別れ
ついにクリスマスイブ。俺は迷っていた。今日言うのか。こんな日に?椿はクリスマスの予定を楽しそうに決めていた。でもそれが空元気で俺のために楽しそうにしているだけだというのがわかって逆に辛かった。楽しそうな椿が見たかったのに、俺はなにを考えてるんだろう。なんて酷い男なんだろう。わかってる。だから多分、この2日間が最後のデートになるだろう。
土曜日の昼過ぎに待ち合わせした俺と椿はバスでショッピングセンターに行き買い物をした。今日買ったものはどうせ捨ててしまうだろうと思いながら椿がインテリア小物を買うのをただ見つめていた。目に焼き付けておきたかった。そして駅に戻るとケーキ屋さんに入る。
テーブルについてメニューを見ていた椿が顔をあげた。
「今さらですけど先輩は甘いもの大丈夫でした?」
「うん」
「なら、良かったです」
若菜の思いが詰まった極上の甘いクッキーを食べられたんだから。俺の答えにほっとした顔でメニューに視線を戻す椿を見つめる。食べれるだろうけど食べるつもりはない。うまく自然に促せたらなにも食べてない椿に2つとも食べさせようと思った。
「それならレアチーズケーキとか美味しいですよ。あ、でも新商品のミルフィーユも美味しそう……」
「それじゃあレアチーズにするよ」
「あ、本当ですか?じゃあ私はミルフィーユにしようかな」
自分が良いと思ってるものを勧める椿は以前と変わらないように見えるだろう。だけど俺にはまったく違うように見える。
しばらくしてテーブルに運ばれてきたミルフィーユを食べる椿は幸せそうに微笑む。
「んー、美味しい!!そっちはどうですか?」
「美味しいよ。はい、あーん」
「え!?」
良かった、椿の中でクリスマスケーキは特別なんじゃないかと思っていた。ダイエット中でも少しなら良いかと食べてくれるだろうと。だけど手が止まらないように俺の手で椿に食べさせた。
「どう?」
「美味しいです!!」
「じゃあもっと食べて良いよ」
「いやいや、悪いですよ!!」
「大丈夫大丈夫」
俺はレアチーズケーキにもフォークを刺して椿に差し出す。そうすると椿は普通に食べますと言うから俺は安心して自分のブラックコーヒーを飲んだ。
食べ終わった椿がハッとして俺を見てきたけど俺は笑いかけるだけだった。
ケーキを食べてお店を出た。DVDを借りて夜ご飯を買って家に帰る。俺が観て良いと思った映画の1つ。あの日話した椿と今隣で一緒に見ている椿は同じ椿なのにどうしてこうなってしまったんだろう。
DVDを観たあとご飯を食べて椿のあとにお風呂に入る。普段浸からない湯船に浸かってぼんやりと考える。
今日言うのか?今日で良いのか?せっかくのクリスマスを最悪の思い出にさせてしまう。いや、でもこのままでは年末に言うのはとか新年に言うのはとずるずると先伸ばしてしまいそうだ。
ぐるぐると悩んでいるとふと思った。椿に我慢させないように俺が思ってることを言ったら椿は元の椿に戻ってもう一度やり直せるんじゃないだろか。……馬鹿だ俺。椿を解放してあげるんだろう。決断したはずなのに情けない。
お風呂から出て部屋に戻ると椿が首をかしげる。
「先輩?どうかしました?」
「あ、いや。ずっと言おうか迷ってて、しかもせっかくのクリスマスだしこんな日に言うのも気分悪くなるかなって……」
切り出してしまった。いつもベッドに並んでDVDを観たり話していた。あの頃からと変わらず肩が触れるすぐ近くに座ってしまい慌てて少し離そうとすると椿は俺の顔を覗きこんできて話の続きを促してきた。
「なんですか?言いたいことがあったらクリスマスとか関係なくいつでも言ってください」
「うん……」
できるだけやんわりと、さりげない感じに、とゆっくり話し始める。
「椿と付き合う前に若菜から写真を見せてもらったことがあるんだけど、椿めったにスカートとか履かないしそういう淡い色とかも着ないから……無理してないかな、とか」
「え。……いやいや、それはデートなんですから友達と遊ぶ時と同じ感じじゃないですよ」
動揺して目をそらす椿を見て小さい声になってしまったけど呟く。
「そうかな……。俺は普段と同じ方が良いんだけど……」
泣きそうになる椿にまた胸が締め付けられるような気がした。
「それに……やっぱりダイエットしてるでしょ?」
「そ、そんなこと……」
「わかるよ。他にもわざわざ俺に合わせて自分のしたいこと言わないし……」
椿の目から一粒涙が溢れた。やっぱり泣かせてしまった。ハラハラと流れてくる涙は震える手が何度も拭ってもそれでも止まることなく流れ続ける。
立ち上がった椿の腕を思わず掴んでしまった。1年前の最初の間違いを瞬時に思い出してそっと掴んだ。
ごめん、椿、ごめん。やっぱり嫌だ。最初の間違いから結局何度も間違って傷付けて、離れるのが一番だって頭ではわかってる。それでも俺には椿が必要なんだ。俺も椿の世界に連れていって。もう椿のいない世界で俺は生きていけない。
声をあげて泣き出してしまった椿を抱き締める。
「なんで……どうしたら良いの……」
「ごめん」
「わからないよ……」
「うん、ごめん」
「離れないと……」
「行かないで」
「もう……無理だよ……」
無理だよ、できない、帰りたい、離れたい、しゃくりあげながら繰り返す椿の背中をさすっているといつの間にか椿は眠っていた。
抱き締めたままベッドに寝かせる。椿の静かに眠る顔をじっと見つめる。抱き締める椿の体は細くて顔はほっそりしている。自分のしてきたことの罪の重さがのしかかってきた。
人との関わりを避けてどんなことにも関心が持てなくて人の気持ちを踏みにじるような酷いことばかりしてきて、そんな欠点ばかりの俺が椿に出会って人間らしくなった。楽しいことも辛いことも全部椿が教えてくれた。椿を見ると自然に笑顔になれた。優しくしたいと思った。椿にかっこいいって思われたくて、がむしゃらになった。椿のことになると平静でいられなくなった。
椿の前だけじゃ駄目だと、普段から口調も態度も改めさせられて、いつしかそれが普通になっていた。
俺の世界は椿が中心だった。避けられていても椿が俺のことを好きだとわかっていたから椿のことを想えばなんでもできる気がした。
椿を一目見た瞬間から恋に落ちた俺は椿を知るたびにその思いは強くなる一方で俺自身でもどうにも制御できなくて暴走していた。付き合ってからも俺は、椿のスピードに合わせてるつもりで付き合わせていただけだった。椿のペースがあったのに強引に急がせてしまった。付き合えた瞬間は椿のペースで歩くことがすごく嬉しかった。感動したのをよく覚えてる。なのに手を引いてどんどん進む俺に椿はついてこようと必死になってくれた。その結果がこれだ。
いつの間にか朝になっていた。椿が身じろぎして俺はそっと目を閉じる。椿が起きたのがわかった。目の前に俺がいて動揺しているのもわかった。また泣きそうになっているのがわかった。泣いてる椿を慰める資格は俺にはない。そう、椿を逃してあげるんだ。だけど俺の気持ちとは逆に腕に力が入ってしまった。いや、逆じゃない、忠実に体が動いてしまった。でももう駄目だ、終わりだよ。腕を緩めた瞬間椿はすぐに腕から抜けて荷物をまとめてドアを開けたのがわかった。微かに目を開けたらちょうど椿の後ろ姿が消えてドアが閉まるところだった。
終わったと思いながら日曜日はぼんやりしていて月曜日の朝、椿からメッセージが届いた。
『朝は先に行きます。放課後にあの中庭に来てください』
真面目な椿らしい。もう終わってるのに別れのけじめをつけようとするなんて。
きっと日曜日も泣いて目を腫らしてしまっているだろう。若菜が心配するはずだと思って朝のうちに昴に放課後椿と話すけどもう終わったとメッセージを送っておいた。そして返事を確認しないまま終業式が終わったあと中庭に行った。
少し経つと椿が駆け寄ってきた。
「遅くなってすみません」
「ううん」
すぐにうつ向いてしまった椿の目はやっぱり腫れていた。
「あの……自分から言い出したのに自分勝手でごめんなさい。別れてください」
わかっていた。もちろん。だけどはっきり言葉にされると辛い。辛い、痛い、苦しい。
「先輩、ごめんなさい、大好きでした。さようなら」
そう涙を流しながら告げた椿は俺に背を向けて走っていってしまった。
ぼんやりする中、そういえば椿からはっきり大好きと伝えられたのは初めてな気がすると思った。最初で最後の言葉だった。
確かに俺を好きでいてくれた椿は自分の世界に帰っていってそのキラキラと輝いてる世界は椿と共に消えてなくなってしまった。残ったのは暗闇だけ。ふと、手になにか絡まってると思ってよく触ってみると糸のようなものだった。そうか、赤い糸だ。椿に繋がっていると思っていた運命の赤い糸は切れてしまっているようだ。暗闇で見えないけど。
この暗闇はずっと俺の中にあった。それが椿に出会ったことで椿の世界が俺の世界を大きく照らしてくれて周りがよく見えるようになっていた。ここには道があった。前も後ろも右も左も今はわからないけど椿の作り出す複雑な道を俺の赤い糸はその先の椿に向かって必死に、時に止まりそうになりながら進み、3ヶ月前椿の所に追い付いて、それがすぐにまた離れていってしまった。今椿が照らしてくれていた光がなくなってしまった暗闇の中では道も赤い糸も見えなくなってしまったけど切れてしまったんだろう。
「隼人くん……」
そんな頭の中のイメージ像から現実に引き戻された。
振り向くと気遣わしげでこちらを伺う様子の昴と、無表情で何を考えているのかわからない若菜がいた。
そうだ。昴に連絡したんだった。
昴に何も言われず鞄を渡された。俺の鞄だ。俺も何も口にせずその鞄を受け取った。
「とりあえず……場所変えようか」
昴に言われて気付く。ここは俺にとって思い出がありすぎる。
昴が俺を抜いて先頭、そのすぐ後ろに若菜、その数歩後ろに俺も続く。
昴は学校近くの公園に立ち寄り、子供用の遊具に俺たちは座った。
そして俺はポツリと口にした。
「椿と別れた」
昴は無言で頷く。相変わらず神妙な顔だ。そういう俺はどうだろう。考えるだけ無駄だ。それは酷い顔をしているに決まってる。
俺は今までのことを口にしていた。
「付き合えた時は嬉しかった。嬉しくて舞い上がってて。椿がおしゃれしてくれたのも自分のためだって思ったら嬉しくて。だけど椿にはもっと椿が好きな椿にぴったりな服があるのにって思ったら褒めてあげられなかった。似合ってるって言ってあげれば良かったのかな。なんで一度も言ってあげられなかったんだろう。椿の行きたいところに行きたかった、椿が興味を持つことを隣で経験して一緒に楽しんでみたかった。椿は俺に合わせてくれて自分の行きたい所もやりたいことも全然言ってくれなかった。気付いた時にはもう遅くて、椿は俺に合わせることが当たり前になっててずっと我慢させてて。……椿のキラキラ輝いてる目が好きだったのに。気付いた時には椿の目は輝いてなくて真っ暗だった。俺に合わせてたから、だから椿まで暗闇に染まったんだ。椿は俺のせいで変わった。俺なんかを好きになったから椿は椿じゃなくなった。ちゃんと向き合おうって、椿と話をしたらもう椿は限界だった」
一昨日、そして昨日の朝のことなのにたった今起きた出来事のように椿の様子を思い恐ろしくなる。
「泣いて……壊れたみたいに泣く椿の体は細くて。こんなになるまでどうしてなにもしてあげられなかったんだって。そう思うのに椿を腕から逃すのも辛かった。椿のために俺が離れるのが一番だってわかってるのに椿を手放したくなかった。今も、もう俺の隣にいないことを受け止められない。わかってる。これが現実だって。もう二度と椿は俺の世界に現れないって。でも……やっぱり駄目だ。話してたら昨日やっぱり腕の中に閉じ込めてこのまま椿じゃない椿のままでいいから一生椿を離さないでいればよかったって思ってる。最低だ。誰かに俺のこと殴ってほしい。誰か止めて。椿のいる世界をどんなことしてでも見つけ出して椿を無理やり自分の所に引きずり込んで閉じ込めてしまいそうだ」
「……最低だよ」
聞いたことのない若菜の低い声に顔をあげる。座る俺の目の前で若菜は唇を噛み締めて顔を歪める。
「最低だよ……最低」
「……っ……」
若菜に平手で叩かれた。
「殴ってやるわよ!!この嘘つき!!椿を傷付けないって言ったじゃない!!約束したじゃん!!自分に任せてって言ったじゃん!!なんなの!?女の子が好きな人のために可愛くなろうとしてなにが悪いの!?可愛いって思ってもらいたいの!!褒めてもらいたいの!!好きな人に喜んでもらいたいの!!自分がしないことでも好きな人の好きなことを一緒にしてみたいの!!なんでわかってあげないの!?椿は椿だよ!!椿は変わってない!!ずっと隼人のことが好きな椿のままだよ!!今の椿を否定しないで!!」
なにも言えなかった。ただ涙を溜めて両手を握りしめる若菜の言葉を聞いていた。
「……もう二度と椿に近付かないで。椿の視界にも入らないで。そのまま学校も卒業して一生椿に会わないで。椿のことなにも教えないから。昴に聞いても無駄だから。昴もなにも教えない。私たちはこれからも椿と仲良しだけど隼人は椿と全く別の世界で生きるの。椿にも隼人のことはなにも教えない。それが椿にとって一番良いことだから。嘘つきの言うことなんてもう信じない。私が椿を幸せにする。ずっと守るんだから。だからもう二度と椿の人生に踏み込んでこないで」
そう言うと走り去っていった。若菜は最後まで泣かなかった。今にも泣きそうな顔だったのに。
いつも嫌みを言い合っていがみあってる若菜の言葉が胸に響く。
そうか。椿の世界には若菜がいて椿を守るんだ。椿は俺の知らないところで笑って、いろんなものを見て、経験して大人になって誰かに恋してその人と結婚して……。
駄目だ。想像したくない。現実も受け止められないのにそんな遠い未来のことなんて考えたくもない。
昴に目を向けると笑顔を返された。
「昴……」
「最低」
笑顔のまま言われた一言が重くのし掛かった。
「若菜の言うことは正しいよ。だいぶ支離滅裂だったけど、僕もだいたい同じ意見だよ。僕にとっても坂下さんは大切な友達だから僕に坂下さんのことを聞いても今までのようには教えないよ」
笑顔が冷たかった。
わかってる。俺がいけないんだってこと、俺が間違っていたんだって。俺がとんでもない最低な男だってこと自分でもわかってる。
「でも、隼人くんは僕の大切な人だし、僕にとって隼人くんはヒーローだから。ヒーローがそんな弱ってたらみっともないし……。仕方ないから今日はこのまま一緒にいてあげるよ」
話くらい聞いてあげる、と昴は言った。
昴のいつも言うヒーローというのはいつも自分のことじゃないみたいで気恥ずかしいけど今は昴が俺のことを慕ってくれることが、こんなどうしようもない俺のそばにいてくれることがありがたかった。
俺はこれからも椿だけを愛し続けるだろう。でも忘れないといけない。そうしないと椿のそばにいる若菜を振り切って椿を手にいれようとする気がする。もう椿を苦しめないために、俺は忘れる努力をしよう。
でも明日から。今日まではこの自分でも恐ろしく思うほどの椿への想いを昴に聞いてもらおう。昴の家に行って話を再開した。
「昴、俺は昴がいないと駄目だ。昴がいないと全然なにもできなかった」
「……うん」
「昴?」
「ごめんね」
「なんで昴が謝るの?全部俺が悪かった。俺なんかが椿に近付いたら駄目だったんだ。椿にはもっと椿に似合う相手がいたはずなのに。ああ、そんなの想像したくない。痛い、苦しい。……今の椿を否定しないで……か。そうだよね、でも椿は椿のままなのに俺には別人に変わってしまったようにしか見えなかった。椿を理解してるのは若菜だよ。椿は俺のためにって若菜のことを話すのも止めて俺のためにって頑張ってくれてた。全部、俺のせいで椿が椿じゃなくなっちゃったって、そうとしか思えない。椿は俺のこと忘れて幸せになってほしい。昴は若菜と椿のことを見守ってて」
「わかった。ねえ、隼人くん……。自分のことは?隼人くんは、隼人くんなんかじゃないよ。坂下さんは隼人くんだから好きになったんだよ。隼人くんのせいじゃないよ。隼人くん……どこか行かないで」
「なにそれ……。どこにも行かないよ」
「嘘だ。坂下さんがいない世界じゃ生きていけないって思ってる」
「……」
「隼人くんのこと大好きな人いっぱいいるよ。それじゃ駄目?僕が隼人くんの隣にずっといるよ」
「……馬鹿だね」
俺は泣き出した昴の頭をポンポンと叩く。
「わかってる。俺には俺のことを思ってくれてる家族がいる。昴がいないと駄目だって言ったけどずっと一緒にいてほしいなんて言わないよ。昴がずっと一緒にいるのは若菜だ。若菜と過ごす時間を大切にしな。俺は平気だから」
結局その日は昴の家で過ごして日付が変わってから家に帰った。なんでこんな時間まで起きてるんだと思ったけど母さんと父さんまで出迎えに来た。
「隼人……」
「母さん、父さん、ただいま」
「「……おかえり」」
「あ、野暮なこと聞かないでね。あの子のことは今日からもう忘れるから」
別れた次の日から俺たち家族の中で俺の前で彼女の名前を出す人はいなくなった。




