菊池展開3
冗談かと思ったが先輩の目は本気だった。
「逃げるんだんの」
私は走った。先輩が引き金を引いた。廊下の両側から炎が出た。制服の端が燃えた。
「何するんですか先輩」
思いっきり叫んだ。身の危険を感じたからだ。先輩が凶悪な殺人鬼並みの殺気をだしており、そう簡単に解決しそうには無かった。
「タローさんを渡しなさい後輩。さもなければあなたは燃え死ぬわ」
意味がわからないし、説明にもなっていない。
「これはバトルロワイヤルなのよ。他人を蹴落とし、勝利を勝ち取らなければならないの」
そこまでするほどのものか。
「お前は覚悟が無いんの」タローはひょいと私の肩に飛び乗り、また頭にしがみついた。
「褒美を得るためには、何事も全力が必要んの。なのにお前は出し渋っているんの」
「出し渋るってなんだそれ」
出し渋るどころか息切れを引き起こしてるよ。
「むしろ、今は体力が欲しい」
先輩から完璧に逃げ切れる程度の。
タローは予想外のことをこの期に及んで言った。
「お前にはこれ以上能力はいらないんの。そのかわりにその力を制限するブレーキをあげるんの」
はあ、なんだそれは。そんなわけないだろうが。私は人より劣っているわけではない、けれども、優れているわけではない。自覚しているんだ。それなのにタローさんは何をいう。これ以上は要らないだと。ふざけないでほしい。
私は欠けている。不足ではないかもしれないがそれでも私は不十分不満足だ。
「ふざけるんじゃない」
「過去に縛られてがんじがらめのお前に言われたくないんの」
だんまりをきめこむ。もう何も言いたくはなかったからだ。
タローは続ける。
「忘れたくたって忘れられるわけ無いんの。無理に押し込めれば破滅するだけんの」
タローの言葉が私の中の記憶を呼び起こした。真っ黒な空洞が押し寄せて、飲み込む。
断片的な記憶が一旦、宙に散らばって、密接につなげられていく。
床に落ちたバケツ。私の腕の上に流れる水の筋が、静かに落ちた。
笑いたかったのに、笑えなかった。泣きたくはない。裏切られたことを自覚したくなかった。
友達だからとよばれた呼び名が傷口に染みる。
頭が痛み出す。顔の見えないタローが何故か笑っているように思えた。
「お前、どこまで知ってるんだ」
どうやら、タローは私のことなど屁ともおもっていないらしい。私が一番忌み嫌う言葉をあっけなく言った。
「――Aiming、て言葉が嫌いんの」
私は立ち止まった。えいみんぐ。って言いやがった。何だよそれ。私は何も知らない、知りたくない思い出したくもない。ガキだった自分に腹を立ててしまうから。忘れてしまいたくて仕様が無い。けれども、覚えているんだ。
わたしたちはともだちでした。なかよしでした。
それはうそでした。しっていましたそいつはばかでした。しんじたやつがばかでした。
だから、そのこはばかになりたくなくて、ただのきくちになりました。
おしまい。んな簡単に終わったらこんなに苦労するわけねぇだろうが。
何故、私だけがこんな目に会わないといけないのか。ふざけんな、お前が悪いんだよ。
そうやって後悔し続けた日々があった。後悔か、贖罪の間違いだろ。
その末に私は、選択を諦めることにした。お前には最初から選択肢は無い。
そうでなければ私の精神は限界を来たしていただろうから。思考停止しただけだろ。
そうだった。私は忘れていた。嘘をつけ。お前は最初から気付いてる。
あの日、ゴミ箱に捨てたものの存在さえ忘れて、今の平穏をのうのうと生きていた。嘆くことをやめた自分は自分と向かい合うことさえやめた。決まりきったスペースに身を縮めて納まろうとしていた。
あの日、捨てたのはおまえ自身だよ。
けれど、それでよかったか。分かってるんだろ、私。
私は。あの時の私じゃない。得たものがある。もう何も、失うものはない。これ以上何も欲す必要性はないはずだった。頑張って需要を満たす意味はないはずだった。
けれども、タローはそれを許さないらしい。
タローは、どうやらこのゲームを真剣にしろと言いたいらしい。私にはその気はなかった。が、さすがに、ここまでやられたら腹が立つ。
タローさんを探しましょう。先輩の宣戦布告。それにたいして、こちらが言えることなんて一つだ。
――俺抜きで好き勝手やってんじゃねえよ。ってさ。
タローが呟いた。
「戦え。少年」
それはどっかの馬鹿のことをいっているようだった。
ふざけるな。
「いわれなくても分かってる」
俺は先輩たちの方を振り返った。
長峰先輩が拳銃をこちらへ向けている。そして、炎が飛び出しきた。大体は分かった。
ポケットの中にあったハンカチを取り出して、先輩の方に投げつけた。
「広がれ」
それだけで何かが変わるなんて殆ど期待していなかった。
ただ、たった1パーセントでも奇跡が起こるのなら、それにかけてみようと思えた。
手から離れたハンカチは宙を舞う。そのまま地面に落ちていく軌道にはいったとき、それは元の何十倍もの大きさになって先輩を覆った。
巨大ハンカチはカーテンのように廊下を仕切った。が、それを引きちぎって白い槍がこっちへ向かってきた。
迎撃策を探す。廊下の曲がり角に差し掛かったところで掃除用ロッカーがあったので一本箒を拝借した。
白い槍は確実に俺を狙っているので、とりあえず野球のバッターの構えで打ち返す。槍は箒とぶつかると、弾けて紙束に変化した。桜田先輩の紙飛行機の一部か。
ああ、なるほど。さっき千代田が言っていたのはそういうことか。
この空間内ではある程度自分の思い通りに物質が変化するらしい。
長峰先輩の拳銃しかり進藤先輩のギターもだ。千代田の異常な脚力のそのせいだったんだろう。
では、何故今まで自分にはそういう効力がもたらされていなかったのか。
簡単だ。俺がそれを許さなかったからだ。俺が自分が変わることを許さなかったからだ。
「何考えてるんだろうな」
縛られたくなかったのに、縛ってたのは俺のほうかよ。
くだらねぇ。
「かかってこいよ。先輩」
「気が緩むと困るな後輩」
背後の人物のわき腹に箒を差した。進藤先輩の声だったことに気が付いた。
想像では先輩が倒れるイメージがあった。けど現実は違った。
「不死鳥のごとく」
「化け物だよアンタも」
平気そうな先輩が拳を振るう。パワー系じゃなかったはずだろ。進藤先輩。
先輩はギターを振り上げた。
俺は下ろされるギターの軌道から体をそらす。
「バット」箒がバットに変わった。
「それじゃ戦況は変わらない」
「いや、これが一言言えば変わるって分かっただけで十分ですよ」
アンプ。そういっただけでアンプに変わる箒。
やっぱりエレキギターはアンプに接続しないと音は出ない。
コードを先輩のギターに差す。
進藤先輩は真っ青な顔をした。そして、コードを引き抜こうとするが、いくら力いっぱいやってもコードは抜けない。
「しまっ」「じゃ、先輩お先に」
先輩は重いアンプのせいで身動きが出来ない。ギターは先輩のものだが、アンプは俺の制御域にある。重さは自由自在だ。これ以上はもうギターを捨てる選択しかない。
「菊池くん、私もいるよーー」
「桜田先輩は案外簡単に倒せると思ってるんですけど」
「えー、嫌だな」
桜田先輩は左隣にいた。両手に白い紙をかざし投げつけてきた。
「叱責」
一つの大きな白い槍が地面を刺す。さっきまで俺のいたところに。
「すばしっこいよねー。やっぱり体のほうをベースにした方が強化しやすいんだろうね」
桜田先輩が微笑みながら、変化と言った。槍が元の紙に戻って舞った。
「こういう使い方も勉強しないとね」
紙が銃弾のように、こっちに向かってきた。
このままじゃ死ぬっていうことはすぐに分かった。でも、避けなかった。俺はタローを胸に抱きかかえる体勢のまま、その銃弾を受けた。