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白銀の御髪の結い師

作者: 樹坂あか

 ねえ女王様。私ね、女王様の季節の星空が一番好きよ。だってお空も空気も雪もぜーんぶキラキラして、とっても綺麗なんだもの!


 冬の女王様。今年もいい雪が降りました。来年の春には綺麗な雪解け水ができますでしょう。


 ああ女王様。私たちの冬の女王様━━


   ***


 いつかの声が頭に蘇ってきて、冬の女王様はゆっくりと瞼を持ち上げました。長い白銀の睫毛から雫がひとつ転がり落ち、頬を伝ってシーツに染みを作っていきます。

 青絹で仕立てられたドレスはまるで水にそぼ濡れたかのように重く冬の女王様の身体に纏わり付きます。もう、まばたきをするのも億劫でした。

 まだ、冬の女王様の涙は止まりません。

 一月も前から、ずっとずっと冬の女王様は泣いているのです。



 この王国は一人の王様と季節の女王達によって代々回っており、冬の女王様は当然冬を司ります。冬の女王様が塔にいる間だけ、王国には白雪が降り冷気が舞うのです。秋の姉女王が落とした葉を大地の糧と変え、春の姉女王が雪解け水を成す支度をするのが冬の女王様の役目です。


 今年も冬の女王様は塔に入り、王国に冬をもたらしました。

 ごく少数の人しか知らないことですが、季節の女王達は塔に居る間、各々の髪と瞳に力を宿します。冬の女王様はその髪に雪と繋がる力を、瞳に冷気と繋がる力を持っていました。

 冬の女王様の白銀の髪が結い上げられる度に天から粉雪が零れ、群青の瞳が民を映す度に空気が澄んでいきます。冬の女王様が塔に入って王国を見渡したときにその年最初の木枯らしが吹いて、「ああ今年も冬が来た。冬の女王様が塔に入られたのだ」と民は冬の女王様を想うのです。美しく慈愛に満ちた冬の女王様は、民からとても慕われていました。そしてまた、冬の女王様も民をとても愛おしんでいました。


 ところが。


 一月前、冬の女王様がいつものように侍女に髪を結い直してもらっていると、侍女が誤って結い紐を切ってしまいました。

 雪と繋がる冬の女王様の髪はきちんと結い上げれば穏やかに雪が降りますが、同じように解けて乱れれば激しく動きます。


 よって━━結い紐から滑り落ちた姫冬の女王様の髪がふわりと乱れた途端に、王国のあちこちで大きな雪崩が起こってしまいました。


 冬の女王様は絶叫しました。何十人もの愛しい民が雪崩に巻き込まれ、犠牲になってしまったのです。

 冬の女王様の力は雪を『降らせる』ことはできても『昇らせる』ことはできません。春の姉女王のように、雪を溶かす力もありません。ただただ塔の中で冥福を祈りながら、むせび泣くことしか叶いませんでした。


「何故、何故、わたくしの力が民を殺めた……!? 民のためにある力が、何故わたくしの愛しい民を……っ!」


 苦しくて悲しくて、冬の女王様は我が身も枯れよとばかりに泣きました。

 それからずっと冬の女王様は、悲しみにうちひしがれて泣いたままなのです。


 結い紐を切ってしまった侍女はいつの間にかいなくなり、変わりにたくさんのメイドや執事達か冬の女王様の側に付きました。結い紐自体もすぐに修理できました。

 ですが、誰一人冬の女王様の髪を結うことはできませんでした。自分のせいでまた雪崩が起こることが恐ろしかったのもありますが、冬の女王様の艶やかで腰のある髪は、その滑らかさゆえに結うことがひどく難しかったのです。

 冬の女王様は動くまいと決めました。髪を結えぬまま動けば、また悲劇が起こってしまいます。そうして冬の女王様は、嘆き続ける寝台の住人となりました。


 やがて春の姉女王と替わる日がやって来ても、冬の女王様は寝台から動きません。動けません。いつしかメイドや執事達も髪結いの重圧から逃れるように塔を去っていきました。

 このままでは、王国は哀しい白銀に包まれたままです。困り果てた王様は王国中にお触れを出しました。


『冬の女王を春の女王と交替させた者には好きな褒美を取らせよう。ただし、冬の女王が次に廻って来られなくなる方法は認めない。季節を廻らせることを妨げてはならない』


 それからというもの、塔には毎日毎日様々な人達が訪れました。

 大根農家のおじさん。司書のおばあさん。きらびやかなアクセサリーを売る行商人。顔を見たことがある貴族の三男坊。隣国の王子様。口から火を噴くピエロ。

 冬の女王様の力など露ほども知らない皆は、揃って彼女に言いました。


「ああ冬の女王様、どうして寝台からお出でにならないのです。どうか涙を止めて、春の女王様とお替わりください」


 冬の女王様は決まってこう答えます。


「そなたはわたくしの髪の力を知っていますか? わたくしの髪は則ち雪。乱れればそれは雪の乱れ。だからわたくしはこうして、寝台で動かずにいるのです。そなたは、わたくしの髪をきちんと結い上げてくれますか? わたくしはもう、この力で民を殺めたくはないのてす」


 冬の女王様の力と願いを知ると、皆一様に申し訳なさそうな顔をしていなくなりました。

 塔から消えていったメイドや執事達と同じで、恐ろしいのです。もし失敗すれば災害が起こってしまうのですから。

 そしてそれは冬の女王様も然り。だからこそ、こんなことを言うのです。二度と悲劇を起こしたくないから、わざと事実を━━怖いことを伝えて、目の前に居る者がそれでも結い上げましょうと言ってくれる勇気と腕のある者か試しているのです。


 結局、冬の女王様は未だ寝台にいます。




 滲んだ瞳に天蓋を映して、冬の女王様はか細い息を吐きました。


 冬の女王様が寝たきりの間、塔に残った数人により、生命を保つために必要最低限度の水と食物は無理矢理にでも与えられてきました。しかし冬の女王様の身体は日に日に痩せ衰え、ただでさえ華奢な四肢は折れてしまいそうなほど細くなっています。この状態を続けていれば、いつかは冬の女王様の命も失われてしまうでしょう。

 冬の女王様はそれでも構わないと思っていました。だって冬の女王様が死ねば冬は消えます。あんな惨劇は二度と起こらず、愛しい民を失うこともないのです。

 冬の女王様が思考を緩やかに絶望に誘われていると、部屋のドアがコンコンと鳴りました。おそらくまた誰かやって来たのでしょう。


「……どなた?」


「ウィル・ラーマンドと申します。冬の女王様とお話ししたくて参りました」


 聞こえてきたのは若々しい男性の声です。

 冬の女王様はもう一つ息を吐いて、言いました。


「構いません。お入りなさい」


「失礼します」


 ドアを開けて入ってきたのは、ふわふわ柔らかそうな金の髪をした青年でした。ちょうど冬の女王様と同い年くらいに見えます。

 ウィルと言うらしい青年は冬の女王様を見留めると、少し気恥ずかしそうに微笑んで寝台の傍らに来ました。


「お初にお目にかかります、冬の女王様。改めまして、僕の名前はウィル・ラーマンドです。どうぞよろしく」


「ウィル……ですね。そなたも兄様の━━国王陛下のお触れを見聞きして来たのですか?


「はい……」


 ゆるりと顔を向けた冬の女王様を見て、ウィルは瞬時に目を丸くしました。おろおろと大慌てでポケットを探りだします。

 出てきたのは、綺麗にアイロンがけされたハンカチでした。

 ウィルはそれに汚れが無いか素早く確かめて、冬の女王様に差し出しました。


「使って、ください。……一応、新品ですし。嫌ならいいんですけど」


 今度は冬の女王様が目を真ん丸にする番でした。

 ウィルは冬の女王様が泣いているのを見て、心配して彼女にハンカチを差し出してくれたのです。今まで冬の女王様の元にやって来た人達は、一瞬の心配こそすれど後は願ってばかりでこんなことはしてくれませんでした。


 人の心遣いに久々に逢った気がして、冬の女王様の胸がじわりと温もりました。


 冬の女王様は恐る恐るハンカチを受け取って涙を拭いました。ささやかでも確かに癒された冬の女王様の心は、一月ぶりに双眸から冷たい雫を溢れさせるのを止めました。

 ウィルがほっと安堵の表情になります。冬の女王様の涙を吸ったハンカチは、再びウィルのポケットに戻されました。


「ありがとう」


「どういたしまして。……何か、悲しいことがあったんてすか?」


「……ええ」


 思い出すとまた涙が出てきそうです。冬の女王様は唇を強く噛み締めました。

 ウィルは痛ましげに冬の女王様に問いかけました。


「寝台からお出でにならないのも、悲しいからですか?」


「……いいえ」


 女王様は定型文を囁きます。自分でも気づかないほど少し、ウィルに期待して。


「そなたはわたくしの髪の力を知っていますか? わたくしの髪は則ち雪。乱れればそれは雪の乱れ。だからわたくしはこうして、寝台で動かずにいるのです。そなたは、わたくしの髪をきちんと結い上げてくれますか? わたくしはもう、この力で民を殺めたくはないのてす」


 ウィルは驚愕に息を呑みました。


 しばしの沈黙が流れます。

 女王様の中で、やっぱりという気持ちとがっかりという気持ちが不安の鍋に入れられて掻き混ぜられていきます。女王様は静かに目を閉じました。こうして冬の女王様が見ていない間に、皆ひっそりと部屋から出て行くのです。

 ウィルのあの心遣いだけでも十分にありがたかったのだ━━心で唱えて目を開けます。

 すると、寝台の傍らには変わらずウィルの姿がありました。

 二人は目を合わせて、互いにきょとんと目をしばたたきました。


「……ええと、冬の女王様」

「……はい」

「僕は髪を結う方法とか何も知らないので、一週間だけ、待ってください。知識のある人に教えてもらって練習するので、お願いします」


 ウィルの言葉を理解した瞬間。

 冬の女王様の中から、瞬く間にがっかりが飛んで行きました。

 ウィルはやると、結い上げると言ってくれたのです。真っ直ぐに冬の女王様を見て、言ってくれたのです。

 冬の女王様の眼に込み上げて来たのは、哀しい水ではなくもっともっと熱いものでした。


「って、え、冬の女王様!? ハンカチハンカチ……」

「……めん、なさい……」

「え?」

「ごめんなさい……っ。わたくし一人では、どうにも、できなかったのです。今はもう冬であってはならないのに、春の姉様と替わらなくてはならないのに、動けなくて……っごめんなさい……!」


 腕を上げて顔を覆った冬の女王様は、泣きじゃくりながら懺悔のように全てを吐き出します。この一月、ずっとずっと苦しかったのです。

 民は春を待ち望んでいるのです。冬の女王様だって、いっそ死んでしまおうかと思うほど愛しい民に春を導いてあげたいのです。でもできなくて、辛くて堪らなかったのです。

 それが、ようやく終わるのです。

 冬の女王様、安心と喜びのあまりの号泣でした。


 ひっ、ひっとしゃくり上げる冬の女王様を、ウィルは唖然と見つめています。普段は優雅な威厳に溢れた冬の女王様も今は小さな女の子のようです。

 きっとそんな場合ではないのでしょうが、ウィルの口元は微笑ましく緩みました。


 しばらく経ってやっと泣き過ぎのしゃっくりが止まってきた冬の女王様に、ウィルがそっと声をかけました。


「冬の女王様。髪を結うのは今日は無理ですけど、梳くだけでもしましょうか。御髪(おぐし)の力のどうこうは詳しくは分かりませんけど、多分綺麗な方がいいんでしょう? 梳くだけなら今の僕にでもできますし、冬の女王様は寝たままでもいいですから」


 そういえば確かにここ最近、冬の女王様は何一つ髪の手入れをしていませんでした。

 最後のしゃっくりを飲み込んで腕を下ろした冬の女王様は、ウィルの提案に可憐に笑って頷きました。笑うのも久々です。本当に、ウィルは一体どれほどの心遣いをくれるのでしょう。


「ええ、お願いします」

「あ、じゃあ櫛ありますか?」

「ええと……今わたくしは持ち合わせていないので、少し待ってください。メイドに持ってこさせますね」


 冬の女王様が枕元のベルを鳴らすと、年若いメイドがダッシュで現れました。多少慌てん坊ではありますが、冬の女王様に今でも仕えてくれている気骨のある者です。


 事情を聞いたメイドは一気に表情を明るくして櫛を取りに走りました。戻って来たときには緻密な細工が施された櫛とシンプルな丸椅子を持っていて、それらをウィルに手渡してメイドは下がりました。


「では、失礼します」


 寝台の傍らで椅子に腰を下ろし、ウィルは冬の女王様の髪を一房手に取りました。冬の月光によく似た白銀の髪に櫛の歯が入り、ゆったりと梳られていきます。

 全て梳き終わる頃には、冬の女王様の髪は明かりにキラキラと輝いていました。王国中の者が羨むまばゆさです。

 ウィルは満足げに笑います。


「それでは、今日はそろそろお暇させていただきますね。一週間みっちり特訓してきます」

「本当にありがとう。無理をしないでくださいね」

「はい。……明日も、時間があったらお髪を梳きに来ていいですか?」


 冬の女王様は驚きながらも勿論と頷きました。


 ウィルは言葉の通りに翌日も冬の女王様のもとを訪れ、髪を梳いて帰って行きました。次の日も。また次の日も。

 冬の女王様はどうにも不思議でした。他の人が恐れる冬の女王様の髪に、ウィルは臆することなく触れます。時には軽い冗談も交じえて丁寧に丁寧に梳かしてくれます。

 勇気があるのだ、と一言に片付けてしまうには何か違うような気がするのです。そもそもウィルは、冬の女王様の髪に触れるときさして勇気を振り絞っているようには見えません。何というか、普通に触れているのです。


 何故だろうと考えてはウィルに髪を梳かれご飯を食べて眠り、起きてはまた考えて。

 あっという間に時間は過ぎて、約束の一週間後になりました。


 朝一番に塔に来たウィルに支えられ、冬の女王様は一月と一週間ぶりに体を起こしました。いつものように髪に櫛の歯が通され、冬の女王様の背中をさらさらの白銀が覆います。


「……よし。じゃあ、結わせていただきます」

「……はい。お願いします」


 冬の女王様の体がぎゅうっと強張ります。ウィルを信用していないわけではありません。ですが、やはり怖いものは怖いのです。

 こんなにガッチガチではウィルも結いにくいでしょう。そう思った冬の女王様は、必死に気を逸らそうと思考を走らせました。


 真っ先に浮かんだのは━━ここ最近ずっと考えていること。


 高い位置で髪を纏めるウィルの手は、変わらず微塵の恐れも感じさせません。壊れ物を扱うように、でもしっかりと冬の女王様の髪を集めて、乱れぬようきつめに濃い紫の結い紐で仮留めします。

 一息ついて編み込みにかかったウィルに、冬の女王様はおずおずと尋ねました。


「ねえ、ウィル」

「何ですか?」

「……そなたは、わたくしが、わたくしの力が恐ろしくはないのですか?」

「別にそんなに怖くはないですよ。すごいなぁとは思いますけど」


 即答です。びっくりするほど即答です。

 なんだか拍子抜けした冬の女王様は不思議やら嬉しいやら。正直なところ、「怖いですね」と言われれば当然残念とか寂しいとかそんな気持ちになったでしょうが、「怖くない」と言われてもそれはそれで妙な気分です。


 はあ、と怪訝な返事をした冬の女王様にくすりと笑い、ウィルは一本目の三つ編みを編み上げました。二本目に取り掛かりつつ、ぽつりぽつりと話しはじめます。


「冬の女王様。僕はね、この国の出身じゃないんですよ。お隣りの夏の公国の()で。生まれてから十二の頃までそこで暮らして、商人の両親に連れられてこの国に暮らしはじめたんです」

「夏の公国ですか! 常夏のお国ですよね。一度行ってみたいんですよ。夏の姉様のお母上がそこの出身なんですよ」

「ええ。その出身を買われて、この国に来てからしばらくして夏の女王様にお仕えすることになったんです。ちなみに髪を結う方法も夏の女王様の侍女に習いました。……で、元々常夏の国にいた奴がいきなり四季のある国に住むとどうなるかっていうと、まあしんどい訳ですよ。夏以外はどうしても寒いから」


 寒い季節代表である冬の女王様はギクッと固まりました。特に何も悪いことはしていませんが、罪悪感が滲みます。

 

「……そ、そうですか」

「はい。でもね、冬は嫌いじゃなかったんです。寧ろ好きでした」

「え? 寒いのは苦手では」

「苦手でしたよ。でも嫌いじゃない。だって常夏の国じゃ知れなかったことがたくさん知れましたしね。暖炉の有り難みも澄んだ星明かりも雪の冷たさも、人のぬくもりの心地よさも。些細で普段は忘れてしまいそうなことだって、冬にはちゃんと確かめられるのが好きなんです。そんな冬を司るのが冬の女王様で貴女のお力でしょう? 僕の好きな季節を生む人を、力を、怖いとは思いませんよ」


 最終的に三本になった三つ編みを避けて、ウィルは残りの髪を結い紐の下に巻き付けました。その上からそれぞれ違う向きに三つ編みを巻き付けます。

 最後にシースルー仕立ての薄紫の結い紐できゅっと締めて、完成です。

 冬の女王様に手鏡を渡して、ウィルは言いました。


「確かに冬の女王様の力は誤れば大変なことになるものです。でも冬は、少なくとも僕にとっては大切なものですよ。きっと他の皆もそう思ってます。だから冬の女王様、あんまり自分のことを責めて嫌いにならないでください。こんなふうに貴女のことが大好きな奴が、心配している民が、たくさんたくさんいるんですから」


 手鏡に映した自分の髪型を、冬の女王様はよく見ることができませんでした。理由は誰もが知っていることでしょう。

 泣き虫ですね、とウィルが笑います。

 そうかしらとかそうねとか返事を考えてはこんなのじゃないと頭を振って、そして冬の女王様は、泣き濡れた顔で懸命に笑みを返しました。


「ありがとう……っ」


 冬の女王様の目が白い布で覆われます。ウィルがハンカチを押し当てたのです。

 ウィル、と冬の女王様は涙声で呟きました。


「ここ一週間で、わたくしへの対応が、ちょっと、砕けましたね」

「いやだって、……はい。ごめんなさい。不敬でした」

「構い、ませんよ。そのまま、で」


 頑張って深呼吸をして息を整えた冬の女王様は、意を決して立ち上がりました。結い紐に付けられた飾りがシャランと鳴ります。

 行きましょう。そう、ウィルに目で合図しました。


 ドアの先で目を射た陽光に、冬の女王様は目を細めました。雪に反射する光が空気を舞っているのです。

 廊下の奥から件のメイドを筆頭に数人の使用人が駆けてきます。皆泣き笑いで顔がぐしゃぐしゃです。

 冬の女王様の前で膝を突こうとした彼女達を立たせ、冬の女王様は皆纏めて思いっきり抱きしめました。最前列のメイドが冬の女王様の胸元で「むぎゅうっ」とくぐもった声をあげるほどの力強さでした。ついでに後ろのウィルも一緒くたに腕の中に閉じ込めます。


「今までごめんなさい。……ありがとう」


 「女王様! ギブ! ギブです!!」と胸元から聞こえてきたので惜しみつつも皆を解放して、冬の女王様は歩みを進めます。

 長い長い階段を下りると徐々に冷気が肌を撫で、息が白くなってきます。ウィルはいそいそとマフラーを巻いていますが、冬の女王様は薄布のドレス一枚で平気です。ウィルとは逆で、冬の女王様は寒さにすこぶる強いのです。


 塔の大きな門をくぐり抜けたその先、雪景色の中で。

 王様と春の女王様、更に何故か夏の女王様までもが手を振っていました。

 冬の女王様は駆け出して、三人に勢いよく飛びつきました。


「兄様……姉様方……ごめんなさい、ご迷惑をおかけしました……っ」

「ああ、謝らないでおくれ私の可愛い末の妹よ。何一つお前のせいではないのだから」

「そうよ……辛かった……わね……よく……戻ってきて……くれたわ……」

「別に心配なんかしてなかったんだからぁっ!」

「夏の姉様、お声が震えております……皆様、本当に、ありがとうございます」


 冬の女王様の髪を撫でる王様に、おっとりぼんやりと語る春の女王様に、誰より強く抱きつく夏の女王様。麗しい家族の光景をウィルは少し下がった位置で微笑ましく眺めます。

 顔を上げてウィルを見留めた王様は、冬の女王様に尋ねました。


「末の妹よ。あの者がお前の救世主かい?」

「はい、兄様。彼が……ウィルが、冬の幕引きを見事に勤め上げてくれました」

「そうか」

「そうよ!」


 王様の言葉を食ったのは夏の女王様の声です。


「そいつ、あたくしの使用人なの。兄様のお触れを聞いてあたくしの所に来て、暇をくださいってお願いされたけど……まさか本当にやり遂げるとは思ってなかったわ! あれよ、褒めてつかわすわよ!」

「ああ、ありがとうございます夏の女王様」

「式典でこの子をじっと見て頬染めてたときは半殺しにしようかと思ったけど、こうなったならまあいいわ! うん!」


 夏の女王様はたいへんよく通る声で、言いました。


「……え?」


 冬の女王様が状況を理解しようとウィルに首を巡らせますが、春の女王様によってその胸に顔を埋めさせられます。

 生まれかけた微妙な空気を咳ばらいで消して、王様が頬を霜焼けのような色にしたウィルに問いました。


「そなたの名前は、ウィルでよいのだな?」

「あ、は、はい。ウィル・ラーマンドと申します、国王陛下におかれましてはご機嫌麗しく……」

「そう固くなってくれるな。冬の女王を塔より出し、季節を廻らせた者よ。触れに出した通り、そなたに好きな褒美を与えよう。さあ何を望む?」

「ええと、……褒美というよりお願いですけど、よろしいですか?」

「構わん。言うてみよ」


「……僕を、冬の女王様のお側付きにしてください」


 願いを聞いた、ウィル以外の全員がきょとんと首を傾げました。


「なんだ、そんなことでいいのか?」

「欲出しなさいよ欲! あたくしは認めてるわよ!」

「まあそなたがそれでいいなら構わんが……一応、主の意向も聞かんとな。どうだ末の妹よ」


 話を振られた冬の女王様は、頭をあっぷあっぷさせながらそれでもどうにか考えました。

 ウィルが冬の女王様のお付きになる。冬の女王様としては、別に拒むことは何もありません。寧ろ大歓迎です。何しろ今のところ冬の女王様の髪を結えるのはウィルだけですし、それに。


 冬の女王様だって、いつからかウィルを憎からず思っているのです。


 冬の女王様は春の女王様の胸で、小さく頷きました。


「では、ここに認めよう。ウィル・ラーマンドよ、季節を廻らせたそなたを夏の女王の使用人から冬の女王の側付きとする。これからも、私の末の妹をよろしく頼む」

「はい。有り難く」

「じゃあ……わたしは……そろそろ塔に……入りまーす……」

「あたくしは帰るわね!」

「私も政務に戻るとしよう」


 色々と自由な女王様方と王様は、一人また一人と散って行きます。

 場は、冬の女王様とウィルの二人だけになりました。

 ささやかな距離と違和感が二人の間に居座ります。

 どちらかが何かを言い出すのをお互いに待っているような、もどかしくてくすぐったい気配。一難去ってまた一難です。

 先に沈黙が堪え切れなくなったのは冬の女王様でした。


「……ウィル」

「……はい」

「なんだか、とっても、気まずいです」

「僕もですよ」


 会話がまた止まります。

 冬の女王様はうぅ、と小さな唸りを上げて意を決しました。ウィルの右手の指に、恐る恐る自らの左手の指を繋ぎます。

 ウィルが驚いて冬の女王様を見ますが、彼女は斜め下へ俯いたままです。ややあって冬の女王様はもにょもにょと口を動かし。


「ウィル」

「はい」

「……これからわたくしは母様のいらっしゃる冬の公国へと向かうので、塔の皆は一月ほどの暇に入ります。側付きとはいえ、そなたもその間は自由です。わたくしの力は塔の中でだけ現々するものですから、次の冬まで髪を結う必要もありません。……でも……その」


 辛うじて繋がっているようだった二人の指先を、今度はウィルから繋ぎ直します。冬の女王様の手のひらごと。

 だって言い終わる前に冬の女王様がじりじり逃げようとしていたのです。

 冬の女王様より余程着込んでいるのにまだ冷たい手が、冬の女王様の言葉の続きを希います。冬の女王様はもう一度腹を括って、ウィルへの言葉を紡ぎました。


「……ウィルが、側にいないのは、寂しいです。一緒に、居たいです。夏の公国も他のたくさんの国にも行ってみたいです。だから……泣き虫な女王ですけど、共に、居てくださいませんか?」

「はい。心から喜んで。……置いて行かれたら、僕こそ寂しくて一月くらい泣きつづけますよ」


 ウィルの切り返しに、冬の女王様ははにかみました。雪の上で背伸びをすると足元でサクッと音がして、そのままウィルの耳元に顔を寄せます。


「わたくしだって。……嫌だと言われたら、勝手にどこかへ行ってしまったら、今度こそ泣きやみませんよ。わたくしの涙を止めるウィルが、側にいないのですから」


 顔を見合わせて、同時に噴き出します。冬の女王様の頬もウィルの頬も、桜の花びらの色に染まっていました。


 王国にぬくもりを孕んだ風が一陣、全てを包み込んで吹きました。降り積もった白銀は徐々に透明になり、形を変えていきます。久方振りの王国の姿を、冬の女王様は祈るように見つめました。


 悲しいことがあったけれど。たくさんたくさん嘆いたけれど。


 冬の女王様は改めて気づかされました。冷たく凍てつくだけの季節ではないのです。恐ろしさのみが隣にある季節ではないのです。

 ウィルのように、そのことを分かってくれている民もきっと大勢いるのでしょう。

 冬の女王様は深く頭を下げて、ありがとうと唇を動かしました。

 穏やかな面持ちで頭を上げた冬の女王様は、ウィルと手を取り合って溶けていく雪の上を歩みます。


 長い冬を越えてやっと咲くことを許された花々が、二人と王国中の喜びを表すようにふわりと蕾を綻ばせました。

お読みくださりありがとうございました!

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