第四回
(第四回)
珠美とはひと月近くも会っていない。あのダンモの地下室に燻る麻薬のヤニからも暫く逃れてこのところは清潔な放浪といえた。
風月堂の開店時間を待って店のなかに座り込むと珈琲一杯で閉店時間まで恐ろしいほどの退屈した時間を過ごすわけである。直接話す相手がいるわけでなく攸爾はそのなかで己自身の堕落との会話に浸りつづけた。相変わらず修士課程終了後の暗澹とした自分の道行きが喉に痞える棘のように腰を据える。仲間は皆パリ留学が決定しているなかで己の描く秘策の人生があるというのか。
「お前の考える人生とは何だ」
「人生とは堕落なり。ミレーが今やウォーホールさ。俺にとって迷うことが堕落の始まりさ」
親友一文字との長い会話は常にこんなやりとりで終わる。見失ったものが攸爾にとって堕落の烙印だった。展望の消失は一方で彷徨する己の限りない魔力でもあった。
「堕落には予期し得ない逆転の可能性が秘められているのさ」
「堕落論か。まあそれもいいだろう」
実際には交わされてはいない会話のつづきがその風月堂の一日中の営みそのもののなかで攸爾の耳に響くのである。
写る眼に夥しいほどの忙しさで他人は喋り行動しその出入りを繰り返した。退屈の連続はもはや追想や実存肯定の反芻の度を越し五感の麻痺症状は頂点に達していた。
ウォーホールに惹かれること自体それは攸爾の基盤に異物を投げ入れていた。絵の道具だけを抱えて八年前上京したとき憧憬の未来には常にミレーがあった。南千住に落ち着いて浪人生活を始めた頃、午前中は予備校に通って午後はサンドイッチマンのバイトに明け暮れた。銀座の街に立ちながらミレーを思い阿佐ヶ谷の喧騒のなかでもミレーを信じて看板を握った。恥辱に満ちた灰色の試練などミレーが基盤に在ればこそ耐え切れた礎であった。そのヨーロッパの古典に触れることこそが攸爾の考える美の新しき先端に到達する流儀であり確信であった。