恋の話
放課後のチャイムがなる。
八尾幹久そのチャイムと共に、大きな伸びをして帰り支度を始めた。
教室には多くの生徒がこれからどうするか色々と話し合っている。
そんな中何人かのクラスメートが幹久に話しかけてきた。
「八尾君、これから皆で駅前に繰り出して遊びに行かないか? って話なんだけど八尾君も来る?」
話しかけてきたのは髪をセミロングに切りそろえて眼鏡をかけた幹久のクラスメートでもある。
このクラスの委員長でもあり、一見するとお堅い印象だが、気さくで話しやすく、また道草を食うことに対して何も文句は言ってこなく、時には率先して遊びに行くという性格を持った少女でもある。
顔立ちはそばかすなどがあり、そこまで美人というわけでもないが、話してみると中々魅力的でもあり、男女区別無く話しやすいという印象を与える少女だ。
幹久は軽く一緒に行くメンバーも見やり、どうしようか迷う。
彼らは高校一年生であり、春に入学したばかりで、現在は5月下旬だ。
そこそこ仲の良いグループが出来始めており、幹久も気の合う男子グループを見つけてそれなりに高校生活を満喫していた。
遊びに行くメンバーの中には幹久の幼馴染でもある生徒も混じっており、特に用事の無い幹久にとって断る理由など何処にもない。
さてどうしようかと迷っていると、再び女性の声がかかる。
「行こうよ幹久。きっと楽しいからさ」
名前でそう呼んでくる彼女を無視して幹久はため息をつき、了承する。
「ああ、そうだな。特に用事があるわけでもないし、行きますか」
「へへやったねこれで6人揃った。6人以上で行くと安くなるカラオケがあるんだ。いやあ助かったよ八尾君」
無邪気な笑みを見せて委員長、和田美奈子は、そういってメンバーの皆に話しかけた。
「おーい皆八尾君がOKしてくれたよ!」
「おおやったね! 幹久、お前も女子と一緒に遊ぶという誘惑には勝てなかったか」
遊びに行くメンバーの一人であり、幹久の幼馴染の男子生徒、木田勇介がどこか偉そうな態度を取って幹久に詰め寄る。
「そーだな……女子とお近づきになれるまたとない好機だ。やっぱりこのチャンスを逃すわけにはいかんだろ?」
ニヤリと幹久は笑い、勇介も笑みを返す。
どこか共感するものでもあったのだろう。
「そうそうやっぱ、そうじゃなきゃな。んでお前の狙いはどの子なんだ? おりゃやっぱ平田さんかな」
平田みのり《ひらた》
クラスの中では美少女の部類に入り、彼女に視線を送っている男子は結構な数に登るが今のところ彼氏の噂は全く聞かない女生徒だ。
「こらこらそこの男子二人、何をそこでひそひそやっているのかなー」
委員長である美奈子がとがめるような目つきで、男子二人に声をかけた。
「いやあ、二人で何歌うか相談していたんだよ。ほら趣味が似てるからさ、ここで自分が歌いたい曲の打ち合わせってやつをね」
「ほんとかなー……妖しいなー」
眼鏡をクイッと上げて疑いの視線を二人に向ける美奈子。
「美奈子ちゃん騙されちゃ駄目よ。あの二人の事だもん。きっとよからぬ相談をしていたに違いないよ」
「全くいつまでも妖しげな相談をしていないで、早いとこいかなきゃ遊ぶ時間なくなっちゃうよ」
そういって遊びに行くメンバーは、教室を出て街へと繰り出す。
メンバーはちょうど男三人、女三人の構成で、ちょっとした合コンみたいな感じだ。
皆、楽しく歌を歌い、大いに盛り上がっている。
その中には幹久ももちろん加わっている。
幹久はトイレに行きたくなり、席を外し、部屋から出る。
用を足して手を洗いトイレから出て部屋へ戻る途中。
クラスの中で美少女認定されていた平田みのりが彼を待ち伏せていた。
「あ、八尾君」
「あれ? 平田さん? どうしたの?」
思わず平田さんもトイレなの? と聞きそうになったが年頃の女の子にそれは失礼と思い言葉を飲み込みつつ疑問をぶつける幹久。
「うん……あのね……」
なにやらはっきりとしない態度をとる平田みのり。
「もうっ! みのりちゃん頑張って! そいつニブチンなんだからさ!」
影で彼女を応援しているのか、女生徒の一人がまるで自分の事のように力を込めて応援している。
幹久は頭にはてなマークを浮かべながらも相手の言葉を待つ。
「あのね……その……あ、あたし八尾君の事をもっと良く知りたいんだ」
顔を赤らめながらモジモジと何処に視線をやっていのかわからないような態度で、それでも思いをぶつける平田みのり。
そしていくら鈍いとはいえ、その言葉の意味を把握する幹久。
耳から入った言葉が頭で処理されてその言葉の意味を知ると、幹久は思わず顔を赤らめる。
女生徒は影でガッツポーズを決める。
「は? いや、あの平田さん……え? いや?」
もはや何ていっていいのかわからず混乱する幹久。
影で見守っている女生徒は顔に手を当てて、思い切り幹久を罵倒する。
「あの馬鹿! 女の子が勇気を出して告白したんだからきっちりと答えなさいよね! あーもうじれったいわ」
幹久は心の混乱を抑えて、息を大きく吐き出し、覚悟を決める。
「うん……平田さんの気持ちは良くわかったよ。正直すげえ嬉しい!」
その言葉を聞いてホッとするみのり。
「……はぁ……まだ心臓がバクバクいっているよ……」
「そんなに緊張したんだ……ってか俺も今、すげえ緊張している」
そうしてお互い笑い合うが幹久がここで少し表情を悲しげにして言葉を発した。
「一日だけ時間をくれないかな。答えを出すのにさ……良く考えたいんだ……」
「誰か他に好きな人でもいるの?」
不安げに声を出すみのり。
「……いや、そういうんじゃないんだけどさ……」
「わかった。今日は眠れそうにないな……」
無理やり笑顔を作りみのりは視線を幹久に向け、幹久はどう答えていいかわからず、思わず視線から目を背ける。
そして二人はみんなの下へと戻っていった。
影から見守っていた女生徒は握りこぶしを振り回しながら幹久に罵声を浴びせていた。
夜、ベットで寝転がりながら幹久はある写真を見つめていた。
そこには幹久と幼馴染である勇介、そして幹久たちと同じ年のころの可愛らしい女の子が写っていた。
名前は上田綾子、享年10歳。
彼らのもう一人の幼馴染であり、そしてもうこの世にはいない女の子だ。
幹久の初恋の相手でもあるが、当時、それを恋と自覚できるほど彼らは大人ではなかった。
それでも今もなお、幹久の心にあり続けている女の子だ。
幹久も幼かったという事もありすでにある程度は割り切っているのだが、やはり心のどこかで引っかかっている部分がある。
「お前が生きていたら……俺はお前と付き合っていたのかな……」
ポツリとつぶやく幹久。
「ばかねー……過ぎたことに、たら、ればはないのよ。あたしはもう貴方のそばにはいられないんだから。あんたはあんたでちゃんと前を見なさいよ。いつまでも過去に捕われてるんじゃない」
「あーあ、お前の制服姿とか見てみたかったよな……」
「あんたねーその歳で征服フェチとかってやばいでしょ、全く……最初の答えだけどあたしは、生きていたらあんたと付き合ってたわ。誰にもはばかることなくはっきりといえるよ。ってもう声は誰にも届かないけどね」
「どうしよっか……勇介に相談したらお前とは絶交だって大泣きされながら逃げられたし」
「あの馬鹿……幼馴染の恋愛なら応援しなさいよ! 呪ってやろうかしら」
「幹久、もうあたしの声は届かないだろうけど、あの子はいい子だよ。あたしはこんなんだから色々知ってるんだ。ちょっと犯罪者な気分だけどさ。あの子は裏表ない素直な子だよ。あんたがあのこと付き合って将来うまくいく可能性はわからないけどさ。あんたを好きになった子だもん。見る目あるよ」
そういいながら、綾子は自分の体が透けていくのを感じ取る。
「なあんだ……あんたもちゃんと前を見ていたんじゃない……あたしが心配することなかったね」
彼女の体が透明になって消えていく寸前、幹久はある言葉を発した。
「綾子……心配かけていたんだな……うん……俺、あの子と付き合ってみることにするよ」
綾子は思わず驚く。
自分の声は届いてないはずのなのだ。
死んでからの6年間誰からも姿を見られず、誰にも声が届かなかった。
最初は寂しさのあまり、泣き崩れたが、やがて彼女は何故自分が成仏できないのかを悟った。
幹久が自分に対して物凄い未練を持っており、また自分も幹久の行く末が心に引っかかっていたのだ。
だからこそ彼女は寂しさを抑えて、幹久を見守っていたのだ。
文字通り見守るだけで何も出来ない自分に歯がゆい思いもしたが、それでも見ていたのだ。
そして今、幹久がしっかりと自分に目線を合わせて声をかけてきたのだ。
最後の最後で彼女はその存在を幹久に認められたのだ。
「ずっとお前を繋ぎ止めていたのは俺だったんだな……ごめん……」
「幹久……幹久ぁ」
彼女の目からポロポロと涙が零れ落ちる。
6年分の思いを洗い流すかのように涙は止まらない。
「あ、あんたねーほ、ほんと気付くの遅いんだから! このニブチン!」
それでも綾子はグシャグシャな表情のまま、すっきりとした笑顔を向けて幹久に向き直る。
「ちゃんと幸せにならないとあの世から呪いをかけるんだからね」
「ああ、まだまだ人生は長いけど、ちゃんと満足のいく人生を送ってみるさ」
そして綾子は笑顔のまま消えていった。
10年後、八尾みのりは一人の女の子を産む。
その子の名前は綾子。
名前の由来を聞いて、みのりは嫉妬するも、10歳の頃の話と聞いて、怒りを収めた。