22. 次期侯爵 その2
「いやね、君のことは、ときどき目に入るものだから。どんな人なのかと興味があってね」
ミゲルさまは、軽い声でそう話し始めた。
これから始まる本題の前置きなのかもしれない。けれどその中に聞き捨てならない言葉があって、つい反応してしまう。
「もしや、なにか不手際がありましたか」
目に入る、とは置物としてはあまりありがたくない話だ。つまり失態をして目立っている可能性もある。スッと血の気が引いていた。
ミゲルさまは思いも寄らないことを訊かれた、という感じで首を傾げる。
「いや? 騎士の仕事はよくわからないけれど、不手際なんかで目に付いたのではないよ」
「そう、ですか」
ホッと心の中で胸を撫で下ろす。
「こちらの騎士団の中でも特に若いから」
「ああ」
それなら目に付くこともあるかと納得して、応えた。
「俺……私は、最年少で入団したので」
しかし今はもう、最年少ではない。新しく若い団員が何人もやってきた。
とはいえ皆、俺より身分の高い者ばかりなので、先輩になったという気分にはなれていない。
俺の返事を聞いたあと、ミゲルさまはこちらをじっと見つめて口を開く。
「若いから、イサベリータ殿下にも近しいのではないかと思ってね。専属騎士のようだし」
「え? 近しいとは……」
背中にゾワッとなにかが這い上がってきたような感覚があった。
俺の顔色を見たのだろうか、彼は慌てたように顔の前で手を振る。
「ああ、心配しないでくれ。別に邪推しているわけではないよ」
「そう……ですか」
邪推? その言葉はいったい何を指している?
ミゲルさまはにこやかな笑顔のままで、続けた。
「私は常々、イサベリータ殿下の助けになりたいと思っていて」
「……はい」
「殿下は、居場所を探しておられるように感じられるんだ」
居場所。確かにそうかもしれない。
正式に王女として認められているのに、未だイサベリータ殿下は、王太子殿下以外の王子王女の前では縮こまっているように見える。ときどき開催される彼らのお茶会に参加しても、やはり俯くことが多い。
だからといって、城外での活動で居場所が作れているわけでもなさそうだ。あれはあくまで王女としての活動だし、接する人々も王女として対している。彼らとの距離は、やはり遠いものだ。
果たして、イサベリータ殿下の居場所はどちらか。あるいは、どちらでもないのか。
「だからその居場所を、作って差し上げたいと思っているんだ」
目の前にいるこの人ならば、イサベリータ殿下の居場所を作ることができるのだろうか。
殿下が誰に遠慮することなく、自分らしく生きられる場所を。
そうなのかもしれない。俺ですら名前と顔を知っている有力貴族のご子息だ。
「とはいえ、これは私の勝手な推測にしかすぎない。そこで、殿下を近くで見ている君の意見を聞いてみたいと思って」
「……私などでは、殿下の御心を推し量るようなおこがましいことはできませんし、思い付きもしません」
「まあ、そうか」
俺のやんわりとした断り文句に、ミゲルさまはあっさりと頷いて諦めた。
肘を掛けていた窓枠から離れると、彼はこちらに身体を向ける。
「悪かったね、時間をとらせて」
「いえ、それはどうぞお気になさらず。お役に立てず申し訳ありません」
どうやらこれで話は終わりらしい。
俺は廊下の端に寄る。ミゲルさまは俺の前を通り過ぎるとき、ひらひらとこちらに手を振った。俺はといえば、手を振り返すわけもなく、彼に向かって腰を折る。
その足音が聞こえなくなった頃、新たな足音が聞こえた。顔を上げると、先輩騎士だった。ミゲルさまが去っていった方角のほうに視線を向けている。
「今の、ミゲル・グリーブだよな?」
「そうです」
「なんだって?」
「よく……わからないんですが、イサベリータ殿下について訊きたいと。答えられることもないので、特になにも喋ってはいないんですが」
「なんのために?」
「さあ……」
首を捻る。
本当にわからない。俺なんかの意見を聞いて、どうしようっていうんだろう。
先輩騎士は顎に手を当て、思案顔だ。
「教会の騎士団とうちは、仲が悪いからなあ。イサベリータ殿下にかこつけて、こっちと話がしたいとかじゃないか? ほら、ハンネスタと戦にでもなろうものなら、いくら仲が悪くても協力しないといけないし」
「なるほど」
それで今のうちに、とりあえずイサベリータ殿下付きの騎士と話をしてみようとしたのだろうか。
それなら話はわからないでもない。
他にも理由は考えられるだろうが、それ以上深く思考すると嫌な結論に行き当たる気がして、俺はそこで勘ぐることをやめた。




