千代田雪5
ほっと一息つける場所を探す。どこにもないとわかっていながら、落ち着く場所を探していた。
――人間、世界はどんな音がするか。
俺はどうやら妄想で鬱憤を晴らしたいらしいな。
また女の人の声がした。これが男の声でないってところに、どうやら欲求不満の気もあるっぽい。
幻聴の類。相手にするほうが無駄。
けれども、俺はすんなりと受け入れた。
救いを求めるようにただ一言。
「何も聞こえないよ」
何の音も聞きたくない。
俺は何に絶望していたんだろう。
とっくに切れた糸が泥水でずくずくになったことに、悲しむ理由はどこにもないのに。
誰にも聞こえないような嗚咽がでた。
自分が忌々しくて仕方が無かった。
「あんなやつ、消えればいいのに」
本気で思った。
だから、店内に帰ると彼女がいなくなっていて、驚いた。
「――はい?」
いや、お前がいなくなってからあいつ消えたんだけど……知らないかって言われても。知らないが。
ホントに? ――知りません。
「多分、トイレで化粧直ししてるんだよ」
白色フィールドを展開するために。さ。
ああ、でもよかった。これで焼肉食える。そう思った。
食い過ぎた。死ぬかと思った。
何故か景気祝いにロースが大量に来て消化するのに手間取った。元吹奏楽部部長に一緒に食べないかって聞くと、食べないといったので。結局、一人で処理した。うおう、鼻から出てきそうだ。きゃー、うれし涙まで出るー。あははー。死ぬー。
では、お開きにしましょう。
幹事っぽいやつがそう言った。
「えー、私まだ全然食ってないんだけどー、ちょっと早すぎない」
知らない間に帰ってきた彼女がそういった。
化粧直しに時間かかりすぎなんだよ。
「どうしたんだ。トイレ長かったよな」
初めて、すんなり声をかけることができた。
「はあ。何トイレとか言ってくれてんの。違うし、私ずっとここにいたし」
ああ、痛い言い訳するなよ。そんなの今さらしても無駄だぞ。
俺は鼻で笑った。彼女は時間の短さに怒りすぎて、気が付いていない。
「はうあああああ」
会計を済ませて、外に出る。あくびが出た。白い息が上にのぼっていく。
時刻は七時をきっており、外には会社帰りのサラリーマン。後、その他もろもろ。さすがに学生は俺たち以外はいなさそうで。
あ、嘘嘘。一人いた。ドラッグストアに入ろうとしてる女の子がいた。可愛いな……多分高校生だ。茶色のダッフルコート、その手の青色のごつい手袋は似合わないが、これはこれで。あ、耳あてつけてる。かわいいなあ……って。
「ただの菊池だったーーーー」
「後ろからおどかすんじゃねえぼけがああああああ」
声をかけたら驚かれて、叩かれて暴言吐かれた。
でも、かわいい。なんだろうこれ。外で見るといっそう可愛く見える。いつもよりちっさく見えるからか。小動物のような愛らしさが心くすぐる。もう男でもいいから俺と付き合ってください。
「なんかへんなこと考えてない?」
考えてません。今すぐ花屋に行って君に似合う花を買いに行こうなんて思ってもいません。
「千代田、暇なら付いてきて。姉さんに買い物頼まれてさ……あの口の所に塗るディップってやつ」
「リップだよ」
菊池のねーちゃん、口にソース塗って出かけるのかよ。そういう単語には疎い所が残念だ。
「そうそ、それ。レジまで持っていくの恥ずかしい。千代田が行ってこいよ。こう、彼女へのプレゼント風に」
「お前、空気読めないんだな」
今、その彼女に散々いじめられて心配停止みたいな気分なんだけどな。菊池は分かってなさげだった。まあ、いいよ。終わったことだし。
そんな時だった。
限りなく幸せな時を汚す妖怪が来た。
「あれー、その子がともくんの新しい彼女ーー? ちょー可愛いじゃん」
クソ元彼女……実は付き合っていませんでしたとかいうオチが欲しくなる系女子が現れた。
しかも、竜の逆鱗に触れるようなことをのたまいやがった。菊池がキレたら俺が羽交い絞めで止めて難を凌ぐか。体格差で俺のほうが有利だし。
菊池の表情を確認する。無表情だった。怒ってるのか、我慢してるかの二択だな。くわばらくわばら。
「ともくんって、若干根暗でいけ好かないけど、根はいい子だとは思うんで。ね」
知ったかぶりというか、何だよ根暗って。そんなこと俺だって自覚してんだよばーーか。
「コイツ下の名前嫌いなんで、そんな風に呼ばないでください」
菊池が白い玉に言った。
名前が嫌いって、菊池に言ったことあったっけ?
「こいつの名前は千代田です。それに千代田は根暗なんかじゃないですよ。どっちかっていうと馬鹿です。アホです」
ただの悪口なってるぞそれ。え、何をかばってるんだ菊池さんや。
菊池の横顔を見た。菊池はいつもとは違う目をしていた。
白目のところがすこし青くて、黒目が木の幹のように茶色の地に流れていた。
「こいつは馬鹿で結構とんでもないことも言うけれど。実はそれを分かっていてやってるんです。自分のこととか、人のこととか全部考えた上でやってるんですよ。ほんと頭狂ってるとしか言いようが無い」
これは菊池なりの褒め言葉みたいだ。それにしてはざくざくささるけどな。何か言い返したいが。ぐうの音も出ない。
「体調悪いくせに無理すんな。バカが」
そういって、菊池はつけていた耳あてを俺の頭にかけて、ぎゅっと押し当てた。
音が聞こえにくくなって、何かが取れた。さっきまでくっついてた怪物みたいなのがぼっとと流れ落ちた。
菊池が「でもね」といって。その後に口を開いて告げた言葉は妖怪の耳に入ったらしく、妖怪は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして、何も言わずにそそくさと帰っていった。
「なあ、菊池さん、これとっていいか」
耳あてをはずす。
「駄目。今日は耳を酷使してんだよ」
「耳を酷使ってなんだそれ」
「千代田、音に敏感なんだろ」
――え?
「昨日、進藤先輩のギターの音を嫌そうに聞いてたの思い出してさ。耳障りだったんだろ。今日も初っ端からノイズの走った音とか出してたし」
ああ、そういえば。あの時から頭が痛くなってたような。
「私も人混みとか女の甲高い声とか聞いたらイライラするし、千代田もそうだと思ってさ」
同窓会という名の人混み、妖怪という名のギャルの声。悪因総揃いだった。自分の体調って一番自分が気が付いてやらなきゃいけないことだったような気がする。やべえ菊池まじ天使ちゃん。
「もっと自分のこと大切にしてやれ」
「分かった。俺、将来菊池のこと養えるように一生懸命働く」
「ふざけてないで耳あてしとけ、巨人が」
「いやいや、俺は平均だから。菊池がちっこいだけだから」
「お前、明日のタロー探し、覚えてろよ」
菊池が絶滅したニホンオオカミのような目で睨んできた。愛嬌あるけど、ドス黒いなー。こっわ。
しかし、今日の俺はハイテンションだったため、そんなことどうってことなかった。あー、可愛い子はべらせて楽しんでるよ。男だけど。
空から、雪が降ってきた。
暖冬のくせに、冬らしい演出をしたい街中で、どっかのカップルが騒ぎ出した。
俺たちは全然そういうの気にしないけど。
「クリスマスフェアとか意味わからない」
「そんな菊池にケーキくらいはおごってやるよ」
「ま、まじで……、じゃなかった! おちょくってんのか千代田」
ツンデレになってるぞ、萌えキャラに就職してどうするんだよ。つっこみが。
「そういえばさ」
気になること一つ。
「うん?」
「何で俺が下の名前嫌いって知ってたんだ? 言ったっけ」
「前に、自分で言ってただろうが。彼女に千代、千代って呼ばれて楽しかったーってアホな顔して」
そうだったっけ?
「彼女に名字で呼ばせてたのってお前の意思表示だったんだろ。まあ、大体『ともひこ』って母音のオーが強調されるから聞きづらいし。千代なら響きもいいし、案外好きなんだろそれが」
菊池さんぱねぇ。俺の心理分析とかしてくれるって何この理想の彼女。
「菊池もえーちゃんって呼んでほしかったのか?」
「呼んだら、刺す」
「ごめんなさい」
冗談で返したら本気で怒られた。
にしても、最後に、あの妖怪に菊池が告げたこと。
『――俺は、そういうコイツが好きですよ』
それはさすがに照れるよ菊池。
ほんとに惚れそう。というか内心号泣したよ。いやまじで。
「何、顔を赤くしてんだ」
「いや、なんでもない」
なんでもない……なんてな。
――そういう感じで、長い長い12月21日は幕を閉じた。
「――てなことがあったんっすよーー。マジ菊池可愛い」
「――君たちがどういう関係になっても、私は知らないからね」
場面変わって12月22日の昼過ぎ。
長峰先輩と二人っきりの部室。仲良しこよしだった。
この美人はロングへアーをまとめるってことをしないらしい。ポニーテールにしているところも見たことがない。
「あ、先輩は幕閉めアミって髪型はしないんですか」
って知ってるかな、まくしめを。
「『幕閉め』じゃなくて『マクラメ編み』よ。しないわ、面倒だもの」
「マジで! さすが先輩、物知りっすね」
白団子、知識不足だったのかよ。おい。
「すげえ、長峰先輩に聞いたら何でもわかるんですかね」
「まあ、気になることなら何でも」
じゃ、じゃあと。
今、一番気になることを聞いてみた。
「――長峰先輩は菊池とどういう関係なんですか」
長峰先輩は固まった。
「長峰先輩は一度も菊池のことを、まともに呼ばないんですよね。呼ぶときは『君』とか、俺とセットで『二人とも』とか。そういう呼び方ばかりしてるんすよ。あ、違うか。そういう呼び方しかできないのか。でも、それっておかしいなーとうすうす気がつきました」
苦笑いもなしか。
長峰先輩は黙り込んだままだ。笑い顔の先輩が不機嫌そうに、悲しそうに。ま、それでも俺は言いたいことは言うのだ。
「で、俺は思ったわけっす。もしかしたら二人は以前からの知り合いかなと……おそらく菊池の方は気が付いていないだろうけれども。二人はこの文芸部で会う以前に会っているとか――」
「――んなわけない」
部長は机をたたきつけた。
髪を逆立てて。一瞬怒っているように見えた。
いや、そうじゃない。泣くのを我慢しているようだ。
目を強くつぶって、しばらく考えるようにすると、先輩は気を取り直した。
「その質問には答えられるほど、私は大人じゃないみたいね。ごめんなさい」
笑っているが、内心はぶれていた。
まだ、質問するには早すぎたらしい。
俺は静かに悟ったので、「ああ、いいっす。俺のほうこそ単刀直入すぎました。すみません」
そういって、席をたった。トイレ行きたくなってきた。この場には長居出来ないな。きまずい。
部室のドアを開けると、遠くから俺を呼ぶ声がした。
「千代田くーん、あ、元気ーー?」
「げんっきすーよー、桜田先輩」
俺の伸ばし棒先輩は、今日も豪快に語尾を伸ばしていた。
「私はね……、あ……」
桜田先輩が、よろけた。
先輩がふっと力が抜けたように廊下とあ、頭が床に直撃、ダメだ。何か。
先輩の近くには、生徒会のスリッパ入れしか……駄目だ。外側のケースがプラだから固い。
ケースさえ、無ければ。
そう思っていたら、ケースが無くなった。
大量のスリッパが崩れ落ちて先輩を包むように広がった。
な、何が起きた?
「何があった」
部室から部長が出てきた。すると、桜田先輩を見て、「しのみ……?」
部長が桜田先輩の元に駆け寄る。真っ青な顔をして先輩が倒れていて。
「しのみ! しっかりしろ!」
呼びかける、反応がない。冷え切ったような顔で。先輩がたおれていて。
おい担架! 先輩が命令した。
「ぐずぐずすんな! 誰でもいいからつれてこい」
俺はそばにあった階段を下る。
保健室は一階の階段のそばだ。
そこに担架あるかは知らないが、何もかんがえないように、ただ、ただ走った。