二日目 頭痛と倦怠感
春帆は今、北海道の札幌にある公立大学の医学部に通学中だ。
東京の田舎に位置する我が家からみて直線距離で八〇〇キロ以上、最寄り駅からの所要時間は最短でも五時間以上。当然、自宅から通えるはずもなく、春帆は大学の近くにある学生マンションに居を構え、人生初の単身生活を送っている。大学自体が札幌の中心部にあるので生活上の不便は少ないけれど、それでも冬場になれば雪が積もり、道路事情も首都圏とまるで異なることに、まだ心身が十分に慣れていないようだった。
製紙会社の正社員として働く夫と、保険会社のパート社員として働く私の二輪体制で、我が家の家計は慎ましく回っている。世帯収入が一千万円を超えたことのない我が家にとって医学部の学費負担は生易しいものではなく、いやが上にも奨学金に頼らざるを得なかった。春帆自身もそのあたりの事情を理解していて、猛勉強の末に学費の安い公立大学へ合格を決めてくれた。遠い札幌の大学を選んだのは魅力を感じたからでも何でもなく、その大学にしか受かる見込みがなかったからだ。
医学部は甘い世界じゃない。毎日のように朝から夕方までぎっしり詰まった講義を受け、時には予習や復習の必要にも迫られる。高校時代はそれなりに勉強の得意だった春帆ですら、日々の講義についてゆくのに手一杯の様子だった。勉強を頑張ろうとすれば私生活の時間は制約を受ける。アルバイトにも精を出せず、稼ぎも多くないと聞いているけれど、かといって家計から出してあげられる生活費にもたかが知れていた。日頃の交際費の捻出にすら苦心する有様の春帆にとって、片道最低二万円以上を要する帰省の出費はあまりにも過大だったようだ。
結局、ゴールデンウィークに顔を出して以来、春帆は七か月近くも東京へ帰ってこなかった。
最寄り駅へ姿を見せた時はずいぶん顔色がよかったものだから油断していた。何事もなく元気でやっていたものとばかり思っていたら、帰省して早々、この有様だ。
病院前のロータリーは無人も同然だった。普段なら送り迎えの車が往来しているのだけれど、さすがに三が日の朝十時から病院に通う人は多くなかったらしい。七階建ての茶色い病棟は、いつにもましてひっそりと静まり返っている。
「こんな大病院の予約しか取れなかったの?」
「お正月だしね。多満内科にも熊川クリニックにも電話したけど休業だった」
「そっか。世間はお正月なんだったな」
春帆は寂しげに助手席の中でうずくまった。なんだか私までいたたまれなくなって、いそいそと駐車を済ませて春帆を車外へ連れ出した。
市の中心部と線路を挟んだ向こう側に位置する公立西多摩病院は、このあたりでいちばん大きな救急病院だ。よほど重大な病気でもやらない限り、まず滅多に世話になることはない。とはいえそれは日頃から懇意にしている多満内科医院なんかも同じことだった。大人になると風邪のたびにいちいち病院へ赴く時間も体力もなくなって、市販薬と自宅療養だけで身体を誤魔化しがちになる。春帆や夏樹にはそんな大人になってほしくないな、と思う。もっとも春帆に説いても釈迦に説法かもしれない。
受付で必要書類にボールペンを走らせて、名前が呼ばれるのを二人で待った。一晩を越えた今もなお、春帆の身体は依然として39度8分もの高熱を維持していた。
「──かなり上がったねぇ。きつかったでしょ」
医師は青い顔の春帆を見て穏やかに笑った。答える気力も湧かなかったのか、春帆はマスクの下で唇を結んだままだった。
「横田春帆さん、二十歳。既往症は気管支喘息ね。今も治療とか投薬は続けてます?」
「いえ。もう長いこと発作も起こしてないので」
「なるほど。そっちの心配は必要なさそうですね」
スムーズに聞き取りを進めながら、医師は空いた手でパソコン上にカルテを作成してゆく。経験による慣れもあるのだろうけれど、あれだけの速度で患者に対応しながら情報を整理し、病状を判断し、今後の対処方法を同時並行で考えるなんて、やっぱり並大抵の人間にできる芸当ではない。これが春帆の目指す世界なのだと思うと、我が娘ながらに誇らしくもあり、恐ろしくもある。
ひととおり問診を終えると、抗原検査を実施するといって医師は春帆の鼻に細長い綿棒のようなものを突っ込んだ。春帆は高熱にうなされている間よりも酷い顔をしていた。一〇分前後で結果が出ると告げられ、廊下のベンチに並んで腰かけた。
「……わたし、抗原検査、嫌い」
もごもごと春帆がぼやいた。
「好きだったことなんて一度もないじゃない」
「当たり前じゃん。鼻の奥がツンって痛くなる。やられるのも嫌いだけどやるのも怖いよ。こんなの子供にやったら嫌がられるに決まってる」
「お医者さんは憎まれ役にもならなきゃいけないしね。子供相手の小児科だったらなおさら、メンタルが他人より多少強いくらいじゃないと務まらないかも」
変な顔で春帆は笑った。目が笑っていなかった。
結局、インフルエンザの陽性反応は出なかった。医師の見立てでは単なる風邪ということらしく、漢方薬や胃腸薬を処方されただけで病院を後にした。念のためと断って解熱剤も付け加えてくれたものの、医師は同時に「無理やり発熱を妨げると治りが遅くなる」「使わないで済むなら極力使わないように」と釘も刺した。すべて分かっている顔で春帆もうなずいていた。苦しんでいる姿を見ていられなかったとはいえ、安易に解熱剤を与えるべきではなかったかもしれない。車の中で謝ると、春帆はおもむろに首を振った。
「苦しいより苦しくない方がいいよ。病は気からだし」
いやに重みの伴う言葉だった。春帆の口から聞くと、特に。
夫と夏樹が親戚の集まりから戻ってきたのは夕方のことだった。お年玉をかき集めてきた夏樹の顔は、終始ホクホクと融けまくりだった。
「しょうがないから姉貴の分も俺が預かってきたよ」
「こっそり抜いたりしてないでしょうね」
「してないよ! 俺まだ姉貴に殺されたくねぇもん」
聞けば、今年の夏樹の取り分は合計で二万円と少しらしい。我が家は親戚の数が多くないので、相対的にみてお年玉の額面も小さい。春帆の受け取った金額も三万円は超えていないだろうと、我が家の金額設定基準に照らして予想する。最寄り駅から札幌まで飛んだだけで、跡形もなく消し飛んでしまう金額だ。
「春帆の帰りの旅費、お年玉とは別にして出してあげられないかなって思ってるんだけど」
ひそひそ声で相談すると、夫も「同じことを考えてた」とうなずいた。
「インフルじゃなかっただけでも一安心だしな。折を見て、ゆっくり向こうに帰らせればいいよ。多少の金がかかってでも負担の少ない手段で帰るべきだろう」
「問題は大学がいつ再開するのかってことよね」
「さっき札幌医療大のホームページを覗いたんだが、一月七日には授業がスタートするらしい」
「一日かけて札幌まで飛ぶことを思うと、実質的に残されているのはあと三日か……」
「体力の回復を待ってはいられないかもしれないな」
カレンダーを見上げた夫が難しい顔で腕を組んだ。いざとなれば一日や二日、授業を休んで養生を延長するという選択肢もある。けれども律儀な春帆がそれを選ばないであろうことは、私にも、そしておそらく夫にも、言外に察しがついていた。
遠くで郵便バイクの走り去る音がした。玄関を出ていった夏樹が、間もなく大量のはがきを持って戻ってきた。
「ねー母さん、姉貴宛ての年賀状どうする? 昨日と今日でめっちゃ溜まってきたんだけど」
「とりあえず昨日みたいに分けておいて。あとで春帆のところへ持っていくから」
はーい、と素直に返事をした夏樹が、勇んで年賀状の仕分け作業に取り掛かる。手際のよい手さばきで無数のはがきが積まれてゆく。春帆の名前の書かれた純白の年賀状は、昨日から居場所を見失ったようにテーブルの片隅へ寄せ集まったままだ。せめて居心地だけでも良くしてあげようと、角を揃えて見栄えを整えてみた。何の意味もない善行だと分かっていたけれど、何かせずにはいられなかった。
相変わらず春帆の食事はヨーグルトとゼリーばかりだ。消化のよい流動食とはいえ、いくらなんでも栄養価が少ない。しかし春帆の頭を悩ませている喫緊の課題は空腹ではなく、激しい頭痛のようだった。春帆の要望で部屋の照明は落としていたのに、いつ様子を窺いに訪れても春帆は目を覚ましていた。目を開けていても閉じていても眼窩の奥が押されたように痛くて、まともに眠ることもできないという。
「熱は下がってきた」
そういわれて差し出された体温計は37度8分を指していた。ピークが40度を超えていたことを鑑みれば相当に下がったとはいえ、まだ十分、高熱の領域にある。
「何をしてるときつい?」
「何をしててもきついよ。画面見ると目がチカチカするし」
「それは暗い中でスマホ見ようとするからでしょ。電気つけようか?」
「それもそれでまぶしくてきついから、いい」
「どうしたら楽になれそうなの。暖房でもなんでも、春帆のしんどくならないように調整するよ」
「分かんない。どうしたってしんどい。だからこのままでいい」
抱き締めた布団で口元をおおいながら、春帆は私から視線を外した。
頭を悩ませる物事一切が苦痛の対象になるなら、なるたけ頭を悩ませず、現状維持でいるしかない。春帆の苦しみは本物なのだ。ともかく自分にできることは何もないと思い、「寝られたら寝るんだよ」とだけ伝えて部屋を出た。用事のある時はいつでもメッセージで呼んで、とでも改めて伝えればよかったのかもしれないけれど、これまでにも再三繰り返して伝えてきたし、それでもなお、春帆は頑として私を呼びつけようとしなかった。
医師の仕事は難しいな、と思う。自分では想像しきれない他人の痛みに寄り添い、痛みの本質を理解し、適切な加療の方法を見抜かねばならない。それにはきっと広範な知識と、経験と、勘と、それから他者を慮る慈悲の心が必要で、そこらへんの人間が生半可に真似をできる代物ではないのだ。
私は医師に代わって、あの子にどれだけのことをしてやれるだろう。
ふと意識がそれた瞬間に、いつもそんなことばかり考え続けている自分がいる。
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