私と自閉症の陸くん
陸くんは自閉症です。
中学に上がって私が引っ越すまで、私の隣の家に自閉症の男の子が住んでいた。
名前は有田陸。二つ年下で、弟みたいな存在だった。恥ずかしがり屋で表情をあまりださなかったが、彼は春のお日様のように笑う子で、彼のその笑顔は周りを巻き込んだ。
ここで、おや?と思う人もいるだろう。
“自閉症”とは、漢字だけを見ると自らの殻に閉じこもっている人だとか、鬱病である、引きこもりである、と認識することがあるが、それは大体の自閉症の人には当てはまらないのだ。
軽く、“自閉症”の説明をしよう。
自閉症とは、他者とコミュニケーションが苦手だったり、自ら思考して行動することが苦手だったり、と社会のルールからはみだしてしまうときある。これは脳の前頭前野の機能が何らかの理由で正常に働いていないからである。
自閉症は、先天性の脳の障害である。決して、親の育て方が原因ではないことを強調しておこう。
そして、これを決定づけるのは、陸の母親であろう。料理上手で大らかな彼女の性格と、親子そっくりの暖かな笑顔を見れば一目瞭然である。
さて、本題に戻ろう。
どこが私の自慢であるのか、それはたくさんあるので、色んな思い出と共に語ろうと思う。
まぁ、一緒に過ごしたのは小学生の間だけであるので理解してほしい。
陸と私は家が隣ということもあり、毎日登下校を、共にした。
低学年のころは陸のお母さんがついてきてくれたが、そのうちついてくる距離が短くなっていった。
陸は信号は私が手を引かないと気付かないし、前から迫る自転車を避けようとしない。ドキドキと不安になることもしばしばあったが、陸と歩くのは楽しかった。
陸はとても記憶力が良い。陸に限らず、自閉症の人にはそういう人が多いらしい。
登下校の最中、陸はよく喋る。それは私に向けて話しているわけではない。
パン屋さんの話の絵本で覚えたパンの名前をつらつらと声に出し、CMで流れる謳い文句を一言一句間違えずに歌い上げる。
特にCMの話のときは楽しい。陸のお母さんと何のCMか当てっこをしたりするのだ。
また、こんなこともあった。
陸は、基本的に特別支援学級で一日を過ごす。しかし、交流タイムというものが私の小学校にはあって、お昼休みと毎週月曜日の放課後、特別支援学級の生徒たちと過ごす時間が設けられていた。
私は当然のように、陸の隣の席に割り振られた。
私が六年生、陸が四年生だったある日、図画工作のお題で「朝顔をつくろう」というものがあった。それぞれの机には真っ白の厚紙と、色とりどりの折り紙と糊。これがあれば大体の生徒は何をするか理解できるだろう。
折り紙を千切ったり、ハサミで切ったりして、白い厚紙に朝顔の花を作り上げるのだ。
しかし、そこで陸は戸惑った。
私に何度も「あさがお?」「あさがおのお花?」と訊ねるのだ。その度に肯定してきたが、何度目かで陸は癇癪を起こした。
机を叩いて、机に伏せて泣いてしまった。
特別支援学級の先生が、大人しくなった頃、「どうしたの?なにがわからなかったの?」と、訊ねると、陸は顔を上げて言った。
「朝顔作れません!」
陸は折り紙で“朝顔”を作るのだと思った。“本物の朝顔”を作るのだと思ったのだ。先生は謝った。
完成間近の私の作品を借りると、教卓の前でそれを皆に見せた。もう一度作り方を説明した。
陸は次はスムーズに作り上げた。実物があると、陸以外の生徒も上手にできた。
時間が余ったので、次はお絵描きをした。
ここでまた、陸の新たな才能を知った。
陸は赤やオレンジのクレヨンを上から下にガシガシと線をたくさん描いているのかと思った。しかし、その紙を少し離れて見る。すると、どういうわけか、りんごが見えるのだ。
単純であったが、魔法みたいだと、その時私は感じた。
もしかすると、私と陸は同じ世界に住んでいても違う世界が見えてるのではないか。
そう思ったのだ。
そして、私が教室に戻るとき、私は陸の手の甲に、私の指先を数回トントンとすると、手を振る。
「バイバイ、陸くん、またあとで」
ふわりと笑った陸は私の手の甲に陸の指先を数回トントンとすると、私に手を振った。
「バイバイ、ひなちゃん、またあとで」
これはいつも、私と陸が別れるときにする行動であった。
穏やかな陸であるが、いつもそうであるけではない。時折、すごい癇癪を起こすこともある。
コミュニケーションをとること、自分を表現することが苦手な自閉症の人。陸もその一人であることを忘れてはならない。
私は家族で夕飯を食べ終え、しばらくのんびりしたあと、一階の自室で勉強やら、ゲームやらをしていた。
陸は私のお隣さん。そして、私の部屋から陸の部屋は窓から窓で移動できる。陸は何をすることがあるかわからないので、窓は陸自身で開けられないのでそんなことをしたことはないのだが。
ある日、陸の部屋からドタンバタンと大きな音が聞こえた。低学年までは、日常茶飯事だった音だが、高学年なって久しぶりに聞いた。
物音に加え、陸の金切り声が聞こえてくる。
カーテンの隙間から覗く。
高学年になった陸は体格も昔のように小さいわけでもない、陸のお母さんも陸を抑えるのに必死だった。
「静かにします」
怒った顔、低い声、そして肯定文を使って陸に注意する。これは陸のお母さんが、陸を叱るときのお決まりだった。
陸はそれを無視して喚くが、何度か繰り返されると、お母さんを振り切り、陸は布団に潜り込んだ。
そして、静寂が戻った。
しばらく経つと、インターホンが鳴った。お母さんに呼ばれる。
玄関には陸のお母さんとお父さんがいた。
「陸くんのお母さんとお父さん、どうしたんですか?」
「ああ、ひなちゃん。陸のタオル、知らないかしら」
そのタオルは陸のお守りのようなもので、いつも車のアップリケのついた巾着へ入れてどこへでも持ち歩いていたものだった。触れていると安心するのか、眠るときに握っていた。
先程の大騒ぎは、陸がタオルがないことに気付いたからだった。
普段と違うことがある。そのことが陸を不安にさせたのだろう。
「学校に行くときには持ってたから……、公園にあるかも!」
私はスニーカーを履くと、外に駆けだした。
後ろから私のお父さんと、陸のお父さんが追ってくる。陸のお母さんは陸が心配なので、家に戻った。
車のアップリケの巾着は、案の定、公園のベンチにあった。陸の最近の流行は、この公園で人が漕いでるブランコを見ることであった。
その日はたまたま人がおらず、私が漕いだ。二人して気付かずに帰ってしまったのだ。
「ひなちゃん、ごめんね。ありがとう。陸は自分で言わないから、助かったよ」
三人で歩いて帰ると、陸のお母さんは外に出て待っていた。
私な巾着を陸のお母さんに渡した。
「ひなちゃん、ごめんね。本当にありがとう」
「うん。陸くん、今どうしてるんですか?」
「さっきまでぐずぐずしてたけれど、疲れて寝たの。ひなちゃん、これからも……陸を気にかけてやってね」
そして、またたくさん謝られ、お礼を言われた。
私はお父さんと家に戻った。
翌日、陸はけろっとして、普段通り私を迎えに来た。車のアップリケの巾着にタオルを入れて持っていた。しかし、以前と変わったことが一つ。巾着はランドセルに陸では開け閉めができない金具で留めてあった。
学校と家の真ん中あたりの距離で、陸に折り紙を渡された。丸く折られたオレンジの折り紙は中心に『くりーむぱん』と書かれ、陸にずっと握られていたからか、少し湿っていた。
「大好きなクリームパンをくれるの?」
陸は相変わらずの無表情だった。
名前は忘れてしまったが、陸は陸のお母さんが買ってくるパンが好きであった。特に大好物のクリームパン──折り紙であるが──をくれるのは、とても嬉しかった。
「陸くん、ありがとね!」
少し膝を折って、目を合わせようとしたが一瞬で逸らされた。別に怒っているわけではない。
陸は、にやっと笑った。
この数ヶ月後、私は陸と離れた。
その理由の一つは、隣の市のお祖母ちゃんが倒れてしまい、そっちの大きな家で家族で住むことになったこと。
もう一つは、また別の機会に。