十四話 温泉迷宮
姉は浴衣姿で腰に手をやり仁王立ちをしている。髪をアップにしうなじを覗かせ、ゲタを履いていた。
浴衣は淡いピンク地に大きな桜の花びらが舞っている。アンダーシャツは着ておらず素肌に直浴衣だ。姉の豊かな胸が浴衣の合わせを押しのけて主張している。帯は緋色で文庫結び。旅館の人が楽しそうにやってくれた。ゲタは黒い小さな物で赤い鼻緒だ。
一方弟も浴衣姿が似合っている。漢らしく腕を組み正面に目をやっていた。
弟の浴衣は紺色をベースにした紗綾形模様。帯も同色系だ。
ここは温泉迷宮。
先日の競技迷宮での活躍ぶりに感激した子息は契約外のご褒美を用意した。温泉迷宮一泊二日地元取れたて新鮮魚介類の豪華会席と利き酒。送迎付き。
会員探索者のみ入宮出来る迷宮であり、政財界会合、芸能人のお忍びや所謂セレブな方々御用達の迷宮だ。
この温泉迷宮の会員権を二人にプレゼントしたのであった。
今回はご姉弟でごゆっくり、と子息は参加を控えた。初めて空気を読んだ行為に驚いたがありがたく受け取った。
ここはひとつの町全体が迷宮で、地上は全てセーフティーゾーンとなっており様々な温泉を楽しむ事が出来る。地下に魔物がポップする場所があるが、二階層しかない上に魔物は最弱でドロップ品も期待できない。浴衣に素手で充分対応できる階層である。女性あるいは男性が戦闘して浴衣がはだけ、それを見て楽しむような所だ。
姉弟は早速その地下へ向かったが、あまりの手応えのなさとドロップ品がペナントや地名の入った提灯だった為に早々に引き上げ、不機嫌に仁王立ちしている所だった。
「姉ちゃん、ここはやっぱ温泉を楽しむべきだな。魔物しょぼすぎ」
「温泉久し振りです。魔物なんていなかった、ここには魔物なんていない」
探索者証に記録が残るために、一応踏破はした。入宮すると探索者証にその迷宮情報が残る。どの層まで到達したかが残るので、ここの迷宮が未踏破のままだと悔しい、そんな姉の思いからである。
すでにチェックインしていた宿に戻り、浴場へ向かう。昔ながらの造りの日本旅館だ。ただし超高級旅館である。
「じゃー後でなー」
「はい、ゆっくり入って」
二人は別々の入り口をくぐり脱衣所に入った。脱衣所自体広い、一見普通の温泉脱衣所であるが雅な風情がある、ような気がする。中には女性が控えていた。着替えのお手伝いと雑用をするという。
「ひ、一人で脱ぎますから大丈夫、です」
こんな世界があるのかと姉はびっくりして断るが、いえいえ、お手伝い致します。と女性は離れてくれない。仕方ないので任せると浴衣を取られ、アップにしていた髪をおろされ、裸にされて手にタオルを持たされた。
溜め息をつきつつ浴場へ入る。なぜか先ほどの女性もついてくる。中に何か用でもあるのかな、と思いながら洗い場に腰掛けると女性が後ろに立った。
「髪はどうされますか? 本日はお洗いになりますか?」
えっ、まさかと振り向くとにっこりと笑った女性が、姉を洗う準備をしていた。
「じ、自分で洗います」
「いえいえ、お任せ下さいませ」
結構強引だ。姉が俯いて恥ずかしがっていると、髪、背中、腕と洗われていき、もう全部見せてしまった! と余すところなく綺麗にされた。
髪をアップにされて浴槽へと案内される。足元からゆっくりと浸かり、女性が浴場から出て行ったのを見届け一息吐いた。
落ち着いて見渡すと広い浴槽だ。一人貸し切り状態となっていて嬉しい。洞窟エリアを改造しているようで、露天風呂のような風情がある。優しい灯りに照らされ紅葉が見える。
リラックスしていると先ほどの女性が浴場に入ってきた。
「お飲み物をお持ちしました」
そう言ってお盆に徳利とお猪口をのせた物を湯船に浮かべる。
こういうの本当にあるんだ、と思いながら少し口にすると甘く飲みやすい日本酒だった。飲み過ぎてしまいそうな感じである。迷宮の中というのを忘れ頭を空っぽにしていく。
「姉ちゃーん! 酒飲んでる? うめーなコレ!」
風情を台無しにする大声が隣から聞こえる。舌打ちしながら最後の一口を飲みきり浴場を出た。
体を拭くのも浴衣を着るのも女性が手伝い、すごく恐縮した気分になりながら風呂場を出ると、廊下で弟が待っていた。
「楽しんでいたのに、あんな声出して……」
「なぁ、それより待ってる間いい事聞いたんだよ。行こうぜ」
弟に連れられ広間へ入る。ゲームセンターにあるようなゲーム機と卓球台があった。
「こんな所に来てまでゲームですか?」
「いや、なんか様式美だってよ。これがないと温泉宿じゃないとかなんとか」
「そういうものですか」
「まぁいいじゃん。卓球やろうぜ!」
「やった事ないです」
「適当に打っときゃいいんじゃね」
渋々とラケットを手に取り振ってみる。軽い。ラケットが見えないくらいの素早さだ。風圧で卓球台のネットが揺れている。姉の胸も揺れている。
「姉ちゃん、ゆっくり、ゆっくりな」
弟がボールを打つ。姉は思いきりラケットを振る。空振り!
むぅっと少し不機嫌になる。何度か繰り返すがどうも当たらない。
「姉ちゃん、ラケットをいつもの双剣と思ってやれば?」
なるほど、と両手にラケットを持って構える。
弟がボールを打つ。右手を下段から上段へ振り抜く。ラケットのラバー部分ではなく側面でボールを弾き返す。ボールはひしゃげながら返球された。額に当たってのけぞる弟。
「できた」
「できてねーよ!」
もう一度と弟が言ってボールを打つ。ワンバウンドして少し高めに上がった。袈裟斬りにする。腕を振り上げ浴衣にそぐわない動きなので、合わせが大きくはだけ胸が出てきそうだ。ボールが真っ二つになってそのまま弟へ返球された。
「よし」
「よしじゃねーよ!」
しばらく続けたが、もうボールが無くなってしまった為に仕方なく部屋へ戻る。
「卓球、意外と楽しいですね」
「あれは卓球じゃねー、ただの訓練だわ」
部屋へ戻ると「地元取れたて新鮮魚介類の豪華会席」が用意されていた。なぜか三人分。
不思議に思っていると、部屋へ男が乱入。
「サプラーイズ!」
そう言いながら入ってきたのはスポンサー会社社長子息。浴衣姿でにっこり笑いながら二人を見る。
二人は突然の事に固まっている。
「はっはっはっ! 驚きましたか? 私も来ていたのです」
「あ? 二人でゆっくりどうぞって……言ったよな?」
「ハイ、私は行かないとは言っていませんっ。ふふ」
ロシア人のドヤ顔を初めて見た二人は何も言葉が浮かばず、取りあえず座布団を投げつけた。
「オー! これがマクラナゲ! しかし今は食事をしましょう。あとでやりましょう、マクラナゲ」
子息に上座に座ってもらい食事をする。これは置物、これは銅像と子息を心の中で無かった事にして食べる。
「おいしい……」
思わず姉が口にする。普段食べる惣菜屋の弁当も美味しいのだが、違う次元の料理のようだ。お酒もすごく美味しい。料理に合わせてあるようだ。マリアージュなど気にしない二人だが、この料理とお酒の組み合わせは感動ものだ。子息も楽しそうにお酒を飲んでいる。
「なぁ、ウォッカじゃなくていいのかよ」
「朱に交われば赤くなれ、ですよ」
「微妙に違うが、こういう時は郷に入っては郷に従えじゃないか?」
「その説もありますね」
ウインクしながら言う姿は日本人には出来ない。似合っているだけになんだか腹立たしい。
食事が終わり、仲居さんがお酒とつまみを置いて片付けてくれた。皆、ほんのり酔っている。
「ここでこんな話をするのはどうかと思いますが」
子息は二人をしっかり見て真剣な顔になる。
「先日の競技迷宮、本当に感動しました。初めてあなた方の戦闘を見ましたが素敵です。美しい、そして畏怖を感じました」
これは真面目な話だと二人は居住まいを正す。
「申請に難題がたくさんありますが、日本迷宮に挑戦しませんか?」
「なっ!」
「まじか!」
「はい、マジです。ですが今のままでは駄目です。まず我が社への審査が政府から入ります。あなた方の審査も入ります。それをクリアしてもさらに問題がありますので、まだまだ先の話です」
「お願いします! 何でもします!」
「やるぜ! 絶対行く!」
日本迷宮。
現状最難関の迷宮であり、政府と軍事企業が協力して開設したもの。上へ登るタイプの迷宮で初期の頃から拡張を続け現在全五百層。絶対に踏破させないように作ったとしか思えない鬼畜迷宮。
そこに入宮するには探索者の実力はもちろん、バックアップ体制と資金が必要。踏破するには年単位の時間がかかると言われている。いまだ踏破した探索者はいないらしく、何の為にそんな極悪な迷宮を開設したのかはわからない。
姉弟の両親が行方不明になった迷宮である。
「私は日本迷宮の話をした事を後悔するかもしれません。でも見てしまった。魅せられてしまったのです。もうこの心がはやる気持ちを抑えられません。我が社がバックアップし、あなた方が踏破する姿が頭から離れません。ゴメンナサイ」
「謝るなんて……私達は感謝します。ありがとうございます」
「そうだぜー、感謝するぜ! あやまんなよ」
「あなた方が帰らぬ人となるかもしれない。私が後押しをしたために……私が今日この話をしてしまった為に……」
「入宮する前からそんな話すんなよ」
「そうです。まだ先でしょう? もっともっと強くなります」
少し涙ぐんでいた子息が目を拭い、お酒をあおる。
「バックアップ体制等についてあらためて契約をしたいと思います。後日、社への方へ来ていただけますか?」
「はい、行きます!」
「おー、あそこの社食うめーんだよな」
弟の言葉に笑みを浮かべ、お待ちしていますと言って部屋を出て行った。
「姉ちゃん……」
「うん、行く。絶対に行きます」
「おう! なんか燃えてきたー! 迷宮入りてぇー! でもここのしょぼーい!」
「ふふふ、帰ったら国営行ってみましょうか」
「お、いいね! 博士にも会いに行こうぜ」
「うん」
どこからともなく虫の鳴き声が聞こえる。窓から二人を三日月が覗いていた。
「お父さんお母さん……迎えに行けそうです」