虹の女神
2011.06 架空の町を舞台にした童話風の物語
クリステアという田舎町に、お天気の神さまが住んでいました。
お天気の神さまはおてんばな女の子でした。
晴れの日も雨の日も毎日七色にかがやく足あとを道に残していきますので、町の人たちは子どもから大人までお天気の神さまのことをよく知っていました。
子どもにとってはかっこうの遊び相手で、大人にとってはかわいらしい娘だったのです。
ほらうわさをすれば。
うすくハチミツのかおりのする昼下がり、お天気の神さまが元気のいい足音を響かせて、町のあぜ道を走り抜けていきますよ。
おひさまはお天気の神さまの笑顔のようにさんさんと輝いています。子どもたちはお天気の神さまの足あとを追いかけ、ものぐさなこねこも今日はお散歩。
シロバナはお天気の神さまの大好きな花です。
春になると町をおおって咲きほこるので、町の子どもたちは毎年それで花輪を作って、頭に乗せたり輪投げをしたりして遊びます。お天気の神さまも一緒に花をつんで草をあみます。
子どもたちが夕食の手伝いに家に帰った後、お天気の神さまは一際きれいなシロバナを見つけました。お天気の神さまは、わぁっと声をあげてその花をつみました。そしてそっと髪にさし、ひとりっきりでダンスを踊りました。
こんな日の夕暮れはいつもよりも穏やかに、クリステアの町を包むのです。
しかし、そんなうららかなお天気も長くは続きませんでした。
数日後、お天気の神さまのつんだシロバナは枯れてしまいました。お天気の神さまは悲しくなって、涙が一筋頬を流れました。
こうなってしまうともう止まりません。
丘にある大きなニレの木の下で、お天気の神さまはわんわんと泣き出しました。
するとたちまち黒い雨雲があらわれ、町の空をおおってしまいました。
町の人たちが、あっと思った次の瞬間には、ものすごい勢いで雨が地面を叩き始めました。
クリステアの空模様は、お天気の神さまがにこにこしていれば晴れ、泣けば雨、怒れば風が吹き、ゆううつなときには曇りというふうに決まるのです。
お天気の神さまの心次第というわけでした。
お天気の神さまは次の日もまだ泣いていました。
木陰で、お店の軒下で、学校の屋根の上で、泣いているお天気の神さまの姿を誰もが目にしました。その次の日も、さらにまた次の日も、次の日もずっとずっと、お天気の神さまは泣きやみません。
町の人たちは困った顔で空を見上げました。
こうも雨続きでは……。
子どもたちもおひさまを恋しく思いました。
なにより、町の人々はみんな、お天気の神さまが心配でした。うつむいて泣いているお天気の神さまを見ていると胸が痛みます。元気を出してほしくて、お天気の神さまに話しかけ、おかしをあげたり、新しいお花をあげたりしました。
でも、雨は降りやみません。
お天気の神さまも、つんだ花は数日したら枯れてしまうことくらいわかっていました。自分が泣けば雨が降って、泣き続ければ雨が続き、みんなが困ることもわかっていました。
それでもこみあげてくる涙は止められません。
お天気の神さまは、一回泣いてしまうとなかなか泣きやめないのです。
笑うことを忘れてしまったみたい。
お天気の神さまは雨に濡れるクリステアと自分の足元に落ちる涙を見て、さびしくそう思うのでした。
長い雨が続いたある日、お天気の神さまは笑う練習を始めることにしました。
まだ町が眠っている夜明け前に、町のパン屋の窓ガラスの前に立ち、自分の姿を映してみました。考えていたよりも暗い顔をしていることにお天気の神さまは驚いて、早く笑おうという気持ちを強くしました。
お天気の神さまは頬をつかみ、そのまま笑顔を作るように上に持ち上げました。
が、ガラスに映るのは笑顔ではなく頬をつねられた女の子の顔でした。
お天気の神さまはがっかりしながらも練習を続けました。
ちょうどそのころ、旅をしながら商いをしている行商人の男が、この町を訪れていました。いつもならこんな田舎町は通り越してしまうところでしたが、近隣の町はいい天気なのに、クリステアだけ長く雨が降り続いているのを不思議に思ってぶらりと立ち寄ってみたのです。
町で朝一番に店を開ける雑貨店のおじいさんは、この珍しい旅人にすぐに気がつきました。男が行商人と知ると、おじいさんはいいことを思いつきました。
この町にないおもしろい物をプレゼントすれば、お天気の神さまはほほえんでくれるのではないでしょうか?
「なにか女の子が喜びそうなものはないかね?」
行商人は大きなかばんから、太陽のように光る小鳥や七色に色を変えるビー玉など変わった商品を色々と取り出しましたが、おじいさんは今ひとつピンときません。
「ずっと泣いている女の子がいるんだよ。その子をどうしても喜ばせたいんだが……」
それを聞くと、行商人は得意げに小瓶をつまみ上げました。
中に入っているのはフィルムに包まれた普通のあめ玉のように見えます。 おじいさんは首をかしげました。
「これは、味がいいのはもちろんのこと、素敵な効果のあるあめ玉でね。そんじょそこらのあめとは違うんだ。なんと、これは悲しみも痛みも涙も吹き飛ばすあめ玉なんですよ。どんなに泣き虫な子どもでも、これさえ口に入れればごきげんになるってしろものです」
まさにおじいさんと町の人々の望んでいたものでした。
おじいさんは喜んであめ玉を一粒買い、お天気の神さまを探しに行きました。
お天気の神さまは傘もささずにパン屋の前に立っていたので、体中びしょぬれになっていました。
しかしおじいさんの声に振り返ると、雨水は全部透明な音をたてて地面へ落ちていきました。お天気の神さまは、おじいさんに笑ってあいさつもできない自分に腹を立てました。
稲光が空を駆けていきます。
「お嬢ちゃん、まだ気分は晴れないのかな? いい物があるんだよ」
おじいさんはかがんであめ玉を差し出しました。
「よかったらこれをお食べ。これを舐めれば、笑顔になれるんだそうだ」
その言葉に、お天気の神さまはどれだけ驚いたことでしょう。
そしておじいさんにどれだけ感謝したことでしょう。
このあめ玉さえあれば、もう泣かなくてすむのです。
おひさまを呼び戻すことができるのです。
お天気の神さまはあめ玉を受け取ると、ぽろぽろと涙を流しました。
二人の間を強い雨が通り過ぎました。
おじいさんはお天気の神さまの頭を優しくなでました。
あめ玉の包みを開いて口に放り込むと、すぅっとしたさわやかな甘みが舌に広がりました。あめ玉は口の中で簡単にとろけてなくなり、体がふわっと浮かぶような感覚が残りました。
途端に空が明るくなりました。
朝――、待ちわびた太陽の見える朝がやってきたのです。
町のあちこちから喜びの声があがりました。やっと現れた光をたっぷりと浴びようと、木々はその手をせいいっぱい伸ばしました。
ええ、その通り。
お天気の神さまは笑っていました。
あのあめをなめたら、なぜか心が軽くなって楽しい気持ちで胸がいっぱいになったのです。
その日はどこも大忙しでした。
なにしろこの大雨で洗濯もろくにできなかったのですから。
どの家の窓にも洗濯物が飾られて、手伝いを終えた子どもたちは一目散に家から飛び出しました。今までどこに行っていたのやら、ネコたちは久しぶりに現れてひなたぼっこを楽しみました。
町中が、お天気の神さまの笑顔とこの晴れ晴れとした空をありがたく思いました。お天気の神さまはそんな町の様子を見て、とてもとても幸せでした。
お天気の神さまも町の人々も、これで一安心しました。
ところが困ったことに、今度は雨が全く降らなくなってしまったのです。
あのあめをなめてからずっと、お天気の神さまは笑顔を浮かべていました。ふとさみしくなる真っ赤な夕暮れどきや、なぜか涙ぐんでしまうような月の夜にも笑顔が絶えませんでした。
子どもたちがケンカをしていれば悲しくなり、誰かがケガをしたら一緒に泣いてしまうのに、貼り付いたような笑顔のままでいました。
毎日毎日、不自然なほどに空は雲一つなく晴れ渡りました。
最初はみんな、お天気の神さまの変化を喜んでいたのです。お天気の神さまはちょっとしたことで泣いてしまい、急などしゃぶりに降られて困ることも多かったものですから。
しかし、草木はしおれていき、町の人々は水不足を心配し始めました。子どもたちは健康なおひさまの下で遊びながらも、どこか不安そうにしていました。
お天気の神さまは、このクリステアの神さまです。町の人々が辛い思いをしていれば本当は悲しいはずなのですが、そんな風に思えないのでした。
花が元気をなくしていく様子を見ても、農家のおじさんの困った顔を見ても、悲しい気持ちが幸せな気持ちへと勝手に変わってしまうのです。
何を見ても、どこにいてもほほえんでいるお天気の神さまは美しく愛らしかったけれど、今までのような町の身近な神さまではなく、立派な彫像かなにかになってしまったようでした。
雑貨店のおじいさんはすぐにあのあめ玉のせいだと気がつきました。あのあめ玉は、どんなときでも笑顔になれる代わりに、悲しい、さみしいと思う気持ちや涙を消してしまったのです。
おじいさんは慌てて行商人をさがしましたが、行商人はもう町にはいませんでした。町の人たちに事情を話し、手分けをしてその行方を追いました。彼の姿は見つけられませんでしたが、あのあめ玉を買ったという人を隣町で発見することができました。
あめ玉を買っているという彼女の話では――
絵の具の青のような色をした空の下を、お天気の神さまはほほえみながらふわふふわと歩いています。
その足取りは軽やかでした。
あのあめ玉のもたらす幸福のせいで。
道ばたに大きな石があるのにも気がつかず、お天気の神さまは転んでしまいました。
本当なら泣き出しているところです。
町はいきなりの雨に大慌てをして……。
いつも泣くものかと思っていたお天気の神さまでしたが、今では、泣きたい、泣きたいと強く願っていました。このままでは町は干からびてしまう。悔しくもありました。
泣きたい、泣きたい、悲しい気持ちを取り戻したい……。
雨、雨、太陽を隠す曇り空……。
ふと、すりむいた膝小僧になにかがこぼれおちました。
町全体が暗くなっていきます。
お天気の神さまは、はっと空を仰ぎました。
ぽつり。ぽつりと。
こめかみを伝って流れるものがあります。
ぽたり、ぽたり、地面にお天気の神さまの涙が染み渡っていきます。
だから、ぽつり、ぽつりと。雨が。
あのあめ玉を買っているという彼女の話では、あめの効き目は一ヶ月ほどだということでした。隣町に行っていたクリステアの人たちはそれを知らせようと、この町に帰ってくる最中でした。
お天気の神さまは一回大きく息を吸いこみました。
そして、大きな声で泣きました。雨が次第に激しくなっていきます。
お天気の神さまは泣きやみません。
でも悲しくもさみしくもなかったのです。
嬉しくて、涙が出ることが嬉しくて泣いたのです。
クリステアの人々は突然の雨にそっと耳をすませました。お天気の神さまの言葉を聞こうとするように。
お天気の神さまはいつしか笑いながら泣いていました。くすくすと笑い声ももれてきます。すりむいた膝も気にしないで、雨の中を跳ねるように踊りました。水しぶきが一緒に舞い上がります。
天気を背負う女神の細い腕がのびのびと宙を泳ぐ姿は、魔法のように美しく神秘的でした。
やわらかなほほえみに誘われて、おひさまが顔をのぞかせました。黄金の光が降りしきる雨と雨の中一人踊る少女を照らします。
やがて、空に大きな虹がかかりました。
それからというもの、お天気の神さまは虹の女神と呼ばれ、町の人々にますます敬われました。虹の持つたくさんの色のように、多彩な美しい顔を見せる女神、と。
この話は親から子へと伝えられ、クリステアでは悲しいときに素直に泣くことが美徳とされました。無理をせずに涙をしっかりと流せば、いずれ虹が出ることをみな知っていたからです。
クリステアに住む、天候を司る神さま。
よく笑い、よく泣き、深い喜びと悲しみを抱えた女神はその様々な思いによって、末永くクリステアの町を守り続けたということです。
ハレの日に薬はふさわしくない。