六十九話 伊崎魔王と迷宮二
『では、妾らは島へ行くぞ。タカミムスビ、カミムスヒご苦労じゃった』
天之神がタカミムスビ様とカミムスヒ様に声をかけ、二柱がいってらっしゃいませと応えると、次の瞬間には島の外周迷宮にある姉弟の元自宅前にその姿があった。
「おおー、すげー。瞬間移動! アメ婆ちゃん便利だな」
『イサナも出来るよ!』
「お、そっかー。じゃー焼きそばパン買って来てくんねぇ?」
『阿呆! 神を小間使い扱いするでないわ。それより娘を寝所へ連れて行け』
「あいよー。っと、アメ婆ちゃん」
『なんじゃ?』
「ありがとうございました!」
弟が姉を背負ったままだが、腰を深く折り頭を下げながらお礼を言う。姉の全力を受けてとめてくれた事、そしてこの程度に抑えてくれた事、島まで連れて来てくれた事、いろいろな事にあらためて感謝を告げたのであった。
神様は人間の前に降臨することは滅多にない。人間が祈り、願いを唱え、時には感謝を告げられるのを高天原から見ているだけだ。それはある意味、第三者的視点である為にいくら感謝されても冷静に捉えている。つまり直接面と向かって礼を言われる事などほぼ無いに等しい。
さらに弟が天之神に心からの感謝をきちんと口に出して言うのは初めての事。これまで心の中では敬い感謝されているのはわかっていた。しかし態度に表して言葉にされると、何とも言えない照れくささを天之神は感じていた。
『な、な、はぁ? 何を言うておる。か、神として当然じゃ。は、はよう寝所へ連れて行くがよい』
「はーい、よっと」
弟が家に入っていく。残った天之神は俯いて顔を伏せており、表情は確認出来ない。しかしその頬が真っ赤に染まっているのは確認できた。
可愛い。
そのやりとりをそっと覗いている影がひとつ……。
『ハァハァ……。やんちゃ坊主からの一転、素直な月光の君……なんて愛おしい』
何か聞こえるが今は聞き流しておこう……。その方がいい。
姉をベッドに寝かせ毛布を掛ける。目はうつろに開いたまま何処に焦点を合わせているのかわからない。ピクリとも動かない体、心臓さえ動いているかどうかわからない。
天之神の言う通り島へ戻りはしたが、何とかなるのか?
いつこちらへ戻ってくるのか、一生このままなのか?
弟は思いを巡らせる。
『お戻りになりましたか』
『おかえりー!』
『小僧、まずは僕の靴を舐めて綺麗にせよ!』
姉の手を握り祈りを込めていると、弟の背後に島の魔物「大天狗」「玉藻前」「大嶽丸」が現れる。
振り返った弟の瞳には涙が溢れていた。
『ど、どうされました!』
『泣いてるー?』
『さ、さっきのは冗談だよ! 僕が小僧の靴を舐めるから!』
「泣いてねーし。それより、ただいま」
『いや確かに今、泣い』
『しー!』
『空気読めよ! 馬鹿天狗。それより、姉様はどうした』
「アメ婆ちゃんと全力で戦って……こんな状態になって、よくわかんねぇ」
『む? 足が……なんでしょう、何かおかしい』
『へこんでるねー』
『めくっちゃえ!』
片足分しか盛り上がっていない毛布を大嶽丸が捲る。
そこにあるはずの右足と左手がない身体。それを見て三体は固まる。
『これは……』
『ちょっと! どういう事!』
『小僧! 説明せよ、詳細に話せ!』
「さっき言った通りだよ! ああ、もう! ちょっとメールチェックしてくる」
話せ話せと迫る三体が今は煩わしい。少し整理するためにも家から出て港へ向かう。
スマホを取り出し電源を入れると、何十件もの不在着信とスパムかと思うほどの大量のメールが一気に流れ込んできた。
「うわ、何だコレこえー。社長とエレーナ母ちゃんには知らせとかないとまずいよな。メールでいいか。あれ? 伊崎兄からも? 何だろ。一応総理大臣だからなぁ、直接話さないとまずいか」
失礼な事を呟きつつ、伊崎総理に電話をする。
「伊崎兄? なんか用?」
≪お、お、おまえぇーっ! 何か用じゃねぇ! どれだけ探したと! 今まで何処に居た! いや二人とも無事なのか!?≫
いきなり大音量の叫び声に耳から少し離して、そんなに怒らなくてもいいのにと思いながら事情を説明する。
『弟殿。天之御中主様がお呼びです』
『はやく来いってー』
『まだ詳しく聞いてないからな! 後で事情聴取だ!』
「いやこの島じゃねぇとダメみたい。だからもうちょっと待ってよ。あ、なんか呼んでるからまた!」
伊崎総理との電話を切り、小走りで自宅へ向かう。
途中、三体の魔物からあのイサナと言う子供は何だ! と今度はその事で迫られうんざりする弟だった。
ベッド横には姉をじっと見ている天之神がいる。
何を思いながら見ているのか、何を姉に求めているのか、何かを姉に見いだしたのか。
天之神の顔からその事を読み取ることは出来ないが、弟が部屋に入ってきたときに、うむと力強く頷いた。
「呼んだ?」
『聖域に連れて行く。お前はここで待つがよい』
「……うん。わかった。何とかなる?」
『おそらくな』
「任せるよ。姉ちゃんを頼みます」
『あい、わかった。任せよ』
『では行きましょうか』
『ピクニックー』
『小僧、ちゃんと留守番しとけよ!』
『お主らも留守番じゃ、馬鹿者。ここで待っておれ』
『イサナも?』
『なんと……畏まりました』
『はー? なんで命令するわけ?』
『たかが神のくせに僕らに命令するな!』
『イサナもじゃ。いいからここは妾に任せよ』
『お任せ致します』
『大丈夫なんでしょうねー?』
『失敗したら裸踊りだ!』
天之神は三体を治め、姉に手を添えて島の中央部分にある聖域迷宮へと移動した。
残った三体と弟、イサナ。弟は三体の天之神に対する言葉に驚いていた。
「お前ら何なの? 今更だけど何なの? アメ婆ちゃんをたかが神って言ったよな?」
『極秘事項です』
『禁則事項です』
『金的無効です』
「話す気は無いって事かよ。おわっ!? なんだ!? 地震!」
地響きがする。地震とは違い、空気も震えているように感じる。外周迷宮のマナが何処かへ流れていく。
地も空も、山や海、木々や家々、全てが激しく震え同じ方向へ何かに引き寄せられる力を感じる。
人も動物も虫も花も、少しずつマナを吸い取られ、そして別の物を与えられていく。
『母様……』
聖域迷宮、神社境内。
境内中央に天之神が姉を寝かせる。
『身体はマナと聖域の魔物で構成されておるからのう。ここの魔物達で補わせれば万事解決じゃ』
天之神が何かのフラグを立てながら独り言をこぼす。
姉の頭をひとなでした後、聖域迷宮の魔物に声を掛ける。
『魔物達よ。お前達の同志であり母であるこの人型迷宮を補填せよ。人間として生きたいこの者の思いに応えてやるのじゃ』
そして一体、また一体と、帰って来た姉に喜びを表しながら魔物達が現れてくる。
次々と集まってくる魔物達は姉の周りを取り囲み、姉の姿が確認出来なくなる。
その時、地響きが起きた。空気が震え、一方向に向かってマナが流れていく。風が起こりその激しい強風に魔物達の身体が傾く。
『な、なんじゃ!?』
魔物達の表情が変わっていく。喜びの表情から憎悪の顔へ。そしてそれらは姉の身体に入っていくことはなく、その姿を消していった。
『何が起きたのじゃ! 妾にも把握出来ん事となると……』
『御祖様』
『む、シナツヒコか。どうした』
天之神の前に志那都比古神が現れる。弟がスペルを詠み風の力をお貸し下さる風神だ。
『この現象は高天原にまで届き、原因究明をと風を追って確認しました』
『うむ』
『魔王が生まれました』
『魔王? あの魔王か!? 人間達が想像で描くあの魔王か!?』
『はい。迷宮とマナがそれを呼び起こしたようです』
『異世界神とやらは、ほんにやっかいな物を与えたものじゃのう』
『その魔王の力により、全ての迷宮と魔物は魔王の元に従属するようです』
『むう……すると娘はこのままか』
シナツヒコ様の言葉に肩を落とす天之神。
今では唯一の巫であり、自らが斬り飛ばした手足を何とかしてやりたい思いは強かったが、その身体は力の及ばぬ異世界の物で構成されている為にどうする事も出来なかった。
イギリス、バッキンガム宮殿内。
中国を国連脱退へと導き、さらにロシア報復攻撃の準備を終えたバロウズが紅茶を手にくつろいでいる。今後の展開をその頭に描きながら。
そこへEU工作を完了したナアマが入室してきた。
「バロウズ様、ただいま戻りました」
「お帰りナアマ。首尾は聞かないよ。君は上手くやるはず、そうだろう?」
「はい。ありがとうございます」
「さて、早速だが日本へ飛んでくれたまえ。私にとってよくない事が起きているようだ」
「はっ。調査対象は何でしょうか」
「わからないのだよ。忌々しい! こと日本に関して私が把握出来ない事が多すぎる! 面倒な事を!」
「またあの娘、でしょうか」
「それを含めて調べてきてくれたまえ。日本に入ると連絡が途絶えてしまうから使いを何匹か持って行きなさい……いや、すでに日本にいるあのモノを使うといい」
「畏まりました。すぐに出立します」
ナアマがその姿を消した後、バロウズは一人呟く。
「事と次第によっては人間のルールによるゲームは終わりだ。私のルールに従って貰おう」
日本、総理官邸跡。
伊崎が魔王と化し、日本中の迷宮と魔物からマナを吸い上げた。
その反動により地が震え、空気を裂き、川や海が立ち昇った。
衝撃に耐えきれなかった官邸は崩れ落ち、瓦礫など残すことなくただ広い地だけが残されていた。
そこに一人佇む伊崎……魔王。
姿は伊崎そのままであるが、纏う空気が違う。
眼はギョロりギョロりと何かを探し、口元からは濃いマナがしたたり落ちるのが人の目でも見える。
「ふうぅうウウウウウウ」
深い深い息吹からは黒いマナが吐き出される。そしてゆっくり大きく息を吸うと身体が一回り大きくなったように感じられた。
そこへ官邸崩壊の難を免れたSPと秘書官が駆け足で近づいてきた。
「そ、総理! ご無事でよかった! お怪我などありませんでしょうか?」
話しかけて来た秘書官をギョロりと睨むと、その威圧に怯む。
「臨時会(臨時国会)召集だ。両院共集めろ。即時開催、今日これからだ。今から二時間以内に集まれと言え。応じない者は議員除名する」
「そ、それは無茶です! 二時間でなどとても! 連絡だけでそれくらいの時間が……。それに除名権限は総理にはありません!」
「いいから伝えろ! 走れ!」
「は、はいぃっ!」
普段から多少強引な所のあった伊崎総理だが、今日は滅茶苦茶だ! と感じつつ秘書官は走る。
その後、警察と消防が来て現場検証が始まる。警察はテロの可能性もあるとしてテロ関連部署が検証を行っていた。
二時間後、衆議院議場に召集された議員が集まっている。所属政党(与党)はほぼ全員出席、野党では連絡の取れなかった議員、地元で公演中の議員などが多数いた。
伊崎派閥は全員出席していた。普段より伊崎総理から緊急の呼び出しが多く、いつでも連絡がつくようにしていた。それは決して怖れではなく厚い信頼の元からであり、逆に用もないのに伊崎を訪ねる派閥員ばかりであった。
今日のお昼ご飯ですと写真付きメッセージを流してくる派閥員達に少しだけうんざりしていたが、これも派閥結束の為とこまめに返信する伊崎であった。
メッセージをちょっと見たい。
「臨時会を開催する。まず、出席していない議員は除名とする」
普段は議長からの開会の言葉があるが、それを遮り伊崎が告げる。
除名の言葉に野次が飛ぶ。当然だ。除名するには議会決議が必要となるからだ。
伊崎は野次を無視して言葉を続ける。
「今、日本は転換を迫られている! 世界中からの圧力、要望……数え上げれば切りが無い! 世界は日本から全てをむしり取ろうとしている! 日本は世界の奴隷か? ただ搾取するだけで礼のひとつも言わん!」
伊崎の激昂した言葉に野次が少しずつ小さくなっていく。
「あなた方議員は何の為に働いている! 奴隷となって貢ぐ為か? 根本を今一度思い返して欲しい。日本の為? いやもっと根本だ。地元の為、いやそうではない。家族と自分の為だ! あなた方は議員である前にひとつの家庭を持った日本国民だ!」
「国会議員は公人だ!」
伊崎の演説で静まった議場内にひとつの野次が飛ぶ。これは仕込み、伊崎の演出だ。通常国会ではそんな事はしないが、反対意見や野次に対して答える、それを論破する事によって伊崎の言っている事が至極真っ当なことであると錯覚させるのである。
「公人である! その日本の公人が奴隷化していっている国に対して何をしているのか! あなた方は何処の国の公人だ! 国を守り国民を守り、家族を守らねばならない。家族を守れぬ公人は国を守る事などできん!」
「奴隷ではない、世界に貢献している!」
「極論を言おう。今、世界に貢献して何になる? 貢献と言うが、結局昔ながらの連綿と教育され続けて来た事によって、世界から孤立するな、日本だけではやっていけない、大国に寄り添え、と見えない縛りを怖れているに過ぎん!」
派閥と所属政党はもちろんの事、野党議員も確かに、なるほどと頷き始める。
「迷宮が出来てもうすぐ五十年になる。国民の半数は迷宮世代であり、それ以前の日本を知らん。迷宮を盲信してはいかんが、もはや日本は世界を頼らずともやっていけるのだ。それなのに迷宮世代にも同じ石器時代の教育をやっている。おかしいとは思わんか? そして研究開発により、全ての物資の自給自足が可能となった。現在、ご機嫌取りに行われている輸入品は輸入したそばから廃棄している状態だ。すでに日本は世界を必要としていない」
「総理は何が言いたい!」
「日本は世界から真の独立をし、全ての国との国交を断絶。完全なる鎖国を行う!」