三十三話 鈴鹿迷宮
今日の姉はオレンジと白が交互に彩られた大きめの日傘を持ち、黒髪は風にそよがれるままにモデル立ちをしている。装備はオレンジ色を基調とした、丈が短いヘソ出しタンクトップに大きく会社ロゴが入っており、膝上二十センチはあろうかと思えるオレンジのミニスカートを着用している。屈んでしまったらパンツが見えそうである。姉は見せパンを装備していないので生パンである。靴は真っ白なニーハイブーツを履き、ミニスカートとの間に絶対領域を展開し何者にも領空侵犯をさせないが、偵察はし放題だ。
重要なのが、姉が常に笑顔を保っているという事。しかし目は笑っていない。作り笑いではあるが周りの者は姉の笑顔にドキドキサンシャインだ。
一方弟はフルフェイスのヘルメットをかぶり、会社ロゴ入りのレーシングスーツ、グローブ、ブーツを装備し、七十三とゼッケンナンバーの入ったフルカウルのレーシングバイクに跨がっている。
ここは鈴鹿迷宮。
三重県鈴鹿市にある鈴鹿サーキットである。そのサーキットの持ち主が迷宮事業に乗り出し、ツインリンクもてぎは一般用のまま残し鈴鹿サーキットを思い切って探索者用にと迷宮化したのであった。
迷宮探索者が一般に浸透し始めた頃、日本人がロードレース世界選手権(MotoGP)へ参加することが出来なくなってしまった。
ロードレース世界選手権とはレース専用に開発されたバイクで競うバイクレースである。バイクメーカーがネジの一本一本から最新の技術を駆使してスペシャルバイクを製作する。そのスピードは時速五百キロに迫り、スピードとライダー同士のバトルに観客達は熱狂しライダーやメーカーを推しまくる。あまりのスピードにそのままでは飛んでしまう(比喩ではない)ので、ダウンフォースが得られるようウイングレットが各所についている。
世界各地で年間二十戦行われ、日本のツインリンクもてぎが日本GPの開催地であったが、日本人参加不可規約の追加と共に撤退し、日本ではそのレースを生で見る事が出来なくなってしまった。同様に日本のバイクメーカーも全レースから撤退している。
日本人参加不可には訳がある。日本人ライダーのほとんどが探索者を兼用しており、他国ライダーとは動体視力、体力、筋力などが比べものにならないほど上回り、ポディウムでは日本人独占が続いた事だ。同じ理由によりオリンピックや各種スポーツの世界大会なども日本人参加不可となった。フィギュアスケートでは十回転アクセルが当たり前の世界になってしまったのであった。
そしてここ鈴鹿サーキットではロードレース日本選手権と銘打ち、日本人ライダー活躍の場とバイクファンの為に第一回目のバイクレースが行われようとしていた。迷宮内であるので参加者とファン共に全て探索者、つまり日本国籍を持つ者のみで行われ、バイクは探索者スペシャルとなる。動力は博士の実験施設での成果である迷宮エネルギーエンジン(仮称)で動き、今回はワンメイクエンジン(全バイクが同じエンジンを使用)となる。
迷宮エネルギー動力仕様は技術公開される方向に進んでいるので、今後各メーカーの研究が進めばオリジナルエンジンを開発していくであろう。この開発競争をさせるというのにも技術公開の意図がある。
迷宮エネルギー動力は迷宮内でしか動かすことが出来ない為、他国に情報が漏れても問題は無い。博士はその一歩先を目指し、迷宮外での使用を目標としている。
参加メーカーは日本メーカーのみではあるが、ロードレース世界選手権では迷宮技術伝授前からほぼ日本のメーカーがポディウムを独占していたので、選手とファン共に何も不満はなかった。
弟はエンジン開発者である博士のコネで、スポット参戦として迷宮エネルギーエンジン動作試験という名目を掲げ参加権利を得た。ロシアのお土産を渡しに行った時に博士からこの話を聞き弟は大喜び。博士をハグしたまま十回転サルコウを披露し博士が酔って吐いたほどであった。
当然弟は、こんなこともあろうかと! レース参加資格であるロードレース国内ライセンスを取得している。
すぐに弟は社長に報告し会社が急遽スポンサーとして名乗りを上げ、懇意にしていたバイクメーカーからバイク供給とメカニック数名のサポートを受けることが出来た。
姉はエレーナさんのマネージメントにより弟のレースクイーンとして参加だ。残念ながらエレーナさんは探索者資格を持っていないのでこの場には居ない。
「姉ちゃん! ここで目立って姉ちゃんにモデルデビューの道をプレゼントするぜ!」
弟の言葉に笑顔で舌打ちしながら蹴りを入れる姉。テレビ中継とダンジョンコミュニティの取材もあるので笑顔を絶やすことは出来ない。笑顔維持は社長命令でありエレーナさんからは、怒り顔を見せたら年俸減らすと言われているのだ。
今回走る選手は全部で二十三名。弟のスターティンググリッドは最後尾だ。もちろん予選も走ったがプロに敵うはずがない。ポールポジションの選手から五秒遅れのタイムであった。
「すみませーん、準備お願いしまーす!」
スタート二十分前。主催者のスタッフが姉を呼び来た。その言葉に姉の肩がビクッと跳ね上がる。
「姉ちゃん、頑張ってなー、俺の為によろしく!」
姉は国歌斉唱を依頼されている。主催者と会社からの要望という名の強制命令だ。テレビ局とダンジョンコミュニティからの希望であり、主催者は大口スポンサーのメディア達に逆らえなかった。もちろん報酬増し増しなので逃げ出したい気持ちをなんとか抑えることが出来ている。
全選手のグリッド前に立ち、深呼吸をする。社長の姿が見えたのでとりあえず睨んでおいた。
演奏が始まり歌い始める。観客席は皆総立ちで脱帽し、右手を左胸に当て一緒に歌ったり目を瞑って聞き入ったりしている。出場選手、メカニック、レースクイーン達も姉や巨大実況モニターを見つめている。これまでのレースでの出場選手やメカニック達は、慌ただしく最終チェックを行ったり土壇場でタイヤ選択を変更したりと忙しいのだが、今回は歌姫が国歌斉唱をすると知れ渡り皆聞き入っているのだった。
国歌の演奏が終わり姉がほっとしていると、花見迷宮で使った曲が演奏されてきた。
「二曲目!?」
姉は驚いて無理無理! と手を振りかざしスタッフに合図しているが前奏は止まらない。スタッフからは「歌ってください、報酬倍額」と書かれたボードが上げられた。
「くっ」
無人島親子ローンでとんでもない金額の借金がある姉に抗う術はない。せめてもの抵抗に三倍という意味で三本の指をスタッフに見せると、オーケーという意味であろう、腕で大きく丸を作るのが見えた。土壇場でも交渉は外さないのだ。
二曲目は皆知らされていなかった。嬉しいサプライズに大盛り上がりだ。報酬三倍に開き直った姉は振り付きで歌う。観客が合いの手コールを入れる。もう姉のライブ会場のようになってしまった。
そして曲が終わり姉は一礼してその場を離れ弟の元へ戻る。
『みなさーん! まだ帰らないで下さい! レースはこれからです!』
主催者アナウンサーの声がスピーカーから聞こえる。姉のライブ終了と共に満足して本来の目的を忘れ、帰ろうとしていた観客が大勢いたようだ。
「姉ちゃん、グッジョブ!」
弟が姉に向かって握った拳の親指を立てる。
「ふふふ、レース結果が最後尾のままだったら今月お小遣い無し、です」
笑顔をキープしたまま弟に言い放った。
「げっ! 無理だって! これで飯食ってる人達なんだぜ。ここで大口叩いても良いけどよ、さすがにそりゃ失礼だわ」
バイクの事になると空気が読める弟に姉はびっくりだ。
≪五分前≫ レースクイーンがグリッド前方でそう表示されたパネルを掲げる。
オフィシャルカーがスタートする。メカニックは弟の肩を叩き激励してからパドックに引き上げていく。
≪一分前≫ 全車が外部スターターによりエンジンスタートし、姉は弟のヘルメットにキスをしパドックに引き上げる。選手達が一斉にスペルを詠み始める。強力なスペルを編み上げていることも一流選手の条件だ。ただし速度アップを補助するようなスペルは禁止事項だ。もし違反した場合には即失格だ。弟は自分の身体に守りのスペルのみを詠む。他の選手も同様に守りのスペルのみを詠んでいる。マナが飽和状態になっていき選手達全員がマナの光で包み込まれ輝き始めた。
その光の輝きに観客達のテンションは最高潮でウェーブが起きる。
イエローライトが点灯しウォームアップラップスタートだ。全車が一斉に一周する。この一周は主にタイヤとブレーキを暖める為だ。タイヤの温度を上げる事で本来の性能を発揮しコースへの食い付きを良くする。ブレーキディスクを熱くするのも同様に効きを良くする為だ。バイクが加速していくとマナの光が尾を引いた流星のようだ。
一周して全車が自分のグリッドに戻る。
オフィシャルがグリーンフラッグを振りコースから退場した。選手達は前方のランプに注目する。
スタートランプのレッドが点灯し、三秒後消灯。それがスタートの合図だ。
バイクが加速していく。弟はミスなくスタート出来たようだ。最後尾で一コーナーへ進入していく。前方ではイン側争いが激しく行われている。バイクを倒し込みながらの接触は日常茶飯事だ。
中盤を走っている一台のバイクがフロントタイヤからスリップダウン。転倒し二台を巻き込みながらグラベル(コース外の砂利地帯)の方へ滑っていった。
パドックでモニターを見つめている姉は弟が巻き込まれていないことにほっとする。
二コーナーを過ぎS字コーナーからが、ここが迷宮である所以だ。
S字コーナーからデグナーカーブまでがウェットコンディションなのだ。S字に突っ込んで行くバイクのタイヤの表面がスリックタイヤからレインタイヤに変化していく。このタイヤは迷宮産素材で出来ており、水を検知するとその状態が変化する現象を利用している。超レア素材で現在の所、国営迷宮の百五十階層以上からしかドロップを確認していない。耐久性は抜群で年間を通して行われるレースに一本ないしは二本のタイヤで対応できる。これまで一レースで二十本以上タイヤを消費していた事に比べれば格段にコストを抑えることが出来るようになった。タイヤメーカーの売上は落ちたが技術革新の為と涙をのんでいる。
ここからレインマスターと呼ばれる選手達が活気づく。
弟のバイクもS字コーナーへ進入しレインタイヤに変化した。バイクのスクリーンとヘルメットには水を弾くようコーティングしてあるのである程度は視界確保出来るが、前方から水しぶきが跳ね上がり、水を弾いていくのが追い付かない。
国内ライセンスを持っているとは言え鈴鹿サーキットを走り込んでいるわけではなく、他の選手と比べて格段に腕が落ちるので少しずつ離されていく。
逆バンクからダンロップコーナーへ向かう。ここは一番きつい上り勾配でマシンパワーが物を言う。大きなタイヤのオブジェクトが道路をまたぐように設置してあり、ライダーはそのタイヤをくぐるように通り抜ける。このオブジェクトは一度撤去されたが往年のファンからの要望により迷宮化と同時に復活した。
弟は、タイヤの上に登ってみてぇと呟きながら通り抜けた。わりと余裕があるようだ。
デグナーカーブに差し掛かった所で路面状況がウェットからドライに変わる。一周目のタイヤの暖まっていない今ならまだ、二つ目のコーナーでの突っ込み勝負に参戦出来るはずだ。弟は思い切りブレーキを遅らせイン側にマシンをねじ込む。
「うおりゃぁあー! かめっ!」
何故そんな言葉が自然に出てきたのだろうと不思議に思ったが、一台パスする事ができて立ち上がりで追い付かれずに済んだ。ほっとしている暇はない。次のヘアピンカーブもパッシングポイントだ。鈴鹿サーキットはとにかくパッシングポイントが多く、観客は見応えがある。ライダー達はいつ抜こうか、抜かれるかと一息付く暇がない忙しいコースだ。
立体交差を抜けヘアピンカーブ進入で一台、次のスプーンカーブで一台パスすることが出来たが西ストレートで後続のライダーにスリップストリームに入られ、百三十R進入で抜き返されてしまった。そのままシケイン、最終コーナーとパッシングを試みるがパスすることは出来ずグランドスタンド前に戻り二周目に入る。
巨大実況モニターに姉が指を組み祈るように見ているのが映っていた。テレビ局が歌姫を積極的に推そうとたまにその姿を映し出しているようだ。
チラリと見えたその姿に弟が奮起する。基本的にライダーは自己中心的で物事をポジティブに捉える者が多いので、姉の姿にその気になる馬鹿者が続出。ライダーも観客も気分は最高潮だ。
そうこうして全二十二周が終了。弟は十八位でフィニッシュだった。名コース鈴鹿サーキットで走れたことだけで満足している様子でいつもより笑顔が無邪気に見える。
パドックに戻ってきた弟に姉が声を掛ける。
「お疲れさまでした。無事で良かった、です」
「すんげー楽しかった! 怖かった! びびったぁ!」
グローブとヘルメットを外しながら笑顔で応える弟に、メカニック達が背中をパンパンと叩いて通り過ぎ激励していく。
「さぁ、次はメインレースだぜ。姉ちゃん、シャンパンファイト頼むぜ!」
「うん。行ってきます」