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結局問屋の仕事部屋でプリントを見た俺は数枚のプリントを持って部屋に戻ろうとした。
体の調子ももう悪くない、頭の痛みもましになった。体は痛いがそれはもうどうしようもないだろう。
「じゃあ俺帰るわな」
「あー?問屋に礼ぐらい言っていけよ」
ソファから立ち上がった小豆を蜘蛛は引きとめた。
「お前途中で気絶したんだからよ、重かったろ」
「あーまー……重いのは認めるけど。俺問屋そんなに好きじゃないし、あんまりこう…面と向かいたくないってか?」
小豆にしては珍しく視線をずらして言葉を濁らせた。
蜘蛛は眉をひそめる。小豆の口から「好きではない」なんて言葉が出るのは非常に珍しいのだ。
(まぁ何が苦手って…こうあからさまな好意がなぁ…。)
からかうわけでもなく、何かを含んだ企みがあるわけでもなく、ただ純粋にたまに覗く美しい眼が優しさを帯びているからなんだか居心地が悪い。
「テメェはだから糞猫なんだよ、不器用め」
「不器用とか言わないでー、のらりくらりとしてるって言って」
へら、といつものように笑みを浮かべた俺に、しかし蜘蛛はいつものようにのっかってはくれなかった。
「他人の好意と真正面から向き合えない、優しさを表に出せない不器用野郎がナマ言うっなっつの」
「………………」
ポリ、と視線をやや上に向けて頭を掻きながら小豆はどうしたものかと唇を結ぶ。
(どっちかというと蜘蛛も苦手なんだよなー、怖いし。)
怒るし、親みたいだし、哲平と同じ種類の怖さがあって苦手だ。まあそうでもなければ問屋とコンビなんてくめるとは思えないがそれでもなんだか不思議な温かみを感じてやりづらい。
結局俺はドアに向かっていった。
茶化せる想いと茶化せない想いがあるが、決して軽んじてはならない感情があると俺は思っている。真摯に向き合ってきた相手にはそれなりの対応を返すのが礼だ。
礼節なんてものとは無縁の性格だが、それに付き合う哲平の気持ちを無視することはできない。
(ま…だから俺は哲平が好きなんだろうけどなぁ…。)
問題児を真面目に相手をするような人間も大概変だ。
「ま、いいでしょ不器用でも。俺の事ちゃんと見てくれる奴が居たら俺はそれで満足なんだ」
ふ、と微笑む小豆に蜘蛛は溜め息を吐くと椅子をくるりと回して問屋のいる部屋に向かって叫んだ。
「問屋ー糞猫が帰るってよ!!」
突然の大声にびくりと肩がはねる。
(さっき客がきてるっていってたのに!)
「えーそうなんスか?猫君さよならっスー、まぁた遊びに来てくださいねぇ」
ドア越しから聞こえてきた問屋の声に、俺は蜘蛛に向かってべー、と舌を出した。
そしてそのまま部屋を出る。
部屋を出るときの、蜘蛛が鬱憤を晴らしたような顔をしていたのが少し腹立った。
裏口だと言っても誰が見ているかわからない、だから俺は止まる事なくそのまま足早に問屋のテリトリーから離れた。
「はー…駄目だな、明日は俺休も」
そう決心した俺だった。
単位は課題と媚びでなんとかなるだろう、いや、ならせる。
カチャンッ、とカードキーが差し込まれてドアは開く。極力音を立てないようにこっそりと、そろり、そろりと足を運ぶ俺。
運がよければ丁度時刻は遅めの夕飯時、哲平はいないかもしれない。基本的に自炊の哲平に持つ希望にしては可能性は低いが万が一というものがあるかもしれない。
そんな事を考えながら忍び足で共同スペースに足を踏み入れた瞬間、暗闇に包まれる部屋が突然パチンという音を立てて明るくなった。
「小豆」
「あ、哲平」
不機嫌丸出しの顔をしながら哲平が迎えてくれた。
暗闇の中で息を潜めていたのだろうか、恐ろしい。夫が夜遊びから帰ってきた際妻に待ち構えられていた瞬間の心情だ。
(しかし本当に不機嫌丸出しだなオイ…。)
「た、ただいま~」
片眉を吊り上げた哲平は俺の腕を掴むとそのまま部屋へと連れ込む。
連れ込まれた部屋は俺の部屋じゃなく、哲平の部屋だった。
「ちょ、どしたどした!?」
「あーうるさいうるさい、黙れ馬鹿」
「馬鹿!?」
いつにも増して横暴な哲平に引き摺られるように部屋に投げ入れられた小豆はベッドに引き倒された。
「うおっ」
ドサッ、とベッドに押し倒された俺の上に哲平は被さってくる。
その重みにうめき声を上げた。
「ぐえ…っ」
「………はー」
肩口に額を押し付け、深く息を吐き出す哲平に小豆は抵抗をせずにその身をまかせた。
癖毛が少しこそばゆい。
「てっぺーくん、どしたぁ?」
「どうしたもこうしたもねぇだろうがよ、保健室にはいねぇし教室にもこねぇし部屋にもいねぇし…」
「心配」
「はしてなかったけどな。ちょっとくらい癒せ、馬鹿でも居ないよりはましだろ」
「最近ますます俺に対して風当たりがきついよ!」
それでも自分を包む匂いに安心を得た小豆は哲平の背中に腕を回し、横に引き倒した。
ベッドが重みに軋む。
顔が真横にきた事に俺は笑う。
「変な事聞くけど」
ふいに哲平が口を開いた。
「変な事聞くなよ」
「いや聞けよ」
即答すると即答でかえされた事にまた俺は笑った。
「あのな、お前は俺の事どれだけ好きだ?」
「……はい?」
余りにも素っ頓狂な質問に俺は驚いた。
いやだって、まさか哲平から「あたしの事どれくらい好き?」なんていう乙女染みた台詞が出てくるなんて思っていなかったから。
「ぶはっ」
「笑うなボケ」
「ぶぷ…っ、ふ、ははっ…や、ごめんごめん俺がどんなけ哲平が好きかだっけ?」
じろりと恨みがましい眼で睨まれ俺は咳払いひとつ、改めて哲平に向き直った。
「ずっと一緒に居ても苦じゃないくらいに好きかな」
ふっ、と笑いをこらえながら言うと哲平は微妙な顔をした。
「…曖昧だな」
「時に言葉よりも行動が雄弁に語ることがあるのだよ哲平君、そもそも普通の友人とこの距離でじゃれあうなんて事僕には到底考えられないな」
「……まぁそれもそうだよな」
苦笑いを浮かべる相手に俺はにやけた。哲平のツンデレがデレ絶好調だ。
もちろん俺にとっては喜ばしいかぎりだ。
世の普通がなにかは理解できないが、十分に友情の範囲から逸脱している様な気がしないわけでもない。
「俺このまま寝てい?」
「好きにしろよ」
「じゃあ寝るわ」
(色々いてぇし疲れたし…。)
本当ならば湿布などを張り替えたかったのだが哲平に見られるのはよろしくない。
小豆は体を丸め横を向いて寝た。
哲平は小豆の髪を梳きながら遠慮も糞もなく寝る小豆に眉間に寄せていた皺を緩める。
(…こいつといるとなぁ、緩くなる。)
小豆の傍にいると大概の事はどうでもよくなる。
それは嫌いではない。
(どうせまた俺に言えない事ばっかやってんだろなこの野郎は…。)
哲平は小さい溜め息を苦笑まじりに吐き出すと小豆の頭を軽く抱えるように寝た。