12. 王女と王太子
ある日の勉強会の最中、イサベリータ殿下に急な来客があった。
「アルトゥーロお兄さま」
殿下はその人の顔を見た途端、パッと表情を輝かせる。
俺はガバッとソファから立ち上がると、壁際に駆け寄り、壁に背中を向けて背筋を伸ばす。
アルトゥーロ殿下。第一王子であり、王太子。
いかにも王子さま然とした方で、金髪に青い瞳の、スラリと背の高い美丈夫だ。
ゆったりと歩いて部屋の中に入ってくると、にっこりとこちらに微笑みを向けてくる。
「少し話をするだけだから、そのままでも構わなかったのだけれど」
「いえ、失礼いたしました」
俺は慌てて頭を下げた。立ち上がったタイミングが遅すぎたのでは、と心配することはあっても、王太子殿下がいらしているのにソファに座ったままなんて、できるわけがない。
まさか勉強会を非難しにきたわけではないよな、と心の中で冷や汗をかく。
「いかがなさいまして?」
ニコニコとイサベリータ殿下は対応している。
侍女たちも第一王子という格上の来客に対応すべく、慌ただしく動き始めた。
「ああ、気にしなくていいよ。すぐに出て行くから」
「まあ、お兄さま。どうぞゆっくりしていらしてくださいませ」
「おや、勉強会の途中ではなかったかな?」
「アルトゥーロお兄さまが来られるなんて久しぶりですもの。きっと引き留めたくなってしまいますわ。お忙しいなら無理は言えませんけれど」
「ではお茶の一杯はいただこうかな」
そう返して、さきほどまで俺が座っていたソファに腰を落とす。
侍女たちが机の上にあった教材をささっと片付け、代わりに良い香りのするお茶を出している。
フロレンシア殿下が主催するお茶会に参加しているのを見たことはないので、こんなに間近で接するのは初めてだが、さすがは王太子というのか、洗練された雰囲気を持つ人だった。
イサベリータ殿下と並ぶと、まるで一枚の絵画のようだ。本当に絵になる。
他の王子王女たちといるときとは違い、王太子殿下に対しては、イサベリータ殿下は柔らかな表情をしていた。
アルトゥーロ殿下のことは信頼しているのだろうな、と感じられた。
王太子殿下は開いた足の上で緩く手を組むと、口を開く。
「実はね、父上とも話をしたのだけれど」
「お父さまと?」
「そろそろ、イサベリータのお披露目をしたいと思うんだ」
「えっ」
イサベリータ殿下は、その大きな目を何度も瞬かせている。
「今度、イサベリータの誕生日を祝う舞踏会を開催しよう」
「まあ、わたくしのために?」
「遅すぎたくらいだけれど、そろそろ皆さまにもイサベリータの美貌を見せつけておきたいと思ってね。もう十一歳になるんだ、社交を始めてもいいだろう」
「大丈夫かしら」
イサベリータ殿下は胸に手を当てて、不安げな瞳でアルトゥーロ殿下を見返していた。
王太子殿下は、わかっているよ、とでも言いたげに首を前に倒す。
「当然、初めてなのだから勝手がわからないこともあるだろう。だから、私がエスコートしたいと思っているのだけれど、どうだろう」
「お兄さまが? いいのですか?」
「もちろん」
「それはとても心強いですわ」
「では、詳細が決まったら教えるよ」
「ありがとうございます、アルトゥーロお兄さま」
そして王太子殿下は宣言した通り、お茶を一杯だけ飲んだあと、あっという間に立ち去ってしまった。
どこか緊張に包まれていた室内が、扉が閉まった途端に、ほっと緩む。
イサベリータ殿下も同様だったようで、肩の力を抜いたのが目に見えた。
そして、紅潮した頬を両手で包んでいる。
殿下はしばらくその体勢でいたのだが、少しして顔を上げると、俺に向かって口を開いた。
「どう?」
えっ、俺? なにが? とオロオロしてしまうと、イサベリータ殿下は重ねて問うてきた。
「聞いていたでしょう? どう?」
「どう……とは」
なにを訊かれているのかも、どう答えればいいのかも、さっぱりわからない。
ドロテアのほうをチラリと見てみたが、彼女もわからないのか、わずかに首を傾げた。
どうやら興奮しているのか、言葉が足りていないようだ。
そのことに自分でも気が付いたのか、しかし興奮は隠せないまま、言葉を紡ぐ。
「社交を開始するということは、わたくし淑女として認められたということなのよ」
知らなかったが、そういうことなのか。
「それは、おめでとうございます」
ぺこりと頭を下げると、イサベリータ殿下は少し口を尖らせた。
「わたくし、立派な淑女になるの」
「え、はい」
どういうことだ。おめでとうございます、は間違った返答だったのか。ではどう返せばよかったのか。
なんという難問を突き付けてくるんだ、と頭の中でぐるぐると考えていると、殿下は痺れを切らしたのか、仕方ないわねえ、と俺の勉強を見ているときと同じ顔をして言った。
「騎士見習いが、騎士になるのと同じよ」
おお。それはすごい。なるほど、そういう感じなのか。
「それは、おめでとうございます」
「ありがとう」
さきほどと同じ返答をしたのだが、イサベリータ殿下はふふん、と笑って胸を張る。なるほど、自慢したかったのか。
どうやら俺がちゃんと理解してなさそうなのが気に入らなかったらしい。
「いっぱい練習して、下準備して、ちゃんとお披露目をこなさなくちゃ」
イサベリータ殿下は、嬉しそうにそう意気込んでいる。
そんな風にキラキラと輝く瞳をして笑みを浮かべる殿下を見るのは、こちらも嬉しくなってしまうな、と自然と口元が緩んだ。