蒔かれた種
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「はぁっはぁっ、ふっ、くぅっ」
――なんで……なんでだよっ!!!
少年は走った。長い廊下を何度も躓きながらそれでもむちゃくちゃに走った。
自分を優しく受け入れてくれる場所へ、走った。
手触りのいい頬には幾筋もの涙が伝っては落ちて、伝っては落ちてを繰り返している。
「ひっ、く、うっ」
せめて声だけは出すまい、ときつく結んだ唇から零れる嗚咽。
少年はいつもは大輪の花をさかせる笑顔をくしゃり、と歪ませては我武者羅に走った。
(なんでっ、なんでだよぉっ!!!)
神田はわけがわからなかった。ただわかるのは拒絶されたという事だけだ。
猫田小豆という少年からまざまざと発せられる冷たい空気。
『俺…お前だいっ嫌い』
(なんでっ俺はただネコタと仲良くしたいだけなのにっなんであんなにっ!)
神田には何故小豆が怒りを露にしたのか理解できていなかった。
自分は本当の事を言っただけだ、実際哲平は目立つ友人もいないしいつも一人で居る。それは寂しい事だ。
ただそれを言っただけ。
小豆の態度がそっけないから、つい興奮してしまってああいった物言いになってしまったけれどそれでも酷い。
神田の中ではただそれだけだった。
渦巻く悲しいという気持ちが膨れて膨れてもうどうにもならない。
幸助がいない、あの久木って奴に連れていかれてから俺は幸助に会わせてもらえない。
寂しかったんだ、幸助がいないのが。
だから、だから俺は幸助と仲のいいネコタと仲良くなりたかった。
自分の周りにはいい人ばかりだ、という思いを抱いて勿論それに小豆も応えてくれると思っていた。
生徒会室、と書かれた部屋の扉を力一杯開ける。
バンッ、と開かれた扉になんだ、なんだ、と視線が集まった。
「「秋君っ!?」」
「梅……桜…ひっく…」
双子は神田の大きな瞳からはらはらと零れる涙を見てぎょっ、とした。
慌てて神田に近づいていく。
他の委員達も神田の悲痛に歪められた顔を見て慌てた。
いつも笑顔で元気な神田の泣く姿など滅多にないから。
「秋、誰がテメェを泣かした」
「っ、、うっ、うぇっ、」
今までに見た事の無いほど怒気を露にする敷島に、神田は首を振る。
「秋ちんっ、言って?ねぇ秋ちんっ、君を泣かせるような奴、僕がやっつけてきてあげるから!!」
歪な光を瞳に宿した妹尾が神田の頬を優しくなで上げた。
神田はそれにも首を振る。
双子も、妹尾も、敷島も、人見も、神田の涙の理由をしる事は出来なかった。
それでも只一人、
「秋、おいで」
「ぎ、んっ吟!!」
優しく手を広げる水城吟に、神田は飛び込んだ。
優しくて、頭もよくて、むやみに周りを傷つけたりなんてしない水城吟に神田は一番信頼していた。
(吟なら…吟なら話してもいいかもしれない…吟ならっ。)
なんとかしてくれるかもしれない…。
「よしよし、辛かったね…もう大丈夫だよ」
「っひ、うっ、うわあああああぁあぁ」
堰を切ったように流れ出した涙を何度も優しく拭う。
水城は悔しそうな顔をしている五人を鋭い目で見つめた。
「誰だ、なにかをしてやる、…その前にこうやって秋の話を聞く事が先決じゃないんですか」
「…チッ」
敷島は一度扉を蹴り上げて、不機嫌を主張したまま出て行った。
他の役員も、えぐえぐと泣く神田を未練がましく見つめながら、部屋を後にした。
神田の髪を優しく撫でながら、水城は透きとおるような声色で聞いた。
「お、れっ、ほ、保健室に行って、た、ひっく…んだっ。そ、したらネコタが居てっ、俺はほ、んとうの事言ってやった、ふぅ、だけ、、なのに!!」
(…猫田……あの生徒か…。)
つい先日のあの眼を思い出し水城の顔が歪む。
「お、れ、友達になろっ、とし、たらっい、いらないってっ!!ひっく、ぐすっ手っつ、かん、だらっ、黙、れって、っなぐ、っられ、そなって…!お、れっ友達にっひっく、なりた、かった、だけっなのにだいっ嫌いだってぇ、えっ」
大切で大事な神田の唇から紡がれる言葉は水城の神経を逆撫でるものばかりだった。
ギリッ、と噛み締めた奥歯。
「…そうか、可哀想に…大丈夫、大丈夫だよ、秋が心配することなんて何もない」
そして、泣くこともない。
今後一切、君は猫田小豆という生徒に関わる事がなくなるのだから。
あやす様に神田の背中をトントンと優しく叩く手は恐ろしく冷たかった。