気付いたのは母さん─終わりの始まり─
椿の部活がない日は学校帰りにコンビニでお菓子を買って公園で食べながらゆっくり話して過ごし、休日は俺の家でDVDを観たりテスト勉強をして過ごした。
今は明日から始まるテストの前最後のテスト勉強中だ。真面目に手を動かす椿のことをじっと見つめていると椿が顔をあげる。
「わからないとこあった?」
「え?いえ、あ、いえ……」
「ふふ、どっち?」
「えっと、じゃあこことか」
「どこ?」
隣に座っている椿のノートを覗きこむ。
「ああ、これはね……って椿聞いてる?」
「は、はい」
視線を椿に向けるとなぜかすごく顔を真っ赤にしている椿。不思議に思いながら教える。
「あ、それでこうなるんですね」
「そうそう」
「あ、じゃあこっちはこうですか?」
「うん、すごいね。椿はすぐに理解してくれるから教えやすいよ」
「え、先輩が教えるの上手だからですよ。先輩がすごいです」
「そ?じゃあご褒美ちょうだい」
首を傾げる椿にキスをする。勉強は一旦中断だ。
そして夜、椿を送る時間になったから帰り支度をしてもらって話しながら階段を降りている途中。玄関のドアが開いて危うく悲鳴をあげるところだった。
「あー椿ちゃーん!!今から帰るのー?」
母さんは靴をぬいで両手を振ってきた。なんでこんなに早く帰ってくるんだ、ちゃんと遅くに帰ってきてと言ってあったのに。俺は階段を降りて椿と手を繋ぐ。
「あの、おじゃましました」
椿は恥ずかしいのか、小さい声でそう言うとぺこりと頭を下げた。
「ちょっとお喋りしようよー」
「駄目駄目。椿はもう帰る時間なんだから」
「むー!!隼人の意地悪ー!!」
ギャーギャー騒ぐ母さんを放って玄関に行く。途中で父さんとも挨拶を交わす椿の手を引いて家から脱出した。
「ふう……危ないところだった」
「なにがですか?」
「余計なことを言ってくる前に家を出れて良かったよ」
「……?」
下世話なことを言ってくるに決まってる母さんの魔の手から椿を助け出せて良かったと思いながら駅までゆっくり歩き椿を見送るといつものスピードでさっさと家に帰る。
「母さん!!」
「ほえー?なにー?」
イライラしてる俺に母さんは通常通り。
「なんでこんなに早く帰ってくるの!!」
「だって観たいテレビ録画してないの思い出しちゃったんだもの。さっきは怒ってなかったのになんでそんなにプンプンしてるのー?」
「椿がいる所で怒れないでしょ!!」
母さんじゃ話にならないとリビングに入って父さんに苦情を言う。
「連絡したよ」
「いつ」
「2時間くらい前かしらね」
「既読にならないから美香が帰るって」
「見てなかったでしょ?」
「見てないよそんなの」
苦笑いする父さんを横目に俺はソファーに座る。
「ねー椿ちゃんなんだかいつもと違ってたわー」
「は?そりゃあいきなり両親現れたらびっくりするでしょ」
なにを当たり前のことを言うんだと呆れていると母さんはんー、と考え込む。
「でもなんだか違ったのよ。ね、琉依さん」
「僕が椿ちゃんに直接会ったの初めてだよ」
「あら、そうだったわね。んーでもー……」
「恥ずかしがってただけだよ、母さん」
「そうかしら……」
そんなに考え込むことでもないだろうにと、逆に不思議に思ってると母さんは、あ、と声をあげた。
「そうだわ!!キラキラーってしてなかったのよ!!」
「え?」
「椿ちゃんって、私に会ったらこんにちはーってニコニコしてくれて、また楽しいお話聞かせてくださいーってキラキラした目で駆け寄ってきてくれるのに。あ、そうだわ、隼人も椿ちゃんのキラキラしてる目が好きなんでしょ?椿ちゃんが興味のあることを一緒にしてみたいって言ってたものね。どこに遊びに行くのー?」
「美香……野暮なことはしないって言ったでしょ」
「んーでもー!!聞きたいんだもん!!椿ちゃん最後に会った時県外だからなかなか行きにくいけど日本で初出店したハンバーガーのお店に行ってみたいって話してたのよー。若菜が結局行けてないって言ってたから隼人と行ったかなーって思ってたのよー。どうだったー?」
俺は母さんの言葉を聞きながら呆然としていた。
思い出す。椿の目はキラキラ輝いていたか?笑っていた、いつも椿は楽しそうに笑ってくれてる。だけど目は?思い返してみて気付いてしまった。
黒い瞳に以前のような輝きはない。
そもそもこれは俺の抽象的なイメージだ。綺麗な心を映したような目が澄んでいてキラキラしているように思えた。
椿が興味をもつ場所に行ってみたかった、椿が好きなことを一緒にやってみたかった。だけど今の俺たちはどうだ?初めは確かにそうしたかったけど緊張して遠慮してるんだろうと思って俺がここに行こう、これをしようと決めてしまっていた。
椿の目は綺麗なままなのに、俺のせいで椿の目の輝きが失われてしまった?
俺はなにか言う母さんを無視して部屋に入ってベッドに座る。
いつからだ?いつから椿の行きたい所を聞かなくなった?椿を抑えてしまったのはいつ?椿はこれが良いと笑ってくれる。だけどそれは俺が決めてることに合わせているだけかもしれない。俺がここに行こう、あそこに行こうと言ってることに乗ってくれてるだけだ。いや、スナック菓子を買う時は選んでくれてるし全部がそんなわけではないはず。……俺が強引に決めてほしいと言ってる気がしてきた。
どうしようどうしたら良いんだ?そうだ、昴に……。悩みができたら相談には乗ると言っていた昴に電話をかける。
『もしもしー?隼人くんどうしたのー?』
「昴、話『昴ー!!見て見てー!!』……若菜いるみたいだね」
『今ゲームセンターにいるんだよ。音聞こえるでしょ』
「そうだね」
『そろそろ時間で帰るとこだから家で話聞こうか?』
「いや、やっぱり良い。たいしたことじゃないんだ」
『そうなの?……あ、若菜迷子になるからそっち行っちゃ駄目!!……まあ話したくなったら聞くよ』
「うん、邪魔してごめん。じゃあね」
話せなかった。電話を切って呆然と宙を見る。昴は若菜と楽しそうにしている。今までと変わらないだろうけどそれでも昴と若菜は心から楽しんでいるだろうと見なくてもわかる。
椿はどうだろう。俺といて楽しいと思っているんだろうか。本当はこうしたい、ここに行きたいと思ってるのに我慢させているんじゃないか?
結局悩んでいるまま翌日月曜日になってしまった。椿に会うのは嬉しいのに上手く笑えなくなった。
「椿、今週の土曜日はどこに行きたい?」
「え?先輩の行きたい所で良いですよ?」
不思議そうにする椿に動揺する。俺が決めることが当たり前のようになってしまったんだ。
「椿の行きたい所にしよう。行きたい所あるでしょ?」
ハンバーガー屋さんとか。他にも行きたい所がたくさんあるでしょ。そう思うのに椿は苦笑いする。
「思い付きません。佐々木先輩が行きたい所が良いです」
「え……」
立ち止まる俺に手を繋いでいる椿も止まる。俺は付き合い始めたから良いだろうと呼び方を椿にした。椿の呼ぶ先輩というのはもう愛称みたいで、いつかは名前で呼んでもらいたいけど先輩呼びがすっかり定着していてむしろ心地よい気がしていた。
話すようになった頃は佐々木先輩と呼ぶこともあったけどそれも徐々に時々になっていった。今聞くその響きは俺と椿の距離が遠く離れている気がした。
手を引いて椿を抱き締める。
「せ、先輩!?学校に行く人たちが……」
「椿……ごめん」
「え、なにがですか?」
身体を離すと椿は笑っていた。でも目は輝いてはいないともう気付いてしまった。
「なんでもないよ、行こう」
「あ、はい!!」
ごめん。でもお願いだから離れていかないで。
────────
テスト期間も返却期間も終わり結局あのあと何度も行きたい所はと聞いても行きたい所を言ってくれなくて週末は母さんが言ってたハンバーガー屋さんに行ったり好きそうな庭園に行った。
翌週も変わらず行きたい所を聞き続けるけど椿は俺の行きたい所に行きたいと言うだけ。しかも何度か佐々木先輩と言ってきて、俺はこの開いてしまう距離をどうにか縮め直したいと必死になっていた。
そんなある日の放課後、椿からメッセージが届いた。
『用事ができたので先に帰っていてください』
受験のことでなにかと連絡があって長引いてるSHR中に届いたそのメッセージを見て俺は思わず立ち上がりそうになった。
どうして?用事があるなら待ってるのに。いつも部活が終わるの待ってるでしょ。一緒に帰りたくないの?
どんどん開いていく距離に焦った俺はSHRが終わるとすぐに椿の教室に行く。だけどそこには誰もいなかった。どこにいるの?俺は焦る頭を必死に冷静にして椿の用事がどんなことか考える。そうだ、椿は頼まれごとを断れない。椿に頼みごとをするのが一番多いのは誰か、担任の谷本先生だ。
俺は社会科の準備室のドアを勢いよく開ける。
「おお!?なんだ、佐々木か?ノックもしないなんてらしくないな。どうかしたか?」
「椿はどこです?」
「は?椿……ああ、坂下のことか?そういえば一緒にいるところ最近よく見るな。いやー、若いねー」
「椿がどこにいるか知りませんか!?」
おちゃらける先生に詰め寄る。今は話してる場合じゃない。
「わわ、坂下なら用事を頼んでるからどっかプリンターがある教室でレジュメの準備してるよ。ここのプリンター壊れてて他の教室行くのも面倒で他の仕事もたまって「失礼しました!!」え、佐々木!?」
教室を出て走る。プリンターがある教室……。とにかく思い当たる場所を片っ端から探していく。そして2号館の1階のある教室を開けると、いた。いきなりドアが開いて驚く椿にいつも通り声をかける。
「椿」
「あ、佐々木先輩……すみません」
まただ。俺は問い詰めたいのをそれは駄目だと抑え込む。代わりに優しく、いつも通り、ゆっくり喋る。
「用事ってどうしたの?」
「授業で使うレジュメです。人数分プリントしてホチキスで止めておいてって頼まれてしまって」
「椿は本当に人がいいね。彼氏を放って頼まれ事を優先するなんて」
「う……ごめんなさい」
「良いよ。それが椿の良いところだからね。これ全部プリント終わったの?」
「はい、あとはとめるだけです」
「オッケー」
「え、オッケーって、先輩!?」
「手伝うよ」
「そんな、悪いです!!」
「1人より2人でやる方が早く終わるよ。そしたら一緒に帰ろう」
「先輩……ありがとうございます」
いつまで俺に気を使うの?俺がそうさせてるの?もっと普通に楽しそうにする椿が見たいのに、椿は困った顔で苦笑いする。そんな顔させたくないのに。俺は息をはいて、ただレジュメを止めていた。
あっという間に終わり、レジュメを谷本先生に手渡した椿と帰る。
「先輩、たまには1人で帰らなくて良かったんですか?」
「良いんだよ。俺は椿と帰りたいんだから。椿は俺と帰りたくなかったの?」
「私は先輩がしたいことならそれで……」
「……」
椿は距離を置きたいんだ。今日ではっきりわかった。俺が椿にそう思わせたんだ。繋ぐ手に力が入ってしまい、もう間違えたくないと慌てて力を緩める。だけどこの手を離したら──。
頭の中の暗闇で、椿が俺に背を向けてキラキラした色とりどりの空間に歩いていく。元いた椿の世界だ。その世界に椿は帰ってしまう。俺のせいでこっちにきてしまったけど間違いに気付いて距離を置いて、そして静かに戻ろうとしてるんだ。
嫌だ、行かないで、椿がいなくなったら俺は──。
緩めた手がふいに少し強く握られて俺は現実の世界に戻る。何度も繰り返す言葉を再び口にする。
「今度の休み、どこに行きたいか決めた?」
「……この前も言いましたけど先輩が行きたい所で良いですよ?」
「椿は行きたい所ないの?」
「先輩が行きたい所に行きたいです」
「……はぁ」
どうしても暗闇に引っ張られてしまう。小さく深呼吸して落ち着いてから言う。
「じゃあ、映画館にしようか」
「良いですよ」
「DVDじゃなくて良いの?」
「良いですけど、どうしてですか?」
「椿、家で観る方がリラックスできるって言ってたから」
「あー……。そうですけど先輩が映画館で観たいなら良いですよ」
「椿、無理してない?」
ついに言ってしまう。無理させたくない。我慢させたくない。もう何でも良いから椿の望みを聞きたかった。俺から離れること以外なら何でも望みを叶えてあげるのに。
「全然してないですよ?たまには大きいスクリーンで観るのも良いですよね」
「……そうだね」
たどり着いた駅で俺は精一杯繕った笑顔で答えると改札に歩き出す椿にいつも通り手を振った。
椿の姿が見えなくなると家に帰る。
「隼人ーおかえりー」
「ただいま」
「聞いてー今日宅急便でお花が届いたのー!!誰からだと思う!?」
「父さんでしょ」
「正解!!どうしてわかったの?」
「今日は父さんに初めて好きって言ってもらえた日でしょ」
「わー!!隼人が覚えてくれてるなんて嬉しい!!」
「毎年言われて先週も聞いてるんだからそりゃ覚えてるでしょ」
「えへへー!!でも嬉しい!!琉依さんがねー仕事が終わったらフランス料理のレストランに連れていってくれるって。久しぶりね、あ、隼人スーツのサイズ大丈夫?あ、シャツアイロンかけたっけ?」
「それ一昨日も聞いて用意してるでしょ。事前に聞いてるんだからそんなにそわそわしなくても良いじゃない」
「そうだけどー!!でもちょっと贅沢なお料理を家族3人で食べられるなんて幸せだもん」
「父さんも役職ついて働きまくればいつでも贅沢できるのにね」
「良いの!!琉依さんは私たちと過ごす時間を大切にしてくれてるんだもの!!普段は節約してたまに贅沢するのが良いのよー!!あら、もうこんな時間?琉依さんそろそろ帰ってくるんじゃないかな!!隼人も着替えてね!!あ、私も着替えなきゃ!!」
そう言うとパタパタと走っていく母さんに声をかける。
「母さん!!慌てるとまた服ビリってするから慌てないでよ!!」
「わかってるわよー」
呑気な母さんが髪の毛をファスナーに引っかけたと騒ぎ出すのは数分後。
俺は暗闇の中で必死に椿を繋ぎ止め現実では今まで通り、椿に出会ってから変わった俺のまま、穏やかに過ごした。この不安定な状態でも揺らぐのが怖かった。せめて椿に自由をと思って休日になにもないのに用事ができたと言って会わない日をつくると、椿も友達と遊びに行く用事ができたと言ってくれるようになった。




