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ぴくりと瞼が動く。
次第に浮上してきた意識の中でカタカタと脇から聞こえてくるキーボードを叩く音が耳に入る。機械独特の音と紙の匂い、そしてすこし甘めの匂い。
うっすらとあけた瞼。視界に入るのは仄暗い光だけだ。
「………どこ」
「あ、起きたか?」
独り言を呟いたつもりが返事が返ってきた事に少し驚いて、小豆はむくりと上半身を起こした。
そこは保健室でも自室でもない、知らない部屋だ。
(あー目ぇしょぼつくな…結構寝てたか?)
「……蜘蛛?」
「ああ、起きたらコレに目通せよ」
カタカタとキーボードを打っていたのはどうやら蜘蛛だったようだ。完全に作業用スタイルなのか、ヘアバンドで髪をまとめながら画面から視線を外すことなく山積みにされた資料を指差した。
「あれ、寝起きスパルタ?」
その山積みになった資料を眺めながら俺は半笑いだ。
「水城吟についての資料」
「スルーですかそうですか」
にへら、と口元を崩した俺は一枚のプリントを手に取った。
「大概の奴はどうでもいい事ばっかだけど上のほうに積んでるのはお前が欲しい情報だろうよ」
「……寝起きスパルタだよねお母さーーーん」
「うるせぇ!!今問屋が交渉中なんだよッ」
スパンッ、と叩かれた頭を押さえて悶える小豆を蜘蛛は一概しただけですぐに視線を画面に戻す。
視線と画面がまるで糸で繋がれているようだ。
「いたた…頭は労わってね」
「中身を?」
「いやいやなんで中身だよ、中身は痛くないよ…忙しそうだね」
会話を続けている最中も止まることのない指に視線を向けた。
残念ならが画面を覗いたところで俺にはなんのことかさっぱりわからないから無駄なのだ。
大きなモニターに映し出されている無数のページ。中には何故か海外からのメールなのか英語や他国の言語メールなども表示されていた。
(ほんっと…問屋っつのはよくわかんねぇなー…。)
いつからここに居るのか、何故ここにいるのか、普段は何をしているのか。
全てが問屋、そして蜘蛛は謎だ。
「おー、生徒会の奴等の情報を欲しがる奴が居てな。すげえ金をポンッと出すんだ」
「金持ちかー、いいなー」
「まぁ、こっちも個人情報売ってんだ、高く売らせてもらうけどな」
(ある意味犯罪ってかもろ犯罪だしなぁ…。)
その気になればどこかの会社の機密情報なんてすぐにジャックできるだろう。
それだけの器量がこの男にはあるのだ。
「うーまだ頭ぐらぐらする」
ソファに腰掛けながら時折ぐらりとする視界に頭を振る。すると椅子をくるりと回転させた蜘蛛はからかいまじりに意地の悪い笑みを浮かべた。
「家に帰ったら三山にレバー焼いてもらえ」
その言葉にふ、と自分の頭の中から哲平の存在が消えていたことに気づいた。携帯を開いて時間を確認するともう午後19時過ぎだ。
とんでもなく寝ていたとかもうそういうレベルじゃない。ここ最近のさぼり具合が半端じゃない。
「あっ哲平の事忘れてた!!やべ、早くもどんないと」
すっかり忘れていたとはいえ、哲平の事だから家に居るだろうが…不機嫌なのはたしかだ。
足に力を入れソファから立ち上がろうとした俺は一度中途半端に腰をあげた状態でとまった。そしてゆっくりと元に戻っていく。
「お、お、お、?」
「まだ帰ってもらっちゃ困るんだよ」
片方の手が伸びてきて俺の腕を掴んだと思えばそのままソファに座りなおさせられた。
「えーと…なんで?」
「いる情報だけ持っていってもらわなきゃ困るんだよ、シュレッダーにかけたいから」
「…資源の無駄遣いだよなあ」
「んな事いってっとこの仕事やってらんねぇんだよ糞猫」
「糞とは酷い!!」
ふぅ、と溜め息をついた俺は背にもたれながらプリントに目を通した。
まさか目が覚めて直ぐにこんな事をさせられる羽目になるとは…。
(助けられる相手を間違えたなー俺。)
書類の中にはいくつかの写真。
その写真の中でも目立つのはやはり副会長、水城吟だった。
美しい黒髪が幼いながらも艶のある少年として際立っている。着物を着た水城吟は無表情にたたずんでいる。
「…はー眩しいね、顔綺麗だわー名前も声も綺麗だけど」
「問屋とどっちが綺麗」
「そりゃ、ね。問屋に勝つのはいないんじゃね?」
苦笑いをするしかないだろう。
帽子の下の素顔が素晴らしすぎる、むしろ綺麗すぎて逆に怖い。
苦笑しながらプリントを一枚一枚めくっていくと最近の裏事情が明らかになっていった。
「……わぁお…」
神田秋という少年が編入してきて約一ヶ月程度だろうか。
その間の生徒会の行動は目に余るものだった。仮にも生徒のトップがする行動とは思えないことばかりが記載されている。
(ほぁ~…またこんな短期間で…よくもまあここまで…。)
風紀の心労が伺える。
「志摩えらいめにあってんな~」
「愚かとしか言いようがねぇ」
神田は生徒会という後ろ盾がある、だから神田は危ない目にあっても助けてもらえていたが、志摩はどうだろう。
助けを呼んでも誰も助けてはくれないのだ。
(と…思ってたけど…。)
実際志摩は志摩でD組という強い後ろ盾があるようだ。
だがそれでもやはりファンクラグや生徒会役員という実質的な力を持つ者達に目の敵されると辛いだろう。
微妙なパワーバランスの上に成り立っている今、まさに三角錐の上に置かれた崩れかけの世界のようなものだ。
「神田の為にそこまでする必要あんのかねぇ」
ソファにもたれながら小豆は理解できない、というようにぼやいた。
カタカタと打ち込んでいた手が止まる。
「光だよ、暗闇でパソコンをしてるとパソコンの光が強く感じてデスク周りなんて何も見えない…そういう状態なんだろうよ」
暗闇の中で一度光を見れば一瞬にして周囲が見えなくなる。光を見た後の眼はより一層暗闇を濃くする。
(…そんな視力と引き換えの光なんかおっそろしくて無理無理無理。)
プリントをめくる度に嫌な文字が入ってくる。暴行、強制退学、停学…実質的にはファンクラブへの仄めかした表現で強姦やいじめなどは多々あっただろう。
「生徒会の奴らは馬鹿だよなー」
自分の力でもない親の力を過信して、全員がその力に戦くと思っている。本当に恐ろしいのが誰か、わかっていない。
――失うものがない奴隷こそが皇帝を殺せるのだ。
「風紀委員って活動してるわけ?」
必要な資料とそうでないものを分けながらふと浮き出た疑問を口に出してみる。
「ああ、あいつは何せ自分至上主義だからな、志願者はいるけど中々審査を通さないから慢性的に欠員だ」
なるほど。
そらそうだ、今まで風紀の腕章をつけているやつなんて見たことがない。
だが活動しているということは居るのだろうが…表立って活動する生徒会役員とはまた違う、影で活動しているようなイメージだがあながち間違いではないらしい。
「風紀委員長も生徒会みてぇなやつなわけ?」
「そうでもねぇな…一人で膨大な資料片付けたり、頑張ってる」
「へぇ、、意外ー」
(見えない努力ってやつか…。)
「風紀も歯痒いだろうよ、同等の力持ってても所詮生徒会中心なんだからな」
「ふーん…」
頭に王様ポーズを地でやっていた桐島の姿が浮かんだ。
「生徒会って実際偉いの?」
「…お前がんな事聞くなんて珍しいな」
「いやぁ、まあ散々人の大事なもんぶち壊してきた奴等が偉いのかと思って」
笑顔でいってのけた小豆に蜘蛛は苦い顔をした。
「…お前にしちゃ、青臭い持論だな」
「そりゃまあ俺だってぴちぴち17歳ですもん!…ま、その高い鼻っ柱をへし折る誰かが現れたっておかしくない頃でしょうな」
折るだけで許してもらえるだなんてそんな甘い考えは口先だけでいい。
「ま、哲平に被害がいかないかぎりそんな物騒な事しないけどっ」
へら、と笑った顔は過去最高の胡散臭ささだった。