セリフ20:「いつまでも一緒にいよう」
引き続きお読みいただき、誠にありがとうございます。
主人公・早瀬弘美はある日夫の声が大好きな声優赤山秋の声で再生できることに気づく。さらに最近では、好きなときに、好きな声が、好きなシチュエーションで聴こえ、BGMまで流せたりと、弘美は試行錯誤の中で色んなことができるようになってきた。
その能力を使って、疲れた日常をときに荒ぶりときに癒されながら乗り越えていく物語ーー
※ご注意※
今回内容に
流産した表現
病気
障害
などが含まれます。
上記関係の表現を読むのは苦手だという方、どうぞご無理なさらずご覧にならないよう、よろしくお願いいたします。
心情的に苦しくなる場面がございますので、話の途中でも無理だと思われた方は、読むのを途中でやめていただきますようお願い申し上げます。
ご自分を大切になさってください。
誰かと暮らすというのは大変だ。一緒にいれば喜びは倍に、悲しみは半分に、なんて言うけれど、俺の喜びは見事色褪せ、人生は悲しみに支配された。
木曜日の朝、満員電車に揺られながら智成は考えていた。
弘美とは、大学生のとき同じバイト先で出会った。
俺より学歴いいくせにどこか抜けてて、でも仕事に一生懸命で、お客さんや周りの人に対する笑顔がかわいいなって、気づいたら目で追ってた。
よくある話。
その後付き合って。
結婚して。
小さい頃の夢がお嫁さんだった弘美は、理想の家庭像みたいなものがあったんだろう。いってきますのキスもあたたかく迎えてくれるおかえりも、誰もが思い浮かべる幸せな新婚生活を送った。
俺はよくある話が好きだ。
この世は予想内の出来事でありふれていてほしい。
様子が変わったのは、結婚して半年ほどのことだった。弘美が妊娠し、心拍を確認し、母子手帳をもらってきた。俺は病院に付き添わなかった。産婦人科に男がいたら珍しいと思うし、これから生まれてくるまで何ヶ月かあるんだから、その間のどこかで一回くらい一緒に行ければいいかなと思っていた。
ところがある日の金曜日、弘美が泣いて電話をしてきた。ケーリューなんちゃらってやつで、手術しなきゃいけないって。家に帰るといつものあたたかい出迎えはなく、弘美は布団に包まり泣いていた。手術は月曜日とのことだ。沈んでる弘美と、実感がわかない俺は隣同士で寝た。
次の日、お腹が痛いと弘美が泣き出し、俺は初めて弘美と産婦人科に行った。緊急手術になり、手術室の外で待たされる。その間に俺は自分の家族に電話した。
麻酔が切れ、目を覚ました弘美に話しかける。弘美?と話しかけてもぼーっとしている。俺の母さんと妹も心配で駆けつけてくれたと、俺が二人を病室に招き入れる。するとぼーっとしていた弘美が驚いた顔をして、泣きながら、今は会えないと言った。
俺は、手術の見舞いになんで家族と会えないんだと思ったが、母さんが、そうだよねと素直に引き下がったので、何も言わなかった。
弘美が水子供養したいと言ってきたときも、やらないよと言った。赤ちゃんが今回生まれてこられなかったことは悲しかったが、知らないだけでよくある話らしい。水子供養すると今の子が空に帰ってしまいそうな気がして、また自分たちのところに生まれてきてほしかったから、水子供養はしたくなかった。
弘美は最初どうして!?と苦悩に満ちた顔をしていたが、俺がそう話すと、そう、と納得したようで、そこからその話題は出なくなった。
このあたりで俺の転勤があり弘美は仕事を辞めた。約8ヶ月後、弘美はまた母子手帳をもらってきた。俺はあまり喜ばなかった。弘美も喜びを爆発させないように慎重になっている様子だった。喜んでこの子までいなくなったらいやだ。俺は弘美が妊娠していないかのように過ごし、弘美は毎日毎日細心の注意を払って過ごしていた。
長男の優太が生まれた。
俺は初めて我が子を抱っこし、やっと喜べる。
弘美もようやく喜びを爆発できた様子で、大事に大事に育てた。
またよくある幸せな家庭が戻ってきた。
優太はよく夜中に起き、ギャーギャー泣いて、ゆらゆらと抱っこすると眠る。寝不足で仕事に行くのもきつくて、でも周りから大変ねって、幸せねって、赤ちゃんかわいいでしょ?って言われる、予想してた通りのよくある感じ。
こういう人生がいいんだよ。のらりくらりと暮らしながら時々大変で、周りからもあるあると分かってもらえて。よくある話が結局幸せだろう。それ以上求めてない。
優太が生後8ヶ月のとき、蕁麻疹が出て病院に行ったら乳製品アレルギーと診断されたと弘美から聞いた。
俺はふーんと返事をする。具体的にどうすればいいのかわからなかった。説明は全部弘美が聞いてきていた。俺は仕事があるし、弘美から毎日行う表みたいなのを見せられたけどできることはないと思う。ちらっと資料を見ると、俺が知らなかっただけで、赤ちゃんが食物アレルギーを発症することも、珍しすぎるわけじゃなかった。
弘美は色んな病院に行っているようだった。アレルギーの勉強会があるんだとか。そのうち誤飲を防ぐため、家に乳製品のものはほとんどなくなった。ハンバーグに豆乳を使っていると言われても気にならなかったが、ホットケーキは小麦粉の味がする弘美手作りのものになって、正直あんまり美味しくなかった。
は〜あ〜他の家はさ、という思いの種が落ちる。
その後次男の健人も生まれてきてくれて、理想とは言えないかもしれないけど、よくある四人家族になった。
しかし、よくある四人家族の家に3回も救急車がとまるか? 俺は生まれてこの方一度も救急車に乗ったことはなかった。
最初の2回は弘美が、あと1回は俺が乗った。
弘美から優太が救急車に運ばれて入院したと聞いたときは、驚いたが命に別状はないとのことでホッとした。
しかしいざ自分の目の前で優太が急変し、救急車を要請し、一緒に病院に行くことになったら怖くて仕方がなかった。優太がこの世からいなくなってしまいそうで、手をぎゅっと握った。
優太が運ばれる原因は様々で、痙攣だったり、呼吸困難だったりだ。俺といるときは、ケーコーフカなんとかを弘美がやったあと、俺と優太がサッカーをしたせいでウンドーユーハツセーアナ……?というのになったかららしい。医師に決められた量の乳製品を食べたあと、すぐに運動するのはやめてと言われていたのに、俺がやってしまったから、優太は呼吸困難になった。
ウンドーユーハツなんとかは、もうよくある話じゃないでしょ。外出するときは症状が出たときに備えて注射を持ち歩かねばならず、人に預けることも困難になった。弘美は預けるときの注意事項を書く紙が多いと嘆いていたが、俺が書いて間違ってたりしたら嫌なので、手を出さなかった。もう、俺の間違いで優太を危険な目には合わせたくない。俺の大事な子だ。
ある日弘美が優太を発達相談に連れて行きたいから一緒に来てと言ってきた。どうやら日中息子二人の相手が難しくなった弘美は息子たちと児童館に通っていたらしい。そこで職員の一人に発達相談に行ったことありますか?と聞かれたそうだ。そのときは弘美も行ったことないです〜と答えたが普段の様子を見て、相談した方がいいのではないかと決めたらしい。
俺は嫌だった。別に発達がどうとか関係ない。優太は俺の大事な子で、相談する必要性も感じなかった。それに万が一なにか言われて、これ以上よくある家庭の枠から逸脱するのが嫌だった。
俺から、行かない。という返答を聞いて、弘美は一人で行ってくると答えた。
そこからはもう別の人の人生を生きているみたいだった。
優太にも、健人にも、そして弘美にも、発達検査が行われ、程度の差はあれど、全員が診断を受けた。四人家族の家に、手帳が4冊ある。俺は病院に行っていないから、重複した障害がある家族がいるということだ。俺は手帳の種類を詳しく知らない。階級が分かれているようだが、更新もあるので、誰がどの手帳を持っていて、なんの階級なのか知らない。別に興味なかった。興味が出るのはどこかの施設を訪れたとき割引になるか、年末調整で報告することはないか、というときくらいだった。
どこが、一緒にいれば嬉しさは倍に悲しみは半分に、なんだよ。こんな一気に襲ってくるんじゃねーよ。
他の家はこんなことないんだろ。
他の家は健康で、ちょっとやんちゃで、でも愛らしくて、そういう子どもが生まれてるんだろ。
他の家はちょっと怖いけどしっかりした奥さんがいたりするんだろ。
他の家は、他の家は、他の家は…一度落ちた種は深く根を張り、俺のどうしようもない考えが地中にどんどん伸びていく。
俺は弘美のよく笑うところが好きだった。頑張っててもドジするところがかわいいと思っていた。一途なところが好きだった。手紙を書いてくれるところが好きだった。手紙からは愛情がわかりやすく伝わってきた。信号が点滅したら絶対渡らない生真面目なところも、真面目だからうそをつけないところも好きだった。つけないというか、うそをつこうとするとすぐ挙動不審になって結局俺にすぐばれる。そういう俺の予想内にいるところがかわいかった。弘美の考えていることが手にとるように全部わかって、弘美といるのが楽しかった。
しかし、蓋を開けてみたらなんだこれは。こんな未来全然予想してなかった。予想外のことが起こりすぎて、家族の未来が俺の手からこぼれていく。弘美まで診断がついたと聞いたときは、俺の人生、こいつに騙されたと思った。
今までかわいいと思っていたところは、ただの脳の障害で、異様にドジやミスが多いのも弘美が診断されたエービーシーディー?みたいな名前の障害の特徴で、この世でこんなにかわいいミスをする人はいないと思っていた人は、この診断を受けた人なら誰でもあり得るミスをしていた。
天地がひっくり返るような思いだった。
今までかわいいと思っていたことが全くかわいいと思えなくなり、むしろ得体の知れない悍ましさに襲われた。できていないことばかりが目につくようになった。
弘美はアレルギーのときと同じように障害についての説明会に足を運びたくさん勉強しているようだった。勉強しているうちに自分も同じだと気づき、発達検査を受けたと言っていた。どうせ、そうやってのめり込むのも障害の特徴なんだろ。必死に勉強する弘美が気持ち悪く見える。そんな必死になることじゃないとはたから見て思い、趣味みたいだね、と言うと、弘美はこちらを悲しそうにじっと見つめた。
そうだ、これだ。俺が言った言葉に俺の予想通りの反応。今まで俺が見てきた弘美の笑顔は全て偽物のように感じ、俺の言葉で傷つく顔はなぜか本物だと信じられた。
俺のかけた言葉に弘美が傷つく。なんの予想も立たなくなった俺の人生だけど、弘美の悲しい顔だけは俺の思い通りになる。
俺はよくある話が好きだ。
結婚生活も長引いて、子どもたちに手がかかりきりになり、夫婦の仲は冷めていく。これがありふれている生活で、これがよくある話だ。
俺以外の家族全員が障害者で、病気があって、月に何度も通院する話がよくある話なわけがない。こんな予想外の未来いらない。ありふれた普通がいい。
優太の乳製品アレルギーは4年程かけて治った。もう外出時に注射は必要ない。そうそう。俺が望んでるのはこういうことだ。この調子で俺が望んでいるありきたりな家庭に戻してくれ。
弘美は相変わらず勉強しているが、頑張りが足りないと思う。あんなに勉強してるのに、一向にミスが減らない。昔はかわいいと思っていた弘美のひとつひとつの行動が、障害由来のためだと思うと急に色褪せた。早くそのミスを無くせよ。そのための勉強だろ。そして頼むから普通に生活してくれ。多くを望んでいるわけじゃない。俺はそこら辺にありふれた、普通の生活がしたいんだ。
電車がガタンと揺れた。
そのせいだろうか、隣に立っていた男のイヤホンが外れたようだ。
その様子を見てそういえばと思い出す。
最近弘美はイヤホンをつけている時間が長くなった。いつだったろうか、起きてすぐイヤホンがないない探してて、寝てるときまでつけてるのかと驚いた。
なんか前に手紙書いてた、赤山とかいうやつと関係してんのか?
プシューとドアが開き、会社の最寄り駅に着いた。
満員電車を降り、水筒のお茶を飲む。
昨日弘美が緑茶を持ってきたあとの、小さな違和感が気になる。
いつもと違う弘美。
俺の反応に無頓着な弘美。
最近あいつは思い出し笑いをよくするようになった気がする。ニヤついてて、なんだか機嫌が良さそうで、昨日の朝は久しぶりに家に流れる雰囲気が昔に戻ったみたいで、急に愛しくなって。よくある幸せな四人家族に思えて。でもやっぱりあいつはミスしてて、少しでも期待するとすぐ裏切られて。また生活の色が褪せる。俺は深い根を張り、色褪せた世界から動けないでいる。
でも、弘美は何か変わり始めている気がする。俺が仕事に行きたくなくて抱きしめてくれたあの日、久しぶりに弘美に抱きしめられた。背中を包むその手は、俺の手からこぼれ落ちていった家族の幸せを拾い集めてきてくれたような、温かい手だった。
このまま弘美が一人で変わっていってしまうのは嫌だ。俺の手の中で動いてくれていないと嫌だ。冷たい態度を見せ予想内の反応を受け安堵する。それが、なくなってしまったら?弘美に置いていかれそうな自分を想像する。あんなに気持ち悪く、得体の知れなかった弘美はどこへ行ってしまったんだろう。笑って、息子たちとじゃれあって遊ぶ弘美は俺が望んでいた姿ではないのか。
嬉しい気持ちと、その変化が自分の知らないところで発生しているという怖さが智成の心をざわつかせる。
智成はパスケースに入っている家族写真を見る。
よくある話が好きだ。
家族四人で週末は公園に行くような。
多くを望んでるつもりはない。
弘美は俺の手の中で悲しい顔をして、どこにも行かず、そのまま俺の思い通りに生活していればいい。
多少のミスは見逃そうと思う。指摘をすると、今の弘美はどこかへ飛んでいってしまいそうだから。だから、一途に俺だけを見てよ。俺の言うことで悲しんでいればいいよ。
俺を悲しみの底に突き落としておいて、自分だけ幸せになるなんて、そんなのは真面目な弘美らしくないだろ。
「いつまでも一緒にいよう」
セリフ20:「いつまでも一緒にいよう」
お疲れさまでした。
大変だったことと存じます。
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