剣闘奴隷の魔法剣[短編]
青年の片手剣が叫び声をあげている。
憤怒か、悲傷か。はたまた哄笑か。何を叫んでいるのか、それが解るものは、いなかった。
とはいえ、もちろん。無機物が本当に声を発した訳ではない。
意志を持ち、声を発しているように見える魔法の道具もこの世界には存在する。が、どれも理屈を持ったタネが存在する。今回に至っては、落雷であった。
青年の目の前で、小規模の雷が落ち続けている。
剣身が帯電し、放電していた。解き放たれ、空中を突き進む。最期は摩擦に負けたのか、どういった仕組みか霧散し、かき消える。
その摩擦が爆音を生んだ、雷光を呼んだ。バリバリバチバチと好き勝手に叫び、剣身は反射光で光り輝く。
直前まで飛び交っていた野次は消えた。観客はおろか闘技場の職員までも、試合を見ていた誰もが言葉を失い、目を奪われた。視線の先にはもちろん、青年の片手剣がある。
新人剣闘士に配られる何の変哲も無い武器が、神々しく様相を変えた。
鈍いながらも光沢のある剣身からは稲光が溢れる。黄金に輝いて見える片手剣を、両手で持つ屁っ放り腰の青年。支給されなかったようで、鎧はつけていない。安物の上下は、直前まで良いようにやられていた事もあってボロボロでみすぼらしい。右足首にはステージ中央から延びる鎖に繋がれる姿は哀れとも見える。そして痛々しい。
一番ひどい怪我は左足太もも。鋭い牙にえぐられ、ぱっくりと裂けている。肉が露出し、血が流れ出ている。他にも、全身に大小様々な傷を追い、それでいて、なんの幸運か、致命的な傷はない。
はっきり言って、剣とその他が釣り合わない。
青年は、ぽかんと開いた口を閉じることも忘れていた。突然電撃を纏い始めた剣に、呆気にとられていた。
狙った訳ではない。何故その変化が起きたのか、わからない。音をたて、腕の中で突如光が弾けた。いきなり剣が電流、雷を纏ったのだ。死にたくない、死にたくないと無我夢中で振り回していた申し訳程度の剣が、威嚇のために張り上げた声をかき消すように産声を上げた。
もう一度、片手剣が嘶いて、青年はハッと意識を戻した。自分がどこにいるかを思い出し、敵に意識を向け、教わった正しい構えを実践する。身体を半身に、剣を握った右腕を前にした体勢だ。両指で数えられる程度の日数ではあったが、無理矢理に叩き込まれた戦闘技術が構えとして顔を出す。
武器の異変に意識を奪われ、現実に引き戻された事で、直前までのパニックは何処へやら。青年はいやに落ち着いていて、余計な力が抜けていた。
観客達は異様なモノを見ている。光り輝き、大声を張り上げる奇怪な武器を手にした異国の青年。光を呑み込む漆黒の髪に、色味を帯びた肌。観客席にまで鳴り響く耳を潰しかねない轟音を、小さな太陽を見るているかのような光を、携えている。にも関わらず、青年は何事もないように、ケロリとしている。
仲間に連れられ、興味のない剣闘観戦に来ていた1人の学者が『雷だ』と、呟いた。創世記における一節であり、この国において知らぬものは恐らくいない。
1人の観客が、声を上げた。平民階級の年若い男だった。興奮に顔を赤らめ、恋する乙女のように目を潤ませている。
そのまま膝立ちに天に仰ぎ、泣き叫ぶように五体投地の体勢をとる。信仰する神に対する祈りの姿勢だった。混雑した平民階級の観客席で、それがどれほどの迷惑かなど考えなくてもわかる。
だが、咎めるものは誰もおらず、それどころか祈りの波は広がっていく。
直前まで、静まり返っていた人の声が、再び湧きたち。メインの試合でも聞いた事のない感性があがった。闘技場から聞こえてきていた、恐ろしい音が人の声に負ける。
前座の試合などと、馬鹿にして、後半の試合だけ見ようと思っていた男が舌打ちをした。普段、さほど剣闘試合に興味がなく、これから先を見に行く事がないと余っていた女が、興味を向けた。
彼と対峙していた、狼の身体に鼬の顔を掛け合わせた姿の恐ろしい獣は、尾を丸く丸めて体を縮めている。情けない声を上げていた。愛くるしさすら覚えてしまいそうな姿だ。直前までの空腹に溺れ、目の前の獲物を食い殺さんと舌なめずりをしていた姿がもう思い出せない。
青年の死をもって、この凶暴と名高い獣に人の味を覚えさせる。この取るに足らない生き物は餌だと教え、最終的には、イベントの一つとして活躍してもらう。それが闘技場関係者の考えていたシナリオ。青年はかませ犬として、ここで死ぬ。その予定だった。
それがどうだ。
生きるため、青年が右脚を少し動かそうと脚の筋肉の形を変えた。わずかな動きが、石造りのステージと場違いなスニーカーの間に音をたてた。
ジュッとか、シュッという非常にわずかな音だ。剣の嘶きにかき消されるまでもなく、勝手に消えてしまう音だった。しかし、わずかに混ざったそんな雑音に、獣は反応した。
青年に再び飛びかかったわけではない。むしろ、逆方向。逃げ出そうと青年に背を向け駆け出した。だが、ステージ中央から延びる鎖は逃げ出すことを許さない。鎖が伸びきり、鉄の首輪が突っ張り、獣は情けなくたたらを踏む。
狂暴と名高い獣の面影はない。自然界の弱者は殺され、喰われる。
そんな姿が、青年の思考を更に落ち着かせる。目の前の獣に集中し、息を吐いて、吸う。
この期に及んで、生き物を殺す事が怖いなどとのたまっていた青年の甘えは、すでに上塗りされている。全身が痛いのだ。左の太ももが焼けそうなくらいに痛いのだ。
やらねばやられる。
右足を前に、左脚を追従させる。太ももの痛みのせいで上手く動かせず、引き摺る形となった。
青年としても、ずっと待っているわけにもいかない。剣がこうして帯電している間しか、勝つ事ができないと考えた。ジリジリと歩を進める。ジッと獣を睨みつける。同時に、どう攻撃しようかとざっくりと迷っていた。戦闘の素人である彼ができる事と言えば、構えから突く、払うくらいしか知らない。縮こまった獣を狩るには上から振り下ろすか、直線で突く。
ただ、そろそろ片手剣の重みが腕にのしかかってきており、上手く突きを繰り出せる気がしなかった。故に、頭の上に持ち上げ、左手で右の手首を支えた。正直、その体勢から剣を振り下ろすのであれば、腰の位置が高すぎる。かなり近づかなければ、上手く切ることはできないだろう。
獣も、ただではやられない。窮鼠猫を噛む。臆病なれど飛びかからんとする。怯えた体を持ち上がる。
まだ、剣を振るうには遠い位置だった。
牙をむき出しに、獣は跳ねた。青年は驚き、とっさに剣を振り下ろした。間合いは遠い。カウンターにはならないだろう。残念ながら、剣が獣に届くより先に、獣の牙が無防備な青年の身体を貫く。獣が飛びかかる前から、観客席の熟練達や、試合を見慣れた闘技場の人間達にはわかった。
金のなる木を見つけた闘技場の人間達に戦慄が走る。助けは間に合わない。元々、彼が無様に負け、観客達に緊張を与える為の試合だ。試合を止めにかかる人間は、形だけの見習いが配置されていた。助けは間に合わない。
青年は授業中は気恥ずかしくて、申し訳程度の声しか出した事は無かった。しかし、ここ一番になって、気合が空回りして大声を張り上げる。本来の構えなどと、影形もない。再びのパニックに陥り、うぁぁぁぁ! と抜けるような情けない声が最初に漏れた。そして、振り下ろす動作に声が続いた。
慣れない大声に、声が裏返っていた。彼の言葉が分かるものが誰一人としていないこの場所であっても、声の質というものは理解できる。しかし、それを指摘するものはいなかった。加えて、
「メェェェェェェェェン!」
青年の叫びをかき消すように、雷が落ちた。
多数の剣闘奴隷を殺した獣はいつしか、剣闘奴隷ではなく、外からやってきた騎士を相手取り、殺される。討伐を果たした騎士は、それを逸話の一つとして箔をつける。国の英雄こそがそこに立つ。闘技場、国の上層部の計画では、そうなる予定だった。
早すぎる英雄の登場に観客は湧いた。
ただの一人だって殺していない、ただの獣を、討伐した英雄。
近い未来、"神の怒り"、"奴隷解放の騎士"、"救国の英雄"と呼ばれる、異界の青年。異次元の壁を超えて迷い込み、なす術もなく奴隷となった平和な国出身の青年。そのデビュー戦は血に塗れ、泥に汚れている。
振り下ろした片手剣は放電をやめ、ただの鉄の塊のフリをしていた。ただの剣。剣闘奴隷の魔法剣が、手から滑り落ちた。その片手剣は、彼の生涯の相棒となる。
黒焦げの獣の死体を前に、青年は雄叫びをあげた。そして、堪えきれず嘔吐した。
ゴールデンウィークが終わった。