて言う女性騎士もいるくらいだ。

 それに、王女にふさわしい、身分と権力を持っている。

 二人で並んでいると、美しい絵画を思わせるくらいだ。


 それを眺めているうち。


 ――あの美しい人を、汚したい。


 ふと湧いた心の内の声に、一瞬のうちに全身が粟立った。


 今、俺は、なにを思った?

 騎士たる自分が、もっとも思ってはならないことではなかったか?


 吐きそうだ。胸の中がドロドロと濁った醜い欲望に侵食されていく気がする。

 そんなはずはない。俺は騎士なのだ。殿下を守ることを第一に生きているはずなのだ。


 そうだ、検閲する手紙に毒されているんだ。

 先日も釘を刺しに差出人のところに向かったが、やっぱりなにを言っても通じなかったり、その場ではペコペコと謝罪するが、後日似たような手紙が届いたりする。

 たまにそういう人間がいると、どっと疲弊する。


 だからだ。だからこんな、恐ろしいことを考えてしまうんだ。


 もっと気を強く持たないと。

 俺は、殿下の騎士にふさわしくなくなる。

 そんな未来が来るのが、俺は怖くて仕方なかった。

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