セリフ14:「んーんー」
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主人公・早瀬弘美はある日夫の声が大好きな声優赤山秋の声で再生できることに気づく。さらに最近では、好きなときに、好きな声が、好きなシチュエーションで聴こえ、BGMまで流せたりと、色んなことができるようになっていることに気づいた。
その能力を使って、疲れた日常をときに荒ぶりときに癒されながら乗り越えていく物語ーー
それでは、つづきをどうぞ!
土曜日の昼食後、食器を洗いながら、弘美は赤山へファンレターを出したあの日のことを思い出していた。
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ポストに出せばよいものを、窓口で重さを量ってもらった。そのときに間一髪、宛先の住所が間違っていることに気づき、一旦家に戻り封筒を書き直し、もう一度窓口に出しに行った。バクバクしている心臓の音がうるさい。できるだけ失礼のないように!と思って何度も見返したのに、こういうとこあるんだよな〜…と自分に凹む。まぁでも送る前に気づけたから大丈夫!と弱った自分を慰めるように左手の甲を右手でさすった。手荒れは良くなってきている。きっと洗い物をする際につけているゴム手袋のおかげだろう。
◆
最後のお皿を水切りカゴに乗せ、蛇口を閉める。シンクやシンク周りに飛び跳ねた水滴をふきんで拭い去り、ゴム手袋を外す。良かった、と心地よい肌触りになった手の甲を撫でる。
そこにドーンと後ろから体当たりされた。次男の健人だ。一息つきたかったところに衝撃が走る。弘美は今の攻撃で元気を落としてしまった。力なく下を向く。朝からずっと立ちっぱなしだった。
智成は、仕事で疲れてるから午前中寝る、とボソッと言ったきり布団から出てこない。起きてくるまでご飯もいらないそうだ。そのことが頭をよぎり、気持ちが錆びたかのようにうまく回らない。
健人はかわいい。かわいいが足にまとわりつかれても対応する元気がない。ズリズリと健人ごと歩き、うまく動かなくなった自分の体をリビングの床に投げた。
大の字になって天井を見上げながら弘美は思う。巨人が寝転がってるみたいだな、と。体がうまく動かないからやっているだけだが何か遊びが始まったのかと優太も寄ってきた。健人は待ってましたと言わんばかりにお腹に乗り、馬を走らせるように体を上下させた。その度にお腹が痛い。優太はダンボールで作った剣を持ってきて、弘美の体を切り刻んだ。ガードしようと手のひらを咄嗟に出すと、段ボールの端で人差し指を少し切った。
一ついいことがあったとして、それで全てがうまくいくわけじゃない。
体を刻まれながら、目を閉じて思う。
痛いからやめて。
目を閉じたまま、弘美は息子たちに言う。
息子たちは笑いながら続ける。
やめて!
弘美は眉間に皺を寄せもう一度言う。
上手く言う元気はない。
息子たちは止まらない。
やめてって言ってるでしょ!!!
弘美は床を手のひらで叩き、目をカッと見開いて声を荒げた。
息子たちに理解される気配はない。
……
弘美はもう一度目を閉じる。
諦めてしまおうか、と思う。
このまま何も抵抗せずに、痛めつけられたままでいようか、と思う。
ただ、やはりそれは自分にとっても、息子たちにとっても不幸なのだ。
息子たちは大事な人を大切にすることを学べない。
そして自分は、声を荒げる自分も、痛いまま諦めてしまう自分も、嫌いだ。
……
「んーんー」
この感情を表す言葉を見つける元気がない弘美は、先程の声とは全く違う声を出してみた。
赤山が過去に演じていたモンスターの鳴き真似だった。あのアニメは言葉をしゃべらないモンスターの感情を鳴き声だけで表現していた。
ふと先程の自分の行動を思い返してみると、息子たちに痛いということは伝わっていたのか疑問が湧いた。言葉では言っていたが、息子たちの耳に届く頃には、怒りにしかなっていなかったのではないか。
私は別に息子たちに怒りたいわけではなかった。喧嘩をしたいわけではなかった。ただ、痛いのは悲しい、ということをわかってほしかった。元気がなくなっちゃってるから少し待ってて、と伝えたかった。
あのアニメのモンスターたちはすごい。鳴き声だけで何を考えているか伝わってくる。赤山さんはすごいな。声優さんはすごいな。
弘美は頭の中にある赤山の声のストックからモンスターの鳴き声を選びとり、そして実践した。
「んーんー」
少し揺れながら、高い音から低い音に落ちる声。悲しみに溢れたその声に、息子たちは止まる。先程までの行動を悔やむように表情が変わる。口をぎゅっと閉じ、眉はハの字になり、目を潤ませながら弘美の胸の横で体を丸くさせた。「ごめんね」「ごめんなさい」と両側から小さな声が聞こえた。「いいよ」とその気持ちに応える。
大声で叫んでも伝わらなかった言葉が伝わった。
伝えたかったのは言葉に込められた気持ちだったと、弘美は気づいた。
大事な人を大切にできていないのは自分も同じだ。両脇にくっついている息子たちに腕枕をしながら少しの間横になる。「ママもおっきな声出してごめんね」「いいよ」「いいよ」
一ついいことがあったとして、それで全てがうまくいくわけじゃない。
……
そう思う。だからこそ、できることからひとつずつ、やっていくんだろう。
嫌いな自分に少しずつ、寄り添えるように。
増えていく一つ一つのいいことが、きっと自分に勇気をくれる。
赤山の声を思い出しながらもう一度
「んーんー」
と発する。今度は高い声からさらに高い声に上がる幸せいっぱいの柔らかい声。
息子たちがパッと嬉しそうにこちらを見る。
頬を擦り笑顔で優しくもう一度発すると、両側から伸びた小さな手が弘美の頭を撫でた。
セリフ14:「んーんー」
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できること、どんなにちっぽけと思っても、自分にできることを。ひとつずつ。
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