52話 演武
漆黒のマントが混沌とした街中を駆け抜けていく。爆発によってあちこちに瓦礫が散乱しているのだが、黒マントの走る経路だけはそうした障害物がほとんど見られない。自身の逃走経路まで計算にいれて爆破を行ったのでは、という予感がリオナの頭をよぎる。
油断のならない相手だと再確認しつつ、それでもリオナの心は微塵も臆していなかった。それどころか、必ず眼前の黒マントを捕えようという気概に満ち溢れている。
その理由は、実に単純な怒りの感情だった。
――私の仲間がこんなに迷惑をかけてるなんて、絶対許せない。
種族の誇りのようなものが特別に確立されていないリオナにとっても、同族によって街に甚大な被害が及んでいるというのは許せることではなかった。犯人が植物族でなくとも怒りは覚えただろうが、自分との共通点があるせいで余計に感情が猛ってしまっているようだ。
しかし、そうした心中とは裏腹に、黒マントとの距離は一向に縮まらない。爆破された街中は相手の方に分があるようで、相手のペースに呑まれて思うように追跡ができない。
このままでは埒が明かないと判断したリオナは、黒マントの走る先の道の脇に佇む、半壊した露店の骨組みに気付いた。道幅も若干狭くなっており、崩れてしまえば道を塞いでしまうことになるだろう。
「待ちな、さい!」
一瞬で決断したリオナは、近くに転がっていた手頃な瓦礫を拾い上げ、黒マントの背中目がけて思いきり投げつけた。
飛来する投擲物に気付き、黒マントが身を翻してかわす。しかし、標的を失ったそれの行く先には、露店の倒壊をかろうじて防いでいた骨組みの柱が。
「……!」
黒マントがようやくそれに気づいたがすでに遅く、瓦礫の欠片は吸い込まれるように骨組みの柱を破壊し――
直後、轟音。
微妙なバランスで保たれていたらしい骨組みは、強烈な一撃で支えを失い一気に崩れ去ってしまった。リオナの目算通り、細くなっている道を塞ぎながら。
通り抜けられる小道も近くには無く、この場所は完全な袋小路になったことになる。
「やっと追い詰めたわね」
進路を塞がれ立ち止まった黒マントに相対し、リオナは持てる限りの敵意を相手に向ける。進める道を断たれた形となったことで、黒マントもようやくリオナへ注意を向けてきたようだ。
改めて相対しても、やはりフードで顔が隠されて表情を窺い知ることはできない。得も言われぬ不気味さを漂わせているが、こうして向かい合うことで心なしか動揺しているようにも見受けられる。
「この爆破騒ぎはアナタたちの仕業ね」
「……」
「どういうつもりか知らないけど……これ以上好きにはさせないわ」
ビシリと指を突き付けたリオナに黒マントは反応を見せない。ただその場に直立し、リオナの言葉を黙って聞き続けているように見える。
その態度もリオナを苛立たせたが――相手が自分と同族であるという事実が、より一層彼女の怒りを助長した。
「……アナタも分かってるんでしょ? 同族なんだから」
感情を抑えきれず、心中の燻りを言葉として相手に投げつける。
植物族のリオナが感知できる以上、相手もリオナが同族だと気付いているはずだ。先刻から動揺しているように見えるのもそれが原因かもしれない。
「私は、植物族の一人としてアナタを許さない。絶対に」
拳を構え、なおも沈黙を貫く黒マントを冷徹な視線で射抜くリオナ。街を守るという義務感の上に自身の怒りを上乗せし、いつでも攻撃を加えられるよう態勢を整えていく。
「……」
その敵意を全身で受けた黒マントは、表情を隠そうとするかのようにフードの裾をつまんで口元を覆った。
天使の像の下に続いていたのは、外観よりも更に古ぼけた地下通路だった。
地上の礼拝堂とは違う様式の石煉瓦の造りで、不快な湿気を含んだ空気が地下であることを嫌でも理解させる。入ってすぐはガルドが少し屈まなければならないほどの狭い通路だったが、奥に進むにつれて次第に広大な空間が広がっていく。どうやら、入口からは想像もつかないほど大規模な構造となっているようだ。
「奴らの隠れ家、って感じでもねえな。ほとんど遺跡……にしても違和感あるが」
率直な感想をぶつぶつと囁くガルド。ふと見上げてみれば、すでに通路の天井は暗がりで隠れてしまうほど遠くまで登ってしまっていた。さらにはガルドの体躯よりも太い重厚な柱が、道を示すように左右均等に並びそびえている。もはや通路というより、神体を祀っている祭壇と言えるほどだ。
狭い空間で黒マントたちと鉢合わせする心配はなくなったが、これでは捕まえることはおろか、発見することすら難しいかもしれない。
「街の地下はこんなふうになってたんですね……」
リダもこの空間の存在理由が気になるようで、警戒を怠らないまま怪訝そうに周囲を見渡している。
「ここを造ったのもあの黒マントの人たちなんでしょうか」
「それはないだろ。こんな無駄に巨大な建造物を奴らが造る理由なんざねえし……それに、いくらなんでも街の住人に気付かれずにこれを造り上げることは不可能だ」
「じゃあやっぱり、ここも礼拝堂と同じ遺跡の一部ってことですか」
「それをあいつらが自分たちの都合で利用してた、ってのが妥当な線だな」
考え得る可能性をお互い口に出して整理していく。それによりこれまで不明瞭だったことが少しずつ紐解かれ、ガルドもリダも今回の騒動の全容を掴み始めていた。
空間が広がり身を隠せる場所も増えたため、どこに黒マントが潜んでいるか分からない状況だ。こうした軽口も反響しないよう呟く程度の音量であり、話をしながらも柱の影などに注意を向けている。
慎重に奥へ進んでいた二人だったが、長い直線の先に様子の異なる空間が存在していることに気づいた。
これまでは純粋な一本道だったのが、建造物の内部らしい入り組んだ通路の構造が確認できる。遠方からでは詳細こそ分からないものの、そこがこの通路の最奥部であることはなんとなく確信を持つことができた。
「……人の気配がします」
斧の柄を握り、リダが小さく呟く。同時に気付いていたガルドも返事をせず、黙って首肯した。
その気配が黒マントたちのものであるかは分からないが、一人や二人といった数ではない。数十人単位の何者かがこの奥に潜んでいるようだ。正体が何であれ、気を緩める理由はどこにもない。
「二人で大丈夫でしょうか……」
緊迫した状況で覚悟より不安が勝ったのか、リダが不安そうに声を上げた。
高い戦闘能力を持つとはいえ、リダはまだ十代前半の子供なのだ、そうした思いに駆られるのも無理はないだろう。少しでも不安を減らしてやろうと、ガルドはぎこちない手つきでリダの頭を撫でる。
「言ったろ、お前なら大丈夫だって。数百の大軍が相手じゃないんだ、気後れする必要は――」
言葉の途中で、ガルドは微かな異音に気付く。
それは、この静寂の中においてもほとんど聞き取れないごく微小なものだったが、注意を巡らせていたガルドの耳はその音を正確に聞き取ったのだ。
リダを引きよせながら身を翻し、ナイフを取り出し振り下ろす。
直後、甲高い金属音とともに一丁のスローイングナイフが叩き落されて石畳を滑っていった。
「これは……!」
敵襲。それもナイフを投擲した者だけでなく、後方からもう一つ気配が迫ってきている。
「リダ!」
「は、はい!」
即座に事態を理解したらしいリダは、背後から迫る殺気に気付いて振り返りざまに斧を振るう。間髪を入れずに長剣の刃が斧と激突し、地下通路に不快な金属音が響き渡った。
「来たか……」
リダが無事に応戦できたことに安堵しつつ、ガルドはナイフの飛来した方向に最大限の注意を向ける。実戦経験のない彼のことも気がかりではあったが、こちらの方もリダの援護を許してくれるほど弱い相手ではなさそうだ。
追撃するように更に二つのナイフが飛来し、両方ともナイフで弾き落とす。それにより相手の潜む位置を特定し、ガルドも臨戦態勢へと移行した。
「いやいや、やるねぇ。スローイングには自信があったんだが、こうもあっさりかわされちまうとは思わなかった。俺もまだまだってことかねぇ」
乾いた拍手とともに、柱の影から一人の黒マントが姿を現す。
「まぁそもそも、ここが見つかるってこと自体思ってなかったんだが。どうにも計画ってのは思い通りいかないように世の中できてるらしい」
ガルドの目の前に現れたのは、がっしりした体つきの若い男だった。
軽口を叩きながらも隙は見せず、ゆっくりとした足取りでガルドとの距離を詰めてきている。先刻のものと同様のナイフを両手で弄んでいるその姿は、見るからに危険な存在だ。そのナイフでいつ斬りかかって来ても対応できるよう身構えつつ、ガルドは慎重に相手の出方を窺う。
「お前、世界委員会の人間だろ? 雰囲気で分かるぜ」
手を伸ばせば相手の頬に触れられるほどの距離でようやく立ち止まるマントの男。ガルドに対する憎悪が笑みの中に浮かんでおり、目の前に立っているだけで吐き気を催すほどだ。
「……俺に限ればそうなるな。だが、それがどうした」
「いや、一応確認しておきたかっただけさ。……俺らは訳あってお前らにゃ負けられねぇ立場でな」
「奇遇だな。俺たちもだ」
お互いに相手を挑発し牽制する。ねっとりとした殺気が両者を包み込み、狂気に満ちた二人だけの空間を形成していく。
「お互い譲れねえモノがあるんだろうな。ま、だからって――遠慮はしねえがな!」
黒マントは言い終えると同時にクルリと後ろを向き、その回転の勢いを乗せて回し蹴りを放つ。
その軌道を読んだガルドは後ろに跳び退って回避する。そのまま守りに入ることはなく、着地と同時にばねのように床を蹴り、低い弾道で黒マントの胸部に斬りかかった。
しかし、刃が体に届く寸前で相手のナイフによって阻まれてしまう。
「……やるな」
「ハッ、お互いにな!」
ナイフ同士による近距離の鍔迫り合い。相手の息がかかるほどの距離で睨み合いながら、なおも黒マントは挑発の言葉を紡ぎだす。
「お前らがどういうつもりなのか、そんなこたぁいちいち訊かねえさ。聞くだけ無駄だろうからなぁ」
「……お互いにな」
相手の言葉を真似て返し、ナイフを引き手首を狙って再度突き出す。その切っ先は黒マントの取り出したもう一丁のナイフによって受け止められ、再び均衡状態に戻される。震えるナイフはガチガチと音を鳴らしており、どうやら力関係はほぼ互角であるようだ。
「……俺も一つだけ確認させてもらおう」
刃越しに相手の顔を見据え、今度はガルドが口を開く。
「お前らはテロ集団の……いや、今はそれはどうでもいいな。地上の爆破騒ぎはお前らの仕業かどうかだけ教えろ」
「ああ、その通り。ま、わざわざ言わなくても確信持ってたようだが。ついでに言うと、俺たちは確かにテロ集団の一員だ。今さらそれを隠したりしねぇよ」
不敵に笑う黒マントに、ガルドはある種の安堵のようなものさえ感じていた。
不確定な予測をもとにここまでやって来たのだが、無駄足にならずに済んだようだ。それどころか、ダイレクトに騒動の核心へ迫ることとなったことになる。ここでこの二人を捕まえれば万事解決、とまではいかないだろうが、事態の好転は充分望めるだろう。
考えることはもう必要ない。今はとにかく、目の前の敵に打ち勝てばいいのだ。
「そうか、確認できてよかった。これで遠慮なく、全力でお前を叩き潰しにかかれる」
「言うねぇ。そういう殺意、嫌いじゃねえぜ」
ガルドの言葉にむしろ楽しそうに笑った黒マントは、飛び退って距離を置いたかと思うと、高く跳び上がって踊るようにガルドに斬りかかった。
「くっ……!」
自身の斧が奇襲の一撃を防いだことを確認し、リダは冷や汗で手が一気にじっとりと濡れたことを感じていた。
一瞬でも反応が遅ければ致命傷は避けられなかっただろう。その事実に背筋を震わせながら、リダは刃を交える相手の姿を再度見据える。
「……」
リダの斧と拮抗している長剣を握るのは、リダとさほど変わらない背丈の黒マントを羽織る少年。だがフードの中から覗く瞳はどこまでも淀んでおり、目を合わせているだけでどうしようもなくリダを不安にさせた。
値踏みするようにリダをねめつける少年からは感情を読み取ることができず、マントの色も相まって闇そのものと対峙しているような錯覚を受ける。
「……爆破事件の犯人は、あなたたちなんですか?」
「……」
慎重に言葉をぶつけてみたが、少年が口を開く気配はない。そして返事の代わりに、剣を大きく薙いでリダとの拮抗を解いた。
慌てて後ろに下がり回避したリダだが、休む間もなく無数の剣技がリダに襲いかかる。
「わっ……!」
かわしきれないと判断したリダは、斧を構えて斬撃の乱舞を受け止めた。先刻以上の甲高い金属音と眩い火花が飛び散り、衝撃の大きさをまざまざと見せつけられる。
一つ一つが当たれば命に関わる閃撃。自分が死の瀬戸際に立っていることを改めて実感したリダは、リアルな恐怖感に唇を強く噛みしめた。
――こんなの……こんなの……!
本当は泣き叫びたい。悲鳴を上げて逃げ出したい。
だがここで逃げ出してしまっては、こんな所までやって来た意味がなくなってしまう。犯人を追いかけたいと言い出したのはリダ自身であり、中途半端で投げ出すのは『力の民』である自分自身が許さない。
背後からはガルドがもう一人の敵と刃を交えている音が聞こえる。自分だけが戦っているわけではないのだと考えると、不思議とリダの心から恐怖が消え去っていった。
体の震えがおさまり、斧を握る手に力を込める。
「手加減は、しませんからね……!」
実際には手加減を考える余裕などなかったのだが、自身に言い聞かせる意味合いも込めて虚勢を張る。相手が相当の実力者であることはすでに実感しているものの、だからといって及び腰になっていてはどう足掻こうと勝つことなどできない。
そんなリダの言葉を聞き、少年の表情に初めて変化が表れた。
「……」
感情を感じさせなかった顔が、突然笑みに歪んだのだ。
歓喜と殺意の入り混じったような笑顔であり、少なくともリダの発言を微笑ましく受け取ったという様子ではない。見ているだけで喉元にナイフを添えられたような気分になる、ひどく気分の悪いものだ。
「……っ!」
一瞬怯みかけたリダだが、先刻の決意を思い返して一歩も引かないまま吶喊の姿勢に入る。
「今度はこっちから行きますよ!」
言うが早いか、リダは斧を構え地を蹴って飛び出した。
リオナの幾度目かの正拳は、紙一重のところで黒マントにかわされてしまう。隠匿生活の中で鍛錬を重ねてきたリオナの実力もそれなりに高いが、相手の出で立ちも単なる虚仮威しではないらしい。
「さっきからなんなのよ、もう……!」
広く距離をとる黒マントを睨み付け、リオナはたまらず悪態をついた。
リオナの方は何度も攻撃を仕掛けているのに、黒マントの方は一向に反撃してくる気配がない。常に隙をついて袋小路から脱出しようとしており、リオナとの衝突をなんとかして回避しようとしているようだ。
もともと戦闘員ではないのだろう。リオナはそう判断したものの、こちらの攻撃をかいくぐる身の運び方は素人のものではない。そうした技能に精通した実力者、という見通しが現実的だろうか。同時にそこから小さな違和感を覚えているのだが、深く考える余裕がないためになおざりとなっている。
リオナにとってはひどくやりづらい相手だ。まるでこちらの動きを全て把握しているかのように攻撃をかわされてしまい、一向にダメージを与えられない。
余裕があるのにわざと反撃をしてきていないようにも思え、いいように遊ばれているような苛立ちを覚える。それほどの実力の差が存在しているという可能性も考えられるのだが、何より一向に埒が明かない状況にリオナの精神は大きく揺さぶられていた。
「絶対に、逃がさないんだから」
息を切らしながらも戦意を向け続けるリオナに、黒マントは何故か寂しそうに首を振った。
再度肉薄しようと足に力を込めたリオナは、複数の足音が遠くから響いてくることに気が付いた。眼前の黒マントを足止めしているせいか新たな爆発は発生しておらず、人の数が減り静かになった街中では些細な音もよく聞こえる。
「……っちには……て……か……?」
「もっと……もしれ……!」
時折、怒気のこもった叫び声がとぎれとぎれに耳に届く。どうやら世界委員会による捜索の手が近くまで及んできているらしく、整然とした足音が数を増やしながら次第に大きくなってきている。
これを好機と受け取ったリオナは、相手を追い詰めるべく黒マントに向かい口を開いた。
「観念しなさい。どこにも逃げ場はないわよ」
同じく足音に気付いているだろう黒マントに対し投降を促す。もちろん素直に応じるとは考えておらず、自棄になって襲いかかって来ても対処できるよう身構える。体力は限界が近づいているが、せめて後続の人間がやってくるまでこの黒マントを逃がすわけにはいかないのだ。
――あの二人も、今ごろきっと犯人たちと接触してるわよね。
――だったら私も頑張らないと。二人に顔向けできなくなっちゃう。
「……」
黒マントはやはり諦めていないようで、無言のまま腰に提げていた短剣を引き抜いた。逃げの一手だったこれまでと違い、リオナを力でねじ伏せて逃走の活路を切り開くつもりらしい。
リオナは素手の上、既にかなりの疲労が溜まっている。
あちらは息を切らした様子もなく、手には鋭利な刃物が。
絶対的に不利な状況と言えるが、それでもなおリオナの瞳に宿る闘志の炎は力強く燃え猛っている。
「――覚悟しなさい!」
自らの言葉で発破をかけ、リオナは一気に黒マントへと肉薄した。