EP1-3 怪人の友情。
2/21修正
仁郷は一人喫茶店の奥から繋がる高町荘の裏口を足取り重い様子で通る。その後ろ姿には哀愁に似たどんよりとした雰囲気が付き纏っていた。
十数年前ではあるが世間話や遊びに行く程の仲である友人の結婚。
傷を付け合い生まれた絆が古傷を通して痛む。
純粋に友人の幸せを祈る人間としての気持ちと、競うかのように殺しあう宿敵を無くし何処か寂しい怪人としての気持ちが水と油のように混ざることを拒み合う。
気晴らしに出掛けるために八号室まである中で二号室を選んだ自室へと歩みを進める。
怪人用に秘密裏に市の名前を取って建てられた高町荘の住人は初代怪人の管理人を含めて、一号、二号、四号、七号、九号、新入り三人によって構成され、全員怪人である。
まだ入れ替えたばかりで新入りは入寮していないため、六人が現在の住人数だ。
各人経営や仕事に着いており、金に困ることは無いが怪人故に混み合う事情からコミュニティはあるがコミュニケーションが足りないという問題があった。
それ故にたまに社会勉強として仁郷の喫茶店を手伝うことで、ヒーローや怪人の話をしない常連客と接して“普通”のコミュニケーションを学ぶ。それは主に半年のサイクルで変わる新入りの研修内容でもある。
高町荘は怪人支部の本部直属の大幹部が集まる場所であり、支部も世界に散らばるように名を変えてひっそりと建てられ続けている。
怪人は数年前から変異化をマスターしており、皆少々個性は残るが人間であった時の姿に戻ることができるようになっていた。
それは最前線に立っていた仁郷を筆頭に大幹部が頭を抱えて頑張った結果でもある。
故に、仁郷は怪人の中でも理性の限界突破寸前までにヒーローを嫌っている。いや、正しくは“ヒーローの器無き者”がヒーローを自称することに苛つくのだ。
怪人はすでに一種の特異した個性のようなステータスであり、人間と身体の在り方以外は殆ど変わっているところは無い。
そして、怪人は決して人を殺さないという仁郷の教訓をきっちりと守り、伝え合い、人間としての最低ラインを踏み外さない矜恃が生まれてきている。
故に仁郷は自身の怪人としての感覚的な嗅覚を信じてヒーローもどきに「人殺し」と躊躇い無く叩き付けることがある。
特に怪人を殺すことに躊躇いが無く、それを楽しんでいるヒーローもどきには容赦が存在しない。“生死の線を踏み外さない程度まで嬲り潰す”と決意している程に憤怒する。
怪人最強と謳われる仁郷にそこまでやられるヒーローもどきに自業自得は感じても同情は無い。
それが日常化していたために、仁郷は未だにヒーロー嫌いが治らない。
むしろ、悪化し始めて焦燥を感じさせていた。
「あら、にーちゃんじゃない。おはよう」
自室へ入る前に階段の手すりから乗り出す人物に視線を向ける。そこには少々薄めで露出度が高いパジャマを着た麗しくも妖艶な女性ーー怪人一号こと壹姫が手をひらひらと揺らしながら豊満な胸を手すりに押し付けている姿があった。
壹姫は仁郷にとって姉のような存在であり、孤児院から三毛と一緒に連れ出される際にも手を離さなかった程に信頼する人物である。
そして、数ある暗躍組織の一つである暗闇機関初の怪人被験者でもあった。
仁郷が史上最強の怪人になった一因に壹姫も関係しているが、今話す事柄では無い。
「おはよう、壹姉。ちょいと鳩に餌やりに行ってくる」
仁郷が鳩に餌をやる時は、殆どが寂しさを埋める時か失敗をして項垂れる時だと知っている壹姫はくすりと笑う。
(この前は不注意でお皿を割っちゃった時だった時かしら? でも今回は、寂しさかしらね)
「あら、分かったわ。みーちゃんのことは任せなさい」
仁郷にとって嬉しいフォローをくれる壹姫に頭が上がらない。例え仁郷が年老いた未来でもそれは変わることが無いだろう。
それが分かっている仁郷は素直に言葉に甘えさせて貰う。
「……ありがとよ」
恥ずかしさからかぶっきらぼうな口調になってしまうが、壹姫はそれが彼の素であることを知っている。血の繋がぬ弟の良い成長傾向に満足して満面な笑みを浮かべた壹姫。
そんな壹姫から視線を外して仁郷は照れ臭さを感じながら自室へ入る。
仁郷の部屋は質素の一言で済ませられる。
食事に関しては喫茶店で住人全員の朝夕を一括して調理するために不要。他の嗜好品は調理に関する物が多いために喫茶店に常備されているためにここにない。
つまり、仁郷の部屋には目覚まし時計と衣服がスカスカに入ったクローゼットと押入れにある布団一式が二つあるだけだ。
二つある理由は単純明快。養子先である老夫婦の家から三毛がたまに泊まりに来るからだった。
怪人は常に身体を最高の状態に保つ性質を持っているため、それが関係して怪人は歳を取っても老けない。
つまり、身体が段々と成長するのに時間がかかり、仁郷や壹姫よりも幼い時に怪人となった三毛は未だに子供のままなのだ。
怪人であると知りながらも孫のように接して“普通”の愛情を三毛に注いでくれる老夫婦に感謝し足りない。
そもそも喫茶店を上司に建てさせたのは三毛のためでもあった。
怪人としての一生の業務全てを全盛期に一括終了させる程に仁郷は三毛に溺愛している。
そんな三毛に後ろめたい組織の金を使いたく無い、そう考えた仁郷が怪人最強の肩書きを駆使した結果が喫茶店の個人経営である。
仁郷という大本命の切札が存在するために上司も純度が低いアルカナキューブを回収させる任務に彼を駆り出さなくなり、むしろ新人研修の重要な位置に立たせている。
勿論、純度が高い場合は仁郷を採用し、彼もきちんとそれに応えるためにwin-winの関係を続けて遺恨が無いように務めている。
何も問題が無い、筈だった。
二日前に一本の連絡が来るまでは。
「……アンタとの約束もこれまでか」
エプロンを外して黒いコートを羽織りながら仁郷は呟く。かつて、殺し合いながら育んだ友情を担保に結んだレッドとの口約束。
正式な書類は二人の間に必要無い。必要なのは確かな結果だけだとレッドを信頼していた。
知人である怪人の一人がヒーローに惨殺され暗闇機関本部に送りつけられてきたという惨たらしい結果を聞くまでは、レッドとの関係に疑いもしなかった。
(……今夜の争奪戦で完全復活を果たしてやろうじゃないか。半殺しくらいなら問題あるまい)
ゆらりと仁郷は立ち上がる。
この場にあの子たちが居なくて良かった、と仁郷は思う。今の自分の雰囲気は殺人鬼並みに強烈で怖がらせてしまうだろうから。
しかしなぁ、と仁郷は呟く。
知り合いが数年振りに殺された怪人だったのが彼らの運の尽き、本来なら今から英雄機関の中枢に爆撃の如く怒り狂うだろうに。
「まっさか……、俺がアイツにそこまで友情感じてたとはな」
知り合いを殺されたことよりも、レッドに約束を破られたことに対して沈んでいるだなんて。
馬鹿馬鹿しい、と仁郷は再び哀愁を纏う。
それが怪人たる仁郷の人間としての痛みだと露も知らずに彼は、いつも食パンの耳を貰うパン屋のある大通りへ向かった。