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三十一話 ロシアと迷宮三


 姉弟は広大な敷地にある雪原に立っている。いくつか丘があり、樹がまばらな林も見える。良い天気だ。

 姉の姿は黒いアンダーシャツにスパッツ、同色のトレーナーとジーンズを穿き、靴は防水加工済みのブーツだ。黒のニット帽を被り、手には短い模擬刀を両手に持つ。

 一方弟は黒いアンダーシャツにスパッツ、オレンジのパーカーにジーンズ、そしてスポーツシューズだ。武器は模擬刀を一本手に持ち、腰にもう一本下げている。

 もちろん二人の服には自社ロゴ入りだ。



 ここはモスクワ郊外にあるロシア連邦軍アラビノ演習場。

 姉弟とロシア陸軍との模擬戦を行う。ロシア陸軍は一個中隊、約二百人で戦車、狙撃兵、砲兵、歩兵で構成される。使用される弾丸、砲弾は全て模擬弾で命中したら染色されるペイント弾である。どの兵科が命中させたかわかるように兵科毎に色が違う。砲弾の場合は着弾と同時に染料が広がってばら撒かれ、染色されたらアウトとなる。もちろん直撃されたら気絶するほど痛い。スタングレネードは爆音と閃光での無力化が目的の為、そのまま実弾が使用される。


「姉ちゃん、俺ら二人だけって……これ怪獣扱い?」


「が、がおー」


「開き直るなよ……ま、やってみっかぁ」


 ロシア陸軍は大統領が指揮を執る。大統領は完全装備で歩兵として参加している。姉弟から遠く離れているが、高笑いが聞こえてきて今にも飛び出してきそうである。

 演習場には何カ所にもカメラが設置され、大スクリーンに分割して映し出されている。総理や社長、エレーナさんとニコライさん、それにロシア連邦軍関係者と議員達がスクリーンを見つめていた。



『パーンッ』


 開始の合図の空砲が鳴った。それと同時に姉弟は左右に分かれジグザグに走る。陸軍は左右と中央の三つに小隊毎展開してきた。包囲殲滅するつもりだ。その間にも砲兵が地対地ミサイルや迫撃砲を撃ち込み、動きを牽制している。


 姉弟の動きは人間のそれとは違い、目で追える速度ではない。熱感知センサーなどの各種センサーも役に立たない。狙撃兵は狙いが付けられず役割をこなせないでいる。

 探索者対探索者ならば拮抗もするであろうが、対人間ではまずその姿を捉えることが出来ないのでどうしようもないのだ。姉弟が蹴り上げた雪が舞う様子と、残された足跡しか見えない。

 特A級とはこれほどかと大統領が感心し歓喜していると、姉が歩兵を斬り捨てていくのが一瞬見えた。模擬刀とは言え当たり所が悪いと最低でも骨折は覚悟しなければならない。姉は上手く手加減しているようで、次々と気絶させて行っている。


 姉弟にとっては数的にたかが二百だ。普段から国営迷宮裏ルートでは数倍、二十四時間退宮では数十倍の魔物を連続で狩っている。砲撃と機関銃も脅威ではない。着弾点の予測が出来るし、銃では直線でしか攻撃できないからだ。


 魔物の魔法攻撃は動きがランダムであったり、視認出来ない風の刃が突然襲ってくる。迷宮では危険察知能力と勘が重要であるが、今回の模擬戦はそれすらも使う必要がないくらい圧倒的な力を見せつけていた。


 時折、姉はわざと姿を見せ自分への攻撃を引き受ける。弟はその隙に歩兵を倒していき、指揮官の大統領を討ち取って終了とした。



 ここまで圧倒されるとは思っていなかったのだろう、軍関係者と議員達は口をあんぐりと開け何も言葉が出てこない。スクリーンを見ていても姉弟の姿は一瞬しか映らず、いつの間にかバタバタと兵士が倒れていくのだ。日本と戦争をするべきではない、かの国が好戦的な国ではなくて良かったと胸をなで下ろす者もいた。

 今回の模擬戦は各国の偵察衛星やスパイにより情報が所属国に伝わるだろう。大統領も偵察されているのは知っていた。それは敢えてとめず、戦争の抑止力になればいいと考えていた。



 大統領はその場に寝転がったまま、ここまで圧倒的だった事に思案を始める。

 異世界神から迷宮開設方法を伝授されたのが日本のみで本当に良かったと安堵する。仮想敵国にこの技術があったならばどうやっても防衛計画を立案出来ない。

 自分でもこの大きすぎる力の誘惑に抗えないだろう。すぐにでも他国へ侵攻を開始するかもしれない。世界を統一するのはあまりにも簡単に出来るはずだ。

 だが日本はそれをしない。出来るとわかっていても実行しないのは何故だ、いつでも出来るという余裕か? いや、日本という国は自ら()()()戦争を起こさないのだ。それが頼もしくあるが、恐ろしくも感じる。もし日本が我慢できない事態になったら……日本に狂信者が指導者として立ったら……。


 日本から目を離すことは出来ない。寄り添って支え、日本を守らなければならない。日本への(こう)(げき)をロシアが盾になることで世界を守ることに繋がるのだ。輸出入制限、関税率を元に戻そう、むしろ自由貿易協定を結ぶ方向で行こう。それが我が国の為である。


 もうこの世界は日本一強なのだ。ロシアやアメリカ、中国の時代ではない。それが今日はっきりとわかった。日本を占領するなら全面核攻撃しか手段がない。しかしそれでは迷宮技術は手に入らないし、スパイによると迷宮内都市計画を実行しているようだ。戦争になれば迷宮内へ籠もり、核攻撃さえ防ぐことが出来るだろう。例え日本を占領できたとしてもその時点で日本の領土ではなくなり、迷宮自体がどうなるかわからないのだ。もしかしたら消滅してしまうかもしれない。異世界神はなんと恐ろしい技術を提供したのだ。


 おそらく今回得た情報によって、各国も目を覚ますだろう。そうなると日本への編入を求めていた国は先見の明があるという事だ。我が国も真剣に考えねばならない。



おっちゃん(大統領)……おっちゃん(大統領)!?」


 その場に仰向けになり目を瞑っていた大統領に弟が心配そうに声を掛け体を揺する。目を開け立ち上がって周りを確認し、弟にニヤッと笑いかけた。


「素晴らしいな、ここまでとは思わなかったぞ!」


 大統領がそう言って弟にハグをした。弟は、死んだかと思ったぜと言いながら抱き返していた。


 総理が大統領の下へ早足でやって来た。深刻な顔だ。


「大統領。二重国籍の件、少し慎重になった方がいいかと思います」


「そうだな、俺もそう思った。この力が他国へ流れるとまずい。小国なら一人で制圧できそうだ。俺の我が儘を通すわけにもいかん、白紙に戻す」


「英断です。我が国でも国籍取得と迷宮管理者資格試験、探索者資格試験の見直しを検討します」


「頼む。日本の慎重さは見習うべき点がある。それとなイサキ、輸出入制限解除と自由貿易協定を考えてくれ。今日はほとんどの議員を呼んである。おそらくすんなり議会可決されるだろう。我が国は平和的全面降伏だ。はははは!」


 大声で笑いを上げる大統領。総理と共に寄ってきていた軍関係者や議員達も降参だと両手を挙げ笑っていた。たった二人にここまでやられるともう笑うしかない。日本と共に共存繁栄の道を探った方がはるかに自国の為であると思い知らされたのだ。


 大統領と総理、主だった軍関係者と議員達は演習場の会議室に場所を移し、話し合いを続ける。

 兄妹達はモスクワ観光をし、ニコライさんの自宅へ行く。総理一行はホテルに泊まるが、姉弟はそこに泊まりだ。



 ニコライさんの自宅はお城だった。伝統的なロシア建築の白く輝く城。迎えの車がずっと進んできた公園と思っていた場所は庭で、姉弟の目の前にそびえ立つ荘厳なお城に圧倒される。


「ニコライ父ちゃん……何者?」


 思わず出た弟の呟きにエレーナさんが、ただ古くからある家系ってだけよーと答えた。


 玄関……というには失礼かもしれない巨大な扉を使用人が開けるとエントランスホール。

 いくつものシャンデリアが下がり、ひとつひとつの柱の装飾も見事で落ち着ける雰囲気になっている。


「お帰りなさいませ」


 六十代後半と思われる老男性が執事服を着ており、頭を下げ皆を迎え入れた。


「セバスチャン……」


 姉が思わず呟く。執事とみたらセバスチャンというのは日本人だけだぞ。


「はい、左様でございます」


 セバスチャンだった!


 ニコライさんが指示を出し部屋へと案内される。廊下にあった社長の肖像画には姉弟で顔を見合わせて小さく笑った。



 姉と弟はそれぞれ別の部屋であった。しばらくして弟が姉の部屋を訪ね、話し始める。


「姉ちゃん、借金返済終わってたな……」


 昨日は飲み比べなどで話せなかった話題を持ちかける。弟は椅子に座っており、姉はベッドで枕と布団のふかふかを堪能していた。ベッドから起き上がり弟に近づくとそっと頭を抱きかかえ撫でる。


「もう……我慢しなくていいです」


「うん」


「家のローンも終わらせましょう、ね」


「うん、それで全部終わりだなっ」


 それから弟が廊下をうろつき、使用人をつかまえてロシアスパークリングワインと少しのつまみを頼んだ。その時弟は使用人に、御用の際は部屋のベルを鳴らしてください、と言われていた。小市民だからしょうがない。


 二人で乾杯をしスパークリングワインのほどよい喉ごしと、ピクルスの酸味を味わう。白パンにイクラやキャビアをのせた味は忘れられないだろう。


 少しほろ酔いになった所でドアをノックする音が聞こえて来た。返事をするとエレーナさんが入ってきて、部屋のテーブルを見て叫ぶ。


「あぁー! なに二人飲んでいるのよー、呼びなさいよー!」


 エレーナさんはすぐにお酒やつまみを追加で頼み、社長を呼びつけた。ニコライさんは仕事に戻ったらしく城には居ない。


 社長が来て、すぐに頼んだ物が届く。ワインにウォッカにマッシュルームとトマトのピクルス、塩漬け豚のサーロ、ブリヌイ(ロシア版パンケーキのような物)だ。


「では、乾杯しましょう。何に乾杯しましょうか」


 社長が自らお酒を注いで回ってくれ皆を見回して聞いた。


「家族に!」

 エレーナさんだ。


「借金完済に!」

 姉が言う。


「姉ちゃんと兄ちゃん(社長)に!」

 弟がニヤッとして言った。


 弟の言葉にエレーナさんは笑い声を上げ、社長と姉は一瞬二人で見つめ合った後、照れて俯く。


「なぁ、兄ちゃん(社長)は何に乾杯?」


「み、皆さんの健康に!」


「真面目かっ!」


「ホント、つまんない息子だわー」


 とりあえず四人で乾杯し歓談を楽しんだ。ふと思い出したように弟がエレーナさんに聞く。


「兄ちゃんって一人っ子?」


「妹が居るわよー、いま十歳」


「え? 高齢しゅっさ……」


『バチーン!』


 すかさず弟の後頭部にエレーナさんの平手が飛んだ。いてててと言いながら後頭部をさすり、ごめんごめんと謝っている。


 エレーナさんが紹介するわねと言いながら部屋のベルを鳴らし、連れてくるよう使用人に伝えた。


 しばらくすると部屋のドアがそっと開き、銀髪緑眼の幼い女の子が顔を出して覗いていた。


「カーチャ、おいで」


 エレーナさんが呼ぶと、とことこと小走りに入ってきてエレーナさんに抱きついた。

 淡いブルーのワンピースに短めの白いレース付きソックス、靴も淡いブルーでその服装は真っ白な肌の整った顔立ちによく似合う。髪は肩から少し先まであるストレート、少し編み込みがしてある。ロシア美少女だ。

 ご挨拶してと促され、エレーナさんから離れ少しぎこちないながらもカーテシーで応えた。


「エカテリーナ、です。初めまして」


 姉弟も中腰になって視線を合わせ挨拶を交わすが、エカテリーナの視線は弟から離れない。

 エレーナさんが、もしかしたら本当のお姉ちゃんお兄ちゃんになるかもねーと言うと姉を一瞬睨んですぐに視線は弟に戻る。睨んだ理由は大体分かる。十歳にもなればそういう事だというのはわかるはずだ。


「カーチャどうした?」


 社長がエカテリーナを見ながら言う。


「お兄ちゃん!」


 そう言って弟に抱きついた。


「おいー、俺は兄ちゃんじゃねぇぞ。兄ちゃんはあっちだろ?」


 弟が社長を指さして言うが、エカテリーナは首を振る。


「あれはお兄様。こちらはお兄ちゃん!」


「あー、そっか。ま、いいや。で、カーチャってなに? エカテリーナじゃねぇの?」


「愛称よ、カーチャって呼んであげて」


「かわいい、ですね」


 姉が社長に微笑みながら話しかけて、社長は世界一可愛い妹ですと答えていた。

 その様子を見てエカテリーナが姉を睨んでみている。


「お、カーチャどうした? 怖いぞー」


「……あいつは敵」


 エカテリーナがぼそっと漏らした言葉だが、皆には聞こえており姉は、何で……? と動揺する。


「カーチャ、敵じゃないよ。仲良くしようね?」


 社長がそう言いながら頭を撫でるが、姉を睨んだままだ。そしてジャンプするように勢いよく立ち上がって姉の元へ走り蹴りを入れる。

 姉はそれをヒョイっと避け、蹴りの勢いでよろめいたエカテリーナを抱え上げた。


「はなせー! はなせー!」


 姉の手の中で暴れ回り手を振りかざしてパンチを繰り出すが全て避けられる。その事にますます怒りがわいてきたようで、顔を真っ赤にしてさらに激しく動き回った。


 敵だと言われ突然自分に向かって蹴りを放たれる、直前に社長と話している時にも睨まれた事からこれは嫉妬だろうなと姉は思う。しかしそんな時にどのように対処すれば良いのかわからない。子供の扱いもよくわからないので、父親がやってくれて自分が嬉しかったことをしてあげようと思った。


 姉はエカテリーナの足首を持って逆さまにし上下に揺らす。ワンピースを着ていたので当然めくれて可愛いピンクのパンツが丸見えになった。

 エレーナさんは大笑いして喜び、社長は何故こうなっていると固まっている。弟は、ほーピンクかぁーと何かに感心している。


「いやぁー! はなせ、はなせー!」


 勢いよく上に放り上げ希望通り離してあげると、天井にあたるかあたらないかくらいのギリギリの所で落下して来て足首を掴み受け止めてあげた。何度か繰り返すと抵抗しなくなり言葉もなくなる。ぐったりしてきたエカテリーナをベッドに寝かせ、頭を撫でてあげた。



「姉ちゃん、やりすぎ」


 弟が呆れ顔で姉に話しかけた。エレーナさんはまだ笑っている。


「……お父さんにしてもらったのを思い出して、やってみました」


「アー、あれに回転も加わってたなぁ」



「次は回転も、ですね」




 頭を撫でながらニコッと笑う姉が、エカテリーナには魔王に見えた。


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