千代田雪1
これは雪の話。初めて雪を見た少年とその彼女の話。
「雪って空から降ってくるんだ」
「こんなの普通だよ。どこにでもあるじゃない」
「俺は初めてみた」
「千代が世間知らずだからだよ」
彼女がそういったのは中学校三年生。まだ付き合い始めたばかりのこと。
場面は変わる。誰もいない草原。どっかで千代、千代。と呼ぶ声がする。振り返ると彼女がいた。
真っ白なブラウス。胸についたリボンと同じ色をした長くて太い髪。
なんか将来ハゲなさそうでいいね、と言うと毎回怒られた。そんな彼女が目の前にいた。
「どうしたの。千代」
彼女が透明な声で尋ねる。俺はずっと彼女に聞いておきたかったことがあったんだ。
「なあ、お前さあ」
言葉を溜めた。言い難かった。もう遅いような気さえした。暖かい陽気なのに、吐息は白く濁った。
――俺のこと、本当に好きだった?
目を開けると、そこは草原でも雪の中でもなかった。
家だった。布団の上で普通に寝ていた。
「夢かよ」
もっともらしいオチだった。そりゃそうだ。彼女とはもう一年も会っていないのだから。高校入学と同時に疎遠になった俺の彼女。初恋の人。
にしても、夢の中で彼女に聞き損ねた大切な質問があれとは、いやはや。
「俺のこと、好きだったか……なんて」
馬鹿らしい。千代田智彦は今日も大馬鹿者だった。
今日は12月21日。クリスマスはそろそろという所で街は赤と緑の装飾で埋め尽くされている。
もちろん、高校内部も例外ではない。イブの予定を聞く男子、誘う男子、断る女子という一方向のベクトルが大量発生していた。一部逆ベクトルもあるが。
昼時、俺は部室に一人でいらっしゃった桜田先輩と素敵なランチタイムを過ごしていた。
というのも、本校は先週から短縮期間というものに入っており、午後カットなのだ。早帰りっていいね。俺はその後、部活だけどな。
桜田志乃美先輩は一個上の二年生。眼鏡を掛けているので大人しそうに見えるが結構とんでもない人だ。文芸部、キャラが濃い。
「千代田君はイブは空いてるかな」
先輩が食後のみかんをむきながら、聞いてきた。何この不審感。
「まさか、その日に部活入れる気じゃ」
「ピンポーーン」
まじか。文芸部ぱねえ。休みとか休養とか無いのかこの部活には。
「いやね、そろそろ冬季部誌の発行の手続きが整ったのよー、金銭的に」
「人件費的には」
「そんなのただ働きに決まってるーよ、この若輩者が」
「愛らしい言葉の節々にトゲがあって怖いですよ。桜田先輩」
桜田先輩、窓辺にたたずむ理想的文学少女もどきだ。しっかりしてる。さすが、会計といった所か。
先輩は、ま、実際の所はタロー探しに時間をくったからと付け加えて。
「そろそろ本腰を入れて欲しいわけですよ。どうせ、君は暇そうだし」
その見下した感の出所はどこだろう。話の流れによると、どうやら先輩は暇ではないらしい。
ああ、なるほど。
「先輩はコミケ行くんですよね」
マーケットめぐりのリストでも製作しているんだろう。ふんふん、関心関心。
「おーい千代田君やー。どうして私にそういうことを聞くんかね。普通はイブのご予定を聞くだろうがー」
だって、先輩は彼氏いないって知ってるし。腐ってるって知ってるし。
「お前と菊池君をカップリングしてやろうか」
「ごめんなさい、マジ勘弁して下さい」
どこぞのヤンデレ男子に殺されるので本当に止めて下さい。お願いします。
前言撤回、桜田先輩は素敵な先輩だなあ、あはは。苦笑いまる。
部室のドアが開いた。
「遅れてごめん。軽音に行ってた」
進藤先輩だった。
「いや、部長もいないしいいよ。おあいこおあいこ」
部長の荷物はあるが、本人はいない。多分すぐにかえってくるだろう。
「軽音のほう、結構忙しいんですね」
先週くらいからだろうか。進藤先輩がよく遅刻するようになったのは。
「ああ、うん。軽音もなかなかごたついてて」
まごつく先輩。どうやらその内容は言い難いらしい。誰にだって言いづらいことはある。今日の俺だってそうだ。
「いやまあ、いいんですよ。部長来ないしってあれ、菊池は」
クラスが違うので休みかどうかも分からない。もしかしたら昨日頑張りすぎたから風邪でも引いたかな。
「しんとした校舎っていいな。落ち着くというか」
進藤先輩は息を深く吸い込んだ。あ、空気も美味しい気がする。ってアドリブ入れたら殺されるよな。
「むしろ不気味って感じもしますけどね。今日は野球部も静かってほんと」
窓からグラウンドの様子を見た。グラウンドが無くなっていた。何かポリゴンみたいになっていた。
驚きで勢いついて、身を乗り出した。落下しそうになった。危ない。見上げた空は一枚板。配色は灰色。
俺は察した。その時だった。
コンコンとドアを叩く音がした。進藤先輩がドアを開いた。
――そこにいたのは菊池だった。
あ、菊池というのは俺と同学年の男子生徒だ。一見、美少女で話し口調も女子っぽいがれっきとした男だ。普段は穏やかだが、突っ込みに回ると、暴力的に変わる。後、怒らせると大分怖い。これは昨日知った。
まあそんな菊池だが、今日は馬鹿でかい白い帽子を被って、不機嫌そうに立っていた。
茶色のダッフルコートの隙間からご丁寧にボタンが全部留まった学ランが見えた。あったかそうなコーディネートだな。
なんか帽子がごそごそと動いてるのは、気のせいだ。
「ロシアの帽子……にしてはでかいよな」
ありったけの知識を総動員してみた。分かってるよ、違うんだろ、そうだよな。ファーに自律機能はないよな、うん。
「タローにきまってんだろうが馬鹿あああ」
菊池が帽子を思いっきりふりかぶって、地面にたたきつけた。
帽子は『んのーーー』と鳴き声をあげて伸びた。
おお、なかなか雪だるまっぽいぞこれは。白い毛がもさっもさしていて、どっかの森に住んでいる妖怪にも見えた。
しかし、どう見方を変えても妖怪なのは同じだな。うーん。
「教室出た途端、飛びつかれました……なんなんですか。昨日は茶色、今日は白ってコロコロ変わってんじゃねーよおい」
コートを脱ぎながら、きれながらってたいへんだな菊池。心中察するが、まあ。とりあえず。
「お疲れ様、タローさんだって好きやったわけじゃないと思うし、そうイライラするなよ。ほら、見てたら癒されるかも」
「ただのアザラシじゃねえか。どこに癒される要素があるんだよ千代田。というかお前には分かるのか。いきなり化け物に飛びつかれた俺の気持ちが。全身鳥肌もんだぞ」
思い出したらなんかぞわぞわする。菊池は顔に青筋を立てて言った。というかまたこいつの一人称が俺になってなかったか、今。
「タローさんは神出鬼没だからねー。一回目の呼び出しの儀式は毎年格好をつけるけど、それ以降は結構アバウトだよーね、居鳥ー」
桜田先輩は伸びをする。さながら猫のように。
「去年は氷の張ったバケツにお入りになられて……えっと、なんだっけ」
それだけ聞ければ十分な感じがする。体張ってるなタローさん。
「んのーーー」
タローが鳴くと、それに呼ばれたかのように長峰先輩が来た。
「あ、タローさん来てたのね。探しに行ってたのよ。どこにいたの」
「菊池の帽子になってました」
「違-よ、出待ちされたんだよこいつに」
菊池がタローを指差す。何故かタローが「んのーーは可愛いんのー」と自作の歌っぽいのを歌いだした。ホント予測の付かないボケマシーンだな。「お前が言うな」聞こえないふりー。
「タローさん、調子良さそうね」
部長がタローの方を見た。
「んのーー、皆そろったんのーー。じゃ、カウント20していいんの」
タロー、もうちょっと人のことを待てよ。
「よろしくお願いします」
まだ誰も準備できないっすよー。せんぱいーー。あれ、聞こえないふりしてるのかーーおいおーい。
「じゃあ、はじめましょう」
部長は気を取り直して、空のほうを見上げてそういった。
格好つけても、空は一枚板のままだった。
――二回戦はこうして開始された。