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魔性の砦  作者: あおい・ろく
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第十六回

(第十六回)


朝の光を浴びながら行う今朝の浄めの作務にもその余韻はつづく。境内の広い庭を掃きながらふと画家を志した来歴を手繰り寄せるのである。ミレーに憧れたのは果たして能動的な経緯を辿ったものだったのか。この境内の眼に見えぬ環境が宿命的にあのミレーの世界のなかの宗教的雰囲気に結びついていたのではなかったのか。しかし彼の絵の何処に宗教が存在しているというのだ。何故憧れの心的要因を宗教と結びつけようとするのか。

向けている箒の角度に緩慢な隙が生じて埃は地に沈んだまま攸爾の足元で滞った。

拭き浄めに移っても引きつづき核の概念と闘わねばならなかった。ミレーに憧れミレーを目指して何故二浪までもして芸大へ入ったのか。更に大学院まで進んで何を求めてきたのか。その六年間というものが単なる精神的充足に賭けた偽善ではあるまいか。それは何も着けないより着けた方がよかった世間体の鎧だったのではなかったのか。自分の芸術論を展開するための特異的な鎧ではなかったのか。武蔵野の自然の前で脱ぎ捨てたはずのその鎧が今、会堂の床を拭く腕に本堂への渡り廊下の桟や階段を拭く指に再び覆い被さってくるのだ。鎧を着けたのは果たして能動的な行為だったのか。画家になるために果たしてそれは必要としたのか。ミレーの憧憬がウォーホールの衝撃的な手法に揺らぐときいったいそれはどんな意味を持ったというのだろうか。

鎧の概念は反芻され雑念に惑わされていつもの喰前の行を終えるのだった。

雲板(うんぱん)の音が鳴り朝膳を前に合掌する無心が落ち着きを取り戻そうとする。臭覚が俄かに頭をもたげこれもいわば能動的に喰する姿なのだと哲理をなぞる。噛みながら啜りながら味を確かめながら実はこれは本能なのだと再び哲理の切り口を変えてなぞる。

侵されないものの逃げ道はひとつだけ残されている。それが人間の本能だ。喰しながらこの哲理だけはこれまで疑ってきた災いから逃れることが出来ると思った。まるで乱心の葛藤から離れてやっと居座ることも眺めることもそれを許されたような錯覚に覆われた。音も出さずに修める喰の行のあいだ唯ひとつ鳴る音は境内に響き渡る小鳥の声だけだった。それは攸爾にとって見事に調和した音を聞くかのように響くのだった。

攸爾は密かに俗世の戦闘服をもう一度着けたいと決心していた。味を求めて噛み砕こうとするこの本能的行為と同等な哲理だ。既にその土壌はいつか造られていたはずであった。表向きさえ袈裟を着けていれば誰も自分の着けている衣の生地までは気付かないだろう。新たな戦闘服を身に着ければもう武装する鎧は必要ないし鎧を脱いだ悔恨やその責務を他に見つけようとする懺悔の追及もその獄から逃れることも出来るのだ。

小鳥の囀りを聞くと何処かで聖水を注いで蒔いていた核の新しい鮮烈が今にも蘇ってきそうな気配である。

やがて喰は整然と終り融和に解けた戦闘服の概念だけを新たに仕舞った。そこには昨夜来の曇りの一点は収拾され今夜はもう舞い跳ぶ迷いは出現しない確信を得た。


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