五十二話 宗谷岬迷宮
姉はスーツを着ている男性の正面に立ち、喉元に刀を押し当てている。
一筋の血が流れている様子が窺え、あとほんの一押しでその命を散らすことが出来る状況だ。
一方、弟は男性の後ろから羽交い締めで動きを押さえながら、闇御津羽神の加護により男性の止血をしている。姉が右腕を肘の部分から斬り捨てたので、血が溢れ出ようとしているのを止めているのだ。
「武器を捨て投降しなさい! 人質を解放し迷宮から出なさい!」
先程から北海道警察と書かれた拡声器で叫ぶ警察官の声が響いている。ライオットシールドを構えた機動隊の姿も確認出来る。
「姫様! お願いです! 私達を御傍に!」
「姫! 革命ですか!? やりましょう! 世界征服しましょう!」
姉弟の所轄警察署の方々も来ており、涙を見せながら二人に懇願と忠誠を表している。今にも機動隊と一戦交えんと睨み合っていた。
七十二時間前。
「オーストラリアですか?」
「はい。世界中からあなた方を一目見ようと大騒ぎになっている状況は一向に収まる気配がありません。ここは一度、国外へ行き沈静化を待ちましょう」
「ここでいいじゃん。ダメなの?」
「この山荘はいずれ嗅ぎつけられます。一部の報道陣はすでに情報を掴んでいるようです」
「もう一度、島へ……」
「国外に出たという情報が大事なのです。島へ戻られても結局は同じ事の繰り返しになります。偽情報を流してもどこからか漏れますし」
「うーん」
「……」
ここは会社所有の山荘迷宮。
姉弟が島から戻って三ヶ月が過ぎたが聖地巡礼は勢いを増すばかりだ。
商店街と姉弟の希望もあり自宅周辺の景観はそのままだが、さらにその周りでは交通網の整備や宿泊施設、娯楽施設の建設ラッシュ姉弟バブルでウハウハ状態である。
人が集まればトラブルも集まり、以前と比べ治安は悪くなってきて、所轄警察署と政府はその対応に苦慮していた。
そこで外務事務次官の滝川さんが山荘へ訪ねてきて先の提案をしてきたのであった。
滝川さんの話を一緒に聞いていた社長が怪訝な顔で問う。
「オーストラリアはイギリス連邦共和国に属しているのでは? 謂わば日本を敵国と見做している国でしょう?」
「そうです。しかしイギリス本土に完全に従う姿勢ではなく、緩い属国状態ですので大丈夫かと思われます。敢えてそこにしたのは、まさかそんな所へ行かないだろうという考えを助長させたいのもあります」
「日本人が入国出来るのですか?」
「アメリカ経由となりますが、その手配は出来ます」
「うーん」
姉弟と社長の三人で考えを巡らす。
最優先事項は日本迷宮に入り両親の捜索をすることだ。借金返済は年俸から毎月の引き落としをして貰えれば良い。
ただ、捜索をするには探索者能力の底上げが必要となる。現状で入宮しても両親が潜った階層へたどり着けるかわからないし、総理から入宮許可が下りない。
能力を上げる為には迷宮へ入りもっと経験を積むか、能力上位の者に鍛錬してもらうしかない。今、外国へ行くというのは遠回りだ。日本にとって良い面があるかもしれないが、姉弟にはメリットが少ないのだ。
「お断りします」
滝川さんの目を見ながら姉が言う。弟もうんうんと頷いている。
「そう、ですか。……では、プランBです」
「お、作戦みたいだな。かっけー。プランいくつまであんの?」
「Zです」
「すげー」
「あらゆる事を想定して計画を立てています。迷宮庁ではご姉弟専門のプラン作成チームがあります」
「なんだか申し訳ないです……」
「お気になさらずに。語弊があるかもしれませんが、今、日本で総理より重要人物ですので」
「おー! いっそ姉ちゃんが総理大臣になれば?」
「そういうプランもありますが、そのプランを伊崎総理に見せた所、いつでも俺を倒しに来い、むしろ戦えと言われておりました」
「あのロボットと戦わなかった事、根に持ってんのかよ」
「ははは、笑いながらおっしゃってましたが、目は笑っていませんでした。と、申しておきます」
戦うまで言われそうだなー、と言う弟と苦笑いをする姉を余所に社長が話を続けた。
「それで、プランBというのは?」
「公営迷宮をランダムに渡り歩いて貰います」
姉の目が光る。入宮イコールドロップ品の姉にとってそれは願ってもないことだ。鍛錬になるし借金前倒し返済(大事)にもなる。もう今にも飛び出さんと腰が浮きかけている。
「国営とか市営?」
弟がまぁまぁと言いながら姉の肩を押さえ、滝川さんに聞き返した。
「はい。全国各地の公営迷宮に赴き、移動と入宮する際に敢えて姿をさらして貰います。それで巡礼者を分散させることが出来れば儲けもの……と、いう事です。地方活性化にもつながりますし」
現状、姉弟の居住地に人が集まっている一極集中型だ。それを各地に分散し地方活性化と同時にトラブルも分散させようという狙いだ。人が分散すればトラブル発生率が下がるはずであるという楽観的思考でもある。大変なのは地方の警察署であるので、あとはお任せ、と丸投げだ。経済効果上がるんだから無料でそれが手に入ると思うなよ、と言う圧力でもある。
なるほど、良い考えでは!? と喜ぶ姉弟とは別に社長が疑問を投げかけた。
「それは、報道陣もついて回ると言う事ですよね。プライベートな時間がなくなり気が休まる時間がないのでは……?」
姉弟が揃って社長を見た後、どうなんだ!? と言わんばかりに滝川さんに勢いよく顔を向ける。
「え、ええ……まぁ、迷宮内までは追いかけて来ないかと、追いかけてきてもついて行けないのではないかと」
気付かれてしまったか、とばかりに焦り始める滝川さんだが、姉は大丈夫です、と言って話し始めた。
「それは、ここにいるのがバレても同じ事だと思います。迷宮入りたいです。各地の迷宮などそう行く機会ありません。水泳特訓はもう嫌です。バタ足が出来れば充分ですよね? (もし私達が行くことでお役に立てるのならばどうぞ利用してください。伊崎総理にお世話になっていますし恩返しもしたいです)」
「姉ちゃん。本音ダダ漏れ」
「……」
「あはははは!」
弟の突っ込みに顔を赤くして俯く姉と、大声で笑う滝川さん、そして優しく見守る社長の姿があった。
そして二日後。ここは宗谷岬迷宮。
宗谷岬公園の一角に迷宮入り口がある。岬全体を迷宮化してしまうと、一般観光客が訪れられなくなる為に入り口だけが受付と共に存在している。
最初に訪れる迷宮の希望を姉弟に聞いた滝川さんが、移動手段と宿泊施設などを手配してくれた。今後はエレーナが滝川さんと連絡を取り合い、マネージメントして行くことになる。
プランを聞いたエレーナは日本各地を観光出来るとあって大喜びだ。カーチャも同行しているが迷宮には入れない為、二人で観光に出掛けている。社長は残って仕事である。旅先でのロマンスは期待出来そうにない。ロンリーロマンサーだ。
周りには滝川さんがリークしておいた情報を元に、集まった報道陣と巡礼者達で溢れている。北海道警察がその整理と防犯に駆けずり回っていた。大変忙しそうである。
クレームは滝川さんまで。
「日本最北端迷宮……普通……」
「だな!」
最北端であるという特色はどう打ち出せば良いのだろうか。おそらくどの地へ行っても迷宮は迷宮だ。
ただ、ここの迷宮は有料でナビゲーターを依頼する事ができる。ボス部屋に直行したい、レア魔物と遭遇する確率の高い場所、帰り道、などナビゲーターに頼むと案内をしてくれる。
そのナビゲーターはキタキツネである。
魔物の一種である為に、エキノコックスを気にする事なくなで回す事ができ、逃げることもない。キツネ好きには天国だ。ナビゲーターを何体も頼み、探索をする事もなく入り口近くで堪能する探索者もいる。
蔵王キツネ村も天国であるが、そこは迷宮化しておらず本物の生き物だ。一時期、迷宮化の話もあったが日本ケモナー会の猛反対により断念された。ちなみに会長はダン調である。
姉弟は志那都比古神の空間把握が使える為にナビゲーターは頼んでいない。獣属性もないので、可愛いとは思っているが必要とは思っていないのだ。
ここは下に降りていくタイプで全五階層。難易度D。
観光地であるので記念入宮的な場所だ。姉弟なら復路含めて半日で踏破出来る。踏破して戻ると日本最北端迷宮踏破記念証が貰える。
ドロップ品は高額な物は期待出来ず、ぬいぐるみや灯台キーホルダー、お風呂に浮かべて遊ぶプラスチック流氷などだ。
迷宮管理者に訪問記念にと石膏で手形を取られた。後ほど迷宮入り口に飾るのだと言う。この手形にハイタッチしてから入宮するのが名物となるだろう。
入宮手続きを済ませ中に入ると、一面氷の壁だった。気温は氷点下マイナス二十度。テーマパークにあるアイスワールドのようだ。スペルによって防寒出来るので苦労する事はないが、低い級の探索者は震えながら進む事になる。
姉弟に多くの者が続く。武器を使用する為に接近しないようにと、上級探索者達が積極的に誘導と近づく者へ制止をかけてくれている。
公営迷宮なのでカメラマンは入って来ない。入宮しても問題は無いが、迷宮法で定められている“公営迷宮の攻略情報発信禁止”にあたるので撮影はできないのだ。
「氷の壁はすげーな。魔物はしょぼいけど」
「あ、キツネパンツドロップです……尻尾付き? カーチャにあげよう」
ふふっとパンツを握りしめて笑う姉に、巡礼者達は我もパンツドロップを! と目をギラギラさせ魔物を狩る。そう広くはない通路で武器を振り回しているので危ない。弟が、気を付けてー! と声をかけ沈静化させていく。
そして巡礼者達を引き連れながら姉弟はボス部屋前に立った。