20. 騎士の誓い
床まで届く長いヴェールを被り、真っ白いドレスに身を包んだイサベリータ殿下はしずしずと、跪く俺の前に歩いてくると、そこで立ち止まる。
見上げれば、彼女はこちらを見返してきて、わずかに不服げに口を尖らせた。
あら、わかっていたの? 驚かせようと思っていたのに。
そんな気がしていただけです。
つまらないこと。目を見開くなり、声を上げるなり、なんなりなさい。
お互い、なんの言葉も交わしてはいないが、そんな会話が繰り広げられたみたいだった。
しかし殿下はすぐに背筋を伸ばしてまっすぐに前を見る。
教会内にいた人々は、その美しい立ち姿に目を奪われたようで、誰も言葉を発さない。
イサベリータ殿下は司祭から剣を受け取ると鞘から取り出し、その鞘を司祭に預けると、胸の前で両手で柄を握り、天に向かって剣身を掲げた。
教会内はあれだけざわついていたのが信じられないくらいに、しん、と静まり返っている。
静謐な空気が辺りを満たしていき、まるで違う世界に迷い込んだように思えた。
ああ、なんて。
なんて神々しいんだろう。
その桜色の唇が動き出し、響き渡るように言葉を紡いでいく。
「神は正しき者の道を知りたもう」
「されど悪しき者の道は滅びん」
殿下が、俺の道しるべだ。
「汝は我を囲む盾なり」
「我が栄なり、我が頭をもたげたもうなり」
俺は、殿下を守るために騎士になる。
「我、その義にふさわしき感謝を捧げ」
「いと高き主を褒め詠わん」
俺にとって、もしかしたら神とは、イサベリータ殿下のことかもしれない。
だってこんなに、美しい。
「神の御名により、我、汝を神に仕える騎士たる職に任ず」
そして掲げた剣を下ろすと、剣の平で、俺の左肩を三度叩き、それから右肩も三度叩く。
殿下は司祭が預かっていた鞘を受け取ると、剣身をゆっくりと収めた。
最後に身を屈め、こちらに剣を差し出してくる。それを両手で受け取り、左腰の剣帯に収めようとして俯いたとき。
ふと、右頬に温かな感触。
「えっ」
思わず、声が漏れた。
まさか。いや、でも。これは。
頬に、口づけを、落とされた。
呆然として見上げると、殿下は口元に弧を描いて、身体を起こして胸を張った。
どう? 驚いた?
その深い海色の瞳が、如実にそう語っていた。
◇
すべての儀式を終えると、イサベリータ殿下が祭壇から降りようとしたので、脇に寄ると手を差し伸べる。
殿下はその手を取ると小さな階段を降り、そのまま身廊を歩いて、人々が腰かけている規則正しく並ぶ長椅子の間を抜けて、拝廊の扉に向かって歩を進めた。
まるで、この先の人生を描いているようだった。
殿下の助けを借り、殿下のために手を差し伸べ、殿下のために歩いていく。
開いた扉にたどり着くと、殿下は俺の手を放し、教会外に集まっていた人々に向かって、小さく手を振った。
「姫さまー!」
「イサベリータさまー!」
「王女さまー!」
わっと歓声が沸いた。皆、こちらを見て欲しいと大きく手を振っている。
やれやれ全部持っていかれたな、と苦笑していると、前を向いたままの殿下から、小さな声が聞こえた。
「応えなさいな」
「え?」
言われて顔を上げると、歓声は殿下にだけに向けられていないことに気付く。
「騎士さまー!」
「おめでとうー!」
「がんばれよー!」
不覚にも、じわりと視界が滲んだ。嬉しそうに手を振る人々がいる。これから先、この光景を忘れることは、きっとない。
俺は本当に騎士になったんだ。
「泣いているの?」
今度は揶揄うような声が俺に向けられて、そちらに視線を移す。
イサベリータ殿下は、俺の顔を見て、楽しそうに微笑んでいた。
俺はその場に跪くと、殿下の手を取る。
「えっ」
戸惑う声にも構わず、その手の甲に触れるか触れないかの口づけを落とした。
見上げれば、イサベリータ殿下は耳まで真っ赤にしている。
「おー!」
「やるな、騎士さま! 物語みたいだ」
「かっこいいー!」
そんな冷やかしの言葉まで飛んできた。
殿下はいつものように、軽く口を尖らせる。
仕返しです。
ニヤリと笑うと、仕方ないわね、という風に殿下は肩を落とした。
「今日は、お祝いですものね。許してあげてもよくてよ」
「光栄です」
そんな風に歓声に包まれながら、俺の騎士叙任式は終わった。




