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三十二話 ロシアと迷宮四


 早朝、姉の部屋の前に立つエカテリーナは完全防備だ。

 頭にロシア帽(ファーのふかふかした帽子)をかぶり、淡いピンクのシャツにスキニーパンツ、そして父の会社のスポーツシューズを履いている。服の上から使用人に手伝ってもらって大きめのトレイを体に括り付け、木製のサラダフォークとスプーンを両手に持つ。

 双剣である。


 一方姉は昨晩の食事を堪能し、お酒を飲み過ぎたのかまだベッドで睡眠中だ。睡眠用装備にネグリジェが用意されていたが、断って普通のピンクのパジャマに変えてもらった。


 勢いよくドアが開けられる。エカテリーナはベッドに駆け寄り、ジャンプして構えていた双剣を撃ち放った。


 その双剣をそれぞれ掴み取り姉は起き上がった。


「攻撃する時に声を発しないのは大変よろしいです。扉はそうっと開けないと気付かれてしまいます」


 そう言って、双剣を取り上げエカテリーナをベッドに寝かせて、トレイ装備を外し脇をくすぐる。


「きゃはははは! やめて、やめて! きゃはははは」


 しばらく続けエカテリーナがぐったりしてきた頃に帽子を取り上げ、シャツを脱がし、スキニーパンツを剥ぎ取ってパンツ一枚の姿にした後、抱えて廊下へ連れて行った。そしてお尻をパチンと一度叩いてドアを閉める。廊下からは、うああああんと叫びながら走り去っていく様子が窺えた。脱がした服はたたんで廊下に置いた。



 姉は紺色のジャージに着替え庭に出て柔軟体操を始める。弟もすぐにやって来て一緒に始めた。その様子をパンツ一枚のエカテリーナが窓から覗いている。姉は、まだパンツのままでしたか、と見ていると姿が引っ込んだ。


 五分ほど経つとピンク色のジャージを着たエカテリーナがとことこと歩いてきた。弟が話しかける。


「お、カーチャもやるかぁ?」


 小さく頷き近寄ってくる。弟がエカテリーナに柔軟体操を教えながら手伝っているが、エカテリーナはチラチラと姉に視線を向けて集中できていないようだ。そんな彼女に姉が近づき頭にゲンコツを落とす。


「準備運動は大事です。集中しましょう。(迷宮では)死にますよ」


 一瞬、涙ぐんだがすぐに拭って運動に集中し始めた。

 その姿によしよしと頷き、姉は短い模擬刀を両手に持ち剣舞を始める。ゆったりとした動きから激しく、立ち止まり、回転し、伏せ、舞う。ジャンプや側転などの派手で見せる動きはない。

 その美しい舞いを、運動が終わり姉を見ていたエカテリーナは魅せられた。姉はジャージ姿ではあるが、時に女神のように瞳に映った。


 エカテリーナはぼうっと見つめていたが、終わった事に気がつくと姉に駆け寄り蹴りを入れた。姉はそれを避け、彼女の胴を持ち高く空へ回転を加えながら放り投げる。叫び声が聞こえるが気にせず何度か繰り返した後、地面に降ろし満足そうに頷いた。


 地面でぐったりしているエカテリーナを余所に、ニコライさんとエレーナさんが拍手をしながら近寄ってきて姉を賛辞する。


「素晴らしい! 美しい舞いだった」


「本当に……ああ、録画しておきたかったわぁー」


「なんとここに姉ちゃんの剣舞を録画したメモリーがっ! 今ならカーチャが空に舞う姿付きっ!」


 弟がいつの間にか持っていた小型カメラから記録用メモリーカードを取り出し掲げる。


「売ってくれっ! 一億ルーブル(約一億七千万円)でどうだ!」


「駄目よ! ここは白紙小切手よ!」


 金はいらねぇーと言って、弟を睨んでいる姉を無視してメモリーカードをニコライさんに渡す。

 ニコライさんはありがとう! と感激してハグしていた。


 それから姉がエカテリーナを脇に抱えて運び、使用人に引き渡してシャワーを浴びた。



 朝食を取っている時に姉の左斜め前に座っているエカテリーナがチラチラ見ている。何か聞きたいことでもあるのかと姉は聞いてみる。


「カーチャ、どうしたのですか? 何か聞きたい事でも?」


「……魔王帰っちゃうの?」


 エカテリーナは涙目で真剣な顔だが、魔王という言葉に皆が吹き出して笑う。姉は、私が魔王? なんで? と不思議そうだ。


「食事の後に日本の偉い人と合流して帰国します」


「……か、帰らないで! わたしが倒すまで!」


 また皆が吹き出し、弟がカーチャは勇者かよとツッコミを入れている。


「それでは何年かかるかわかりません。帰国した後も訓練してくださいね。……いつか倒しに来て下さい」


 その言葉に納得したかはわからないが、小さく頷いてそれ以降は無言だった。


 ニコライさんとエレーナさんにお世話になったお礼を言い再会の約束をする。

 エレーナさんはそのまま日本へ同行するけれども……。



 総理一行との合流はクレムリン宮殿の中。滝川さんがロシアの外務次官と話しながら外で待っていてくれて、中の賓客応接室へ案内してくれた。

 宮殿の広さ、荘厳さに驚く姉弟。これまで見たロシアの建物は全て大きく立派で威厳に溢れている。


「お疲れ様、今回の交渉は今までにない成果だ。君達には本当に感謝する。ありがとう」


 賓客応接室に入るとすぐに総理が姉弟に言いながら握手を求めてきた。詳しい内容はわからないが、交渉は順調に進んだようだ。心から喜んでいるようで何処となく顔がスッキリし、やる気に溢れている雰囲気である。


「お役に立てて何より嬉しいです」


「伊崎兄うまくいったの?」


「おう! 懸念がひとつ完全になくなった。弟くんが言ったようにロシアと日本は家族だ」


 総理が嬉しそうに言う。続けて大統領も楽しそうに言った。


「君達姉弟は日本とロシアを繋いだ。これから両国はより親密な関係になるだろう。いつでもまた遊びに来てくれ。その時は国賓待遇だ。もちろん旅費、滞在費は全て国が持つからな!」


「た、タダで海外旅行……」


「おー! おっちゃん太っ腹っ!」


「うははは! 任せろ!」


 太っ腹がどうロシア語に変換されているかわからないが、自分の腹を叩きながら笑っているのでちゃんと通じているのだろう。


 お土産をたくさんもらい政府専用機に乗り込みロシアを発つ。三日しか滞在しなかったが良い思い出となった。家族が増え、ロシア連邦軍と交流? をし、観光し、美味しい飲み物食べ物を堪能した。そして、勇者とも出会った。姉はゆっくりと思い出しながら大事そうに心にしまっていく。少し微笑みながら……。


 一方弟は高いびきで眠りこけていた……。




「細井のおっちゃーん、お土産ー」


 帰宅してすぐに家の裏の細井さんにお土産を持っていく。お帰りーと奥さんが言いつつ鍛冶場へ通してくれ、細井さんにウォッカとキャビアを渡した。夫婦で酒豪なので喜んでくれるはずだ。


「おう、戻ったか」


「まぁー! ウォッカ? いいわねぇ、今夜早速飲ませてもらうわね」


 細井さんは相変わらずで、奥さんは嬉しそうにウォッカを箱から出し眺めていた。


「大統領と家族になったんだぜ! すげーだろ?」


「嘘つけ! クソガキが簡単に会えるか」


「本当だって! な? 姉ちゃん」


「うん、あ、写真」


 姉がそう言ってデジカメの画面を見せる。大統領と総理と姉弟で肩を組み酒を飲んでいる写真や、なぜか大統領に背負われている弟の写真などを見せた。


「そっくりさんか」


「本物だって! 信じろよー」


「本当です。あと総理は両親の弟子だったと聞きました」


「お嬢が言うなら本当か。おう、伊崎は俺も面倒見てやったぞ。何振りか刀を渡したな」


 細井さんの言葉に弟が、すげー! と驚いている。姉もびっくりだ。


「そういや伊崎もクソガキだったな。お前らの父ちゃんに何度もゲンコツくらってたわ」


「うそー、すげーな父ちゃん」


「お父さん、何てことを……」


 細井さんに昔話を聞きながら笑い、時には涙を落とし、二人は鍛冶場を後にした。


 吉田さんにもお土産のパスチラと紅茶、ロシアジャムを渡して帰宅した。



 翌日、姉弟は探索者互助会へ訪問し、積立金残高の確認と住宅ローンの残債を銀行へ送金して貰うよう手配を頼んだ。これで借金完済だ。銀行へ電話で完済確認を取り姉は心からほっとする。



 それから二日後、姉弟の家に弁護士が訪ねてきた。

 家に上がってもらいお茶を出して兄妹揃って話を聞く。


「住宅ローン完済時にこれをお二人に渡すようご両親から預かっておりました」


 弁護士がそう言って渡したのはメモリーカード。中にメッセージが入っているという。姉が驚き動揺していると弟がカードをテレビにセットし再生した。


 そこには二人元気に笑いながらこちらを見ている両親が映っていた。


『おうっ、元気でやってるか? 住宅ローン完済したんだな? 何年かかったかわからんがよくやった。そしてすまんな!』


 父の声が聞こえる。その声に姉は涙が止まらない。弟も目が潤んでいる。続けて母の声が聞こえてきた。


『ホント、ローン押しつけちゃってごめんね! お姉ちゃんと馬鹿息子なら何とかなると思ってたから心配はしてなかったけどね! ご飯ちゃんと食べてる? 馬鹿息子はお風呂から上がったらちゃんと拭くのよ? 風邪ひくわよ。それから……』


『おい、俺がまだ肝心なこと言ってないだろ。ちょっと待て! ……あー、なんだその、住宅ローン組んだ時にお前らにもいろいろ書類書いてもらったよな? 覚えてるか? それでな、その時に実は無人島も買ったんだ。じゃ! 後は頼むぞ! 親子ローン!』


 姉弟はしばらく呆けて何の事かわからなかったが、ハッと正気に戻ると二人して叫び声をあげた。



「ええええ!? なんだそりゃー! クソ親父ぃっ!」




「お、親子ローン……」


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