第十二回
(第十二回)
音は瞬々と閉じた四隅に響き渡り正座する自分の影が空となってそれに同調する。この三畳間が十四階の広い庭の一部だとはとても思えない。見上げる小さな障子窓のすぐ外に休み処があってそこで見た雀の光景が蘇ってくる。湯の沸き起ってくる音を聞いていると数日間過ごしたはずの庭の造りが次第に意味をもたげてきて攸爾の記憶の裡に衝撃を与えていた。敷き詰められた小石にしか見えなかった地は実は薄い露地であり休み処とこの茶室を結ぶために大小の役石が演出されていたのだ。
湯の音を聞いていると見事に建築された茶室の驚嘆に圧倒され益々この茶室の持ち主である珠美の存在がその音に混じって不可解な光沢を奏でているように見える。それと炉の傍に置かれた黒い水晶玉の鋭利な光源が更に攸爾の心を射っていた。
「この六角柱の水晶がペルーで見つけてきたものなの。黒くて神秘的でしょう」
「そのためにわざわざ出かけたの?」
「そうよ」
休み処のすぐ後ろに茶室があったことも意表を衝かれたがこの女の水晶に惹かれる魔性の怪奇には未だその正体が掴めない。炉のなかの炭が真っ赤に映え、炉縁にその影を焦がすと見守る攸爾の魂は怪しく揺れ動いた。
造られたものに対する感動の両面価値が激しく攸爾を揺さぶっていた。湯の音は鳴りつづけ不可解な魂も揺らぎつづけた。驚異なるものがすぐ傍にありながら計り知れないその淵は形を留めていなかった。この庭において隠れた細工を有していたかのような茶室自体の存在と今眼の前に置かれている六角柱の黒水晶に改めて驚嘆するのである。しかし実際に揺らいでいるのは眼に映る景観が与えたものではなかった。全体を覆うような自然の本質とはかけ離れたものに対する魔性が攸爾の心を揺さぶっていたのである。
「インカ帝国の原石よ。紀元前二千年の輝きが伝わっているわ」
「本物なの?」
「本物よ」
珠美は静かに柄杓で炉釜の湯を汲んだ。湯は音を立てて茶碗に注ぎ込まれ一滴一滴と最後の滴が落ちるまでその響きは空間に拡がった。鋭敏な相克は依然と裡の渦を巻き息を殺して手前を待つ攸爾の記憶のなかで立ち止まっていた。
休み処から眺めたときの庭の静観はいったい何だったのだろうか。敷き詰められた石や垣根と思しき素描の正体はすべてこの茶室のための露地の一端でありそれが全体の景観を意図して造られていたのだ。繰り返し認識させられると何故か最初に受けた素朴な感動は貴重なものを失ったように消滅し反対に合点のいく造りものとしてのありきたりの巧妙さに戸惑うのである。ただならぬ人間が企てたこの狡猾な狙いが反って偽善で不純な魂のように見えてくるのだ。
差し出されるまま茶筅で溶かれた苦い粉末汁の手前を受けそれを喉に通すと忽ち自我の粗だたしい闘争もどこかへ消え入りそうになる。茶碗を戻しながら攸爾は軽く会釈をした。
「何故ペルーまでわざわざ出かけたの?」
「最初に言ったでしょ。霊感よ。私の閃きなのよ」
「黒水晶はペルーしかないの?」
「そういう訳じゃないわ。何となく惹かれたのかしら…紀元前二千年のインカ帝国の浪漫に。地球の裏側の魅力にも」
眼の前にある謎は相変わらず崩れずに存在し女の持つ不可解な領域は到底推し測ることすら無意味に思われた。
「でも浪漫が何故インカ帝国なの?」
「コンドルは飛んでいくっていう曲があるでしょ。あれはインカ帝国で生まれた紀元前二千年の頃の歌なの…いい曲だと思わない?」
この一言が彼女の本性と言えたかも知れなかった。平凡かつ透明な極意がそれに含まれていた。同時にそれは有無を言わさず密封した正体をそのまま葬むる最強の手段だったかも知れない。