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ぼくらの天使  作者: 半導体
一章
9/56

8話 郷愁のハーブ(前)

 街の中心地から若干離れた住宅街は、人口増加と史跡の保護のために最近造られた。今でも古くからの住居で暮らす人も多いのだが、昔の建造物なだけに劣化している箇所も多く、安全性に疑問を抱く人も少なからずいたようだ。

 それを懸念した政府がこういった居住区を新設し、そこへの移住を推し進めているというのが現状である。

 流石にできたばかりということで清潔感にあふれ、歩いていても新築の家屋が目に入る。区画や道も整備されていて、安全性の面では心配ないだろう。その代わり、『古都』という愛称はとても感じられない事務的な印象の風景でもあった。

「……まあ、どっちが大事かは人次第だけど」

「何ブツブツ言ってんの?」

 メフィから白い目で見られ、エルクは顔を赤くして目を逸らした。



 その庭は、壮観の一言に尽きた。

 芝生にすればちょっとしたスポーツくらいは問題なくプレイできそうな面積がある。そんなフィールドには程よい間隔で花壇や植木鉢が並べられており、実に多彩な種類の植物が植えられているようだ。軽く見まわしただけでもバラやツツジ、クレマチスやラベンダーといった種類が確認できる。

 特に目立つのが、何十本というウネで育っているハーブだ。虫が付きやすく管理が大変な物も多いはずだが、並んでいるハーブはどれも店頭で並べられていそうな見栄えをしている。

「あれだけ香ったのはここまでいっぱい植わってたからなのね……」

 感慨深そうにメフィが呟く。中心地は古い建物が視界を完全に覆っていたので、この広さと緑の豊富さは確かにちょっとしたカルチャーショックだ。

 だが、そんなメフィよりもさらに衝撃を受けている者もいた。

「…………」

「あれ? シューラ、どうかした?」

 ふと視線を向けてみると、シューラがこれまでにないほど興味深そうにその庭を眺めていた。食い入るように見つめるその眼差しには、どこか羨ましがっているような感情もあるようだ。

「……ここの植物はみんな、すごく愛されて育てられてるみたいです」

「へ?」

「見ていて、切なくなるくらい……」

 シューラが何を言っているのか瞬時には分からず、エルクは首をかしげる。彼女が植物の気持ちを感じ取っているのだと理解した時には、シューラは見つめるのに夢中で言葉を全く発しなくなっていた。

 よほど気に入ったのだろう。だが、そのままではいつまで経っても話が進まない。

「ねえ、まずは挨拶をしに行こう? 庭の見学も許可をもらえばゆっくりできるわよ」

「あ、そうだよね。シューラ、いいかな」

「…………、えっ? あ、は、はい」

 今の今まで自己の世界に陶酔していたようだ。シューラに落ち着いた印象を持っていたエルクにとっては意外な反応だった。

 両側に広々とした植物園を携え、石畳の道が真っ直ぐに屋敷まで続いている。それほど遠いわけではないが、手前の庭のせいで建物がやたらと巨大に見えてしまう。

「それじゃ、行こっか」

「そうだね」

 メフィが促すと、三人も頷いて歩き出す。

 ただシューラだけは、何度も庭の方を振り返っては名残惜しそうにしていた。




「……あら?」

 玄関を目の前にしたところで、その扉が開いて中から一人の女性が現れた。

 真っ白なブラウスと紺色のジャンパースカートを着込み、雪のように白い髪の毛を頭の後ろで結わえて団子状にしている。そしてレースで飾り付けられたカチューシャをつけており、この屋敷の使用人か何かであることを窺わせた。

「あ、こんにちは」

「こんにちは。何かご用でしょうか?」

 エルクたちの姿を認めるなり、女性はすぐさま穏やかな笑みを顔に浮かべた。まるで本心からのような自然な笑顔は、とても接客用の作られたものには見えない。

「あの……依頼の件で来た者です」

 言葉とともにエルクがバッジを見せる。上着の内側に装着したため、一度開かなければ外からは見ることができない。もちろん、ギルドに所属していることがバレないようにするためだ。

「あら、そうでしたか。それではこちらへどうぞ」

「あ、はい」

 全てを把握したのか、女性は踵を返して玄関を開いた。さすが使用人というべきか、その動作には一切の無駄がない。

 片側を大きく開放すると、女性はもう一度ニッコリ笑って中に入るように手で促した。


「お義母さま、ギルドの方がいらっしゃいましたよ」

 廊下のつきあたりの扉を開くと、女性が明るい調子で声をかけた。

 部屋の中には老齢の女性が一人。テーブルにカップを置き、湯気の立ち昇るお茶を注いでいるようだ。そのせいか、室内は爽やかなミント系の香りが充満している。ほのかには何かってくるそれは決して主張しすぎることはなく、その部屋の穏やかな時間を演出している。

「ええ、分かったわ。わざわざありがとうね」

「いえ。では失礼します」

 三人を部屋に通すと、使用人らしき女性はそそくさと部屋を出ていってしまった。もともと何か用事があったのかもしれない。

「……お義母さまって言ったね」

 声を潜めてメフィが首をかしげてきた。

「うん、使用人じゃなかったのかな」

「案外、あの人がこの屋敷の主人なんじゃない?」

「さあ……」

 エルクも気にはなったのだが、詮索してもしかたがないと分かっている。適当な相槌を打つと、それきり口を噤んだ。

 会話がなくなり、部屋が静まりかえる。気まずくはないもののどう声をかけたらよいのかわからない状況だ。

 老齢の女性は、新しく三つのカップを用意してお茶を注ぎ始めている。僅かにほほ笑みながらゆっくりとポットを傾けるその姿は気品に溢れていて、貴婦人と呼ぶのにふさわしい優美さを兼ね備えていた。髪は白くしわも深く刻まれているものの、老人らしさはほとんど見受けられない。

「さ、どうぞ座って。ベルガモットティーが入りましたよ」

 全てのカップがお茶で満たされると、女性が初めてエルクたちに向けて声をかけた。落ち着きのある声色で、お茶の香りも相まってみるみる不安が取り除かれていく。

「……あ、ありがとーございます」

 メフィのまどろんだ謝辞が三人の体を動かした。誰からともなく女性と同じテーブルへ近づき、勧められるまま並んで席に着く。たっぷりとお茶の注がれたカップが三人の前に差し出され、ほのかに酸味を感じさせる蒸気が鼻まで届いてくる。

「いただきます」

 真っ先に口に運んだのはシューラだった。リラックスしながらも真剣な表情でお茶の水面を見つめていたが、何かを見定めるようにカップを持ちあげてごくわずかだけ口に含んだ。

 シューラの予想外な行動に驚いたエルクとメフィは続けて飲みそびれてしまい、じっくりと味わっている様子のシューラをただじっと見つめることしかできなかった。

 婦人もシューラを見ているが、その表情は相変わらず柔らかい。まるで我が子を愛でているような、慈愛に満ちた眼差しを向けているのだ。

「シューラ?」

「……」

 三対の目に見つめられていたシューラだったが、カップを置くと同時にふぅと息をついた。真剣そうだった表情は、いつの間にか感嘆で目が大きく見開かれている。

「……おいしいです」

 一言、そう呟いた。

「それはよかったわ。さ、お二人もどうぞ」

 婦人はより一層深い笑みをこぼした。やはり自分のお茶が褒められると嬉しいのだろう。

 言われるまま、エルクとメフィも目が覚めたようにカップを手に取った。奇妙な感覚が残ったが、爽やかなお茶の香りで些細なことはすぐに気にならなくなった。


「それで……依頼の件なんですけど」

 ひと段落ついたのを見計らって、エルクが本題を切り出す。いい加減そちらに話題を移さないと御馳走してもらっただけで終わってしまうような気がしたのだ。

「そうね。それじゃ、お話しましょうか……でも、その前に」

 優しそうな表情のまま、婦人の目が離してのエルクから離れる。

 彼女が視線を向けたのは、またしてもシューラだった。

「そちらのお嬢さん、あなた『アッツェの楡の木』は御存知?」

「えっ」

 シューラが分かりやすい反応を示した。そしてしまったというように小さく開いた口を押さえる。

 何も言おうとしないが、その態度だけで答えは容易に想像がつく。

「知っているようね」

「……どうして、そんなこと」

「いいのよ、それ以上は訊かないわ。ただ……あなたが『そう』なのか確かめたかっただけだから」

 どうやら二人の間だけで何かのやりとりがなされているようなのだが、エルクにはさっぱり分からない。ただ、シューラは心なしか表情を強張らせているように見える。婦人とのやりとりが楽しいというわけではなさそうだ。

「あの、お話を始めてもらっていいですか」

「……そうね。ごめんなさい、お二人をないがしろにしていたわね」

 やや強引に流れを変えると、婦人もそれに乗ってくれた。それ以上シューラについて詮索するつもりはもともとなかったようだが。

「御覧の通り、私は育てた植物でお茶や香水を作っているの。庭の菜園はもう見たかしら」

「ええ、来た時に少しだけ」

 この部屋の窓からも庭の様子がうかがえる。見える範囲には柑橘系の植物が集中して植わっているようだ。一部の種類は紅茶の原料になるので、それに用いているのだと推測できる。

「必要なものはほとんどここで育てているんだけど、場所が無くて作れない種類もあるのよ」

「えぇ!? こんな広いのに?」

 メフィが目を丸くして叫ぶ。庭はそう言っても仕方のないほどの広さがあった印象なので、残る二人も同じく驚愕を隠せずにいる。

「庭全体を使えるわけじゃないし、それに他の植物と条件が合わなかったりするから。そういう種類は、特別に育てているか自生している場所まで行かないと手に入らないの」

「つまり、今回の依頼というのは」

 婦人の言葉から、エルクはだいたいの内容を理解した。

「そう。あなたたちには、ちょうど切らしてしまっているハーブを頂いてきてほしいの。懇意にしている農園の方がいるから、そこに行ってもらうことになるわね」

「なるほど……わかりました」

 依頼の全容が見えたことで、構えていたエルクは全身の力を抜いた。聞いた限りではそれほど難しいわけでも危険というわけでもなさそうだ。ほぼお遣いと変わらない内容だが、初めての依頼としてはちょうどいいくらいかもしれない。

「それじゃあ、詳しく説明するからちょっと待ってね。地図を持ってくるから、お茶を飲んで待っていてちょうだい」

 婦人はにこやかな表情で立ち上がり、三人を残して部屋を出ていった。自身のカップは持って退室しており、中身の残っているポットは三人の前に置いたままとなっている。自由に飲んでいいという話だったが、高級感のある香りにエルクは手を出す気になれなかった。

「おかわり自由なら、もーちょっと貰っておこっと」

「……私も、もっと飲みたいです」

 二人の神経の図太さに、エルクは彼女たちに聞こえないよう溜息をついた。


 婦人は戻ってくると、テーブルの上で四つ折りの地図を広げた。座っていた三人は反射的に立ち上がり、囲むようにその地図を眺めおろす。

 どうやらレクタリア郊外の地図のようだ。現在位置もよくわからないが、赤いペンでマルをつけられている場所があるのはすぐに分かった。

「この印の場所で、この種類のハーブを頂いてきてね。代金は必要ないから大丈夫よ。……あらいけない、私ったらまだ名前を聞いてなかったわね」

「僕はエルクです」

「メフィっていいます」

「シューラです」

 顔を上げてそれぞれが簡潔に名乗る。婦人の作る雰囲気のせいか、三人とも言葉を交わす際にあまり気を張らなくなっていた。出会ってからほんの数十分しかたっていないのに、婦人が三人に与えた安心感は相当なものだったようだ。

「私はアドネッセ。よろしくね、三人とも」

 婦人――アドネッセは地図を折りたたむと、それをエルクに差し出した。多少サイズが大きく道中では開きづらそうだが、受け取ったエルクはリュックの中にしまいこむ。

 彼女は更に便箋を取り出すと手短に何かを書いて封筒に入れ、エルクに渡してきた。

「細かいことはここに書いておいたわ。あちらの人に会ったらこれを見せればちゃんと伝わるから」

「すみません、助かります」

 内容が気にもなったのだが、封筒に入れられて内容をうかがい知ることはできない。もっとも、こういった書物の詮索は無粋というものだろう。

「それじゃ、おねがいね」

「はい、頑張りま」

「任せてください!」

 エルクを遮りメフィが威勢よく返事をした。エルクは苦笑したが、アドネッセはやはり優しそうな笑みを浮かべたままだ。長い人生でさまざまなことを経験してきたのだろう、と何となく感じることができる。

「エルク、シューラ、早速出発しよう! なんだか私ワクワクしてきちゃった」

 若干興奮気味にメフィが外へと向かう。後先の事は何も考えていないのは明らかで、放っておけばどこかしらで盛大に転ぶのは目に見えている。

「ええっと、アドネッセさん、行ってきます」

「ええ。あちらの方たちによろしく伝えてね」

「ま、待ってくださいよぅ」

 メフィに引きずられるように歩き出したエルクにシューラが続き、アドネッセはそんな三人の様子をどこか微笑ましそうに見ている。


「シューラ、いってらっしゃい」

「……?」

 アドネッセが最後に何か呟いたが、小さな声のために誰の耳にも届かなかった。

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