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四十七話 カーチャ迷宮


 今日のカーチャは完全装備。

 頭に勇者の冠(キッズ自転車ヘルメット)、勇者の服(ピンクのジャージ上下)の上から勇者の鎧(弓道胸当て)を着て、勇者の籠手(鍋掴みミトン)、勇者の肘と膝当て(キッズプロテクター)、勇者の靴(運動靴天使の羽根つき)と、全てが貴重な勇者シリーズ一式だ。


 武器は母親(エレーナ)と、この地に来る途中の温泉宿に宿泊したときに偶然発見した。運命だった。

 勇者しか抜く事が出来ないと(てき)()のおじちゃんに言われ、見事引き抜いた勇者の剣(木刀)だ。

 風林火山と彫ってあるがカーチャには読めない。


 勇者の剣を構え、今か今かと魔王の到着を待つ。カーチャよ、普通は魔王が待っているのではないのか。



 ここは山荘近くのホテル前のロータリー。

 宿泊しているエレーナとカーチャを訪ねて姉弟が来ると連絡があり、ここで迎え撃つつもりなのだ。

 エレーナと社長はホテル内から微笑みながらそっと様子を窺っている。



 一方、姉弟は自転車(自社製品)で移動中だ。後ろに護衛の車一台がついている。またスーツを着たまま自転車に跨がる護衛が二人併走している。

 姉は前カゴのついたママチャリで、弟はマウンテンバイクに跨がり避暑地サイクリングを満喫中である。

 山荘からホテルまで自転車で二十分程度。全力ならば三分以内で到着するのだが、自転車がもたない。何より景色を見ながらゆっくり行きたいという姉からの提案に、弟は二つ返事で了承した。


 太陽の光が暖かく、新緑の森の中を走る。風が心地よく顔に当たる。

 弟は時折、前輪を上げウイリー走行をしたり、道から外れ木々を縫って走ったりしている。警護するSPは落ち着かない弟の行動に、見失ってなるものかとその職務を全う中だ。



 やがてホテルの建物が見えてきた。

 小さな勇者様の姿も確認出来るほど近づくと、姉はスピードを上げ勇者に向かって突進する。

 カーチャは魔王を確認したものの、自転車とは思っていなかったようで勇者の剣を振り上げたままどうしたらいいものか戸惑っているようだ。

 姉がカーチャの前で急ブレーキをかけ、後輪を滑らせながら止まった。そのまま固まっているカーチャを片手で持ち上げ、前カゴにお尻からすぽんと乗せ発進した。ET乗せだ。


 うわああ! うわあああ! と言うカーチャの喜びの声に姉は満足げだ。

 ホテルから離れ徐々にスピードを上げていく。

 歓喜の声が、ぎゃああああ! に変わった。

 あまりのスピードに涙が後ろに流れ、口が風圧で開きっぱなしで涎も飛んでいる。

 森の中を走り抜け、自転車を右に左に傾けながら木々を抜けると前方の森が途切れている。

 崖だ。


 躊躇することなくそのままのスピードで崖から飛び出す。姉は両手をハンドルから離し広げた。


「カーチャ、カーチャ。ほら、飛んでいますよ」


「うげぎゃああああうぼうぎぎいいい!!」


 カーチャの感極まる声に姉は何度も頷き、一緒にサイクリング出来てよかったとほっとした。

 地面に着地する頃にはカーチャの声は聞こえなくなりホテルへと引き返し始める。


 弟と社長とエレーナさんはホテル前で待っていた。小さく手を振りながら自転車を止め、エレーナさんにカーチャを手渡した。


「疲れて眠ってしまったようです」


「あらあら、楽しかったのねー。部屋で寝かせておくわ」


「姉ちゃん、何した!? これ気絶じゃねぇの?」


「お父さんがよく崖から一緒に飛んでくれたので、それを……」


「アー……でもそれパラグライダーだよな?」


「そっか、そうでした。じゃ、次は……」


 姉は思案を始める。どうせなら父の上を行かねばならない、ならばと怪しい笑いを携えいつの日か実行に移せるよう準備をしていこうと思った。



 カーチャを部屋で寝かせ、ホテルのレストランで昼食を取る。

 ビュッフェスタイルで姉はサンドイッチとパスタを中心に、弟はカレーライス大盛りをメインにテーブルに載せていた。


 蕎麦を目の前においたエレーナさんが話し始める。


「日本迷宮……残念ね。会社やロシアからも圧力かけて早く入宮出来るようしてみるわね」


「……ありがとうございます」


 弟は食べるのに忙しい。頷きで返事をしている。


「ただ、兄さん(ロシア大統領)は逆に入宮させないようにするかもしれないわね……」


「……」


「カーチャの事もそうだけど、姪と甥が可愛いのよ。もう過保護すぎなくらいね。兄さんには子供がいないし、ね」


「そう、ですか」



 少しの沈黙の後、社長が話を切り出してきた。


「防衛省が共同訓練を申し込んできているのですが、受けて頂けませんか?」


「……防衛省」


「お! やるやるー! 迷彩服貰えっかなぁ! あと、浅見さんも来んのかなぁ」


 弟の目が輝きだした。浅見さんは特殊作戦群隊長でバチカンでの姉救出極秘作戦を指揮した人だ。


「特殊作戦群の方でしたね。あの部隊が参加するかどうかは聞いていませんね。ロシア軍との模擬戦をご覧になって、なぜ自国民なのに自衛隊との接点がないのだと防衛大臣名でクレームに近い申し込みでした」


「……報酬は頂けるのでしょうか?」


「外部特別講師として規定の一日三万千七百円が支払われます」


「え……」


「やすっ! なにそれ」


「一応、謝金の最高額でして……ただ、防衛省所有の東富士迷宮を一日貸し切りという条件を提示されました」


「ドロップ有りですか? 何階層ですか? 一日とは二十四時間ですか?」


 迷宮貸し切りという言葉に姉が反応する。身を乗り出すように社長に迫る。エレーナさんは積極的ねと笑っている。


「ドロップ有りです。品は主に銃火器とそれに付随する装置等ですが、素材もドロップするようです。買い上げは防衛省は直接買い取れませんので、銃火器を納入している企業が買い取る形になります。ドロップ品の持ち帰りは不可です。全品買い取りしてもらわねばなりません」


「はい……それで?」


「五十一階層、最下層は立ち入り禁止だそうです。あと、二十四時間で強制退宮です」


「わかりました。入宮します」


「いえ、違いますよ! 共同訓練がメインですからね? 迷宮はおまけのような物です」


「じゃー話を詰めておくわね」


 エレーナさんが笑いながらマイパッドにメモを残している。そしてそうそう、とにこやかに姉弟を見ながら話を続ける。


「テレビ局やダンコミなどから取材申し込みが殺到してるのよねぇ。ドラマ化したいとかの話もあるし……」


「姉ちゃんに任す」


「お断りします」


「そうだと思ったわ。ただ、うち(親会社)がスポンサード契約している競技大会の、迷宮トライアスロンには出て欲しいわ。契約の一環として」


 探サポの親会社はスポーツ用品メーカーであり各種競技大会に多大な資金を提供している。姉弟は親会社の社員であり、探サポには出向社員として籍を置いている。

 雇用契約には会社主催のイベント等には参加すること、と記載されており本来ならば強制的にでも参加させる権利が会社にはある。

 つまりエレーナさんの言葉を文字通り取ってはいけないのだ。出て欲しいわではなく、出ないとどうなるかわかってるわね? なのだ。


「わかりました」


「あれー? トライアスロンって自転車とランニングと……スイミングだよな?」


「……スイミング」


「そうね。それが?」


「姉ちゃんは! 泳げねぇ!」


 弟が立ち上がり叫ぶ。社長が飲み物を吹きだして()せ、エレーナさんはあら、まぁと驚き、レストランにいる他の客達の注目を集めた。

 弟の腰に姉の肘鉄が入り、崩れ落ちていく体を椅子に受け止められる。


「島に住んでいたのに泳げない? なんでよ」


「黙秘、します」


「まぁ、いいわ。それじゃ特訓ね。会社のプールを使いなさい。うちで契約している水泳選手をコーチとして呼ぶわ」


「……はい」


 エレーナさんの言霊(めいれい)がのった強制力に抗えずしぶしぶと承諾。溜め息を一つ吐く姉であった。


 結局、弟は大盛りカレーライスを三杯おかわりした。

 皆で食後のコーヒーを飲んでいるとエレーナさんの女性秘書に連れられ、白いワンピースを着たカーチャがやって来た。

 以前エレーナさんから女性秘書を紹介されたときに、マネージャーに秘書がいるってどうなのと弟に突っ込まれていたが、軽く受け流していた。


「カーチャ、起きたのね。食事は?」


 エレーナさんが隣に座らせ、姉とは対面になったカーチャに聞く。


「オレンジジュース、だけでいい」


「なるほど、それではいつまで経っても私を倒すことは出来ませんね」


 ふふん、と煽るように笑い姉がカーチャに言う。

 キッと睨んだかと思うと立ち上がり、一通りビュッフェを回ったカーチャの手には山盛りの料理が積まれていた。


 姉を睨みながら食べ続けるカーチャ。エレーナさんは楽しそうに笑ってる。



「ぐうっ、ううううう゛!」


 勢いよく食べていたせいか何か喉に詰まったようで自身の胸をドンドンと叩く。

 皆、あらあら大丈夫? という目で見守っているが顔が青ざめてきた。

 チアノーゼだ。


 これはまずいと姉が飲み物を渡そうとするが、飲み物より早く何とかしろという視線を送りながら胸を叩き続けている。

 それならば何とかしてあげねばと、姉は立ち上がりカーチャの後ろへ回った。

 後ろから高い高いをするように胴を持って抱え上げる。そして片手で足首を持って逆さまにし、もう片方の手で背中を叩いてあげた。

 白いワンピースがめくれて水色のパンツが見える。パンツには姉弟のキャラクターがプリントされてある。商店街で買ってきたのだろう……姉弟パンツを装備していた。


 なかなか喉のつかえが取れないようで、少し強めに叩いてあげるとポンッと口から何かが飛び出してきた。そしてそれは弟の顔に貼り付く。

 ああ、高野豆腐を丸呑みしていた。


「よかった、です。ちゃんと噛まないと駄目ですよ」


 逆さまのまま姉の顔の高さまでカーチャの顔が来るよう持ち上げ、半回転した後に注意してあげる。

 散々な事態にカーチャは涙目……いや泣いている。こうして逆さまにされるのは二度目だが前回とは違い、今回は衆人環視の中だ。


 姉がそっと下に降ろしてあげると、カーチャはうあああああん! と叫びながら走り去って行った。



 食事を終えた弟が一人でカーチャの部屋を訪ねる。

 カーチャはベッドにうずくまり泣いているようだ。


「カーチャ。姉ちゃんのやる事、気にしてたらもたないぞ。良かれと思ってやってんだよ」


 カーチャは枕に顔を伏せたままだ。

 そして弟がそうそう、と言って言葉を続けた。



「なぁ、カーチャ。姉ちゃん泳げないんだぜ。水泳特訓を大魔王から命令されてたぜ」




 カーチャの顔がゆっくりとあがり、弟の顔をじっと見てニヤリと笑った。


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