閑話 母さんは馬鹿
小学2年生のある日、その日は平日だったが授業参観の代休で学校もバスケクラブの練習もなく午後から久しぶりに昴と遊ぼうとしていた。
そんなある日の正午。母さんと2人でご飯を食べていた。
「この前の授業参観隼人すごかったねー。あんなに難しい問題私わからなかったなー」
「いくら馬鹿な母さんでもあれくらいわかってよ。小2だよ。母さんの頭は小1レベルなの?」
「んー……困っちゃうよね」
「……はあ」
小学2年生にして俺は自分の母親が天然馬鹿だと理解していた。
「ねえ、これから昴が来るでしょう。最近はなにして遊ぶのが楽しいの?」
「ただゲームしてるだけだよ」
「そうなの?この前琉依さんが買ってくれたゲーム楽しい?」
「んーそれなりにかな。俺はもうクリアしてるからそこまで興味はないけど昴がどうしても倒せない敵がいるから一緒にやってって言ってくるから付き合ってやるの」
「そっかー。隼人はお兄さんだから昴に付き合ってあげて偉いねー」
「……母さん」
「なーに?」
「そうやって子供に話すみたいに褒め称えられて喜ぶ年じゃないんだけど」
「あらあら。まだ8歳なのに大人みたいなこと言って。ふふ、さすが琉依さんの子ね」
「……はあ」
俺は母さんが口癖のように言う琉依さんの子ね、という言葉が嫌いだ。確かに父さんはかっこいいし憧れるけど、俺は母さんの子でもあるんだ。と、なぜか無性にイライラする。
そしてご飯を食べ終わると昴が来るまで宿題でもしようかと席を立った。いつも母さんが食器を片付けてくれていた。だが突然なぜか母さんは閃いてしまった。
「そうだ、ゲームに飽きちゃったならこういうのはどう?」
そう言って食べ終わった食器の上にコップを乗せそのさらに上に俺の食べ終わった食器を乗せて見せたのだ。俺はしばし絶句していたけどすぐに気を取り直した。
「母さん、危ないからやめな」
「サーカスみたいで面白くない?隼人も楽しんでくれるかなって!!」
「全然楽しくないから!!」
まさかと思ったがそのまま持ち上げてキッチンに運ぼうとする母さんを慌てて止めようとするが一足遅かった。
大きな音を立てて食器が全て床に叩きつけられてしまった。
「あらあら!!大変!!」
「ちょっと!!危ないから母さんは「痛い!!」ほら見ろ!!大丈夫!?」
食器の欠片を拾う母さんはありがちなことに指を切ってしまった。人差し指から血が流れてるのを見た俺はしゃがみこむ母さんの頭を撫でてあげながら言う。
「母さん、これは俺が片付けるから手洗ってきて」
「駄目よ。隼人が怪我しちゃうもの」
「怪我してるのは母さんでしょ」
「ねー!!大きい音がしたけどどうし……どうしたのー!?」
タイミング悪く昴が来てしまった。いくら他の子より落ち着いてると言っても昴はまだ小学1年生。リビングに散乱した食器とうずくまる母さんとそれを宥める俺を見て慌てて駆け寄ってきた。
「美香さん、大丈夫ー?」
「昴ーおかえりなさい」
「う、うん……」
呑気に挨拶してないで手を洗ってくれ。……そうだ。
「騒がしくなるかと思ったがこれは都合が良いかもしれない」
「どーゆーこと?」
「昴、お前にミッションだ。今すぐ母さんを助けるんだ。まず「わかった!!まずお母さんになにをしたら良いか聞いてみるね!!」え、おい!!」
しまった。普段、なにかわからないことがあったら人に聞くんだと教えていたんだった。真面目な昴はリビングにあった小さな台を持つと電話の前に置いて電話をかけ始めた。
「もしもし、結城昴です。お母さんですか?……あのね、美香さんが血をたくさん流しててね、大変なの!!どうしたら良いの?……うん、うん、わかった、バイバイ」
受話器を置いてゆっくり台から降りると昴はトテトテと戻ってきた。
「お母さん来てくれるって」
「うん、よくやったぞ、昴。でも母さんは血をたくさん流してはいない。指先を少し切っただけだ。きっと彩華さんビックリして慌てて来るぞ。今度からちゃんと状況を見て正確に伝えられるようにしような」
「わかった。正確に伝える」
「そうだ。よし、次は母さんを洗面所に連れていって血を洗い流すんだ。って母さんはやらなくて良いんだって!!」
なんてことだ。俺が昴に構ってる間に母さんはまた傷を増やしていた。大事にしたくなかったけど呼んでしまったものは仕方ない。それならいっそ早く来て彩華さん。俺には2人の子守りは荷が重い。
そして昴に連れられて母さんが洗面所に行ってから俺は新聞紙を用意しゴム手袋をはめて欠片をせっせと集めていた。
やがて2人が戻ってきた。
「隼人!!危ないわー!!」
「危なくないから。ゴム手袋をしてるから。昴は次は絆創膏を用意するんだ。そこのテーブルの横にある棚の中に透明なケースがあるのがわかるか?あれごと持ってこい」
「うん、わかった!!」
昴が駆けていく間に俺は母さんの手を引いてソファーに座らせた。
「傷は浅いみたいだね。消毒しなくて平気そう」
「ごめんね」
「どうして謝るの?」
「お母さんなのに失敗ばっかりだから……でも隼人が私に似なくて良かったー。2人ともドジだったらこんな時に困っちゃうもの」
「……俺は母さんの子だよ」
「そうね、しっかりしたとこが琉依さんに似てくれて良かったわ」
全然わかってない。やっぱり母さんは馬鹿だ、そう思ってると昴が救急箱を両手で抱えながら来た。
「隼人くん持ってきたよ!!」
「よし、偉いな。じゃあお前は待機だ。良くやったな」
「うん!!」
昴が持ってきた救急箱の中から絆創膏を取っていると玄関が騒がしくなった。これは1人ではない。
「美香さーん!!頭からたいりょーしゅっけつしたって大丈夫?」
誰が頭から大量出血したって言ったんだ。若菜がリビングに飛び込んで母さんを見つけると正面にいた俺を押して母さんに抱きついた。
「あらあら若菜。心配してくれてありがとう。でも指をちょっと怪我しちゃっただけなのよ」
「いたいー?」
「平気よ」
「美香ー!!大丈夫!?」
続いて優菜さんが慌てて入ってくるが俺たちの状況を見て、さらに後ろからついてきた彩華さんがテーブルのそばの食器の欠片を見つけて優菜さんに教えると大人2人は状況がわかったらしい。
「なんだー。もーびっくりしちゃったわよ。昴が血がたくさんなんて言うから」
「今度から正確に伝えるもん……」
昴はさっき俺が言ったことを気にしているようだ。
「でも昴は偉かったよ。家の電話番号も覚えてたし電話のかけ方も上手かった」
「隼人くんほんと?」
「ああ」
「そうね、昴偉かったね」
「お母さん!!」
そう言って彩華さんに駆け寄って抱きつく昴は子供らしい。
「優菜さん、絆創膏貼るだけで大丈夫かな?血は流したけどまだ出てるみたい」
「そうねー。ちゃんと止まってからの方が良いかもね。ガーゼある?」
「あるよ。じゃあ母さんのことお願い」
「わかった」
「あ、若菜がやるー!!」
俺は母さんのことを優菜さんに任せて再び食器を片付けることにした。
大きい破片が粗方拾えたと思っていると後ろから彩華さんに声を掛けられて振り向くと手にガムテープと掃除機を持っていた。
「隼人も偉かったね」
「彩華さんが来てくれて助かったよ。なんか余計なのもついてきたけど」
「若菜?ちょうど3人でうちにいたのよ。昴もここにくるまでは4人でお昼食べてたの。それであんな電話が来るでしょ?昴が大袈裟に言ってるのかもっと酷い状況なのか全然わからなかったから慌てちゃったわ。琉依さんにも連絡しちゃったから早退してさっさと帰ってくると思う」
「今すぐたいしたことなかったって連絡して!!面倒だから!!」
「今琉依兄にメッセージ送ったわよー。それと隼人は怪我してなーい?」
「助かったー。俺は母さんみたいに素手で触ったりしないから大丈夫」
「偉い偉い。まあ琉依さんならガラスの破片で怪我したってだけでもすっ飛んで帰ってくるでしょうけど」
「ん……だよね。はあ……」
そして彩華さんに手伝ってもらって片付けて終えると彩華さんが母さんの代わりに夕食の準備をしておいてくれるというのでお願いした。母さんが邪魔するから優菜さんが話し相手になってくれて、俺は昴とゲームだと、部屋に行こうとすると若菜がついてきた。邪魔だと言ってもしつこくついてくるから結局3人でわちゃわちゃと過ごし16時頃彩華さんが呼びに来てくれてみんなが帰っていった。
俺は母さんがまたおかしなことをしないように見張るためリビングでテレビを見ることにして時間を潰していた。
「あー隼人!!琉依さんもうすぐ帰ってくるってー!!」
「思ったより粘ったな……」
父さんが働いてるのは学生の時に友達と立ち上げた企業で社長の昇さんは父さんの親友。母さんのこともよく知っていて、たいしたことがないなら大丈夫だって今までどうにか引き止めていたんだろうな、と思うと苦労かけてすみませんと謝りにいきたくなる。
「もうすぐ帰ってくるなら支度しようかしら」
そう言ってソファーから立ち上がる母さんを引き止める。
「母さんはやらなくて良いから」
「えー?大丈夫よ」
「さっきちょっと痛いって言ってたでしょ。俺がやるから母さんはテレビでも見てて」
まだなにか言う母さんを無視して味噌汁が入った鍋を温めなおしていると母さんが危ないわよーと邪魔してくる。母さんが邪魔するから危ないんだ。ただでさえ台に乗っていちいち動かしながら作業しないといけなくて面倒なのに。そんなやりとりをしていると玄関のドアが閉まる音がした。
「琉依さん帰ってきたわ!!あ、でも隼人が……」
「もー早く出迎えにいって」
「う、うん」
パタパタと玄関に向かう母さんにため息をついているとすぐに父さんの声が聞こえてきた。
「美香!!大丈夫!?」
「大丈夫よーたいしたことないもの!!」
「見せてごらん」
そしてリビングに入ってきた2人は手を取り合ってイチャイチャしてるようにしか見えない。俺はこれを見ても毎回イライラする。馬鹿夫婦め。
と、味噌汁をかき混ぜながらふと思い付いた。これは父さんに怒られるのではないだろうか。父さんは母さんが大好きだし。別に俺は悪いことはしてないが止められなかった責任もある。仕方ない。怒られる前に謝ってしまおうと火を止めてから視線をあげると父さんと目があった。
母さんの頭を撫でてから俺のいるキッチンに歩いてくる父さんに俺は謝る。
「父さん、ごめんなさい」
「どうして隼人が謝るの?」
台に乗っても身長差がありすぎて父さんは屈んで俺と目線を合わせてくれる。
「だって、母さん怪我したから。母さんが馬鹿なのが悪いけど止められなかったのも責任があるでしょ……ってわーー!!なにするんだ!!」
なんてことだ。小2にもなって父親に抱き上げられるなんて。台に立っていた俺は父さんにひょいっと抱き上げられてしまった。
「降ろせー!!」
「まあ、隼人良かったわね。琉依さんに抱っこしてもらって」
「子供じゃないんだぞ!!こんなのいじめだ!!」
「小学2年生は全然子供だよ。……隼人」
もがいても離してもらえなくてぐったりしてしまった。父さんはもう一度俺の名前を呼ぶ。
「隼人は怪我してない?」
「するわけないだろ。馬鹿な母さんと違ってちゃんとゴム手袋をはめてたんだから」
「そっか、偉いね。隼人が怪我しなくて良かったよ。優菜から怪我してないって聞いてたけど」
「なんだよ。知ってたなら聞くな」
「うん、ごめんね。でも心配だったからちゃんと聞きたかったんだ。優菜たちに隠してたかもしれないでしょ?」
「隼人ー。優菜が連絡してくれた時琉依さんは隼人に怪我がないかすごーく心配してくれたのよ」
「そうなの?」
「当然でしょ。隼人が怪我しなくて良かったよ」
たいして鍛えてないくせに俺を片腕で抱えて左手で頭を撫でる。
「美香を助けてくれてありがとう。隼人が美香に似て優しい子で嬉しいよ」
「母さんに似てる?」
「うん」
「ふん。母さんはいつも俺は父さんに似てるってばっかりだよ。やっぱり父さんの子ねって」
首を傾げる父さんに俺は子供っぽいことを言ってしまったと慌てる。
「母さんに似たいって意味じゃないから。母さんに似たら馬鹿になっちゃうし。それに俺は父さん2号じゃないんだ。俺は俺なのに」
「あらあらあら、ごめんね隼人!!泣かないでー」
「泣いてない。泣いてるの母さんでしょ」
おろおろしながら母さんに頭を撫でられたから俺は頭を振って振り払った。
「隼人は隼人だものね。私が悪かったわ。許してくれる?」
「だからそういうんじゃないって。ちょっとイライラしただけ」
「隼人は優しいところと心配性なところが美香によく似てるよ。僕に似てるところもあるけどそうじゃないところもたくさんある。隼人の個性がたくさんあるよ」
「そうよー。琉依さんと違って隼人は意地悪だもの。でも可愛いー」
「男に可愛いって言うな!!」
「隼人には隼人の良いところがいっぱいあるんだよ。それに僕は美香のことが大好きだけど隼人のことも大好きだよ。だから心配して当然だよ。隼人は賢いからわかるよね」
「わかったから離せ」
「わかったわかった」
ようやく下に降ろされた俺は涙を流しながら笑う母さんを見てため息をつくとテーブルからティッシュを取って母さんに渡してあげた。
「ありがとー」
「隼人は美香が大好きだね」
「俺はマザコンじゃない!!」
「私は隼人が大好きよー」
「もう!!抱きついてこようとするなー!!」
両手を広げて襲ってくる母さんから避難してソファーの上に立つ。
「母さんはしばらく料理をしたら駄目だからな。俺がやるから」
「そんなの危ないわよ!!全然たいしたことないもの!!」
「傷が完全になくなってから予備で1日はやったら駄目だよ」
「僕が作るから隼人はお手伝いしようか。美香もそれなら安心だよね」
「それなら……」
「1人でもできるのに仕方ないな。それから食器はこれから自分で片付けるから母さんは自分のだけ片付けて」
「もう馬鹿なことしないわよー」
「いつ忘れて同じことしでかすかわからないから駄目だよ」
「シンクまでは台に乗ってもまだ届かないからカウンターまで運んでみようか。もっと身長が高くなったら最後までやってみよう」
「父さん!!さっきから邪魔しないで!!」
「だって届かないでしょ。美香も僕と一緒の方が安心だよね」
「そうね。琉依さんが一緒なら安心だわ」
この日から俺は母さんが馬鹿なことをするたびに怒って母さんが余計なことをしないように注意するようになった。
母さんは馬鹿だから次の日からもう琉依さんに似てここがすごいって言ってきて本当にわかってるのかと思ったけどバスケの試合や運動会の徒競走で一番になると琉依さんは運動はあんまりだからこういうところは自分に似てると言ってきた。母さんはアウトドアなだけで運動神経が良いわけではないと優菜さんから聞いているけど少しは学習している母さんに苦笑いする毎日だ。




