EP1-1 白猫と不良少女。
からんころんと扉に付けたやや鈍いベルの音により来客の知らせを聞いた青年は、上機嫌な様子で来店に応えた。
「いらっしゃーー呵々ッ、珍しいな。朝早く起きれるなんて」
小さな喫茶店の若マスターたる青年ーー怪人二号こと“仁郷”は微笑みながら言う。
来客は眠そうな顔の少女。寝癖に見えないことも無い猫耳のような髪型や白いワンピースに包まれた三郷の身長の六割しかない低身長の身体、極め付けは猫の尻尾のように背中越しに垂れる髪色と同じ白色のマフラー。
遠目から見たら人間サイズの白い猫にしか見えない少女ーー怪人三号こと“三毛”はふんにゃりと微笑んで、出迎えた仁郷に抱きついた。
仁郷の着ている黒いエプロンに小さな頭を擦り付けながら背中へか細い腕を回すのは今や日課になっている。
「んなー、お腹空いた」
「成る程、空腹で眠れなくなったか」
「甘いのがいい」
「はいはい。フレンチトーストで構わんな」
「うん」
満足そうに笑みを浮かべた三毛はカウンターの一席、彼女はお気に入りの可愛らしい座布団が乗っている専用席に座り、今かまだかとマフラーを揺らした。
彼女はこの喫茶店のマスコット。しかし、怪人遺伝子の猫の性質からか大体朝と昼の間の時間、おそような時間にここに来る。
寝坊助さんなのは昔から変わらずのままで、朝昼兼用の食事を仁郷に作って貰ってからお手伝いをし始めるのが日課である。
ひっそりと店を構えているため客足が多くはないが、可愛らしい看板娘と美味い飯が安めな値段で楽しめ、しかも長く居ても何も言われない、安らぎを感じられる絶好の隠れ家的穴場スポットとして常連から愛されている喫茶店ミケ。
実際に怪人たちの隠れ家と言われても、人当たりがよく好青年である仁郷と癒しの招き猫たる三毛なら許されてしまうくらい常連からは愛されている。
カウンターの裏にキッチンスペースがあり、そこから漂う甘いバターの香りに三毛はすでに興奮状態の御様子で、やけに揺れるマフラーの尻尾が可愛らしい。
配膳された銀のフォークと三毛の髪色のように純白な皿に乗せられた甘い香りのフレンチトーストを見て、三毛は嬉しそうに「いただきます」をして食べ始めた。
その年相応の微笑ましくも愛くるしい姿に癒されながら仁郷は甘味用のフライパンを洗い、水気を専用にしている布巾で拭う。フライパンが並ぶスペースへバター色の持ち手のそれを仕舞い込み、キッチンスペースの壁へもたれかかる。
そこからは店内を首を動かすことなく見渡せるマスター特権の眺めがあった。アンティークチックだがお手製だったりするテーブルと椅子に、三毛がリサイクルショップで目を奪われた壁へ取り付けるやや大きな古時計。適当に買ってきたクラッシックCDが全曲リピートで奏でられていて落ち着きのある店内を見渡して仁郷は頷く。
平和だ、と身内を殺して英雄視されるヒーロー共が居ない空間を見て安堵の息を吐く。
冬から春へ傾いた季節であるため外は少し肌寒いが、店内は人には言えない方法で程良く暖まっていて快適。
三毛の食器を洗ってから春に因んだメニューでも考えるか、と思考回路を組み替えた仁郷の耳にからんころんと来店の知らせが聞こえる。キッチンスペースの入口側に設置したテイクアウト用のスペースへ移動し、来客に対応する。
「やっほー、また来たよ」
元気良く片手を上げて黒いセーラーに身を包んだ少女は鞄も持たずに来店した。
今日は平日。加えて八時を過ぎている今は通学時間の真っ只中、ここから一番近い中学まで三十分くらいはかかる距離だ。
「よお、不良少女。今日はいつまでサボる気だ」
「やだなぁ、今日は自主休校の日だよ仁郷さん」
丸サボりするつもりか、と仁郷は呆れる。 カウンター席の三毛の隣に座り込む少女の髪は茶髪。塗りムラがあるようで黒い髪がちらほらあることからいっちょまえに染めているのが分かる。膝下何センチだよと突っ込みたくなる短いスカート故にスパッツの先がチラリと見えたりもする。
現在中学三年になったばかりの不良少女こと海堂鳴海は一年前からの常連で、もっぱらサボりの場所と言い訳してここに通っている少女だ。卒業したらこの喫茶店でバイトすると意気込んでいて、仁郷の悩みの種になりつつある乙女でもある。
しかし、ちょこちょこと仁郷も鳴海に料理や勉強を教えており、未来の即戦力のバイト候補として力を入れてたりもするため学校に行けとあまり強く言えない立場だったりする。
それにつけ込み、愛しの仁郷に徐々に近付いている鳴海はチェックメイトも近いと意気込んでいる。
そんなことになっているとは露知らず仁郷は呑気に春メニューを考え始めていた。
「なぁ鳴海ちゃん。春に食べたくなる料理とかあるか」
「んー、寒あったかいって感じだから暖かいのとか?」
三毛を抱き締めながら鳴海はさらりと言うが、大抵のものは暖かいだろと仁郷は苦笑する。
「甘いものがいい」
間髪入れずに三毛がふにゃあと口を開く。
「三毛っちは極度の甘党だもんね。あー、じゃあ林檎のパイとかどう?」
「アップルパイか。良いかもしれん、かな?」
めんどくせぇとバッサリ切り捨てはしないが、やや歯切れの悪い仁郷の口調に気付いた鳴海は喫茶店ミケの現メニューを思い出す。
珈琲とフルーツ系ジュースが色々にサンドウィッチ各種にパンケーキとフレンチトースト。最新メニューはカルボナーラと、オーブンを使わないメニューばかりだと思い浮かべ、もしやと質問する。
「そういえば今までオーブン使ったこと無いけど買わないの?」
「小さいトースターで十分だろ。売り上げ的に光熱費上げるのは得策じゃあ無いしな」
「ああ、成る程ね……。じゃあ焼くだけとか? 焼き林檎美味しいよ」
「ふむ……焼き林檎か。パンケーキに合いそうだな」
仁郷は籠からジュース用の林檎を二つ取り出し、軽く水で流して手慣れた様子で林檎をまな板に。一つは縦に皮ごと六等分し、もう一つは芯を型抜きで取り出してから横にスライス。フライパンを取り出してバターを五グラム落とす。拡がるバターの上に縦と横の林檎を一つずつ入れて片面を焼き、ひっくり返す際にラム酒を少々加えて蓋をし、蒸らす。こんなもんかなとフライパンから白い皿へと移し、シナモンシュガーを散りばめてからフライパンに残る林檎のシロップをかければ完成。
出来上がったそれを真上からスマフォのカメラでパシャりとしてから、目の前の少々たちの前へ小さなフォークを二本添えて出す。
「うん、美味しいよこれ」
そう言うものの何処か腑に落ちないといった様子の鳴海が唸る。違和感を口に出したくとも原因が分からぬようなそんな顔をしていた。
「んなー、べっちゃり」
バッサリと切り捨てた甘党の三毛に「それだ」と賛同する鳴海の様子を見て仁郷は苦笑。
「まぁ、今度研究しとくさ」
仁郷は余ってしまった林檎のスライスを齧りながら片付けを始める。そんな仁郷を鳴海は頬杖をついて意味有りげな顔で眺めていた。
そういやさー、と間延びした声で鳴海が問いかける。
「最近うちの中学でさー、ヒーローカードってのが流行ってるみたいなんだ」
「……へぇ」
いつもの声のトーンよりもほんの少し下がる相槌に鳴海は悪戯娘の表情を浮かべる。
仁郷は常連から大のヒーロー嫌いと認識される程に顔や態度に出すため、ヒーローの話題を出さない限り店に居心地良く居られるという暗黙の了解があり、常連客の長居の秘訣にもなっている。
実は三毛も身体が強張っているのだが抱き着かれていないために気付かれてはいない。
鳴海はポケットから数枚のヒーローカードと呼ばれるカードをテーブルに置いた。英雄機関の看板とも呼べるヒーローたちが透明のスリーブに入れられており、それは全てアルティメットレアリティ、ヒーローカードの頂点と呼べる代物だった。
「好きな女子にアルティレアのカードをプレゼントして好感度上げるってのが流行ってるみたいでね。こうやってたっくさん渡されるの。まぁ、興味ないしオクで百枚くらい売り捌いたけど」
けらけらと貢いだ男子たちを馬鹿にして笑う鳴海に仁郷は、杞憂だったか、と警戒を緩めた。
よく見れば懐かしい面々がテーブルに並んでいる。
数年前によく闘ったヒーローたち。
そして、自分の前で痙攣して倒れていた“敗者”たちだった。
怪人に成り日が浅い若い頃だったために苦戦した覚えがあるが、今の仁郷に互角な闘いに持ち込めるヒーローは居ない。
今や怪人のベテランたる仁郷に未だ負けという死は無い。
だが、彼との闘いに勝ちも負けも無いヒーローが一人だけ居た。
そう、居た。過去形だった。
「だってさー、このあたしよりも弱いヒーローなんざお笑いもんだしさ」
その言葉に即座に反応できた仁郷は身体の変異化を始め、服で隠れている部分を数秒で完遂させた。
モデリングは蟻。強靭な筋肉により身体の数十倍を悠々とお手玉ができる力と怪人随一の装甲殻の硬度を誇る戦闘特化型の怪人である。
そんな異質した雰囲気を感じて鳴海は普段の口調で言う。
「いやぁ、まさか“お父さん”が言ってた最強の怪人が仁郷さんだとはね。驚いたよ。ああ、勘違いしないで欲しいけどあたしはそこらのヒーローより崇拝される程の血統だから安心してね」
「どう安心しろと?」
やや、声のトーンが低い。彼はすでに迎撃態勢を取れる寸前まで変異化しており、また、一撃で意識を刈ることのできる距離になっていた。
「嬉し恥ずかしの赤裸々なことなんだけどね、好きな人が困るような真似を他の格下にさせないってこと」
言っちゃったぜ、と頬を赤らめもじもじする鳴海に仁郷は呆気を取られる。
突然のカミングアウトに乙女の恋愛事を混ぜやがった鳴海という少女にどう対応すればよいのか分からなくなったのだ。
溜息を吐いて仁郷は看板に掛けられた木製の板をひっくり返し、臨時休業日とした。
「……で、どゆこと」
キッチンスペースの台に前屈みで寄り掛かって仁郷は鳴海に問いかける。
「んー、昨日英雄機関からの要請が来てさ。笑い声が呵々ッな怪人に雑魚が一人やられたってね。仁郷さんでしょ」
「……間違っちゃいないが、どうして俺が怪人だと気付いたんだ」
「お父さんから教えて貰ってたから。最初から知ってて遊びに来てたんだ」
「お父さん?」
三毛の繰り返しに、もしやと仁郷は脳裏に一人の人物を浮かべる。
ヒーローの中で唯一認めたあのヒーローの姿を。
怪人である自分のことを娘に話す程に豪胆なヒーローは一人だけだった。
「英雄機関の大英雄ワイルドレッド」
“荒ぶる太陽”ことワイルドレッドは英雄機関史上最強のヒーローと認定されている大英雄の名だ。
仁郷がヒーローを呼ぶ際に“レッド”と呼ぶのはワイルドレッドだけ。他は特徴やフルネーム、憶えられてすら居ないヒーローも存在する中で唯一特別視しているヒーローだった。
レッドにまさか娘が居たとは、と仁郷は頭を抱えてしまう。
「アイツ……結婚してたのか……」
「いや、流石に怪人の仁郷さんをヒーローだらけの結婚式に招待はできないと思うけど。あの、仁郷さん?」
突然項垂れ始めた仁郷の姿に鳴海は三毛と一緒におろおろするが、仁郷は別のことで頭が一杯だった。
ーー俺が結婚する時は引退の時期だろうな。
宿敵がそう言っていたのを未だに仁郷は憶えていた。
「……なら俺は誰と殺しあえっつーんだよ」
ぼそりと漏れ出た底冷えする声に三毛と鳴海は反応できず、奥へ説明を聞かないまま消えてしまった仁郷を見送ってしまう。
無理も無かった。彼は普段二人の前で弱音や威圧的な雰囲気を出さないように心掛けていた故に、シマウマがライオンの顔に華麗なフットワークを駆使して一方的に蹄でラッシュを繰り出しているのが実はアフリカの日常だった、くらいの衝撃のギャップが二人を襲ったのだ。
数分硬直しても取り残された静寂は破られることは無く、重々しい雰囲気だけが残ってしまった。