セリフ31:「ありがとう」
引き続きお読みいただき、誠にありがとうございます。
主人公・早瀬弘美はある日夫の声が大好きな声優赤山秋の声で再生できることに気づく。さらに最近では、好きなときに、好きな声が、好きなシチュエーションで聴こえ、BGMまで流せたりと、弘美は試行錯誤の中で色んなことができるようになってきた。
その能力を使って、疲れた日常をときに荒ぶりときに癒されながら乗り越えていく物語ーー
いつもお世話になっております。
最終話です。
最後までどうぞ見守ってやってください。
それでは、つづきをどうぞ!
ー2年後ー
5月15日水曜日。
今日の天気は雨。
雨粒が激しく水溜りの上に落ちてきて弾ける。
きっとバシャバシャと不安に体が濡れるような音がするのだろう。
でも弘美の耳には布団に入って絵本の読み聞かせをしてくれているような優しい音に聴こえた。
弘美は能力を日常的に使いこなしている。
優太は3年生、健人は1年生になった。
健人の進学先は普通級か特別支援級か悩んだが、学校とも相談した上で普通級に決めた。
弘美は今朝も優太と健人の登校についていった。
昨年度までの朝は、車で優太を小学校まで送っていっていた。
しかし今年度からは健人も同じ小学校に通うことになり、健人は通学班で登校するため、優太も通学班での登校を促されたのだ。
優太はひとりで近所の子どもたちと指定の公園で合流し通学班となって登校することはまだ難しかった。
頭では赤信号は止まれとわかっているが、実際に歩いてみると止まることができなかったり、ちょうちょに気を取られ道路に飛び出したりする。健人もそういうところがあって危うい。
弘美は毎朝通学班についていき優太と健人を見守りながら登校することになった。
今日のような雨の日はどっと疲れる。いつもなら大丈夫な言い争いも、傘があると攻撃力が増してしまう。常に臨戦態勢でいられるように弘美はレインコートと長靴という出立ちだ。
騒ぎながら進む小学生の軍団に混じって歩くのはなかなか疲れる。
しかしこういうときでも弘美の耳に声だけは楽しく響く。
少年声の赤山さんとモリーくん、リツくんなど多彩な声を聴き癒される。
リツくんは、弘美が2年前に見に行った朗読劇で影ナレを担当していた声優である。最近人気も出てきて、今期放送しているアニメでは主人公のライバルであるクールな少年を演じている。
弘美は今日も無事に息子たちを小学校に送り届け家に帰ってきた。
今日は療育がある日だ。小学生になってからは放デイを利用している。授業が終わると放デイの職員が直接小学校まで優太と健人を迎えに行き、そのまま事業所まで送迎してくれる。弘美は17時にその事業所へ二人を迎えに行く。
弘美も優太も健人も病院には引き続き通っているが、息子二人が小学生になったことで、弘美は日中、少し時間に余裕ができた。
そこで、紙芝居のボランティアに登録した。
弘美は2年前、智成がイケダにした行動に感銘を受けた。
自分がされて嬉しかったことを自分も人へする。
そのバトンのような繋がりは弘美にはとても尊いものに思えた。
弘美は今も赤山の声に救われている。自分が日々を生き抜く能力を身につけられたのも赤山のおかげだ。
赤山にもらっているこのほっとする気持ちを、私も人に伝えられたら。そう思っていたある日、弘美は図書館で紙芝居ボランティア募集のお知らせを見つけた。
弘美は子どもたちに絵本や紙芝居を読むのが好きだった。
読んでいるときの自分から発せられる優しい声色も自分自身、聞いていて心地よかった。
きっと自分は人に読むのが好きなんだ、と感じていた。
そして、これが今の自分にできることなのかもとその出会いに感謝し、登録を申し出た。
自分の声が誰かの元気に繋がるかもしれない。
小さな挑戦だが弘美は一歩を踏み出していた。
智成も応援してくれた。
弘美は智成のことを思い浮かべる。
そういえばとイケダのことも思い出す。
智成とイケダくんは今も一緒に仕事している。
イケダくんはあれ以来うちに来ることはなかったが、今でも智成のスマホから私に近況報告とお礼をしてくれることがある。
イケダくんはうちに来た日から1年後、私がパンフレットを渡した病院に行くことを決めたそうだ。
葛藤があったのだろう。
予約の電話は1ヶ月に1度しかチャンスがない。
やはり繋がりにくく、2回失敗して、3ヶ月後に150回ほどリダイヤルしてようやく繋がったと言っていた。
その後も初診まで2ヶ月かかり、今診てもらいたいと思って電話したのに、こんなに診てもらうまでに時間がかかるならもっと早くに予約すればよかったとその期間は相当苦しんでいたようだ。
ただ、診断書がなければ使えない福祉サービスもあれば、診断されてないけどできる工夫もある。
職場での指示の出し方など、智成は私に聞きながら変えていった。
イケダくんは優先順位を決めるのが苦手だった。
私も苦手だ。
そういう人には、これもやっといてと仕事を曖昧に振るのではなく、これから渡す方を優先でやって。今取り組んでるのは○日が締め切りだから。と具体的な指示を出すとわかりやすい。
わかりやすい指示はミスを減らす。
ミスが減るという一つ一つの積み重ねが、自己肯定感を高めてくれる。それは困難な日々を生きる中で光となってイケダくんに勇気を与えてくれるだろう。
そういう日々が過ぎ、イケダくんは医師の診断により発達障害と診断されたと聞いた。
詳細な診断名は聞いていないが、最近は勉強会や座談会にも参加しているらしい。そういったところに参加するようになって気づいたことがあるんです、とイケダくんが教えてくれた。
俺、どうして先輩のご家族は幸せそうなんだろうって、お宅にお伺いしたときに思いました。
最初から苦労もなしにそうなのかなって思ったりしました。
でも、今なら少しわかります。
先輩のご家族はうまくいかない日々も一つずつ工夫して歩んでこられたんだなって。
俺、まだ歩き出したばかりですけど、そうやって生きていきたいと思います。
きっと彼は電話の向こうで穏やかな笑顔をしていた。
最近イケダとフトナカのアニメ二期の話で盛り上がってると智成が言うので、へ〜!と返したら、別に赤山さんが気に入ってるわけじゃなくてコゲマルがいいやつなんだよ!となぜか弁明してきた。
いつの間にか智成が赤山さんを呼ぶとき、さんづけで呼ぶようになっていた。
今では土曜日にやまラジのアーカイブを家族で聴くのが定番になった。
智成曰くやまラジは面白いらしい。
たまに私が録ったビデオを見たりして、この赤山さんのナレーション下手じゃね。とか言ってくる。
批判をなぜ私に向けて言ってくるのか。
批判するなら見なければいいのに。とは思うが、なんだかんだで赤山さんが気になっているんだなと解釈している。
15時。
ーーーー
(〜♪)
赤山秋の山小屋ラジオー!
ーーー
いつもの音楽が鳴り
やまラジが始まる。
弘美は楽しく聴いている。
ーーーー
続きまして、やまラジネームロミさん!ありがとうございます!
ーーーー
弘美の胸はビクッと跳ねる。この2年間ずっとメールを出し続けているので、たまーに読んでもらっていた。
ーーーー
赤山さんこんにちは!
こんにちはー!
私は、赤山さんの声に日々元気をもらっています!
ありがとう!
私にも何かできないかなーと考えました。
ほう!
そこで、図書館で紙芝居ボランティアをやってみることにしました!
おぉ!すごい!
紙芝居の作品が面白いのはもちろんですが、見てくれている人が自分の声や表現に笑ったり、反応してくれてとっても嬉しいです!赤山さんにいただいている元気を他の方にも繋げていけるように、これからも楽しんでやっていきたいと思います!
わーーー!なにそれ!嬉しい!!
俺の声で元気になってくれてて、それを他の人に繋いでくれてるのー!?
そうなんだ!
そうか。そういうことあるんだ。
いやー。やっててよかった!
すっごい幸せだわ!
ありがとー!
ーーーー
キャーーー!ありがとうございます赤山さん!!
ありがとうございます!!
弘美は赤山が、自分が送ったメールに喜びを感じてくれているのが嬉しくて、呼吸が乱れるほど幸せで満たされた。顔はこれ以上ないってくらいニッコニコである。
ーーーー
そんな幸せなメールを送ってくれたロミさんに!
なんと!サプライズメール届いてます!
このままいつものコーナーいきますよー!
癒しのありがとう&おつかれさま〜!
(〜♪)
ーーーー
え!?
とラジオから聞こえてくるその文言は最初うまく弘美の頭に入ってこなかった。
ーーーー
はい!こちらやまラジネームロミのダンナさんからのお便りです!
ーーーー
え、え、本当に? サプライズ??
信じられないような文章を赤山が紹介する。
ーーーー
前は努力が足りないとか思っててごめん。
自分がちゃんと見てないだけだった。
後輩の指導するとき気づいたけど、ロミは勉強して対処法を学んで、苦しい中でも工夫していつも頑張ってるんだな。
口悪くてごめん。思ったことつい口に出るんだ。
直していけたらなとは思ってる。
これからも家族仲良く過ごしていこう。
普段は恥ずかしくて面と向かっては言えないけど
「ありがとう」
ーーーー
大好きな人から智成の声がする。
ーーーー
リクエストは、ロミさんが元気になるような、笑うしかないような声色でとのことでした!
あーー!もーー!最高だもん!俺まで幸せ!
どうぞお幸せにっ!!
ーーーー
いきなり届いた思いもよらぬ贈り物。
弘美の目からは愛情に満ちた涙があふれた。
こんなんもう泣きながらでも笑うしかないじゃんと、かけがえのない温かさを抱きしめて笑った。
智成は仕事中だが、この思いを伝えたかった。
スマホで、今電話していい?と文字を打ち送ると、電話がかかってきた。
ーなに?
お仕事中ごめん。
ーいいよ、なに?
あの、今、メール、読んで…。
ーは?どうした?泣いてんの?
笑ってるよ!
智成のメール、赤山さんが読んでくれたの!
ーはーっはっはっはっまじで!?
そう!あははっ!
ねぇ、なんで言ってないのにロミって知ってたの?
ーお前自分のメール読まれるとニヤけてんだよ。
へ!?
ー土曜日リビングでアーカイブ流してるとき、ロミが読まれるとお前ニヤけるからバレバレ。
俺がお前のこと分かんないわけないだろ。
そうだったのか〜。バレバレか。
弘美は自分の頬を左手で抑える。
じゃあ、今何伝えたいかもわかる?
ーわかるけど、言ってよ。
「ありがとう」
ーはーい!どういたしまして!
弘美は心に広がるこの感情をぎゅっと詰め込んだ言葉を智成に伝え電話を切った。
◇
12月15日日曜日。
季節はあっという間に冬になった。
弘美は今、東京に来ている。
紙芝居の大会に参加中で、もうすぐ出番のため待機している。
この大会の運営団体は、博物館や美術館、動物園が立ち並ぶこの公園の一画を使う許可を取り、それぞれが持ち寄ったオリジナルの紙芝居を披露する場を提供した。通り過ぎる人なら誰でも観られ、順位をつけることもない。オリジナルの紙芝居を披露する場を盛り立てようという大会なのだ。
弘美は楽しい声を届けたいと思い紙芝居ボランティアを続けるうちに、子どもたちや親御さんが笑顔になってくれる反応が嬉しくて、今度は自分も紙芝居を作ってみたいと思うようになった。
紙芝居を作るのは初めてだった。
絵を描くのも、おぼつかない。
ただ、ストーリーは日々赤山さんの声と過ごしている弘美の中にとめどなく湧いてきた。
弘美はワクワクしながら紙芝居を創り上げた。
弘美はそのときのことを振り返る。
まずは優太と健人の前でやってみた。
智成にも見せた。絵が下手。と言われた。
心が折れそうになったので真面目な美術部員に恋することになるちょっと授業をサボり気味な男子という設定の赤山さんの声に登場してもらい、やり過ごす。
そのあと読み聞かせボランティアの仲間の前で披露した。
面白いじゃなーい!いいねー!と褒めてくれた。
読み聞かせの場でもときどき自分の紙芝居を披露していった。
コツコツ続けていたら、図書館の司書さんがこの大会のことを教えてくれた。私は、一緒に行こう!と誘ってくれたボランティア仲間のマヤとともに、今日電車に乗り、東京の上野に着いた。
あ!次ひろちゃんの番だよ!
はぁ〜〜緊張する〜。
がんばって!
マヤは両手で拳を作り腕を上下させる。
うぅ〜。マヤちゃーん。
楽しんで!
そうだよね、上手くやろうとかじゃなくて、楽しんでやろう!お客さんにも楽しさが伝わるように!
うん!いってらっしゃい!
弘美は送り出される。
弘美は家で練習した拍子木を打ち鳴らす。
先程から観ていてくれていた人も、通り行く人々もなんだなんだと一度はこちらを向く。
弘美の緊張は頂点に達するが、ワクワクして待つ子どもたちの輝く瞳を見ていたら、楽しまなくちゃ損だという気分になる。
そして観てくれている人たちと一緒に物語を味わいたい!!笑顔を届けたい!!そんな弘美の気持ちとともに紙芝居が始まる。
赤山は美術館にいた。今度開催される美術展の音声ガイドを担当することになった仕事の一環で、今日は美術館の館長と対談するのだ。
前半は館長室で、今回の企画展のコンセプト、日本初披露となる絵画のこと、各章で気になる作品、常設展のことを対談。後半に写真撮影がある。前半が終了したため30分間の休憩が与えられた。
赤山は美術館内のカフェでコーヒーを飲もうと考えた。ここの美術館のカフェは2階にあり、テラス席もある。上から外を眺められるので気分が良さそうだと、以前から気になっていた。
テラス席は寒く、他に客はいない。一人コーヒーを飲む赤山の耳に小気味いい拍子木のリズムが飛び込んできた。お?と思い、目をやると人だかりが見える。立っている旗によれば紙芝居の大会が開かれているようだった。今から紙芝居を行う人の顔は上からだと見えない。でも声はかろうじて聞こえてくる。赤山は目を閉じながらその声に集中した。
へ〜!『ふきかえかぞく』か〜!なんか癒される物語だな〜。ははっ!今のところ面白い! おぉ!今のとこも正面から見たかった。
下からお客さんがめっちゃ笑ってるの聞こえてくるな。やっぱり人の笑顔っていいよね。寒いけどなんかあったかいや。
赤山は自分のスマホを手に取る。今でも大切にしている画像があるのだ。2年前送られてきたファンレター。
ーーー
『赤山さんを見つけられてよかった。この舞台を見つけられてよかった。心の奥まで届く演技を直接受け止められたこと、忘れません!
本当にありがとうございました!!
赤山さんの声が、演技が、大好きです。』
ーーー
その手紙にはこう書かれていた。
赤山は手紙を読みながら思う。
この手紙をもらったとき、自分は、俺を見つけてくれた一人一人の心に届く演技がしたい。と思っていた時期だったから、届いたんだと、心の奥まで届かせることができたんだと本当に嬉しかった。
その手紙の写真をとり、以来お守りのようにときどき見返す。
「ありがとう」
ロミさん。
また朗読劇あるし、今度の仕事も、午後からの仕事も頑張るぞー!と心の中で右手をグーにして突き上げた。
赤山は手紙の差出人であるのロミのことを思い出す。本名が弘美だからやまラジネームがロミなんだとこの手紙で知った。
ロミさんはたしか、俺の声に元気をもらって、自分も人に何かできないかなって紙芝居ボランティアを始めてくれたんだっけ。
そうやってこの世界は繋がって、広がっていくと思うと赤山は幸せな気分になる。
しかもその後ダンナさんからメール来たからね。
あれは忘れられないわ〜。自分いい仕事したな〜!
へへっ!と思い返してニヤけながら、いつまでもお幸せに!とロミの家族の幸せを願った。
出番を終えた弘美が待機席に戻る。
ひろちゃんおつかれ〜!!
わー緊張したよ〜!!
お客さんたくさん笑ってたよ!
本当!よかった!夢中でやってたから!!
弘美は大会に出た記念品をもらい、帰りの電車に乗る。通路側の座席にはマヤが座っている。
弘美は緊張感から解放され空気の抜けた風船のようになって窓の外を眺めた。
電車から見える景色をぼーっと見ていたら、横浜に観に行った朗読劇を思い出した。
あのとき主人公が言った『元通りになるけど一つだけ違う。もう僕は君を知ってる。』という言葉が弘美の心に灯る。
辛い日は波のように繰り返し訪れる。でも、その波にさらわれ溺れてしまうことはもうない。
私は赤山さんの声を知っている。
あのほっとする声。
人の笑顔を願うような優しい声。
「ありがとう」
赤山さん。
最初は声が変わっただけだった。
弘美は自分に起きた変化を辿る。
声を知って、雨音は優しく唄うようになった。
全てが変わったわけではない。
それでも、繋がって、広がって、音はこの世界に響き渡っていく。
弘美は家に帰ってきた。
ただいま!と言うと、おかえり〜と優太と健人が出迎えてくれる。
ありがとね!楽しかった!と弘美に言われ、はーい、おかえり。と智成が返す。
夕飯を食べ風呂に入り、歯磨きをして寝る準備が整う。
家族は暖かい布団のなかで眠る。
かけがえのないこの家族の毎日は、ほっとする声に見守られながらこれからも続いていく。
セリフ31:「ありがとう」
お読みいただき、本当に、本当にありがとうございました!
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完結まであたたかく見守ってくださって本当にありがとうございました!!
初めての連載で右も左もわからない私に、こんなに優しくしてくださったこと、本当に感謝しております。
完結とともに、タイトルを『吹替家族』に戻しました。
今後は、あとがきなどちょこちょこと手直ししたり、読み返して誤字脱字などを直していきたいなと思っております。
読みたい作品がたくさんありますので、しばらくは皆さまの作品を拝読し、わくわくする時間を過ごしたいと思っています♪
皆さまがこれからも末永く幸せでいらっしゃいますよう願っています!
最後までお読みいただきありがとうございました!!