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三十六話 誘拐迷宮二


 今日の姉は白を基調とした前衛的な服だ。とある幼虫が出す繊維素材で出来ている拘束衣である。現状迷宮素材を除き世界最強の糸で、主流であった化学繊維より遙かに耐久性に優れた天然繊維で織られている。探索者の力を持ってしても脱着は難しいだろう。

 両腕を胸の下で交差して拘束、下半身は両足をピタリと合わされ、きつくベルトで閉められている。さらにその上から結束バンドで固められてピクリとも動けない状態だ。

 頭部はフェイスクラッチマスクで覆われて、口の中に綿を詰められ言葉を発する事が出来ない。目的は処刑である為に、会話することも情報を取る必要も無いのであろう。


 眼だけは自由だ。辺りを見回すと石造りの狭い部屋で薄暗く、一面には鉄格子がある。鉄格子の向こうに篝火がたかれ、その明かりだけが周囲を照らしている。

 部屋には何もなく冷たい石畳に横に寝かされていた。



 姉が横たわっている部屋より上層の部屋。


「教皇様。此度の教皇庁からの声明はIORが絡んでおるようです」


 司祭服を着た老年の男性が、六十代前半ほどの温和そうな男性に話しかける姿があった。

 その男性はローマ教皇。全世界カトリック教会の最高位聖職者である。彼の一挙一動に教徒は涙し歓喜に震え、彼の一言で教徒は敬虔になり狂信者にもなり得る。

 IORは宗教事業協会の略称で、バチカン銀行と言う方が知れ渡っているだろう。


「詳しく調査し、報告を」


「それが……国務省、事務局、ほとんどの枢機卿が賛同しており調査に動かせる人員がおりません。イタリア軍は市国を囲むように展開しております。表向き日本からの攻撃の備え、としておりますが真意はどうでしょうか」


「永峰枢機卿とフェリーネ枢機卿はどうですか?」


「お二方は静観と言いますか、何もしておられません。賛同も反対も」


「では、二人を呼んで下さい」


「はい」


 教皇は部屋の窓から外を窺い見る。いつもは教徒や観光客でたくさんの人が訪れているサン・ピエトロ広場は衛兵の姿しかなく、静まりかえる広場には火刑台が設置されているだけであった。



 しばらくすると二人の枢機卿が入室してきた。二人とも五十代男性で白髪が少しだけ見えており、司祭服を着ている。一人は日本人、もう一人はイタリア人だ。


「教皇様。お呼びとか」


 フェリーネ枢機卿が微笑みながら教皇に話しかける。永峰枢機卿はその後ろに控えている。


「事態は切迫しているようです。お二人は今回の事に係わっていますか?」


「いいえ。私は教皇様の手でありますので」


「私も係わっておりません。どうか日本を悪魔崇拝国などという虚言の撤回を」


 フェリーネ枢機卿は当然と言うように否定し、永峰枢機卿は祖国のいわれの無い中傷撤回を求める。


「永峰枢機卿。日本はどう動くと思われますか?」


「まずは対話を求めると思います。武力行使はありません。同盟国がどう動くかはわかりませんが、ご存じの通り現在日本は孤立状態ですので助けてくれる国があるかどうか」


 永峰枢機卿はここ最近のロシアと友好関係を結びつつあるのをまだ知らない。また攫われた姉がどう言った立場なのか、何故姉が攫われてきたのかも知らないのだった。


「永峰枢機卿は現在いかに日本が危険なのかをご存じないようですな」


 フェリーネ枢機卿が微笑み顔をやめ、真剣な顔で永峰枢機卿を見る。


「どういう事でしょうか。我が国は専守防衛を貫き、戦いを挑むことなどあり得ません」


「いやいや、それはわかっております。大きな動きがありましてな、ロシアがまるで属国のように日本に寄り添ってきている。攫われたお嬢さんはそのロシアと日本を結びつけた張本人ですぞ。ロシアが報復に爆撃機を発進させたと聞いておりますな」


「そ、そんな事が……それでは戦争になってしまう!」


「さて、永峰枢機卿は日本大使館へ避難した方がいいでしょう。下がっていいですよ」


 教皇がそう言うと永峰枢機卿は震えながら下がりますと言って退室していった。


「フェリーネ枢機卿。あなたの諜報機関サンタ・アリアンザに動いてもらいます」


「教皇様。もう動いておりますぞ」


「さすがですね。では各国の状況を」


「まずは日本、今のところ武力行使に出る動きはありません。ただ攫われたお嬢さんは一部にカルト的信者がおりまして個々で動いてくるかもしれません」


「危険ですね」


「はい。次にロシア。爆撃機を三機こちらへ向け発進させましたが引き返しております。何らかの別働隊が動くと思われます」


「のちほど大統領と話をしましょう」


「それがよろしいかと。アメリカ、一度は引き返した艦隊がまた日本へ向け動いております。教徒が非常に多い国でありますし政府は静観したくても出来ないでしょうな。ロシア陸軍と日本の姉弟との演習を見て関係改善を模索していたようですが、残念です」


「あの演習は日本のパフォーマンスだと信じない国もあるようですね」


「愚かな事です。次に中国、静観ですね。ロシアが圧力になっていると言ってもいいでしょう。ですが、EUがすり寄ってきていますので今後どうなるかわかりません」


「ではそのEUは?」


「完全に日本と敵対姿勢です。すでに何年も前から日本とは一方的に国交断絶状態です。自ら招いた経済危機を日本のせいにしておりますな。日本と上手く貿易をしている国は発展しており、商材をEUに流す中継(なかつぎ)貿易の莫大な利益で笑いが止まらない状態でしょう」


「嫉妬、ですね」


「当初、経済制裁をすれば音を上げ有利な取引が出来ると思っていたのでしょうが、迷宮を甘く見ていましたな。一神教の我がバチカンでは到底受け入れられないでしょうが、羨ましくもあります」


「IORはなぜ今回のような事を起こしたのでしょう」


「まだわかっておりませんが、バロウス首席枢機卿が動かしています。EUに多大な出資をしており、IORにはEUも逆らえないでしょう。まぁ今EUが倒れたらこちらもタダでは済みませんから……」


「それは引き続き調査を。教徒の反応はどうですか?」


「教皇庁、つまりバロウズ首席枢機卿ですな。彼から声明が出されたのが五日前。動きはまだありませんが、今回の波紋が大きなうねりとなって各国を根底から揺るがすかもしれません」


「内戦が起こる可能性もあると……?」


「政府の決定によっては、そうです。反日感情が日ごとに増しております。そこで政府が日本を支援するような立場を取ると……」


「イタリア、イギリスはどうですか?」


「イタリア、フランス両国でEUの主導権争いです。両国が先頭に立って日本叩きですな。イタリアは国民の九十パーセントが我が教徒ですから、その声を抑えつけるのは難しいでしょう。イギリスは教徒が多い割りには静かです。すこし不気味ですね」


「わかりました。フェリーネ枢機卿は独断で動いた者の捕縛を、特にバロウズ首席枢機卿は必ず捕らえて下さい。私が動くのはそれからです。軟禁状態ですからね」


「畏まりました」


「お嬢さんは解放して差し上げたいのですが、出来ますか?」


「バチカン市国から連れ出すのは難しいですな。ここへお連れするくらいでしたら」


「そうしてください」


 フェリーネ枢機卿はお辞儀をして下がっていった。教皇は深く思案を始める。まずは教徒達を何とかしなければならないだろう。このままでは全世界を巻き込んだ宗教戦争になりかねない。それは決して起こしてはならない。教典では父なる神しか認めてはいないが、もはやそんな時代ではないのだ。宗教とは人に寄り添って心のありどころでなければならない。宗教の違いで反目し合ってはならないのだ。



 日本、首都上空。

 アメリカ空挺部隊が総理官邸を急襲しようとしていた。敵の中枢をいきなり攻め込むのはアメリカの自信の表れでもある。

 しかしさすがは総理官邸であり制空権は取れそうに無い。その為に郊外に降り立ちそこから向かう作戦が立てられていた。


 上空から闇に紛れ空挺部隊が降下してくる。月も風も無く条件は非常に良い。地上からの攻撃も無く、隊員の一人は平和ボケしてるなと思いつつ降り立つ。すぐにパラシュートをはずし部隊に合流する。

 その時、一人の女性が居るのが見えた。民間人のようだ。


「避難しろ。民間人を攻撃する気は無い。行け!」


 言葉がわかるように日本語で警告を発した。


「あらー? どなた?」


 その民間人はのんきな声で答える。エプロン姿にマイバッグを手に持つ買い物帰りの主婦のようだ。


「我々はアメリカ軍だ。民間人を攻撃する気は無い。避難しろ!」


「まぁ! あんた達がお姉ちゃんを攫ったのね! ちょっとー! ここに誘拐犯がいるわよー!」


 主婦の大声に近所の奥様達が集まってきた。その様子に部隊は攻撃して良い物か戸惑う。


「どうしたの? 細井さん」


「相馬さんちょっと! お姉ちゃんを攫った敵よ、敵!」


「なんですってー! みんな、こいつら敵よ!」


 その言葉に奥様達が空挺部隊に向かって行き素手で薙ぎ倒していく。さすがは探索者資格を持つ奥様達である。空挺部隊はその姿を捉えることさえ出来ずに全員捕縛され、警察署に連れて行かれた。


 警察署では空挺部隊を見た署員達が殺気立ち、今にも虐殺が起きそうだ。署長の一発ずつ殴ってよいとの言葉に、すでに奥様達からボコボコにされた空挺部隊がよりひどい有様だ。

 警察署から警視庁へそこから防衛省へ連絡が行き、空挺部隊は自衛隊に引き取られていった。



 ホワイトハウス。

 ここアメリカホワイトハウスでは主たる者全員が暗い表情だった。全州において反日運動が起き、今では撤退して少なくなってはいるが日本企業への暴動やデモ鎮圧に忙殺される日々であった。


「大統領。艦隊が間もなく日本領海へ入りますが……」


「勝てるのか?」


「間違いなく負けるでしょう。日本艦艇は迷宮化しており、動く迷宮となっています。領海内ではほぼ一方的に虐殺されます」


「殺されに行くのか……」


「それを止められるのは大統領だけです! 再考を!」


 国防総省長官が大統領に迫る。彼の言った通り、日本は艦艇の全てを迷宮化し領海内では無敵の存在となっている。攻撃しても傷一つ負わすことは出来ない。一方的に攻撃される的になりに行くだけだ。

 発見されずに進むのも難しい。スペルによる索敵範囲が広すぎるのだ。またアメリカはまだ情報を掴んではいないが、日本艦艇に博士開発のマナ動力エンジンとマナ弾を使用する砲塔、マナロケット砲が実験的に配備された艦艇がある。この艦艇に接敵してしまうと一撃で撃沈される可能性もある。マナロケット弾はレーダーで発見されない為に突然撃沈されてしまうのだ。住んでいる世界が違うと言っても過言では無い。


「昨日、空挺部隊が急襲しましたが全員捕縛されたようです」


「自衛隊の展開範囲が広いのか?」


「いいえ……各個のヘルメットカメラによりますと捕縛したのは主婦達と思われます」


「な……我が国の精鋭部隊は主婦にさえ劣るというのか」


「残念ながら……」


「艦艇は日本領海外で待機だ。日本占領計画を見直せ」


 占領は無理だと思いますが……と小声で言いつつ国防総省長官は下がっていく。



 イタリア、バチカン市国近辺。

 空路で日本からロシア経由でスイスへ。そこから陸路にてイタリアへ密入国した弟が立つ。




「イタリアは無事だったぁ。はぁ……ドゥカティ消えたら泣くよ、姉ちゃん」


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