可愛い椿、限界の心と身体
「もう18時過ぎなんですね」
車に乗って起動したナビを見て椿が驚く。
「そうだね。なにか食べて帰ろうか。行きたいところある?」
「んー……この近くにパスタのお店がありますよ」
「そしたらそこに行こうか。案内してくれる?」
「はい。でも本当に近くです」
椿が案内してくれたパスタのお店には5分で着いた。大学生の時に何度か来たことがあると教えてくれた。
落ち着いた雰囲気の店内で椿はメニューを開いて自分はナポリタンにすると言って俺にこれは甘くない、でも辛すぎるかも、こっちは、と行ったり来たりして選ぼうとしてくれる。そんな椿が可愛い。あの時もっと別の方法でケーキを勧められれば良かった。俺が甘いものが苦手だと知った椿はアイスを買う時もそうだったけどすごく気にかけてくれる。俺が、じゃあ和風パスタにしようかなと言うと椿は一番お勧めなんですと嬉しそうに言った。何度も、やっぱり和風が……これも美味しいんですけど和風が……とページを戻してたからね、と思わず笑ってしまう。
そしてパスタを食べているとフォークを持ったまま固まってる椿に気付いた。食べてる時に考え事してたら冷めちゃうよと思って声をかけようとしたら椿はハッと気付いた。良かった、戻ってきてくれた。
「先輩……聞いていいですか?」
「ん?どうしたの?」
「先輩って育ち良い人ですよね?」
「え、俺は普通だよ」
ここでお金持ちは嫌いとかの話になるのか、と思うけど昴と若菜に聞いてそれは解決済みだ。
「あれ、そうですか?若菜が昔おばあさんの家にある池に落ちたことがあるって聞いたことがあるのでそういうお家なんだと思ってました」
「ああ、おじいちゃんのとこはね。俺の所も若菜の所も普通だよ。親父は学生の時に友達と創った会社で働いてるけどただの平社員で定時でさっさと帰って来てるし」
「え、学生起業ですか!?」
「うん、でも親父は引っ張られてただプログラム組んでるだけだよ。元々人の上に立つのが嫌いだってのらりくらりしてたのに母さんと付き合い始めて母さんとの時間を奪われるのは嫌だってずっと役職就かなくてね」
「……お母さんのこと大好きなんですねえ」
「一緒に創ったメンバーに、もっと働いてくれないかって言われても折れなくてね。今じゃ昴がいるから全部昴に押し付けて帰ってきてるよ」
「……え、結城くんと先輩のお父さんって同じ会社で働いてるんですか?」
「あれ?知らなかったんだ」
昴のやつは椿に何を話して何を話してないのかわからないな。まあでも昴が働いてるのは俺の親父と同じ会社だから俺に繋がると思って伏せていたのかもな。
「システムエンジニアみたいな感じって聞いてました」
「そうそう。あとは親父に来る仕事の依頼を調整する役」
「そうなんですか……?結城くんって先輩のお父さんに憧れてるんですもんね。一緒に働くくらいだなんて知らなかったですけど」
「それが違うんだよ。いや、それもあるんだけど親父の策略に嵌まっただけ」
「策略……?」
「昴が親父みたいになって若菜と付き合うって宣言、親父や母さんがいるリビングでしてきたんだ。親父も母さんも最初は可愛い可愛いってはしゃいでたんだけど親父がその時閃いちゃって。昴を育てて自分の会社に引き込めば煩く言われず母さんと長くいられるってね。それで昴に目標を立てたら次に何をしようか、そう、プログラミングだね、みたいな」
「え、無茶苦茶……」
「親父も目的のためには手段選ばないから。ヤバいでしょ」
「すごいですね……。あれ?でも結城くんがそう言ったのって小学生の時ですよね?」
「そう。壮大な計画でしょ。でもやってのけたからね。パソコン関係の色んな知識を昔から昴に叩き込んで若菜と付き合い始めても何かと理由つけて覚えさせて」
「なんだか良いのか悪いのかわからないですね」
「英才教育で昴はパソコン好きになったしわからないことはプロがいつでも教えてくれるから結局ますます親父に憧れるっていう親父の策略に嵌まってるんだよ」
「そうですか……結城くんが良いならそれで良いんでしょうね」
椿が楽しそうに話を聞いてくれるから俺も楽しくなって話す。
「あ、そうだ。でも昴が就職する時ちょっと一悶着あってね」
「どうしたんですか?」
「昴が大学4年の時に俺が実家に帰省して昴とうちで夜ご飯食べてた時にね、昴にインターンに行ってる親父の会社はどうかって聞いたんだよ。そしたら親父の思惑なんて知らない昴が面白いけど縁故で就職するのはちょっとって言ったんだ。それを聞いた親父がこんなに立派に育ててあげたのにって言い出すしそれを見た母さんが昴に、どうして琉依さんと一緒に働くのが嫌なのってうるうるしちゃってもう大変。俺は黙ってご飯食べながら、なんだこれって思ってね」
「それは……」
「まあ、とにかくどうにか昴も無事就職したし、今では50人以上いる社員の中で親父の次に速くて正確な仕事をするって好評価らしいよ」
「ふふ、それなら良かったですね」
「うん。あ、そうそう、だから別にうちは普通の家だよ。むしろ倹約家。でもあの母さんだからね……」
「……なんですか?」
「朝ご飯食べてる時に母さんに牛肉が安い日だから夕飯はローストビーフよって言われたんだけど、食器をシンクに運んだあとふと目に入った冷蔵庫に貼ってある広告見たら前の日でね」
「あらら、お母さん天然さんですもんね」
「そんなのばっかりだよ。それで?育ちが良いってのはなんの話だったの?」
「あ、そうでした。私また話飛んでました……」
椿が話を飛ばしていくけど俺がそれに乗って話を飛ばして話していくからだいぶ話が逸れてしまった。椿は何の話でしたっけと言いながらすぐに思い出す。
「そうそう、先輩は食べ方も綺麗ですし高級なお店が似合いそうなのに私が好きなお店ばかり選んでくれて嬉しいけど合わせてくれてたら申し訳ないなと思って」
「ああ、そういうこと。別にそこは合わせてるわけじゃないよ、好きそうだなって思う所が俺の好みにも合ってるだけ」
「良かった。じゃあやっぱり価値観が合うってことですね」
嬉しそうな椿に嬉しくなってパスタを1口食べてからまた椿を見るとまた思考を飛ばしてるみたい。話の流れと難しそうな顔をしている椿に俺は思い付く。まさかあの大学院生とやらを思い出してるわけないよね。
「……誰か思い出してる?」
「へ?」
俺が聞くと首をかしげてからあわあわとしだす椿。
「ねえ、椿。椿の見るドラマとかに他の男の話をしてはいけませんってシーンなかった?」
「え?……ありました!!……あ」
ありそうなシーンを試しに言ってみると椿は思い当たって興奮する。うん、そういう椿は可愛いけどそうじゃないでしょ。そう思っていると椿はハッとする。
「あ、でも話してません」
「考えるのも駄目」
「……そうなんですか?」
「そうなんです」
「……気を付けます」
本当に気を付けてよね。椿に他の男のこと考えられたりちょっとでも他の男の影が見えたりしたら正気でいられない。俺だけを見ていてほしい。と、そこで俺の中で嫌なドロドロとした気持ちが溢れてくる。俺は椿に触れられない。怖い。だけど一生このままだとしたらそのうち椿はおかしいと気付くだろう。そしたらどうなる?俺にその気がないんだと思ったら他の男を見てしまうかもしれない。正直に触れるのが怖いと言う?いや、それはない。俺の気持ちが離れてしまったと勘違いして他の男のところに行ってしまったら……。嫌だ。どうしたら良い?どうしたら良いんだ。
そう思ってるとは思われないように他の話をする。今は椿との時間を大切にしないと。今日が終わったら1ヶ月半会えなくなってしまう。
「椿、出張のことだけど」
「あ……そ、そうですね……出張」
俺が切り出すと椿は肩を落として寂しそうにする。そんな顔しないでよ。行けなくなる。
「この前は出張中連絡とらないってなったけど連絡とろうよ。すぐに返せないかも知れないけど」
「いえ、良いです」
「え、どうして?」
寂しそうな顔から一転椿は笑う。
「だって気持ちが繋がっているってわかりましたから。先輩に好きって思ってもらえてるってわかったので寂しくないですよ」
「寂しくないの?」
「はい」
寂しそうにしていたのに寂しくないと笑う椿。まだ椿は遠慮している。多分俺の仕事が大変だから負担をかけないようにとか思ってるんだろう。もっと遠慮しないで甘えてくれれば良いのに。だけど甘えてくれても俺じゃ椿を抱き締めることができない。
結局連絡は取らないということに決まり、一応月曜日は早く出発するから明日はさすがに早く休むと伝える。それまでは連絡がとれる。ただ、明日このいろんな感情をどうにかできるのかわからなかった俺は口にできなかった。
そのあとまた別の話をして、食事を食べ終え車に戻る頃には時刻は19時半になっていた。早く1人になりたい。俺はそう思ってしまっていた。椿と一緒にいたいのに、椿と離れたくないのに今俺は自分の気持ちをどうにかする術がない。このままでは椿に見捨てられてしまう。でも怖い。急いで1人になりたい。だけど携帯を見ると渋滞していると出ていた。
「渋滞してるみたい」
「え、そうなんですか?」
時間がかかりそうだし椿を21時までに送り届けないといけないしどちらにしてもぎりぎりだ。
「ぎりぎりになりそうだね。……眠い?」
「……え?あ、少し」
携帯を鞄にしまっていると椿が目を擦っていた。
「眠ってて良いよ」
「でも……先輩とお話ししていたいので」
「そっか。でも眠くなったらいつでも寝て良いからね」
「……はい」
俺と話していたいと可愛いことを言う椿が愛しい。椿はプログラミングは難しいだろうな、とか俺もプログラミングできるのかとか親父は計算高いのか馬鹿なのかという話をしつつ目を擦りながら夢の中に入っては起きてを繰り返し、そして眠りについた。
20時50分に椿のアパートの駐車場に着いた。
「椿、着いたよ」
可愛い寝顔で眠っている椿に声をかけると何度目かで椿の広角が上がる。
「椿?起きてる?」
そう言うと椿はそっと目を開ける。
「すみません、先輩に名前で呼んでもらうのが嬉しくて」
「カミ「その呼び方は止めてくださいね」……残念」
可愛いことを言う椿。想いが通じ合うとこんなに可愛いことを言ってくれるんだな。俺の彼女世界一可愛い。
「10分前に着いたよ。間に合って良かった」
「それいつまで続くんですか?」
「俺が一緒にいられるなら良いかな」
「あ、それなら上がっていきませんか?泊まっていっちゃえばいいですよ」
さらっと何でもないように言う椿。この天然、少しは警戒しなさい。今の俺じゃ触れられないからって男をほいほい家にあげるんじゃない。
「遠慮しておくよ」
「どうしてですか?明日も仕事だからですか?」
食い下がってくる椿に動揺する。想いが通じ合うとこんなに積極的になるの?だけど……と、ハンドルから離した右手を見る。運転中は止めてとどうにかしてしていたけどまた少し震えてきた。早く帰らないと。もう限界だ。
「うん、それに昴と若菜に電話しないといけないし」
「そっか、そうですよね。2人に話さないと……。先輩、若菜は私がきっかけでネイリストになろうって思ったって教えてくれたんです。でも私は若菜が思ってるような純粋な気持ちじゃなかったんです。若菜みたいになろうってそんな気持ちで……。若菜にとって大切なきっかけがこんなで、怒ったりしないでしょうか……」
やっぱり若菜のことが気がかりな椿の話を椿を見つめながら聞く。そして椿に安心してほしくて言う。
「正直俺はあの破天荒な若菜の考えが読めない。だけどさっきも言った通り色々文句言ったら満足すると思う。怒るとは思うけどそれは椿が不安に思っている理由ではないよ。それはわかる」
「……わかりました。でも、できるだけ傷付かないようにお願いします」
「うん、きっと大丈夫」
どうにかするのは昴だけど、と思いながらそう言うと椿は安心して息をはく。
「先輩……それじゃあ玄関までは駄目ですか?」
椿の中で俺への想いと若菜への気持ちが交互にやってくるんだろうか。今度はまた俺を求めてくれる椿。限界だけどあと少しなら大丈夫か。
「……わかった、じゃあ行こうか」
シートベルトを外して外に出る。椿との間に人1人入りそうな距離を開ける。怖いのと手に気付かれないようにと思いながら椿の部屋の前まで行く。警戒心のない椿はやっぱり夜中に出歩いたら危険だと思って念押しする。
「椿、約束だよ。俺がいない時は21時以降に外に出ないこと」
「はい。それより先輩……」
椿の左手が俺の右手に向かってきて慌てて身体を階段に向ける。
「じゃあ行くね。10月11日戻ったら連絡するね」
「はい」
悲しそうな顔をする椿。ごめん、怖い。怖くて苦しくておかしくなりそうだ。でも好きなんだ。わかってほしい。
「……椿、好きだよ」
「私もです。私も好きです」
不安そうな顔をする椿を抱き締めてあげたい。でもできない。俺は階段を降りて早歩きで車に戻る。
運転席に座って両手を見ると震えが止まらない。早く帰らないと。俺は無我夢中でハンドルを握りマンションのそばのコンビニで缶ビールをあるだけ買って部屋に入った。