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ぼくらの天使  作者: 半導体
三章
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53話 終幕

「うっ」

 短く声を漏らしたリダの目の前で、水色の髪が数本散っていった。

 少年の剣さばきには無駄がなく、軌道を目で追うことも難しい。隙のない連撃によって守備に徹さざるをえず、攻勢に転じようとしても先読みされて封じられる。

 相手が実戦経験を積んでいることはリダの目にも明らかで、圧倒的に不利な状況に置かれていることを実感せずにはいられなかった。

「うぅ……!」

 予備動作なしの刺突をかわしきれず、かすめた刃が肩口に浅い切り傷をつくった。同様の傷は既に全身に刻まれており、じわじわと追い詰められていることを示唆している。

 ――冷静に、冷静にならないと……!

 大振りの斬撃を紙一重でかわし、リダは心中で繰り返しそう呟く。

 ――どんなに不利でも、ガルドなら……ガルドならそれをひっくり返すはず。

 頭蓋を狙った突きを斧の面でそらしながら乱れた呼吸を落ち着かせる。そして同時に、斧を握る手に力を込めた。

「っせい!」

 全力を込めて斧を横に薙いだが、刃先が掠めることなく少年の姿が一瞬遠のく。そして即座に最接近したかと思うと、眼前に銀の煌めきが通り過ぎていった。

「……っ」

 少年の方も疲労は溜まりつつあるらしく、荒れた息遣いがリダの耳にも届いている。種族としての腕力がかろうじて実力差を埋めているのだろうが、それが攻勢へ転じるだけの余裕をリダに与えているわけではない。

 少年がゆっくりと剣先をリダに向け直す。肩を上下させている様子とは裏腹に、彼の殺気には全くの陰りが見えない。

 ――僕、負けちゃうんでしょうか……。

 状況を好転させることのできない焦りがリダに絶望感をもたらしていく。

「考えすぎなんだよ」

 混迷していたリダの耳に、唐突に発せられたガルドの言葉が届いた。思わず振り返りそうになるが、眼前の敵の存在を意識して耳を傾けるにとどまった。

 ガルドももう一人の黒マントと交戦中であるのは乱発する金属音からも分かるが、そんな状況下でもガルドはリダへの説教を続けていく。

「お前なら大丈夫だって、何度言わせる気だ? もうお前の頭には戦いのイメージができあがってる。あとはそれを信じられるかどうかだ」

「ガルド……」

「ただ怪力なだけじゃねえってところを見せつけてやれ」

 ガルドにそう言われ、リダの中から混沌とした不安が取り払われていく。

 自分がこれまで力押しでしか戦ってこなかった、と言うより『戦い』ですらなかったことを理解し、リダは自嘲を込めて軽く笑った。

 ――ガルドが駄々っ子みたいって言っていたのは、そういうことなんでしょうね。

 深く息を吐き、相手の動きに神経を集中させる。

 向けられる殺気は変わらず、切っ先はまっすぐリダを捉えている。それでもリダは少年に対して全く気後れしておらず、なおかつ腕力に身を委ねてもいない。

 実戦経験がないことに変わりはない。それでもリダは、ここで初めて『戦う者』としての心境に達していた。それまでの力任せに斧を振り回していただけの戦い方と比べれば、より対等に敵と渡り合うことができるようになる変化だ。

 自身でも驚くほど穏やかになった心持ちで、リダは静かに『戦闘』の構えをとった。




 背後のリダの纏う雰囲気が変わったことを確認し、ガルドもようやく安堵の意気を吐いた。

 礼拝堂侵入の際に彼を励ましたのはよかったが、敵と交戦しても力任せに斧を振り回すばかりで一方的に責め立てられているではないか。助勢に向かう余裕もなかったために言葉で奮起を促したのだが、どうやら良い具合に作用したようだ。

「お前の連れも手間かかるなぁ」

「ガキなだけさ。だからって軽く見たりしないだけでな」

 呆れたような黒マントの言葉に、ガルドは正直な思いを吐露する。

「あいつは戦闘のことをまだ何もわかっちゃいないが、内に持つ実力は本物だ。あとは自分でそれに気付けるかどうかだけだ」

「それで、今ようやくそれに気付いたって?」

「少しずつ気づき始めたってレベルだろう。まともな戦い方には程遠いが……」

 語りながら連続して突き出したナイフが、黒マントのナイフと接触して金属音を響かせる。勢いに押され後退する黒マントに合わせ、ガルドの方からじわじわと詰め寄っていく。

「それでも、今のあいつはお前の連れより強い。確実にな」

 言葉とナイフ、双方から畳み掛けるガルド。口調は冷静なままだが、とめどなく繰り出す連撃に黒マントはかろうじて身を守ることしかできずにいる。その表情からは余裕も消え去っており、ガルドの優勢は明らかだ。

「ぐっ……!」

 防御を繰り返す黒マントの裏をかき、咄嗟に手首をひねって逆側から斬りかかる。

「――お前らの、負けだ」

 そうして繰り出した一閃が、黒マントの手の甲を綺麗に裂いた。



 心持一つでこうも変わるのかと、リダ自身が何より驚いていた。

 器に満ちた止水のような心境となり、それまで見えなかったものを見切ることができるようになっている。まるで軌道を読めなかった少年の攻撃が、些細な挙動を見極めて予測し、対処できるようになったのだ。

 半歩身を引き、斬撃を紙一重の間合いでかわす。しかし精神的には余裕があり、先刻とは雲泥の差だ。

 連続して襲い来る剣撃を最小の移動でかわし、斧の構えを保ち続ける。体力は限界が近づいているが、不思議とリダの精神は穏やかに保たれていた。

「……」

 乱打では埒が明かないと悟ったのか、少年が一旦剣を引いてリダと向かい合った。

 沈黙を貫く少年に対し、リダもまた口を閉ざして相対する。

 リダの様子が変わっていることに少年も気づいているだろう。彼の戦い方も、一気に押し切ろうという戦術から慎重にリダの隙を狙う型に変わっている。

 そしてその事実を落ち着いて確認できるほど、リダは冷静に状況を見定めていた。

 一気に決着をつけるべく、リダの方から膠着を破って口を開く。

「――行きますよっ」

 弾むような足取りで石畳を蹴り、斧の刃を滑らせる。

 力任せに殴りつけるのではなく、的確に相手へダメージを与えられる力加減とタイミングで。

「……!」

 その一撃は剣で受け止められたが、流しきれなかった威力で少年の体がわずかに後退した。安定していた防御の型も崩れ、少年に一瞬の隙が生まれる。

 時間にすればコンマ一秒。

 しかし、今のリダには十分な時間。

 そのチャンスを見逃さず、リダは少年の剣を踵落としの要領で叩き落とした。それまで以上に派手な音を立てて長剣が石畳を滑り、得物を失ったことで少年が無防備になる。

「ここまでですっ!」

 がら空きとなった少年の腹を目がけ、斧の重量を支える屈強な脚での蹴りを叩き込んだ。




「ぐっ……!」

 ナイフを取り落とし、血の噴き出る傷口を抑える黒マント。さらにその横に、ガルドの後方から吹き飛んできた黒マントの少年が倒れこんだ。

 それがリダによるものだと確信したガルドは、完全に制圧する意味合いを込めてナイフを突きつける。

「これ以上の抵抗は無意味だぞ」

「大人しく投降してください」

 斧を納めたリダも横に並び、二人の黒マントの姿を見下ろす。どちらも表情から余裕の笑みが消え去っており、恨めしそうにガルドのことを睨み付けている。

 敵意はなおも消えていないようだが、これ以上の戦闘では勝ち目がないとも理解しているようだ。

「ちっ……ここまで来たってのによ。こんなザマじゃあ、アイツに向ける顔がねえ」

「……」

 これ見よがしに舌打ちを響かせ、力なく毒を吐く黒マント。言葉こそ発しないものの、少年の方も同様の気持ちであることが表情から伝わってきた。

 相手の言葉に引っかかる点を覚えつつも、ガルドはまず事実確認を行うことにした。

「地上の騒ぎはお前らの仕業だったな。あれは……お前らがここに忍び込むための陽動だったのか?」

「……そうだ」

 黒マントは存外素直に頷く。戦闘中の饒舌な様子から一転して言葉数が少なくなっているが、この状況で口が軽くなる人間もそういないだろう。

「そこまでして、ここで何をしていた?」

「……分かりきったことを」

「分からないから訊いてるんだが」

 詰め寄るように問いを重ねるが、黒マントはそれ以上何も答えない。この場で強引に聞き出すのは難しいと判断し、ガルドは尋問を一旦切り上げることにした。いずれにせよ、この二人を拘束して早急に地上へ戻ることが先決だろう。

 しばらく沈黙が続いたが、表情をゆがめていた黒マントが不意に小さく噴き出した。そしてそれを皮切りに、クツクツと笑い声を聞かせ始める。

「……何がおかしい?」

「いや、お前らも俺らと同じ下っ端なのかと思ってな」

 挑発するように息を漏らす黒マントだが、そこに先刻あった怒りの感情は薄らいでいる。そしてその代わりに、隠そうともしていない憐みが込められていることが分かった。

「後でこの礼拝堂の奥を覗いてみな。面白いもんが見られるぜ」

「こっちより情報を持ってて鼻高々ってか。単純な奴は幸せそうで羨ましい」

 あえて礼拝度の奥については触れず、相手の憐憫(れんびん)を受け流す。お互いの敵意がむき出しになっており、両者の間に殺伐とした雰囲気が流れ始める。

「……ずいぶんと余裕があるようだが、まだ何か企んでるのか?」

「かもしれねえなぁ」

 あくまで本題を語るつもりはないらしい。それならそれで構わないと、ガルドはそれ以上の会話をやめて二人を縛り上げようとしたのだが――

「さて……そろそろアイツも次の行動を起こしてる頃だろうし」

 不敵に笑う黒マントを見て、ガルドはとんでもないミスをしていることに気付く。

 ガルドと会話をしていた黒マントに意識を向けている間に、少年の体がその陰に隠れて見えなくなっていたのだ。

「俺らも、ぼちぼち退散させてもらうぜ」

 気が付いたときにはすでに遅く、黒マントと少年の間から強烈な閃光が迸った。

「うぁっ!」

 油断していたらしいリダが短い悲鳴を上げる。強い光は即座にガルドとリダの視界を覆い、黒マントたちの姿を隠してしまう。

 まだ体を拘束する前だったため、この目眩ましに乗じて逃走するつもりのようだ。ガルドはそこまで理解していたが、視覚を封じられた状態ではどうすることもできなかった。

「……っ」

 しばらくして閃光が収まったことを確認し、そっと目を開く。

 そこに二人のテロリストの姿はなく、静寂に満ちた礼拝堂の石畳が続いていた。

 まるで白昼夢でも見ていたような気分にさせられたが、石畳に転がって残っていた少年の長剣が現実の出来事であったと示している。

「うぅ……あの二人は……?」

「逃げられたな。あとそんな勢いで目を掻くな」

 両目をゴシゴシこするリダを窘め、ガルドはやるせなさに溜息をついた。

 油断していたつもりはなかったのだが、リダと行動するようになって実戦から離れ勘が鈍ったのかもしれない。まず最初に相手の自由を封じておかなかった自身の迂闊さに、ただ自嘲せざるを得なかった。

「すぐ追いかけましょう!」

「いや……もうこの礼拝堂を出たようだ。後を追うのは難しそうだな」

 耳を澄ましてみるが、静まり返った中でも二人の足音が全く聞こえない。どこかに身をひそめている可能性も無くはないが、どちらにしろ発見は難しいだろう。

 そこでふと、ガルドは黒マントの言葉を思い出した。

「……この奥には何があるんだ?」

「奥? そういえば、変なこと言ってましたね」

「含みのある言い方だったのが気になるな……」

 気を緩めないまま奥を睨み付ける。戦闘前から感じていた無数の人の気配は相変わらずであり、無音の空間において強烈な違和感となって二人の緊張を誘う。ただ、先刻の戦闘に加勢が現れなかったことを考えると、必ずしもテロ集団の仲間とは限らないだろう。

「どうします?」

「まあ助勢を呼ぶにしても、何があるのか確認しといた方がいいだろうな」

 この奥にこそ彼らがここに居た理由があるのかもしれない。そう考えれば、確認に向かうことも無駄とは言い切れないだろう。

 ただ、リダは明らかに今の戦闘で心身ともに疲弊している。もし奥にいるのが敵であった場合、これ以上の交戦は彼の身が持たない。ほとんど偵察のような形になるが、身を隠しつつ慎重に進む必要があるだろう。

「危険なようならすぐに脱出するぞ。いいな?」

「……っ、はい」

 自身の限界を感じたのか、リダも悔しげに頷いた。


 奥に進むと、そこには整然と通路の並ぶ奇妙な空間が広がっていた。図書館の書架を彷彿とさせる通路の巡らせ方だが、通路の入り口から奥は照明の類が何も灯されていない。視野が限られたまま突っ込むのは危険なので、通路の入り口で奥の様子を窺っている状態だ。

「全然見えませんね……」

「……不穏な様子はないな。灯りをつけよう」

 奥から感じる気配は数こそあるものの、黒マントたちのような禍々しさは感じない。いつでも撤退できる態勢のまま、ガルドは手持ちのランプを静かに灯した。

 決して十分な光量ではなかったものの、それまで闇に覆われていた通路の先がランプの灯に照らされてぼんやりと浮かび上がる。

 そうして見えるようになった『それ』を見た瞬間、二人は揃って全身を硬直させた。

「これは……」

「牢獄、だな」

 言葉にすることで改めてその事実を確認し、ガルドは露骨に表情を歪ませる。

 通路の両側で鈍く輝く、鉄色のストライプ。

 さほど広くないスペースに区切られた無数の監房は、まさしく牢屋のそものだ。

 収容者の往来を頑なに拒む境界線が等間隔に並んでいる光景は美しく、同時にあまりにおぞましい。それが一直線に並んでいる様子はまるで教会の燭台飾りのようだが、この光景は装飾品に比肩するほど上品なものではない。

 そして何よりも二人の意識を束縛したのは――

「おい……中に人が!」

「ええっ!?」

 ガルドの言葉に驚いたリダが状況も忘れて大声をあげ、慌てて近くの牢屋を覗き込む。

 すると中には、息も絶え絶えといった様子の二人の男性が横たわっていた。

「っ!」

 凄惨な光景に、リダは顔を青白くして目を逸らす。

 呼吸をしていることは確認できるのだが、骨と皮ばかりの痩せこけた身体は生きていることさえ不思議に思えるほどだ。現在意識があるのかないのか、リダとガルドの姿にも何ら反応を示さない。

 さらにいくつかの牢屋を覗いていくが、どこも似たような有様の人が収容されており、明らかに絶命しているもの――中には半分白骨化している死体も散見できた。

 奥から感じられた人の気配の元は彼らなのだろうが、予想外の事態にリダはおろかガルドまでも咄嗟の言葉が思いつかなかった。

「これは……何、ですか……?」

「無理に喋らなくていい。……長いことここに捕まってた、ってのは分かるんだが……」

 周辺の牢屋を見回し、ガルドが短く言い捨てる。こみ上げてくる吐き気を無理やり押し込めると、気を逸らす意味をこめて気になった点を口にした。

「……ここにいるのは、植物族ばっかだな」

「えっ?」

 驚いた様子でリダが顔をあげる。彼は直視しないようにしているので気付かなかったのだろうが、彼らがいずれも植物族の特徴を有していることをガルドは見逃さなかったのだ。

 その事実を認めた二人は、自ずと一つの結論に至ろうとしていた。

「あの二人がここに居たのって、まさか」

「……否定するだけの要素は無いな」

 すなわち、あの黒マント――テロ集団が、ここに植物族を幽閉していたという可能性。

 植物族を幽閉していた理由は分からないが、いくら大目に見ても碌なものではないだろう。既に複数の死人さえ出しているという事実に、ガルドはただ黙って奥歯を噛みしめることしかできなかった。

 一気に薄気味悪さの増した話に顔を真っ青にするリダ。こうした血なまぐさい光景には慣れていないのだろう、あまりここに長居させないほうがよさそうだ。

「ひとまず、生きてる奴だけでも助けたほうがいいか……ん?」

 フリギスへの連絡を急ぐべきかと思案を始めたガルドは、突然足元から伝わってきた振動に眉をひそめた。

 遠方で何か重いものを引きずっているような振動は、地震のような自然災害の類とは違う。だが、地下通路全体を震わせるその振動は決して小規模なものでもない。

 一瞬は地下通路が崩壊するのではと肝を冷やしたが、頑丈な造りのようで崩壊の兆候は見られない。しかし、このタイミングでの不自然な地揺れが一連の騒動と無関係とも考えにくい。

「おい、リダ! 一度外に出るぞ!」

「えっ、この人たちは……?」

「フリギスに応援を頼む! この数じゃ、どのみち俺らだけじゃ捌ききれない!」

 猛烈に嫌な予感がしてきたガルドは、その足を外に向けて全速力で走りだした。

 この振動の正体が、地上で起きた不測の事態であるという確信を持って。






 時はわずかに遡る。


 リオナの手刀と黒マントの短剣がすれ違う形で掠める。お互いの接触が殆どないため、激しさに対して非常に静かな戦闘となっている。

「ふぅ、はぁ……」

 リオナは荒れた呼吸を強引に正すと、汗を拭いながら改めて相手の姿を観察する。

 相手の実力が相当高いことは身に染みて感じているが、それでもリオナはかろうじて渡り合うことができている。それに伴い、小さかった違和感が無視できないものとしてリオナの胸中に燻り始めた。

 素人のリオナが拮抗できている理由を、これまでは相手が非戦闘員なのだろうと考えて納得していた。しかし冷静になってみると、どうもそれだけでは埋めきれない実力の差があることが分かってきたのだ。本来ならばこれほど長期戦にならず、リオナが圧倒されていてもおかしくない。

 それにも関わらずリオナが瞬殺されないのは、相手の行動の『クセ』が見えているからだ。

 いつかどこかで対峙した経験があるのか、相手の次の行動が何となく予測できてしまう。理由こそ思い出せないものの、そのアドバンテージを最大限に活かし、どうにか決定打を喰らわずに済んでいるというのが実際のところだ。

「……私たち、どこかで会ったことあったかしら」

「……!」

 素朴な疑問から思わず相手に語りかけてしまったが、当然ながら返答はない。だがわずかに動揺したのか、その挙動が一瞬固まった。

 その反応が気になったものの、その隙にリオナは距離を詰めて回し蹴りを繰り出す。

 わずかに早く反応した黒マントはすぐさま飛び退いてかわすが、脚の切っ先がフードの端にひっかかった。直撃こそしなかった一閃は、しかし羽織っていたマントを勢いよく巻き上げ吹き飛ばした。

「っ」

 相手が初めて小さく声を漏らし、顔を隠すように腕を上げる。マントの下の服も袖が長く頭全体を隠せているが、その態勢では戦闘の続行など不可能だろう。

 象徴であった黒マントの下から現れたのは、意外なほど細身な男の姿だった。

「さて、さすがに隠し通すのは限界なんじゃない?」

 回し蹴りからステップを踏んで態勢を直したリオナが挑発するように笑う。頑なに戦闘を回避しようとし、顔すら見せようとしなかった相手の正体を一目見てやろうと意気込んでいる。

 まだ袖で隠していて見えないが、リオナが追撃を試みれば腕を下ろして対抗するほかないだろう。それでもなお隠し続けるのであれば、遠慮なく攻撃を叩き込んでから拘束してやればいい。リオナはそう考えていた。

「ようやく素顔が拝めそうね」

 警戒を解かぬまま男の顔を覗き込む真似をするリオナ。

「……ふぅ」

 そこで男は諦めたような溜息を一つつき、そして初めて口を開いた。

「バレないで済めば、とも思ったんだけどね」

「――!?」

 その直後、リオナの全身が固まる。

 決して威圧感溢れる声だったというわけではない。男が特別な仕草を見せたわけでもない。

 ただ、リオナはその男の声に『聞き覚えがあった』。

 どこかで聞いたことがある、などというレベルではない。もっと日常的に、それこそ毎日のように耳にして記憶に焼き付いている声だ。

 そしてそれはある意味、現在のリオナが何よりも求めている声であった。

「さすがにそれは虫が良すぎるかな。……僕はもう、そんな生易しいところにはいないんだったね」

「え……え……!?」

 腕をおろし、袖の奥から男が顔を表す。

 短く切り揃えられた新緑色の髪。

 どこか気の抜けたようなのんびりした口調。

「ただ、こうして顔を見せた以上……僕ももう遠慮しないからね、リオナ」

 そこにあったのは――リオナが捜していた兄、ニールの顔だった。

「兄さん……!? どうして!」

 拳を構えたまま固まるリオナ。念願の兄との再会であるはずなのに、様々な疑問が脳内を駆け巡ってリオナに余裕を与えない。

 なぜ兄がこんなところにいるのか。

 なぜリオナに正体を隠そうとしていたのか。

 そして、なぜ相手が実の妹と理解してなお武器を納めないのか。

 再会した時に伝えたかったことも山のようにあったはずなのに、リオナの頭からはきれいに消え去ってしまっていた。

 ただ、兄が黒いマントを羽織って自身と交戦していたことの意味だけは理解し、半ば自己暗示のように首を振って否定しようとする。

「うそ……嘘よ……兄さんが、こんなことするはず、ない」

「嘘じゃないよ。間違いなく僕自身が、自分の意志でこの騒動を引き起こした」

 そんなリオナをあざ笑うように、ニール自身の口から淡々と肯定の言葉が紡がれる。その言葉を受け入れられず、リオナは頭を押さえるようにして耳を塞ぐ。

 既に戦闘を続行できる精神状態ではなくなっているのだが、ニールはそんなリオナに向けて改めて短剣の切っ先を向けた。

「やっ……やめて……兄さん、やめて!」

「こうしないと、後を追ってきてしまうよね……リオナなら」

 短剣を構え、静かに距離を詰めてくるニール。ゆっくりと迫ってくる彼に対し、リオナは混乱とショックのせいで狼狽えることしかできない。

 目の前の光景が信じられず、よろよろと後ずさるリオナ。しかしすぐに建物の壁に背中がぶつかり、ニールに追い詰められた形となってしまう。

「兄さん、なんでそんな……どうし――」

 そんなリオナに向かい、ニールはナイフを構え直し――


 一切の躊躇なく、リオナの身体を真っ直ぐに斬り薙いだ。


「ぁ……」

 腹部から全身へと駆け巡る激痛に苦悶の声が漏れる。

 斬られた傷が耐えられないほどに痛むわけではない。

 激痛を覚えたのは、リオナの心。

 まるで胸に穴を穿たれたような耐え難い痛みがリオナに押し寄せる。

「にぃ……さ……」

 兄を呼ぼうとするが声が出ず、目の前の兄の顔が涙で滲んで見えなくなる。

 激痛と絶望で身体を支えられなくなったリオナは、糸の切れた人形のようにその場に倒れた。






 ガルドとリダが礼拝堂に入ってからそこそこの時間が経過している。どうやら爆破騒動の方も鎮静へ向かっているようで、新たに大規模な爆発が発生した様子は見受けられない。

 しかし、街の雰囲気は爆発発生直後さながらの混乱に包まれていた。

「な、なんかパニックが大きくなってませんか?」

「この地鳴りと揺れ……やっぱり何かあったようだな」

 爆発が収まってきているためか、礼拝堂の周辺にもまばらに人影が見える。彼らはいずれも、なぜか街の上方へと顔を向けて硬直している。その表情は絶望とも困惑とも取れない混沌としたものであり、尋常でない事態が発生していると見て取れた。

 地下で感じた振動は外に出るまでの間にますます強くなり、不穏な空気が街を支配している。肌で危機感を覚えたガルドは、まず事態を把握してから行動に移ることにした。

「とにかく今は、フリギスを探すべきですかね」

「そうだな。しかしこの揺れ、奴らがまた何かしでかしたのかも……あぁ?」

 何が起こっているのか探ろうと顔を上げたガルドの目に、その光景が飛び込んできた。

 それと同時に、周囲の人々同様その場に立ち尽くしてしまう。

「嘘だろ……」

「ガルド? どうしたんで……ぇ?」

 ガルドの様子にただ事でないと感じたらしいリダも視線の先を追い、そして彼もまた言葉を失って固まった。


 二人の見つめる先、マルトーリの街で最も高所に存在する『門』。

 悠久の時を開門したまま見守ってきたその門扉が、大地を轟かせながらゆっくりと閉まり始めていた。


 閉ざす方法が失われてしまい誰にも動かすことができないと言われていた、不閉の扉。それが、目の前で今まさに閉ざされようとしているのだ。

「これは、何の冗談だ……?」

 かろうじてガルドが口にできたのは、そんな乾いた感想のみ。

 地下の植物族のことや、別行動しているリオナの安否。そして犯人たちの行方など、急いで行動しなければならないことは多い。

 それを理解しつつ、二人は『門』が閉ざされていく様を呆然と見続けることしかできなかった。


 そして、多くの者が傍観する中――『門』は完全に閉ざされる。

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