愛ゆえの死
戦場を駆け抜けるセツナとライゾ。
だが、激戦の果てにセツナは‐‐―‐!?
「……あたしは……」
セツナが目を開くと、そこは軍の医務室だった。
午後の日が翳っている、大分眠っていたようだ。
壁の、無機質な白が橙に染まって見えた。
「気がついたか。お前……心配させんなよな。単なる脳震盪でよかったぞ」
逆光に浮かび上がる、愛しい男の姿を見て、セツナは弱々しく微笑んだ。
「……ずっと、傍にいてくれたのか?」
渋い顔のライゾに、セツナは手を伸ばす。
「バカ……俺が見捨てるかよ」
「そう、だな」
セツナの頬を、一筋涙が伝う。
「どうした……まだ、どこか痛むのか?」
「……いや」
分かってしまった。
分かってしまったのだ。
いま、自分の身になにが起こっているのか。
もう、こればかりは‐‐―‐‐誤魔化すことができない。
「ライゾ……話がある。聞いてくれるか」
「……セツナ?」
「あたしは‐‐――‐‐‐‐」
彼女は、自らが身籠もっていることを、ライゾに告げた。
内心冷や汗ものだったが、彼は涙を流しながら、自分を抱き締めてくれた。
絶対突き放される、と悩んでいたのに…意外な反応だった。
「ライゾ……本当に、喜んでくれるのか? 軍に知れれば、あたしも、お前もただじゃ済まなくなるってのに」
「バカ……なんで、喜ばずにいられるんだよ」
セツナを抱き締めるライゾの頬を、幾筋も涙が伝いおちては散る。
「ごめん、ごめん……言ったら、お前が離れていくかと……距離を置くと思ったんだ」
「よかった…遂に、俺たちを繋ぐ者ができたか」
これで‐‐―‐―‐‐譬え、どんなに離れても…どちらにも寂しい思いをさせずに済む。
ライゾは、至福の時を噛みしめていた。
「けど、これだけ言っておくぞ? あたしは戦線を離れるつもりはないからな」
だが喜びも束の間、ライゾはその耳を疑うことになる。
「なっ…っ!」
「お前だけ闘わせられるかっ!! ずっと……一緒だと決めたろう?」
「分かった、分かったから怒鳴るなっ、腹の子に障る」
「よろしい」
嫣然と微笑む愛しい戦姫に、ライゾはぱちんと額を押さえた。
「はっ……全くお前にゃ敵わんよ。それにしてもな、ホントにここに俺たちの子がいるなんて。夢みたいだぞ」
ライゾは、まだ目立たないセツナの腹に耳を寄せ、目を閉じながら呟いた。
「夢じゃない。夢じゃないよ……確かに、ここに『生きてる』」
その数ヶ月後、二人は軍と共に、棠国王の膝元‐‐―‐‐戦線へと赴いた。
それはひどい‐‐――‐‐ひどい戦だった。
尽きることなく、天地を焦がす業火は容赦なく襲い掛かり、体力と気迫を摩耗させていく。
それは両国の兵も同じ事で……。
膝を突く者。その脇で力尽きる者。気が触れて、自刃する者…様々だ。
戦場は…鬨と血で、朱に染まる。
爆炎と斬撃の中を二人は駆け抜けていた。
「セツナ、平気か!」
「ライゾ、お前こそっ!」
向かってくる敵兵の群れを斬り抜け、どのくらい経っただろう?
あたりは‐‐―‐‐閑地は血と火薬……生き物の焼ける匂いで満ちていた。
闇が閑地に蟠る頃、戦場は死に絶えたように静まりかえる。
月光さえざえと‐‐―――――。
力尽きた、同志たちの骸の脇に刺さる刀に宿る露が、憐れを誘う。
セツナは、死んだように目を閉じ、息を殺していた。
「セツナ…しっかりしろ、セツナ」
「ライゾ……お前こそ平気か? 肩、痛むだろう」
彼女たちを残して、ほぼ壊滅した棠軍に替わり、向かってくる敵兵の殆どを倒したのはセツナだ。
倒したのは殆どで、全てではない。
今は、休戦状態で、両者の状況を伺っているのである。
‐‐――‐夜明けが、最期の闘いの合図となる。
両者ともに、体力の消耗が激しい。
「少し、休んだらどうだ。心配ない、あたしがライゾを護ってみせるさ」
「お前は……?」
「あたしなら大丈夫だ。休んでくれ」
夜明けまで、まだかなりの時間がある。
セツナは元々眠りは浅い方で、ある程度休めば問題ないのだ。
「いや、だが……」
「頼む、休んでくれ。お前を愛してるから言ってるんだぞ?」
眉尻を下げるセツナに、ライゾは思いきり赤面してしまう。
「ふっ、不謹慎だぞ!」
「今は…休んでくれ。な?」
膝枕に乗った彼の頭を抱き締め、セツナは、そっとその額に口づけた。
「早く、故郷に戻りたいものだな」
呟いたセツナに、ライゾは静かに尋ねた。
「セツナは、どこ出身だ?」
「棠国の、杏楊県だ」
棠国‐‐―‐‐杏楊県。
海ぎわの、景色のよい、穏やかで小さな村だ。
「同じだ。どこかで…すれ違っていたかもしれん」
微笑むセツナを、ライゾは起きあがって強く抱き締めた。
「生きろセツナ……いや『生きる」んだ」
「ライゾ?」
背を伝う、冷たい汗。
水色の地平に、一條の光が射す。
「夜明けだ……相手が動く前に、俺が斬り込む」
「お前、なぜっ」
「もう決めていたんだ、お前には生きてもらうと」
「ライゾ!? バカ言うなっ、あたしたちは一緒だろっ」
ゆるゆると首を振るライゾに、セツナはしがみつく。
「お前は『生きる」んだ。譬え俺が死んでも、お前は独りじゃない」
「バカなことをっ……簡単に、死ぬなんて言うんじゃない!」
「泣いているヒマはないぞ? 敵は目の前だ」
にぃ、と笑うライゾに、セツナは涙を拭い去った。
「分かってるっ!!」
戦況は、良いように思われた。
だが……。
一緒だと…命尽きるまで一緒だと決めたのに。
現実はただ、残酷で。
油断したあたしを庇ったライゾを、敵の放った弩が貫いた。
「ライゾっ!? ……ライゾ!」
飛沫く血は、天井の華の如くに美しく。
ライゾは激しく噎せてから、夥しい血を吐いた。
「セツ……ナ」
セツナの中で、『なにか』が切れた。
激情が、瞳の色を、髪を染め上げていく。
「ライゾ‐‐――‐‐っ!?」
ライゾを脇に抱えた彼女が、敵軍を殲滅するまで、いくらも掛からなかったように思う。
もはや激昂する彼女以外、命の気配はないようだった。
「ライゾ……あたしは、お前を、護れなかった」
擦りむけて汚れたセツナの頬を、涙が伝いおちる。
ぱたぱたと落ちるは、銀の雫。
それを受け止めたのは、ライゾの頬だった。
「セツナ……お前、泣いて、いるのか?」
「す、まない…ライゾ……血が、血が止まらないんだっ」
肩を縛って止血しようとするが、夥しい血糊は留まるところを知らず、彼女の白い手を汚すのみだ。
「セツナ、生きろ……生きるんだ。そして、決して自分を恨むな。お前は……強い女だ」
「しっかりしないかっ! 帰るんだろっ?! 一緒に故郷にっ」
弱々しく、ライゾの手が、セツナの頬に触れられる。
彼の命の火は、尽きようとしていた。
「愛してる…俺の、大切な、妻……そ、して戦友よ」
「行くなっ、死ぬんじゃないっ……ライゾ、ライゾ!?」
「生き…ろ」
ライゾの腕が、力なく地をうつ。
「お前のいない一生なんか、送りたくない! 置いていくなっ」
取り落とした刀を拾おうとした瞬間、天地が歪むほどの眩暈が、セツナを襲った。
「くふ……うっ…ぐうぅ、おぇ…おえぇっ!!」
ひどい匂いの胃液を、セツナは何度も吐瀉する。
悪阻だ。
まるで、命の断絶を拒むように。
セツナの胎内に宿るライゾが、彼女を諫めたかのようだった。
「ライゾ……お前なのか? 生きろって、言ってるの…か?」
冷たくなったライゾを抱え、セツナは泣いた。
大地が拉ぐほどの、大声で。
まだ冬も明け切らない、晩冬のことだった。
こんばんわ、維月です。
『生きる』を読んでくださった読者様、おつきあいくださいましてありがとうございます。
次回で、『生きる』最終章となります。
よろしければ、次回も、おつきあいくださいませ。