五十一話 レンジャー迷宮二
ドーーーンンッ!
駿河湾に展開している海上自衛隊護衛艦からのハープーンミサイルが鳴り響く。
目標は人間である為に正確な狙いを付けられていない。無作為に撃ち、完全にノリで発射しているとしか思えない。艦艇から、ヒャッハー! という砲雷長の叫びが聞こえてくるようだ。対地攻撃訓練など滅多に出来る物では無いので喜んでいるはずだ。
ドンッ! ドンッ! ドンッ! ドォーンッ!
航空自衛隊戦闘機からの爆撃も行われている。地面がえぐれ、土が舞い上がる。
管制にはパイロットからのもう一回出撃! もう一回! という歓喜の声が届く。
「駄目だ、日本中の基地から出撃要請が出ている。皆、順番待ちしてるんだ」
管制の声に渋々と戦闘機は引き返していくが、すぐに次の戦闘機が待ってましたとばかりに領空内に進入してきた。
ここは陸上自衛隊東富士演習場。
レンジャー教育課程中の二十名と姉弟、そしてカーチャが塹壕に身を潜めている場所だ。
「大ロシア帝国ばんざーい!」
突然立ち上がって塹壕から走り出したカーチャを姉が瞬速で捉え引き戻す。小さな緑の瞳からは美しい涙が溢れ出していた。
「カーチャ、突撃はダメですよ。今は意味の無い作戦です」
「とうとういっちゃったか……」
姉が諭し、弟がよしよしと頭を撫でる。
敵は総力戦だ。使える物は何でも使ってきている。先の護衛艦、戦闘機、陸自からは戦車、偵察ドローンに無人機での爆撃、衛星まで使って追い詰めてきていた。
そのような物まで使われては密かに拠点襲撃など出来ず、やむを得ず強襲に切り替えたのだった。
この動きに各国はとうとう日本が腰を上げたかと戦争を覚悟したが、日本政府からの説明により一応の納得はした。それでも頑なに納得しない大国には一部映像を公開して溜飲を下げて貰った。
「若様! 報告します! 敵拠点を目視確認! しかしその手前に海自の特別警備隊が展開。拠点後方には空自、基地警備教導隊が警戒中!」
偵察を終えた学生が報告をする。弟に報告してどうするのだ。学生長の赤谷二等陸曹にしなければならないのではないか。
しかし赤谷二等陸曹もキラキラと目を輝かせ弟の指示を待つ。
ここまでほぼ全員の面倒を見て、攻撃をかばい、敵殲滅アシストをし、時には自ら敵に立ち向かった弟に対して学生達は畏敬の念を覚えていた。
弟の何気ない立案でここまで全員が生き残ることが出来、進んでこられたのだ。
実は、弟は勘と運で何とかする有能な指揮官であった。姉には指揮など無理、真っ先に自分が突っ込んで行くからだ。
「拠点に入れば爆撃もやむと思うんだけどなぁ。特殊部隊、やっかいだなぁ」
「敵襲ーっ!」
叫んだ生徒の方を見ると、高機動車と共に五台のバイクが向かって来ていた。互いに拳を突き合わせ、ウイリー走行をし無駄に交差してクロスジャンプをしている。
肩から大きな鎖をかけた者や、ヘルメットにツノをあしらった者など、ポストアポカリプス感でノリノリだ。チャックノリスだ、メルギブソンだ。
「敵は連携取れてねぇなぁ……このまま待機した方がいいかも」
「待機! 待機ー! 伏せろー!」
敵がニヤリと笑っているのを確認出来る所まで接近されたが、運悪く戦闘機の爆撃に巻き込まれ、体中がペイントまみれとなってしまった。
「ここまで何でもありの訓練だと……そのお気持ちはわかります」
赤谷二等陸曹が、良い笑顔で退場していく敵に敬礼をし見送る。
「空自輸送機発見! 空挺兵確認! 第一空挺団と思われます!」
双眼鏡で空を警戒していた学生が叫ぶ。
第一空挺団は陸自の精鋭の集まりで特殊作戦群の前身部隊である。空挺団独自の空挺レンジャー資格を全員が持つ。空挺レンジャー教育では過去に死者が出たことがあるほど苛烈だ。そんな彼らが探索者資格を得て、さらに強化されたらどうなるか……。
体と頭のおかしい化け物達の誕生である。
「空挺兵にパラシュート確認出来ず! 繰り返す、パラシュート確認出来ず! 生身で降下しております!」
「はぁ? 変態が編隊組んでやって来るのかよ……」
弟の呟きに、なるほど変態が編隊……と、語録集でも作る気だろうか学生達がメモを取っている。
紐なしバンジーで降下した空挺団員の一人が、ドンッという音と共に大地に立つ。衝撃でスネの半分まで地面にめり込むが、心底楽しそうに歪んだ笑いを携えながら仁王立ちをしている。
二人目が降下し最初に降りた団員の肩に立った。更に三人目が二重の塔となった上に立つ。次々と降下してきて五人の塔が三つ、十五人が降り立った。
その出来上がりはまるで、スペインカタルーニャで行われる人間の塔だ。
「フハハハ! 見たかこのピンポイント降下を! 上空二千メートルからマンホールに飛び込む事も出来るのだ! フハハ!」
隊長であろう一番上に立つ団員が言い放つ。他の者は小銃を背中に回し、腰に手を当て良い笑顔のドヤ顔だ。
「……生身でマンホールに飛び込むとこ想像しちゃったよ」
「だ、第一空挺団……かっこいい」
女子学生の一人が瞳を輝かせて見ていた。今後彼女は第一空挺団入隊を目指すかもしれない。
「走ってる戦車の上部ハッチに飛び込める?」
何気なく弟が聞いた。その言葉に隊長が少し考える素振りをする。
「む、むむ……その訓練はした事がないな。むぅ、これは我が第一空挺団への挑戦だな!? よかろう、受けて立つ! 行くぞ!」
トォッ! と言いながら地面に降り立ち、団員を整列させると砂埃ダッシュで走り去って行った。
「はぁ、よかった。第一空挺団とか化け物相手に敵うわけねぇ。魔物よりやっかいだよ」
「さすがです若様! お見事な機転です!」
その時、前方から音楽が聞こえる。第一空挺団が巻き起こした砂埃で視界確保がまだ出来ていない。
少しずつ音が大きくなり近づいてきているのがわかる。歌っている声も響いてきた。
そして砂埃が晴れてきてその姿が露わになった。
学生の一人が塹壕から勢いよく身を乗り出すように上半身を出し、呟く。
「交響曲第八番……マーラーの千人の交響曲……」
現れたのは陸海空全て合わせた自衛隊音楽隊だった。
国旗を掲げた指揮者を先頭に、奏者二百人、合唱八百人の大楽団である。
姉弟らの前で九十度曲がり行進していく。カーチャはすごいすごい! と喜んで手を振っている。
行進中の楽団から一人抜け出てきて、弟に手荷物を渡した。
中を確認すると人数分の姉弟弁当と姉弟茶が入っていた。
差し入れだ! 優しい。
「おー! これは嬉しい、ありがとー!」
「ありがとうございます。しばらく見学の時間という事ですね」
姉弟はそれぞれお礼を言って学生達にも配り、食事をしながらそのパフォーマンスを見ることにした。
ヴァイオリンの美しい旋律が戦場に鳴り響く。その正確なピッチと繊細なタッチは世界に通用しそうだ。
しかしなぜか奏者は、はしご乗りしながらの演奏だ。さすが自衛隊音楽隊、普通ではない。
そうかと思えば、オーボエ奏者に肩車でフルート奏者が乗っている。木管楽器の見事なハーモニーである。
その後ろを巨漢の男性が両腕を水平に伸ばし、片腕にトランペット奏者を、もう片腕にホルン奏者を乗せて行進していく。演奏は美しいが両側から響く金管楽器に耳をやられそうだ。
「すごいすごい! ボリジョイサーカスね!」
カーチャがぴょんぴょんと跳ねながらその演技を称えている。
「サーカスパレードじゃねぇと思うけど……方向性は似てるなぁ」
音楽隊が通り過ぎ、後から長さ十メートル、幅三メートルほどの巨大水槽が台車に載せられやってきた。
その中では海上自衛隊潜水員三名が手を振っている。男性二名、女性一名だ。
男女ともなぜか人魚のコスプレだ。下半身は一生懸命作ったのだろう、鱗まで表現された魚の姿である。しかし女性隊員は上半身がビキニ水着であるが、筋骨隆々とした男性隊員はホタテである。その手にはプラカードを手に持っている。そこには『海を綺麗に』と書かれてあった。ご丁寧に英語、中国語、ロシア語など各国の言葉でも書かれてある。
はーい! とカーチャが手を挙げそれに応えた。
その水槽の上にヘリコプターがやってきて、一人水槽に飛び込んだ。
航空自衛隊の救難隊だ。
飛び込んだのは男性で上半身は逞しい筋肉を見せつけ、下半身にはトーガを巻いている。そして白い口髭、顎髭をつけ、手には三叉の矛を持っている。
ポセイドンコスプレである。
これまでの緊張の連続であった戦闘状態から一気に空気が和み、カーチャ大歓喜だ。姉弟と学生達は苦笑いしか出てこない。
彼らはこの日の為に準備したのであろうか。いや、日頃から民間人交流の為にこのようなパフォーマンスをしているに違いない。
水槽の後ろから海自のエアクッション艇が通り過ぎる。後方に垂れ幕をなびかせており、そこには『休憩終了。ゴミは持ち帰りましょう』と書かれてあった。
さぁ、再び戦闘開始だ。主旨が違ってきているがどの部隊も参加したいという要望に応えた結果だった。
「若様! 御下知を!」
赤谷二等陸曹が膝を付き弟の指示を待つ。弟はしばらく考え、なんとかなるかーと言葉の後に伝えた。
「姉ちゃん、特攻よろしくー。みんなは二班に分かれて左右から展開。カーチャは俺が連れてく」
「はっ!」
姉は、わかりましたと言った後、装備を最小限にし両手に模擬刀を持った。
これまでカーチャを守る事に専念していた為、鬱憤は満タンだ。それを解き放つようにゆらりと塹壕から出て立ちすくむと、前方の拠点を睨んだ。
……ニヤリ。口元が上がり堪えきれない想いを笑みに乗せていた。
拠点は三階建てコンクリート製の建物で門はない。屋上に旗を立てれば勝利、終了だ。
「ま、魔王……」
カーチャが雰囲気が変化した姉に震え、弟にしがみつく。
一歩一歩何かを確かめるようにゆっくりと歩き始める。その背中に黒いオーラが立ち上っているように見えた。
「敵襲ーっ! 目標は一人、のみ。目標は一人、のみ!」
拠点前を固めていた特別警備隊が叫び隊列を整え、発砲を始める。
それを合図に姉は走り始め、銃弾を避けるようにジグザグに動く。
「着っ剣っ!」
目標が銃では捉えきれないと見て、小銃に銃剣をつけ待ち構える。
「第一小隊正面! 第二小隊左展開! 第三小隊右展開!」
姉の舞が始まる。ゆっくりと動いているように見えるが、正確に敵の攻撃を受け止め反撃していく。戦闘中ではあるもののその流れる優美な舞に見とれ、動きが鈍る。
これは無人島で天之神に鍛えてもらった神楽。神薙だ。
神にさえ届くその薙ぎに、例え特殊部隊であろうとも抗える術はない。
緩慢な動きをしているように見え、当てられるかと思えば瞬間移動のように先の場からずれて舞っているのだ。それが繰り返されるとやがて自分の目を信じられなくなる。
次々と倒していく中、左右に展開していた学生達が敵の背後から襲いかかった。
姉以外の者がいないことに気付いてはいたが、集中しないとすぐに倒されてしまいそうなのだ。警戒している暇はなかった。
一人でも厄介な敵なのに、さらに二十名が挟撃してくるその作戦に嵌まってしまいあえなく全滅した。
そこへ拠点後方を警戒していた基地警備教導隊が駆けつける。
「姫様! ここは我らに任せ城を落としてください!」
またこのパターンかと少しだけ思ったが、頷いて姉は拠点建物内に入った。
拠点内部を守っていたのは、陸海空それぞれの一般隊員達。それに記念参加の上層部の偉い方々であった。
特殊部隊を歯牙にもかけない姉に手向かう事が出来るはずもなく、楽々と屋上へ到達する。
掲揚台を見つけ、旗を括り付けようとすると聞いた事がある声が響いた。
「よくぞここまで来た、我が妹よ! ラスボスは身内というのが王道だろ?」
振り向くと伊崎総理がニヤリと笑っていた。しかし、その姿に驚く。
拠点建物の後ろで巨大ロボットに乗り込んでいたのだ。
それは二足歩行の人型で、昭和の正義ロボットのようだ。三階建て拠点より大きいそれは二十メートルはありそうな高さである。
「くくくっ、いいよなコレ。やはり日本人の夢だよな、巨大ロボット!」
「作った、のですか?」
「ああ、JAXA主導で作った。ロボットと言えば宇宙だろう?」
確かに肩の部分にロゴが入っている。
「……」
「牧田教授にも協力してもらっている。一番ノリノリだぞ」
偵察衛星でその様子を見ていたイヴァン大統領は、くそー! 俺も乗りてぇ! と心から悔しがっていた。
「さぁ、ラストバトルだ! 来いっ!」
伊崎総理の言葉に、姉は……無視して掲揚台に旗を括り、掲げた。
「勝利」
「待て待て! バトルはどうした!?」
「勝利条件は、拠点屋上に旗を掲げること、です」
「いや、そうなんだが、確かにそうなんだが! ほらこう、燃えて来ないか?」
「探索者は、慎重かつ大胆に、効率よく、避けられる戦闘は避け、生き残る事、です」
「確かに、健さんに教わったけども! けども! この場では違うだろう!?」
総理のがっかりした姿を余所に姉は屋上の淵に立って、右手を挙げた。
その様子を見た学生達が歓喜の雄叫びを上げる。
「うおおお! やったぁっ!」
「さすがです! さすがです!」
教官も、レンジャー教育最終過程終了! と声を上げた。
ここまでの三日間、共に過ごした学生達はもう仲間だ。この日から成長し更に鍛錬をした彼らは、いつの日か姉弟親衛隊として部隊を立ち上げることになる。それまでしばらくの別れだ。
屋上に旗が風になびく。皆がそれを見て涙していた。ピンクの小さな旗を。
「な、なんでわたしのパンツが……? 儀式?」