6話 ギルド加入
複雑に入り組んだ路地は、幾重にも交差しながら街の深部へと根を伸ばしている。立ち並ぶ建築物が日光を遮り、昼間だというのにランプが欲しくなるほどの闇に包まれている。
行き交う人間の姿は全くと言っていいほど見られない。それだけに、そこを駆け抜ける四人は異質なものとしてそこに存在しているかのようだった。
極力音は立てず、しかし素早く迷路へと入り込んでいく一行。頼りになるのは先頭を行く女性だけであり、他の三人は既に現在位置さえも把握できなくなっている。
「お、捲けたみたい」
どのくらい走ったのか、まるで息を切らせていない女性がようやく立ち止まった。ついてきていた三人は立ち止まると同時に膝に手をつき、肩で息をしている。水と干し肉しか食べていない彼らにとって、この疾走はかなり堪えるものだった。
「もう、大丈夫、だよね」
これ以上は歩けないとばかりにメフィが訊ねる。だが女性は、三人の様子を気にもせず返答した。
「まだだね。そうすぐに諦めるとは思えないし、この辺りだって安全とは限らないよ」
「うぇぇ」
「文句言わない。これから私の店に連れてくから、そこでしばらく時間でもつぶそうか」
女性は飄々としていて緊張感などは見て取れないが、常に通りの前後へ気を配っているようだ。多少変わってはいるが、知識や経験をかなり積んでいるのは間違いないだろう。
「店?」
「ん。ま、君らには馴染みのない店かもしれないけど」
どんな店なのか想像もつかない。そもそもエルクにとっては、目の前の女性が店を経営しているということ自体がイメージできなかった。口には出せないが、そんな経営力があるようにはとても見えない。
「あの、でも……着いて行くというのは、まだちょっと」
「信用できないって? それはわかるんだけどねー、こっちも依頼だから簡単に引き下がるわけにはいかないのよねー」
「はぁ……依頼?」
「依頼主は二十八歳男性職業不詳、これ以上は機密事項。依頼内容は『少年一人と少女二人からなる三人組の保護、ならびに安全確保』って感じだったかな。報酬は機密事項じゃないけど結構いい額なのでナイショ」
スラスラと語られていくそれに、エルクは更に疑問符を増やした。質問が多くなりすぎてしまい、言葉が詰まって出てこなくなってしまう。
そんなエルクは気にかけず、女性は三人に向かい合うと思い切り胸を張って見せた。
「案内するよ、私の『ギルド』にね」
ギルド――元々は、同じ職種の人間の集まりを示す言葉である。
現在では専ら、ハンターか賞金稼ぎで構成される組織という意味で定着してしまっている。女性の言うギルドにもそういった種類の人間が多いようで、案内された建物には腕の立ちそうな旅人らしき人間が何人かたむろしていた。ただ、明らかに一般人といった風貌の人間もいるので、必ずしも偏った職種の集会所というわけではなさそうだ。
そこそこ広いロビーに、カウンターが一つ。小さな紙きれを持った人間がカウンターに向かい、何かの手続きをしている様子が見える。依頼を受けているのか、あるいは依頼を申し込んでしているのだろう。
部屋の隅には丸テーブルとイスが数脚。そこに立派な髭の男性が座ってお茶を嗜んでいる。
そして正面の奥には、巨大な掲示板の姿があった。
無数の紙片が張り付けられており、手前にはちょっとした人だかりのようなものができている。おそらく、そこで何かしらの依頼を受けることができるのだろう。
物騒な雰囲気ではあったが、そこには人間の活気が溢れていた。依頼を出す者も受ける者もいるだろうが、掲示板の前では誰もが何かしらの感情をあらわにしている。これまで見てきたレクタリアの印象とは違い、賑やかで安心感を覚える場所となっていた。
「……」
「おーい、落ち着け少年」
ちょっとしたカルチャーショックを受けて立ち止まったエルクは、女性に額をつつかれて我に返った。
女性はロビーをまっすぐ横切ると、奥の通路へと進んでいく。周りの注目を集めないよう、三人はできるだけ目立たないようにしてそれに続いていった。
「はいはい、それじゃ座ってちょっと待ってて」
突き当たりの扉へ通され、勧められるまま椅子に腰を下ろす。三人が席に着くと、女性は軽い足取りで部屋を出ていってしまった。
訳の分からないまま取り残される形となり、エルクは呆然としたままその部屋を見回してみた。
どういった用途の部屋かは分からないが、あまり見栄を張ったような調度品は見当たらない。テーブルも木製のシンプルなデザインで、これといった特徴もない普通のテーブルだ。唯一、百合を差した花瓶がテーブルの中央に置かれていて、淡白なインテリアの中でそれは特に際立っているように見える。
「私たち、どうなっちゃうのかなぁ?」
メフィが今後を懸念するような言葉を発したものの、興味深そうに辺りを見回している姿は身の安全を危惧している様には見えない。
もっとも、それはあの女性をそこまで警戒していないからかもしれない。完全に信頼はできないものの、メフィには悪人のように見えなかったのだろう。それはエルクも、またシューラも同様らしく、追われていた際のように神経を尖らせた様子はない。
「依頼、ていうのが少し気になるけど」
「私はあんまり気にしてないです……あの人、優しそうでしたから」
「そうだよね」
メフィもシューラと同じ印象を抱いていたらしい。エルクも概ね同意しているのだが、引っかかる部分も多いので素直に安心はできずにいる。
「はーい、おまちどお」
勢いよく扉を開き、女性が大きなバスケットを抱えて戻ってきた。バスケットからは香ばしい香りが漂ってきている。布が被せられていて見えないが、どうやらパンのようだ。
三人の前にバスケットが置かれ、布が取り除かれる。途端に、抑え込まれていた香りが膨らんで広がった。積まれているパンは全てバターロールで、照明を鈍く反射してキラキラと輝いて見える。しばらくまともな食事を摂れていなかったこともあり、三人の空腹感は否が応にも掻き立てられた。
「お腹すいてるでしょ? どんどん食べちゃって」
言いながら女性が一つを手に取ってかぶりついた。パンを食べながらにっこりとほほ笑むのを見て、気がつくとエルクもパンに手を伸ばしていた。それにつられるように、メフィとシューラも一つずつパンを手に取る。
手に持つとまだ少し熱い。両手で持って二つに割ってみると、中から蒸気と香りが一気に広がる。麦の香りはエルクの鼻をくすぐり、これまで目を背けていた食欲が急激にせり上がってきていた。
警戒を解くべきではない。それはわかっていても、これ以上空腹を堪えることなどできそうになかった。
「い、いただきます」
ちぎったパンの端をほんの少しだけ齧った。
想像以上に柔らかく、熱く、噛んでいると優しい甘みが口いっぱいに広がる。香りが口から鼻へ突き抜けていき、パンの味をより存在感のあるものへと飾り上げている。
ほとんど勢いで飲み込むと、二口目は躊躇いもなく思い切り齧りついた。
これまでの粗食の反動もあるのだろうが、そのパンはエルクの食べたことのないような感動が詰まっていた。今までここまでパンを美味しく感じたことはない。食べる手が止まらなくなり、あっという間に一つを平らげてしまった。
まだパンは大量に積まれている。一瞬は遠慮しかけたエルクだったが、空腹の今はとても自制が効かなかった。すぐさま二つ目を掴み、再び食べ始める。
「ここまでおいしそうに食べてもらえると、まぁ作った甲斐があったよ」
三人の食べる様を見て、女性は頬を掻きながら笑った。
「それじゃ、改めて始めまして」
パンが一つもなくなったところで、女性が満足そうに笑ったまま口を開いた。
「私はエディカ。このギルドの管理事務長……って役職に一応なってるみたい」
「管理事務長?」
「ま、責任者ってことだね。私も依頼を受けたりするからあんまりここにはいないんだけど」
突然責任者がいなくなって苦労している部下の姿が目に浮かぶようだ。突っ込むべきか迷ったのでエルクはひとまず何も言わないでおいた。
「えっと、僕はエルク」
「私はメフィ」
「シューラ……です」
「オッケー、覚えた」
三人の顔を眺めまわすエディカ。何に対してなのか、やたらと自信に満ち溢れた表情をしている。
「依頼主から少し話は聞いてるよ。レダーコールから逃げてきたばっかで困ってるんだって?」
「……その依頼主の正体が気になるんですけど」
「内緒ナイショ」
悪戯っぽく笑うエディカに、エルクはため息をつく。顧客情報を守るのは当然のことなので予想できた答えではあったが。
「で、助けてらった理由はわかりましたけど……パンまでいただいてしまって」
「ああ、それは気にしなくていいよ? 趣味で作っただけだから」
「いえいえ、ありがとうございます。それで、その……」
言葉を濁すエルクにエディカの笑みが深くなる。何を気にしているのか気づいているのだろう。というより、気づいてほしくて『それ』を持ってきているようにしか見えない。
「そのバッジ、何なんですか?」
エディカの手には、朱色に塗られたバッジが握られていた。丸いシンプルな形の中に、独特すぎて全く読み取れない文字が書かれている。どちらかというと何かのマークとして捉えたほうがよさそうだ。
エルクの質問に対し、エディカは待ってましたとばかりに鼻を鳴らした。言いたいことがあるなら早く言ってほしいのだが、楽しそうにしているので催促はできそうにない。
「これはね、うちの『会員証』さ」
「つまり、ここで依頼を受けるのに必要なもの、ってことですか?」
「お、さすが話が早いねー、その通りだよ。それで、これを君らに進呈します」
まるでお菓子でもおすそ分けするかのように、ぽんと掌に乗せられるバッジ。完全にデザインとして割り切ってしまえば洒落たアクセサリー程度にはなるかもしれない。もちろん単なる飾りではないので、そう安直には決められないのだが。
「それってつまり、僕らがこのギルドに加入するってことですか?」
「そうそう。あ、入会金とかそういうのは無いから安心していいよ」
「いや、でも……そんな腕っ節が強いわけでもありませんし」
「討伐依頼ばっかじゃないから大丈夫。ギルドって別にハンターの溜まり場ってわけじゃないんだよ」
「そーなんだー」
メフィが感心したように声を発した。エディカが言ったままのイメージを持っていたようで、新しい発見に目が輝いているように見える。好奇心旺盛と言えば聞こえはいいが、エルクにとってはトラブルメーカーでしかない。
「この街にも長くいるつもりはありませんよ」
「他の街にもギルド作ってるから問題ないさ。そこでもこのバッジが通用するし」
「……うぅ」
反対材料がなくなり言葉に詰まるが、それでも肯定できない。『一番の理由』は、会ったばかりの人間に軽々しく話せるようなものではないのだ。
思いは同じなのか、メフィとシューラも積極的になろうとはしていない。言葉を封じ、申し訳なさそうにエディカとその手のバッジを見つめている。
そんな三人の様子を前にして、エディカは――なおも笑っていた。
「分かってるよ、自分たちの足跡はあまり残したくないんだろ? どこかに所属するとかして存在が公開されるのは嫌で、だからウチのメンバーになりたくない……そんなところかな。誰かに追われてるみたいだったし」
「……」
「私は何も詮索するつもりないよ。レダーコールの何を知ってるとか、どうして追われてるのかとか、私は興味ないから」
エディカがひらひらと手を振る。とくに責めようとする意志も感じられず、エルクは有難さと申し訳なさで委縮するしかできなかった。
彼女は、考えていた以上にエルクたちの立場を理解していたのだ。その上で、ギルドへの加入を提案してきている。
「名前の登録とかそういうのもここには無いよ。だから所属してる人間は調べようがないっていうか、しらばっくれたらどうにでもなるというか」
「……どうしてそこまでしてくれるんですか? あなたにも全く害がないとは思えないんですけど」
「ホントの事言うとね、これも依頼の一部なんだよ。方法は問わないから、君らが自立して生活できるように支援してくれって言われてさ。で、私ができる事って言ったらほら、ここで仕事を提供するか宿を貸すかぐらいしか思いつかなくてね」
恥ずかしそうに頬を掻いている。だがそれはある意味、他のどんな理由よりも納得のいく理由だった。
依頼であればできることはなんでもする。いい加減なようでいて、仕事には誰よりも真っすぐ向き合っている。
彼女のことを詳しくは知らない。だが、それこそが『彼女』なのだろう。
「さて! それじゃあエルク、メフィ、シューラ。そのバッジ、受け取ってくれる?」
腰に手を当て、座っている三人を見下ろすエディカ。彼らに向けられている笑顔は、彼らの返事を微塵も疑っていないようだ。
メフィに目を向ける。先ほどまで迷っていたらしい彼女は、既にエディカの意見に納得しているようだ。どことなく嬉しそうに、小さく頷いて見せた。
シューラに目を向ける。彼女の意志はメフィほど分かりやすくないのだが、今の彼女は実に分かりやすかった。彼女もまた、メフィと同じ意見のようだ。
「……」
そしてエルクは、自分の天秤がゆっくり逆に傾いていくのを感じた。