彼女の名前
部活のメニューを高速で終わらせて床に倒れ込むチームメイトに先に帰ると告げると俺は急いで着替えを済まし家に向かった。今回はちゃんと昴の家にまっすぐ向かった。
いつものように鍵のかかってないドアを勢いよく開けてまっすぐ階段を駆け上るとその勢いのまま昴の部屋のドアを開けた。
「昴!!」
「ど、どうしたの、隼人くん。すごいバタバタ音してたけど」
「知ってるじゃないか!!」
「は?なんのこと?」
「俺の運命のお姫様!!知ってるなら早く教えろ!!」
「なんなの?知らないよ」
「そんなわけない。若菜と一緒にいたぞ。若菜に友達なんて1人しかいないだろ!!」
「へ!?坂下さんのことだったの!?」
「ほら見ろ、知ってるじゃないか」
鍛えているから息切れはしないものの昴のすっとんきょうな声に呆れて少し気持ちが落ち着いてきた。ベッドに腰かけて今日見たことを話した。
「まさか隼人くんが言うお姫様が坂下さんだったなんて……。しかも運命とか、現実主義の隼人くんが優菜さんみたいなこと言い出すし、いや、すでにお姫様がって言ってる時点でキャラ変してるか……」
「で、名前は?」
「えっと、坂下さんだよ。坂下椿さん」
「坂下椿……」
ようやく彼女の名前を知ることができた。
「で、でも、あの、坂下さんはやめた方が……」
「あ?あんなウブな子に男がいるわけないだろ」
「い、いや、それは知らないけど若菜が許さないと思うっていうか……」
「なんで若菜の許可がいるんだよ」
「言ったでしょ。もうべったりなんだよ。坂下さんがちょっと他の友達と喋ってるだけで怒るし……隼人くんが坂下さんのことが好きって知ったら怒り狂いそうで怖いよ」
「可哀想に。若菜に束縛されてる囚われのお姫様なんだな」
「ちょっと隼人くん!!正気に戻って!!隼人くんらしくないよ!!」
肩を前後に揺さぶられながら俺は若菜といた彼女の姿を思い出す。
「よし。椿を若菜から解放してあげないと」
「いきなり名前呼びし出したしそうじゃない!!坂下さんも若菜が好きなんだよ。引き離したら坂下さんも嫌がるよ!!」
「洗脳されてるのか。ますます可哀想に」
「隼人くん!!戻ってきて!!」
その時部屋のドアをノックする音がした。
「は、はーい」
昴が返事をすると彩華さんがドアを開けてベッドに腰かける俺と俺の肩を掴んだままの昴を見て怪訝な顔をする。
「やっぱり隼人?顔出してくれないなんて珍しいと思って見に来たけど。夜ご飯食べてく?カレー」
「う、うん。食べるよ、だから母さんは出ていって良いよ」
「え?なによ、どうしたの?」
「いいからいいから」
彩華さんを追い出した昴がドアを後ろ手で閉めて俺に言う。
「隼人くんの好きな人が坂下さんってことはわかったよ。だけど秘密にして。誰に言っても若菜の耳に入るから。美香さんや優菜さんと違って口が固い母さんでもあの隼人くんに好きな人ができたなんて大ニュースみんなに話さないわけないから。若菜に知られたら大惨事だよ。良い?ご飯食べてる時は今の話絶対しちゃ駄目だからね」
「……昴、お前顔怖いぞ」
椿のことに思考を飛ばしていた俺だが昴の鬼気迫る様子に圧倒されていた。
そして夕食を食べてから部屋に戻った俺と昴はもう一度椅子とベッドに座った。
「さてさて、どうやって隼人くんに坂下さんを諦めてもらおう」
「なんで諦めないといけないんだよ」
「ちょっと、せっかくクールダウンしたんだから冷静に戻ってよ」
「俺は冷静だ」
「……そう?まあ、さっきよりマシか。だから、若菜が絶対許さないよ。ただでさえ初めてできた親友だってそばから離れないのによりによって隼人くんだもん」
「俺がなんだよ」
「自分が今まで付き合ってきた女の子たちにどれだけ酷いことしてきたかわかってる?」
「おい、酷いことなんてしてないだろ。俺をなんだと思ってるんだ」
「自覚がない。きっとまたご都合主義で覚えてないかねじ曲げて覚えてるんだろうけど、バスケと私どっちが大事なのって聞かれて面倒な女だな、それなら別れるか?って聞いて泣かせたの当時僕のクラスのしかも隣の席の子ですごい気まずかったんだから!!しかもバスケが休みの時も会えない口実に幼馴染みと会うって断って僕を呼び出してきたり。若菜と遊んでたし、その子も僕が幼馴染みって知ってるからさらに気まずかったんだからね!!」
「ああ、なんだ、その話か。そんなに酷いか?それにそんな言い方はしなかったはずだ」
「酷いよ!!みんなには少しオブラートに包んで伝えたけど隼人くんまでそれで覚えてるの?」
「俺が言ったか?」
「その子が言ってたんだよ」
「お前なあ……なんで俺の言うこと信じないでそいつの言うこと信じるんだよ」
「隼人くんの記憶の改ざん能力のせいでしょ。それに元カノのこともそいつ呼ばわりして。曲がりなりにも対外的には品行方正で通せてる隼人くんがそんな言葉遣いしたらそんなに迷惑だったんだってショックを受けるでしょ。丁寧モードの隼人くんしか見てないはずのその子が妄想でもそう言ったって考えるはずないよ。実際に言ったんだなって思うでしょ」
「さすが昴。確かにそんな気もしてきた。で、それと椿のこととどう関係するんだ?」
「もう!!だからそんな酷い隼人くんと坂下さんを仲良くさせたいと思うわけないでしょ!!」
「椿にはそんなことしない。昴もそう思ってるのか?」
「え、いや、僕は隼人くんが変わりすぎてどう転ぶのか全然わからないからなんとも言えないよ」
「……はあ。じゃあ態度で示す」
「え?」
「なんだよ?」
「隼人くんがそんな殊勝なことを言うなんて……」
「……だからお前はいったい俺をなんだと思ってるんだ」
「ご、ごめん。……もしかしたら良いチャンスなのかな」
「協力する気になったか?」
「え、狙った?」
「そんなんじゃない。けど今すぐ椿の知ってることをなんでもはけ」
「ひぃ!!脅し!?無理無理!!そんなことしたら若菜に何て言われるか!!」
「あいつには秘密にするんだろうが。良いから言え。そこにあるシミのついたハンカチ捨てるぞ」
俺は話しながら立ち上がってタンスの一番上の引き出しを開けて服を取り出して奥にあった缶を開けてがらくたの中からシミのついたハンカチを取り出した。
「駄目駄目ーー!!」
駆け寄って取り返そうとする昴をかわし、腕を挙げてハンカチを昴の手が届かない高さに持っていく。
「言うか?」
「言う言う!!言うから捨てないで!!」
「よし」
空中でハンカチを手放しベッドに戻る。
「それにしてもいつまで持ってるんだ、それ」
「ずっとだよ!!まったくもう!!」
俺が手を離した瞬間にキャッチしたハンカチを綺麗にたたみながら昴も椅子に座った。
「そんなもののなにが良いんだか」
「これは幼稚園の時に若菜が初めてくれたプレゼントなんだよ!!何度も言ってるけど!!」
「わかってるって。けど下手くそすぎるぞ。汚れたテーブルを拭いたようなシミだ」
「ちゃんとお花の形になってるよ。それにシミじゃなくて絞り染めだよ」
「はいはい。で?」
たたんだハンカチを机の引き出しにしまった昴はため息をついた。
「わかったよ。僕が言ったってバレなきゃ良いんだもんね。えっと、なにを言えば良いの?」
「全部」
「んー……。名前は言ったでしょ。クラスは若菜と一緒だから3組で出席番号は若菜の次だから7番。部活は書道部。血液型はA型。3駅隣の一軒家に住んでいて家族構成はお父さんとお母さんと坂下さんの3人家族。動物は全般好きだけどどちらかというと犬派で小学生の時にチワワを飼っていたんだって。名前はちーちゃん「ちょっと待て!!」え、なに?」
「なんでそんなことまで知ってるんだよ!!」
「だって若菜が楽しそうに話してくれるから」
「もう良い!!」
「え、まだあるけど」
「そこまで知ってると腹が立ってきた」
「なにそれ、全部話せって言ったりもう話すなって言ったりわがままなんだから……」
「あとは自分で聞くから良い」
「そうですか。どうやって話しかける気?ずっと探してたのに今日ようやく見つけたんでしょ。会えるかどうかもわからないのにどうやって話すの?それに会えたとしても若菜が隣にいるよ」
「それは……とにかくもう一度見つけて声をかける」
「そう、頑張ってね」
「おい、協力は」
「するって言ってないよね。自分で頑張ってよ。直接的に介入するのは若菜の手前難しいよ」
「使えないな」
「教えてあげたのにそんなこと言う?」
「はあ……。それにしても"控えめな素晴らしさ"とか"謙虚な美徳"、椿にぴったりだな」
「なに?」
「花言葉」
「……調べなくてもパッと出てくるくらい雑学含めての知識はすごくて頭は良いのにもったいないんだよね」
「じゃ、俺はこれで」
「へ?帰るの?」
「そうだけど、なにかあるか?」
「え、ううん。じゃあまたね」
俺は椿の話を聞けたことに満足して自分の家に帰った。