二十三話 初級女子社員迷宮
今日の姉は特に何もする事は無いのだが、少し興奮気味である。
薄い水色の長袖シャツに同色のリボンタイ、紺色のベスト、同色の膝丈スカートに黒いプレーンパンプス、そして何と言っても黒パンストだ。胸元に自社ロゴのピンバッジをしている。
一方弟はグレーのパーカー(自社ロゴ入り)にジーンズ、スポーツシューズと姉とは対称的な服装である。
ここは探索サポート専門会社、略して探サポの社内にある個室。以前、姉弟の仕事部屋として用意されていたが、社の皆と同じフロアがいいと言う弟の意見を受け、二人のデスクは今は無く空き部屋である。
姉の着ている服は所謂OL制服。こっそり弟が社長(子息)に警察官の制服を着て、姿見を見ながら微笑む姉の映像を見せた。そして姉は制服マニアだと教えると、社長が会社の制服を発注し用意していた。
グループ企業から取り寄せたので大変お安くなっており、一着無償支給、今ならもう一着付けますということで、二着は無償支給としあとは自腹で購入との事を通達すると、姉は自腹で更に二着購入した。
弟が新スペルを編み上げる為、人の目がない所に行きたいという希望と、姉の早速制服を着たいという願いの両方を叶える場所がここだったのである。
空き部屋ではあるが、対面型のソファーが置かれ間にローテーブルがある。弟は立ってスペルを考えながら、姉は立ったり座ったりを繰り返し、制服の具合を確認している。
時折小道具(お盆など)を借りてお茶を配る練習もしている。おそらく姉にその機会は来ない。
『風になれ、誰よりも疾く駆ける風に』
「ちげぇー! ボツボツボツ!」
「お茶をお持ち致しました」
『風雲急を告げる……』
「にゃー! これはことわざ!」
「え? これを今日中にコピー百枚……ですか?」
『風よ吹け! 嵐よ来い!』
「おしいけどなんかちげぇ」
「あいにく吉田は席を外しております」
「姉ちゃん、なんか気が散る! 出てって! OLしたいなら本物の会社がドア出たらあるし!」
「……まだ本番には早いと思います」
「早いも何もねぇと思うけど、本物のOL見て勉強したら?」
「なるほど! 確かにそうです。行ってきます」
ドアを出て皆のいるフロアに行く。無駄にターンしながら皆の元へ行き自分の席へ座る。出社した時に皆には挨拶済みで、女子社員達の制服姿にうっとりとしていた姉だった。
出社直後にローカルテレビ中継を見ていた皆に、姫様、御屋形様などと言われたが一睨みで黙らせてある。
≪お電話ありがとうございます。探索サポート専門会社でございます。……いつもお世話になっております。……はい、少々お待ちください≫
≪申し訳ありません。ただ今、外出しており帰社予定は十六時となっております≫
≪かしこまりました。そのように伝えます≫
女子社員を少々危険な目で眺める姉。「プロだなぁ、素敵、制服は着るだけでは駄目、やはり仕事とセットでないと」などと思っており、男性社員には目もくれていない。男性社員は皆スーツを着ているが、姉の心ではスーツは制服ではないと除外されているので、モザイク状態で見えている。
「次に電話が掛かってきたら取ってみますか?」
素敵上級女子社員(姉基準)に勧められごくりと生唾を飲み込む姉。手に汗を掻いてきている。息が荒くなってきた。
“我はOLなり。我がOL技にかなう者なし”
自分に暗示を掛け、心を落ち着かせる。背から黒いOLが立ち上った。
※スペルが違いますが、だいたいそんな感じという雰囲気。
……そして電話が鳴る。
「お電話ありがとうございましゅ。探索シャポート会社れす」
駄目なOLが乗り移ったようだ……。
涙目になりながらそのまま電話を切る。切っては駄目だ、姉。
素敵上級女子社員がびっくりして、切っちゃ駄目ですよ! と慌てる。
また電話が掛かってきて女子社員が電話を取ると、先ほどの電話は社長、これから社へ戻るとの事で、姉に今日も冴えていますね、と伝言を承った。
やはり初級女子社員はお茶くみから! と奮起する姉だが、そんな事をさせる外資系企業はなく、またこの会社はフリードリンクで好きな飲み物を淹れてくるのだ。
それならば掃除を! と意気込むと、おばちゃんを解雇するのかい……? と掃除のおばちゃんに涙目で訴えられ大人しく席に着くのだった。
姉がVRで自社迷宮(以降探サポ迷宮)を攻略していると社長が戻り、社長室へ呼ばれた。もちろん弟も一緒だ。
管理者パッドから迷宮データを吸い出す事が出来るので、姉弟の攻略情報と合わせてVR化は容易である。ダンジョンコミュニティに自分の迷宮データをアップロードする管理者もおり、それのVR化は探索者証を持っていない者や外国人達に、迷宮を疑似探索できると人気である。ただし公営迷宮のVR化、攻略情報記載は迷宮法で禁じられている。
社長室へ入る際に飲み物をお持ちしたら? と素敵上級女子社員の勧めもあり再度初級女子社員魂がうずき始める。ここはやはりロシアンティー! と用意していると、社長は日本茶が好みであると教えて貰い、ロシア人のイメージが……と思いながらお茶を持っていく。
勝手なロシア人像を造り上げ、勝手にがっかりする姉に、私も最初はそうイメージしてたのよと素敵上級女子社員が慰めてくれた。優しい。
「失礼します。お茶をお持ち致しました」
姉が静々とお茶をテーブルに置き、ソファーへ座る。社長は日本茶、弟はコーラ、姉はコーヒーにミルク多めだ。
「今日は出社していたのですね。制服よくお似合いです。……さて本当に今更ですが、毎週の予定をざっくりとでも構いませんのでSaaS Cloudにアップ願います」
「以前、教えて頂きましたが分かりにくいので電話にします!」
「あー、あれなぁ、面倒。電話して黒板に予定書いて貰うのでいいじゃん」
「いつの時代の会社ですか……」
「細井さんもやってんの?」
「はい、細井さん、吉田さん方も使いこなしていますよ。細井さんは武器スポンサーとのやり取りもそれで、吉田さんは元々、政府機関で使っていたようです」
「えー! 細井さん似合わねぇ! 鍛冶とか勘の世界じゃねぇの?」
「が、頑張って覚えます。もう一度教えて貰うようにします」
「是非、そうしてください。さて、今日は各省庁廻りをしてきまして……滞りなく挨拶は出来たのですが、経済産業省から少し嫌味と協力要請をいただきました。防衛省もですが、これは喫緊ではありませんので後日にしましょう」
「嫌味……ですか」
「はい、牧田教授がお二人のサポートをする事についてですね」
国営迷宮百三十一階層にある経済産業省実験施設で迷宮エネルギーの研究をしている博士である。
「博士? なんでー、駄目なの?」
「いえ、駄目だとは言われませんでしたが、国営迷宮に経産省の実験施設があるそうですね。秘密保持契約書にサインさせられその辺りのお話を伺いました。お二人もサインされたのですよね?」
「はい、しました」
「おー、したした」
「経産省はその実験施設での研究がおざなりになってしまうのではないかと危惧していまして……もちろん遠回しな言い方ですが。そこで会社として牧田教授と協力して研究に助力せよ、という事です」
「よくわかんねぇ」
「あなた方は普段通りに迷宮攻略に専念して頂いて結構です。ただ実験機材を持ち込んだり、体にセンサー類をつけてもらったりする事があるかもしれません」
「あー、あの全身タイツみたいなの?」
「それは自社素材開発テストです。その上からつけたセンサーですね」
「わかりました。博士ともお話しした方がいいでしょうか?」
「そうですね、その方がスムーズに話が進むと思います」
「よっしゃー! 国営に出稼ぎがてら行こうぜ! 姉ちゃん」
ここの所、まともに借金返済資金を稼いでいなかった姉の目が輝く。会社の年俸二人分だけでも毎月の返済は出来るのだが、出来れば前倒しで返していきたいのだ。
「国営迷宮は抽選ですよね。牧田教授に面会したいからとすぐに入れますか?」
「はっはっはっ! 博士にソントクしてもらった!」
「忖度です。使いどころが違いますけど、融通を利かせて頂きました」
「なるほど、いつでも国営に入れる、と……それはどうやってかというのは教えて貰えますか?」
「はい、これは秘密保持契約内ではありませんので大丈夫だと思います。ただ、あまり言い回らないようにとは……」
「ああ、わかっています。私だけに納めておきましょう」
社長の言葉を聞き、頷いてから黒証(黒い探索者証)をテーブルに置く。
「これは……初めて見ました。何ですか、これ」
「国営迷宮ではこの黒証を発行する事が出来るそうです。それの機能で魔物に接敵しても襲われないというのと、抽選無しで入宮できます」
「なるほど、これを使って研究者達は入宮しているのですね。毎回どなたかに護衛されて入るのかと思っていました」
考えてみたら護衛は非効率ですね、と呟きながら黒証を手に取りじっくりと見ている。
「これ、今度吉田さんにも見せて頂けますか。何か他に知っている事があるかもしれません」
「わかりました」
確かに最高峰の日本迷宮に係わっていた吉田さんなら知っているかもしれない。今度聞いてみようと思いつつ黒証を携帯し直す。
探索者証はパスケースに入れ、チェーンなどを通して首から提げる者が多いが、姉はそうしてしまうと時にケースの角が胸に挟まって痛いので、腰に付けたチェーンに取り付けている。弟に貰った物だ。
超小型IC化も進んでおり手の平等に埋め込む技術もあるが、昔からお役所はカードという実物が好きなので(目視確認が必要という建前)現在もその慣例にならっている。技術は進歩してもその辺りは進歩しそうにない。
「ところで今週末のご予定はありますか?」
「いいえ、決めた物はありませんが……博士か吉田さんに会いに行こうと思います」
「少しそれをずらして頂いて、私と食事でもどうでしょうか」
「おお!? なんだ? デートか?」
弟の目が輝きはしゃぎ始める。これは姉のとって一歩を踏み出すチャンス。その一歩が踏み出せない姉に、踏み出させるのだ。魔物への一歩は踏み出したようだけれど。
姉はデートという言葉に身構える。
「少し違いますが、弟くんもですよ」
「なんだよ、俺は気にせずに二人で行ってこいよ」
「すみません、お断りします」
「はっはっはっ! いやいや断らないで下さい。父が来日しますので是非会って頂きたい。親会社社長として、です」
「なんだよー、仕事かよ。プライベートで誘えよ」
「わ、わかりました」
詳しくは後日連絡します、と言われ退出を許可されたので社長室を出る。食事に誘われた時にはドキッとして咄嗟に手を握りしめた。今までに無い感情が湧いてきて焦りもしたが、仕事だとわかりホッとしたと同時にがっかりもした。なんだろうコレは……姉は怖いと思いつつ弟が傍に居てよかったと安心した。
「姉ちゃん、食事でも仕事だからって制服は駄目だからな!」
「えっ!……」