八十六話 根之堅州國迷宮二
根之堅州國。
重い足取りで弟は歩く。これからスサノオ様に拝謁しカグツチ様の解放を願い出るのだが、話し合いで済むとは思えない。
スサノオ様の前に立つ弟に対する言葉も予想が付く。
「俺に勝てたならば解放してやろう、とか言うんだよ、きっと」
『俺に勝てたならば解放してやろう!』
「ほらね」
拝謁はあっさり叶った。ラスボス城のような禍々しいオーラを放つ日本式の城に入り、叔父というコネを使いまくって天守閣へと登った。
そこではすでに抜刀しているスサノオ様が待ち構えていた。
『全て解っておるぞ、叔父よ。ここが晴れたのも、叔父の身体に居るモノの心を晴らしたのも叔父が原因。そうだな?』
「はぁ、おじおじ言うなよ」
『しかし簡単にソレを連れて行かれては困るな。何しろ、俺の母上を殺したヤツだからなっ!』
「あーしまった。マザコンのマザー殺した相手を赦すわけないかぁ」
スサノオ様が神速で迫る。すでに刀を振り下ろす構えを見せている。業などない。力任せの振り降ろしだ。
キンッ!
月夜見・偽半月で弾き返すと、ほう? と嬉しそうにスサノオ様が嗤う。
さらに続けて振り下ろしてくる。それを何度も弾き返す弟。
スサノオ様の嗤いが消えていく。ここまで弾かれたことはかつて無かった。ほぼ一撃で倒してきたのだ。分が悪いと一歩引いて弟を睨み付ける。
一方、弟は内心冷や汗で一杯だ。本来の半月であれば動かずとも全方位の攻撃を弾くことができるが、偽半月は何しろTバックパンツほどの防御範囲しかない。振り下ろしに合わせ、誤魔化すように身体の向きをちょこちょこと変え何とか対応していた。
『月読の業を使うか。くくく、ははは! 待っていた、待っていたぞ。クソ兄貴の業を破る瞬間を! この俺に黄泉より出し混沌を喰らう右腕を使わせてくれる、とはな』
「あれ? 前も姉ちゃんに使ったよね?」
『ならば仕様が無い。ああ、仕様が無い』
「そのセリフ好きなの? 前も言ったよね?」
『……俺の右腕に宿りしモノよ、俺の魂を糧にその姿を現せ! 天叢雲剣!』
「話し聞かない神様多すぎー! と言うかその神剣ってアマテラス様に取り上げられたんじゃかったの?」
『……これは影打ち』
「ま、しょうがないよね。騙してたんだし。でも影打ちでも渡してくれて優しいんじゃね?」
『……盗ってきた』
「アマテラスさまー! ここに犯人がいますよーっ!」
『だ、黙れ! お前を殺して完全犯罪にしてやる!』
「自分で犯罪とか言ってるし。それ出した時点でアマテラス様に知られたと思うけど」
『ならばせめてお前だけでも斬ってやる!』
開き直ったスサノオ様が再度迫る。Tバック半月で弾き続けるが、防御一辺では負けることはなくとも勝つことはできない。スサノオ様が言われた条件は“勝てたら解放してやる”だ。
“ほう? お前様よ。スサノオの撃をこうも防ぐとはな。うむ、たいした伴侶である”
「感心してねぇで、何かねぇのか、よ!」
弟は弾き返すので精一杯でそこから攻撃を繰り出すなどとても無理そうだ。
“我が初恋に浸っておると言うのに、無粋な事を言う。うむ、女心をわかっておらん”
「それ、よく言われるからやめて」
“クックックッ。ほんに我に相応しい旦那様だ。左手を出せいっ!”
カグツチ様の言う通りに両手持ちしていた太刀から左手を離す。するとそこに一振りの太刀が収まった。それは炎で象られた太刀。
一切の物を斬り、その炎は神でさえ燃やし尽くす。
生まれたばかりの炎は母を燃やし、その後、己の心をも燃やし尽くした。
残った灰に誰も見向きをしなかったが、ただの人間が目に留めた。
その人間が再び心に火を付けた。今その炎は歓喜と初恋に燃える乙女心。純粋な燃料はより熱く燃える。もうこの火が消える事はない。消させる事はしない。
“ほれ、お前様よ。行けぃっ”
「なんかむずがゆいー!」
『む!? アレの剣か! 俺を倒してイザナギにも挑むというのだな! その意気やよし!』
「え? なんでそうなるの?」
『娘さんを下さい、的な』
「あー!? あれ? そうなるのか!? やべっ」
“クックックッ、お前様。ほれ専心せい。斬られるぞ。うむ、斬られたな困るな、未亡人か”
「くっそー! こうなったら誰が来ようとやってやるよっ! 行っけぇー! カグツチィッ!」
左手に持った炎の剣を薙ぐ。スサノオ様は後ろへ下がりその剣先から逃れようとするが、剣先から炎が噴き出し、さらに伸びる。
そしてスサノオ様の腹部に届く。
『ぐっ。な、なんだこれは。治そうにも治らん!』
神の御業を持ってしても治らない傷。それがカグツチ様の炎の剣。
さらに追撃をする弟。立場が逆転し防戦一方になるスサノオ様。その剣は天叢雲剣さえも欠けさせた。
『お、おまえーっ! アマテラスに怒られるだろっ! くっそ、今度は反省文じゃ済まねぇぞ!』
前回は反省文で赦されたようだ。
「スサノオ様が! 悪い! んだろ!」
それでも追撃を止めず攻め続ける。右手太刀でTバック半月を、左手炎の剣で追撃をし攻防隙の無い型である。
……いや防は隙だらけだ。
そして……パキンッ! と、音と共に天叢雲剣が折られた。
『あ、あああ! まずい! これはまずい! どうしようどうしよう』
折れた剣をくっ付けようと慌てて合わせるスサノオ様だが、付く訳がない。
そこに悪い笑みを見せながら弟が話しかける。
「スサノオ様? 俺の知り合いに神剣を打てる鍛冶師がいるんだけど?」
『なっ。く、くそっ! 仕方が無い。お前に、託す』
スサノオ様がそう言われて剣を渡そうとするが、弟には受け取る様子がない。
「はぁ? なーにぃ? 神様は頼まれるばかりで頼み事の仕方を知らないのかなぁ?」
弟の笑みが益々悪人顔になっていく。
“クックックッ。ほんに頼もしいな。うむ、あのスサノオに頭を下げさせようとは、な”
『お、お前が折ったんだろう! そうだ、お前が悪い! だからその鍛冶師にお前が頼め!』
「お願いします、だろ?」
『こ、こいつ……オネガイシマス』
「お願いします。カグツチは解放します」
『オ、オネガイシマス。ソレは解放スル』
「よっしゃー! 勝ったぁ!」
“オオオーッ! 鎖が解かれていくようだ。これで本当に解放されたのか。うむ、流石だぞ、お前様”
ガッツポーズをする弟とがっくりとうなだれるスサノオ様。結局、弟の才とやらは見ること叶わずであったが、誰かの心を動かすというのも才のひとつであろう。
実は神に願われた弟は人としての格が少し上がったが、それはSDカードを取得してどこぞの飲食店で数パーセント割引がある程度の上がりようなので、あまり変わってはいない。
でも少しお得。
そして天叢雲剣を持ち、スサノオ様に快く夜の食国まで送ってもらった弟の前に、ツクヨミ様とピエールが微笑みながら立っている。
イイ笑顔だ。
「ツクヨミ様。ありがと、俺自身の鍛錬になったかどうかはわかんねぇけど、強いやつが味方になってくれたよ」
『はい。よくぞ姉を救い上げてくれました。それも才でしょうね。感謝しますよ』
「あれ? もしかしてあそこにカグツチが居る事わかってて?」
『ええ、月光の君ならばもしかしてと思い送りました』
「そっかぁ。うん。よかったよ、俺にも救える人? 神か、神がいて。それじゃ、ありがとうございました。じゃ、また!」
『おや。月光の君は約束を守らずに戻ろうとしていますね、ピエール』
「はい、ツクヨミ様。確か……“何でもする”とおっしゃいましたが」
『何でも、ねぇ。怖いですねぇ言葉というのは。しかし私達も聖典も言葉で成り立っています。言葉がなくてはあの感動は生まれませんでした』
「はい。ツクヨミ様」
「わかってる! もう、いいよ! 覚悟はできてるよ! 何でもするよ!」
ヤケ気味に叫ぶように言う弟に、ツクヨミ様とピエールが、微笑みながら迫る。その微笑みが怖い。
そして弟に一冊の本を渡すピエール。
「これ読めって? え、ナニコレ台本?」
弟に渡されたのは薔薇は美しく散る台本。ツクヨミ様と弟が演じてピエールが撮る。その他のキャスティングは夜の食国の住人達だ。
弟が根之堅州國に行っている間に準備を整えていたようで煌びやかな舞台と、その前にはフルオーケストラが控えていた。
『本当に日の本は素晴らしい文化を生み出した物です。日本人の飽くなき向上心に感心しますね。さぁ練習に入りますよ。そして成功させましょう、この月光塚を!』
そして弟は十の仮面を持つ舞台役者となった。
一方、その頃の姉とイサナは国営迷宮百三十一階層の経産省研究施設内にいた。
施設横で自衛隊は臨時拠点を作る。この臨時拠点設営も本番に向けての訓練の一環だ。
十階層毎に拠点を設営する計画であるが、必ずしもそれが出来るとは限らない。中では何が起こるか解らないために臨機応変に対応する必要がある。
そこで浅見隊長は敢えて隊員達にはここまで知らせずに、計画していた階層の拠点を何カ所か設営せずに、急遽ここに臨時拠点設営の命令を下したのであった。
「博士。お久しぶりです。こちらは娘のイサナです」
「やぁ、本当に久しぶりだね。娘がいたのかね? 可愛らしい娘さんだ。よろしくね」
『うん! イサナはイサナ、よろしく博士!』
「ははは、元気だねぇ。ここまで来られるという事は相当強いのかな。ところで弟くんはどうしたね?」
「はい。別行動で鍛錬中、だと思います」
「そうか、それは頼もしいね。自衛隊と合同訓練と聞いているけれど、彼らはどうかね。着いて来られそうかね?」
「はい。皆さんA級は超えていると思います。脱落者無く来ています」
『自衛隊カッコイイよ!』
「ははは、たまにここに来るけれどね。仮拠点作るときなどは次の動きがわかっているかのようになめらかだね。あれは一種のダンスだねぇ」
『確かに!』
「しかし……もうすぐ、だね。こちらの準備はできているよ。明日にでも下に降りるつもりだ」
「はい。行って、来ます」
「うん。君達若い者に頼むしかない老人達を許してくれ。しかし君達若い世代が切り開くべき道でもあるんだよ」
「はい」
「あまりプレッシャーに思わないでくれるといいが、頑張りたまえ。そして生きて帰ってきてくれたまえ」
「はい」
『大丈夫! イサナに任せて!』
「ははは、そうか。それじゃイサナちゃんにお任せしよう。お母さんとお兄ちゃんを頼むよ」
『お兄ちゃんじゃなくて叔父ちゃんだよ!』
「はははは!」
その時、研究員の一人が応接室へ飛び込んでくる。
「牧田教授! 外に! 外に魔物が押し寄せています!」
「ここは魔物が寄りつかないようしているのだけれどね、何かあったかな」
その言葉に姉が立ち上がる。イサナも続いて立ち上がり双剣を抜いた。
外へ出るとそこは魔物の群れ、群れ、群れ。
研究施設を取り囲むように隙間がないほど大量の魔物で埋め尽くされていた。
施設から出て来た姉に浅見隊長が駆け寄る。
「施設内で待機願います。これは訓練です。私が魔物を呼び寄せました」
そう言いつつ黒証を見せる。黒い探索者証には通常の探索者証とは違い、三つの大きな違いがある。
階層転送機能、魔物避け機能、そして魔物を寄せる機能、だ。
浅見隊長はそれを使い隊員の対応訓練を無告知で行ったのだった。
姉弟と浅見隊長不在を想定した緊急時対応訓練。これをやっておかねば日本迷宮で拠点防衛はできない。負傷者が出る覚悟の上での訓練だ。
浅見隊長の姿が見つからない事に副長が指示を出し始める。
各班とも隊長がいる時とそう変わらない動きだ。こうでなくてはならない。迷宮内では、誰が、いつ、いなくなるか予想がつかないからである。
研究施設内モニター室で外の様子を見る浅見隊長が、ヨシと呟く。満足できる動きのようだ。
『すごいね、母様』
「はい。頼もしい、です」
魔物殲滅を終えた隊員達はそれが当然のように臨時拠点設営を再開する。施設から出てあらためて指示を出す浅見隊長の姿が見られた。
『イサナも自衛隊入るっ!』
「イサナには無理、です」
『えーっ!? どうしてー? 神だから?』
「いいえ、自衛隊は専守防衛、ですから」
『専守防衛とは、相手から武力攻撃を受けたときにはじめて防衛力を行使し、その態様も自衛のための必要最小限にとどめ、また、保持する防衛力も自衛のための必要最小限のものに限るなど、憲法の精神に則った受動的な防衛戦略の姿勢をいう』
――防衛省、防衛白書より抜粋
『つまり、やられたらやり返していいって事だよね!』