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末永く幸福に

作者: 成宮カナタ



「私と、穏やかな破滅を迎えませんか」



 出合頭、開口一番に男の口からまるで歌うように紡がれたその言葉は、私の人生における一言でヤバい人だと分かる台詞ランキングで堂々の一位を獲得した。


 それを聞いた瞬間の私は、それはそれは怪訝そうな顔をしていたことだろう。自分でもどうかと思うほどに表情筋をフル活用した。

 この男は何を言っているのだろう。もしかして自分以外の誰かに言っているのでは、と辺りを見渡すも、後ろには色鮮やかな花が可愛らしく存在を主張しているだけだった。花壇の縁に腰掛けているのだから、そりゃそうだ。

 そして男は、私のあからさまに不審そうな顔にもへこたれず、目尻を下げて柔和な笑みを浮かべながら、私の目の前に膝を抱えて座り込んでいる。その目は真っ直ぐにこちらを見ていて、言い逃れのしようもなく、どう考えたって私に向かって言っていた。

 ヤバい、マジか。どうしよう。変な人に絡まれてしまった。大学の、一時限分あいた時間に、暇つぶしに本を読んでいただけだと言うのに。

 友人たちはみな何かしらの講義を取っていて、私だけが暇なこの時間に何故ピンポイントで。

 言うまでもないかも知れないが、初対面だ。ふざけておかしなことを言い合えるような仲では断じてない。と言うかどこかで見かけた記憶すらない。当然のごとく名前など知らないし、多分同じ大学の生徒であろうことしか分からない。

 読んでいた文庫本を意識的に持ち上げ、彼の顔に被るようにして視線から逃げた。これで何もなかったことになってくれないだろうか。なってくれないだろうな。

 心を落ち着かせるように、しかし相手には動揺が伝わらないようにと、無駄に慎重に深呼吸する。そっと文庫本を下ろすと、やはりそこに座り込んだままの男とバッチリ目が合った。やっぱりダメでした。

 男は私の返事を待っているのか何なのか、無言でにこにこと笑いながらただこちらを見上げている。普通に怖い。謎の圧を感じる。

 笑顔だけを見れば、随分と人懐っこそうな顔だ。穏やかで優しそうだとも思えたかも知れない。今この状況と、冒頭の台詞さえ無ければ。

 恐らくは私のリアクション待ちで動きそうもないので、ため息を吐きつつも読んでいたページに栞を挟んで文庫本を閉じた。


「えーっと……何言ってんだお前」


 変人認定した男相手に、容赦なく思ったことをそのまま伝えた。単純に返答が思い付かなかったのもあるが、まぁ、何と言うか、気を使う必要はないだろうと判断した。先輩だろうが後輩だろうが知ったこっちゃない。あわよくば機嫌を損ねてそのまま立ち去って欲しい。

 しかし私の願いも虚しく、男は反応を貰えたからか嬉しそうに口元を緩めた。嘘だろ、こんな雑な対応で喜ぶのかよ。


「ふへっ、いわゆるナンパです」

「何だって」


 あまりにも気の抜けた笑い方にも驚いたが、続く言葉にもっと驚かされた。

 ナンパだと。私の認識が間違っていなければ、街中で「そこの綺麗なオネーサン、暇なら俺とお茶しない?」とか声をかけるアレのことか。えっ、マジで?


「頭大丈夫?」

「大丈夫ですよ?至って健康体です。心配してくださるなんて、優しいですねぇ」

「違うわ!」


 ふにゃふにゃ笑うこの男はどれだけハッピーな思考回路をしているのだろう。純粋にただの嫌味だと言うのに。

 それとも、嫌味と分かったうえで知らないふりをしているのだろうか。どちらにせよ厄介な人物であることに変わりはないだろうが。

 流石に座りこんだままの体勢がキツくなったのか、男がのそりと立ち上がる。急激に上がった頭の位置に少し慄いた。存外背が高い。


「すみません、お隣失礼してもよろしいですか?」


 正直嫌だ。全力でお断り申し上げたい。しかし拒否したところで男が立ち去らないであろうことは目に見えている。そしてこの見下されてる感じがとても嫌だ。威圧感が物凄い。見上げていようが見下げていようが怖いってどう言う事だ。顔は穏やかなくせに。

 せめてもの抵抗にと距離をとるように無言で横にズレると、男は「ありがとうございます」と穏やかな声音で言いながら、思っていたより離れた場所に座った。間に二人くらいは座れるような、身を乗り出さなければ手が届かないであろう位置。隣と言うには首を傾げるような距離がある。

 何だろう、気を使ってくれているのだろうか。あまりに警戒心むき出しだから、安心させようとでも思ったのだろうか。

 いやでも、そもそも自業自得だからな。ファーストコンタクトであんな訳の分からないことを言われれば、そりゃ警戒するだろう。


「それで、どうですか?」

「何が」

「ナンパのお返事です」


 へへへと照れたように頬を染めて笑う顔に、うっかり毒気を抜かれてしまった。生憎とそこまで気を張っていられる質ではない。

 変人認定は変わらないので、完全に気を許したわけでもないけれど。

 諦めたようなため息が口からこぼれた。


「ナンパとしては台詞がどうかと思う」

「えっ、駄目でした?」


 心底不思議そうに、意外そうに、そんでもって驚いたように目を丸くする男が本当に理解出来ない。

 駄目とかそれ以前の問題と言うか、正直ナンパかどうかすら謎だった。怪しい宗教の勧誘と間違われても仕方ない。


「むしろ何故それでイケると思った?何で口説き文句で死を望んでんだよ、太宰治かよ」

「違いますよ!私は心中したいのではなく、おだやかに破滅したいのです!」


 心外だと言わんばかりの勢いで否定され、微妙に気圧される。しかし申し訳ないが、私には違いがサッパリ分からない。

 不可解を隠さず表情に出すと、男は困ったように眉を八の字にして笑った。


「だって、人間なんて所詮、望もうと望むまいと、毎日破滅に向かって進んでるじゃないですか」

「意外と無常な考えをお持ちだった」


 要するに、人間は遅かれ早かれいつか死ぬと言いたいのだろう。確かに真理ではあるが、随分と見た目からかけ離れたことを言うものだ。

 ゆるっゆるのふわっふわな顔つきとは裏腹に、何とも儚い思考をしていらっしゃるらしい。ただしそれをナンパに使う辺りは若干ゆるいような気がしなくもない。


「心中なんて、すぐに息絶える気はありません。私は三桁は生きてやりますよ」

「長生きする気満々かよ」

「もちろんです」


 男はふふんと得意気に胸を張る。かと思ったら、すぐに照れ臭そうに後頭部を掻いた。


「出来るなら私は、心の底から大切だと思える方と、穏やかな破滅を迎えたいんです」

「ちょっと待たれよ」

「えっ、はい」


 ほにゃっとした顔つきで話すものだからつい流しそうになってしまったが、今何か物凄いことを言わなかっただろうか。

 え?何?心の底から?何だって?


「確認するけど、私と貴方は初対面だね?」

「そうですね。どうも、はじめまして。雲居真(クモイマコト)と申します」

「ああ、うん、はい、どうも」


 丁寧にお辞儀をされ、思わずこちらもお辞儀を返してしまった。どうも先程から、いやむしろ最初から、この男のペースに呑まれてしまっている気がする。

 と言うか、思いがけず名乗られてしまった。礼儀としてこちらも名乗り返すべきなのだろうか。不審者極まりない男に名前を教えたくはないのだが。


「貴女のお名前は……そうですね、貴女が知って欲しいと思った時にでも、教えてください」

「……………………はあ」


 もごもごと口を動かしていたところで、まるで助け舟を出すかのごとくそう言われ、気の抜けた声が出る。

 名乗らなくても良いのであれば願ってもいないことだが、その条件だと男、雲居が私の名前を知る機会など無くなったも同然だろう。それで良いのだろうか。私は全く持って構わない訳だが。

 と言うか、今重要なのは名前ではない。


「で、やっぱり初対面な訳だ」

「はい」

「アンタ最初、私に何て話しかけた?」

「私と穏やかな破滅を迎えませんか、と」

「そんで?どんな人と破滅を迎えたいって?」

「心から大切だと思える方と」

「おかしいね!?」


 聞き間違いでも思い違いでもなかった。確かに雲居は、大切だと思える人と破滅したいのだと、そう言った。私に向かって、共に破滅しませんかと宣ったその口で。

 どう考えてもおかしいと思うのだが、雲居はキョトンとした顔をするだけだ。何故自分で変だと思わないのか。


「初対面の人を心から大切だと思えるのかお前は!?」

「いえ、まだそこまでは至っておりませんが」

「じゃあ何故言った!?」


 本当に、目の前の男のことが一ミリも解らない。最初から千尋の谷程に開いていた心の溝が、埋まる気配すら全く見せない。

 疑問符と警戒心を撒き散らす私に、雲居は相変わらず場の雰囲気にそぐわない、穏やかで、そして少し照れの混ざった笑みを浮かべた。


「運命を感じたので」

「突然のロマンチストにドン引きだわ」


 心の溝がどんどん深く広くなって行くのをひしひしと感じる。モーセの海割りもびっくりだ。

 明らかに顔をしかめて見せると、雲居は真面目くさった表情で慌てたように身を乗り出した。


「いえ、私も今までは、運命だとかそういったものは信じていなかったのですよ?」

「へえ」


 力説されたところで、これまでの雲居など知る由もない。納得など出来る訳もなかったが、反論するのも面倒で適当な返答だけ投げかけた。


「しかし、静かに本を読む貴女を見た瞬間、身体に稲妻が走ったような、脳天から爪先まで痺れるような衝撃が体中を駆け巡ったのです!これぞ正しく運命なのだと直感しました」

「えっ、」

「俗に言う一目惚れだったのかも知れません。初めての経験ですので、そうだと断言は出来ませんが。兎も角、私は根拠もなく確信してしまったのです。ああ、この方だ、と!」

「ええー……」


 興奮気味に、拳を握りしめながら雲居は熱弁を振るう。私との温度差は赤道を跨ぐレベルだろう。

 運命に続いて一目惚れと来たもんだ。ロマンティックが止まらないワードがポンポン出てくる。先ほどまで破滅がどうだとか無常な発言をしていた人物だとはとても思えない。

 そして何より、自分で言うのも悲しいのだが、私は人様から一目惚れされるような見た目をしていない。顔も体型も平均だと自負している。良くも悪くも人並みで、誰かの目に留まるものではないと思うのだが。


「平凡な女性がお好みか」

「えっ、どうでしょう?あんな衝撃を感じたのは貴女が初めてなので」

「…………おお」


 真剣な顔で首をひねる雲居に、こちらが照れてくる。口を開くなり飛び出した、あの訳の解らないナンパの台詞より、よほど口説かれている気分だ。

 散々変人だと脳内認定してきた相手に頬が少しでも熱くなっている事がバレたくなくて、不自然に思われない程度に顔を反らした。


「貴女の姿を目にした瞬間、この方を幸せにして差し上げたい、この方となら私も幸せになれる、この方と末永い幸福を、と、頭の中で何かが声高に主張したのです」

「オッケーわかった、もう止めろ」


 いっそ頭を抱え込むような振りをして顔を隠した。無理だ、これ以上は耐えられない。


「よくもまあ、そんなこっ恥ずかしいことをペラペラと……」

「私も必死ですので」


 必死ってお前、と思いながらチラリと目をやれば、雲居は耳まで真っ赤にしながら、それでもふにゃふにゃと微笑んでいた。膝に置かれた握り拳が、少し震えている気がする。

 成る程必死だ。それがまた恥ずかしかった。


「性急なのは解っていますが、機会を逃して会えなくなってしまうことは避けたいのです」


 何度も繰り返すようで申し訳ないが、だからと言ってあの台詞はない。


「でも、あれじゃあ話しかけたところで、普通は逃げられるんじゃない」

「貴女は今こうして此処にいてくださるので、充分です」


 応える雲居の声は幸せそうだ。

 自分で言っておいて、声をかけられた時点でここから立ち去ろうとすれば良かったな、と思った。目の前に男が座り込んでいたとは言え、何故立ち上がろうとすらしなかったのだろう。数分前の自分の馬鹿さ加減に頭が痛い。


「そもそも、穏やかな破滅って何」

「そうですね……」


 私の問いに、雲居は顔に赤みを残したまま顎に手を当てて小さく唸る。


「何でもない日々の中で、大切な方と共に過ごせることに幸せを感じながら、いくつも歳を重ねて行くのです。そうして最後は、眠るように破滅したいですね」

「……ふーん」


 何だかただの幸せな人生設計のようだ。と言うか、実際そうなのだろう。破滅と言う言葉が不穏な空気を放っているだけで。

 勘でしかないが、雲居は日溜まりの中で過ごすような、温かな毎日を送るような気がした。見る人によっては、退屈だと感じてしまうような、そんな日々。


「何年も一緒に過ごすこと前提って、プロポーズかよ」


 ポツリとそんな感想を零す。

 すると、雲居は「えっ」と小さく声を上げながら目を丸くしたかと思うと、見る見るうちに耳どころか首までも朱に染まっていった。

 こっちが「えっ」だ。


「あっ!?たっ、確かにそうですね!?そんな、私は順番も考えずに何てことを!」

「正直まず気にして欲しいところはそこじゃないけどな?」


 茹で蛸のようになりながら慌てふためいている彼を、恐らく悪い人ではないと思えては来たが、変な人であることは確実だろう。

 順番だとか気にする前に、まず不審に思われない声のかけ方を考えて欲しい。


「でも、順序は大切ですよね。焦るあまりに色々と飛び越えてしまって、申し訳ありません」

「あー、うん、まあ、うん、そうな」


 しゅんと身を縮こませる茹で蛸に、色々と指摘するのも面倒になって、あのワードチョイスは彼の個性だと適当に納得した。

 思考を放棄して、何となく持っていた文庫本をもてあそぶ。足を投げ出しながら雲居に目をやると、神妙な顔でこちらを見据えていた。


「あの、それで、ですね」

「えっ、何」


 こちらまで釣られてしまいそうなほど緊張した声音に、思わず居住まいを正す。

 静かに続く言葉を待っていると、にゅっと雲居の手が伸びてきた。唐突なそれに肩が跳ねたが、差し出されたその手は僅かに震えていた。


「知り合いから、始めませんか」

「何で妙に控えめなんだよ」


 そこは普通、お友達からではないのだろうか。ガッチガチに緊張しておいて、まさかの知り合いからって何だ。無駄に身構えたこちらの心労を返して欲しい。


「こうして顔つき合わせて会話してる時点で知り合いなんじゃないの」

「いえ、出来るなら今後も交流のある知り合いになりたいので」


 だからそれならお友達ではないのか。何故遠回りをしたがるのだろう。

 ため息を吐いて、伸ばされた手を握らずくるりと返すと、手の甲の皮を引っ張ってやった。

 ポカンとしている雲居の顔に満足して、パッと手を解放する。


「あの……?」

「私、この時間は授業ないんだけど、次はあるんだよね」


 立ち上がって、服に付いた汚れを払った。脇に置いておいたカバンを手に取る。


「そうなんですか」


 手を引っ込めた雲居が残念そうな顔をする。握れば良かったかも知れないと少し思ったが、まだ残っている抵抗が少なくない。


「次会った時は、もう少しマシな話しかけ方して欲しいかな」

「えっ」


 前のめりになって、腰を浮かせる雲居に背を向ける。羞恥を悟られてたまるものか。


「そしたら名乗る」


 それだけ言って、逃げるように次の授業の教室に向かって駆け足気味に足を踏み出す。

 後ろから、「感動してしまうような口説き文句を考えておきますね!」とか宣う声が聞こえた。

 自分でハードルを上げていることに思わず吹き出す。次はどんな頓珍漢な声掛けをしてくるのか、期待しておくことにした。

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